日記独り言

2012年3月22日
 昨日から春のセンバツ高校野球が始まった。開会式での選手宣誓がすばらしく感動的だった。聞くところでは石巻高校野球部全員で考えたものだという。大震災被災地を代表して、というよりも日本を代表して発せられた復興にかけるメッセージであり、聞いていて思わず感涙。高校生の心からの言葉に日本中の大人が耳を傾け、勇気づけられたことだろう。
 全文以下の通りである。

 東日本大震災から1年、日本は復興の真っ最中です。被災をされた方々の中には、苦しくて、心の整理がつかず、
今も当時のことや、亡くなられた方を忘れられず、悲しみにくれている方がたくさんいます。
 人は誰でも、答えのない悲しみを受け入れることは苦しくてつらいことです。
 しかし、日本がひとつになり、その苦難を乗り越えることができれば、その先に必ず大きな幸せが待っていると信じ
ています。
 だからこそ、日本中に届けます。感動、勇気、そして笑顔を。見せましょう、日本の底力、絆を。
 我々、高校球児ができること、それは、全力で戦いぬき、最後まであきらめないことです。
 今、野球ができることに感謝し、全身全霊で、正々堂々とプレーすることを誓います。
 平成24年3月21日
 選手代表 宮城県石巻工業高等学校 野球部主将 阿部翔人

 口先だけの「絆」「がんばろう日本」という呼びかけにはない、重くそして強い逞しさを背景にした立派な選手宣誓だったと思う。がんばれ、高校球児。
2012年2月27日
 安倍元首相が橋下大阪市長率いる大阪維新の会の教育政策について『自分の考えてきた教育政策と相通じるものがある』とし、維新の会と連携をする動きを見せているという。「美しい日本」というテーゼを掲げて、反動的・右傾の政治姿勢によって、世界に誇るべき教育基本法をろくな論議もせずにあっという間に「改正?」してしまった人物であることから、まさに大阪維新の会が発表した教育基本条例について、我が意を得たりと思ったのだろう。
 国民の多くは、気づかなければならないはずだ。この人たちがいう教育改革が実現すれば、日本の教育は戦前・戦中のそれに戻ってしまい、子どもたちの健全な成長を阻害してしまうことを。

 公教育は、成熟した社会をめざして「自立した市民」を育てることにある。
 そこでは、モノゴトを見る確かな目、それをもとにしっかりした選択・判断ができるような豊かな感性を育てることがカギとなるはずだが、彼らの示す指針によってはそうした人間の育成を図ることは難しい。競争によらず、自らを高め、互いの違いを尊重しながら互いに成長していく努力を怠らない子どもの育ちを期すことこそ望ましいが、それは本来の「切磋琢磨」の姿である。対峙して競うことがなければ成長しないということを前提にした前時代的な教育のありようを求める姿勢は、教育改革の名にふさわしくない。クラーク博士が『少年よ大志をいだけ』と言った言葉はあまりにも有名だが、大志の意味を立身出世と理解していてはクラーク博士の言を十分に理解したとは言えまい。この「大志」は、クリスチャンである彼の信仰心をふまえた「神をあがめ、神とともあるにふさわしい生き方をめざせ」という考えをベースにしたもので、自分自身の成長・充実をめざし、恥じない生き方をせよという教えなのだ。
これからの日本も、そうした「大志」を胸に、確かな生き方を創り上げようとする市民を育てること、そのためにものの見方・考え方を身につけた市民として成長できる子ども育成を図らなければならない。維新の会が主張するような学力の伸長をねらっていたのでは、いずれ「教えられ」「指示され」ることに安住するような「自立とはほど遠い」人間しか育たなくなってしまうであろう。
教育の危機だとしか言いようがない、とそのニュースを聞いて強く思った。
2012年2月7日
 今夕のニュースで、歌手の芦野宏さんが亡くなられたことを知った。中学生の頃、芦野さんの歌う「カナダ旅行」「幸せを売る男」「パパと踊ろう」などが大好きで、いつか大人になったらこんなソフトな声で歌えるようになれるだろうか、なれたらいいなと憧れたものだった。ラジオやテレビでその歌声に接するたびに、心がほのぼのとして幸せな気分になれ、この人自身がまさに「幸せを売る」人そのものではないかと思ったりしたものだった。最後までシャンソンを愛し、シャンソンを次世代につないでいくために歌い続けた人生だったと報じられていた。天国でもその素敵な歌声を響かせておいでのことだろう。ご冥福をお祈りするばかりである。どうぞ安らかに。
2012年1月27日
 寒い!ひどく寒い。強い寒気団が日本を覆っているらしい。大雪が降り続いている地方では雪かき、雪下ろしに大変なことであろう。報道によれば、なおしばらくの間この寒さが続くだろうとのこと。それでも、今日のような晴れた日の日差しは、いっときのような弱々しさはなく、力強い明るさを取り戻してきており、春の訪れの遠くないことをうかがわせる。

 報道と言えば、何やら石原都知事や日本新党の亀井代表、たちあがれ日本の平沼代表らによる新党をつくる動きがあるという。それは良いとして、彼らが大阪市の橋下市長にも参加を呼びかけようとしているとも伝えられている。何と言うことかと思わざるを得ない。どうやら日本の政治家は、いつのころからか知名度や人気のある人物をかついだり、にじり寄ったりすることで自己に有利な状況が生まれるのではないかなどという安易で大人げない考えしか持てなくなってしまったようだ。ますます日本の政治に期待が持てなくなってしまい(これまでも十分に期待はずれの連続だったが)、市民からそむかれて「政治離れ」が加速してしまうのではないかと思われる。国民の監視が行き届かなくなれば、政治が暴走し国民にとっても国にとっても好ましくない方向にむかってしまう恐れがある。困ったことだ、と慨嘆せざるを得ない。

 ところで、話はガラッと変わるが、NHKBSで放送されてきた「カシャッと一句、フォト575」が今朝の放送を最後に終了してしまった。とても残念だ。1枚の写真を素材に、よくまあ想像を広げてさまざまな俳句ができるものだ、と感心しながらみてきた大好きな番組だったのだが、突然の終了宣告でがっかりするばかり。いつかまた装いを新たにした同様の内容による番組を放送して欲しいと思う。考えるに、同じ思いでいる人は多いのではないか。復活して欲しいものだ。
2012年1月23日
 一日中雨が降り続いたと思ったら、夜になって雪が降り始まった。天気予報の通りだ。明朝の冷え込みが予想されることから、路面の凍結が心配される。我が家の車はスタッドレスに履き替えているので、まずは安心だが交通事故が多発することのないように願いたいものだ。
 今朝の新聞では、マグニチュード7以上の首都直下型の地震が起きる確率が4年以内に70%以上と高まっているという計算による予測が報告されたと報じられていた。東日本大震災による影響で地震活動に変化が起きているのだという。何とも心配な報道であるが、今晩も福島で震度5弱の地震が起きた。このところ大きな揺れではないにしても関東でも毎日のように地震が起きている。不気味な揺れに感じられ不安が募るばかりだ。

 ところで、私は昨年の秋のこと、ある小学校からの依頼を受けて合唱の練習のお手伝いをしたことがある。その学校から丁寧な手作りの冊子が送られてきた。何だろうと思って、ページを繰るとあの折に合唱を歌った全児童からの練習の感想やらお礼の作文を綴じたものであった。心温まる何よりのプレゼントだ。
どの子の文章も、5年生の子どもらしい言葉で、だがしっかりした文章構成で綴られていてひどく感心させられた。
音楽は聴くものだと思っていたけれど、曲の思いを伝えるために歌うものだということがわかってよかったとか、声の出し方のヒントをもらえてやさしい声、響く声が出せるようになってうれしくなったとか、歌っていたら“歌手になってもいいな”と思ったとか、笑顔で歌ってよい響きが出せたのでこれからも笑顔で歌おうと思ったとか、その子なりの素直な言葉で綴られた感想に触れて感激させられた。ありがとうございました、と感謝の気持ちを伝えたいのはこちらの方だ。こんなにたくさんのうれしい言葉に出会えるのも、文字通り「教師冥利に尽きること」と言えるだろう。

 話は変わるが、毎日新聞の報道によると、夏の電力不足の公表には伏せられた別の試算があり、実際は6%の余剰電力があったのだという。公表した試算は、再生可能エネルギーを計算に入れておらず、電力不足を強調することで原発の再稼働の必要性を訴えるねらいがあるのではないかと批判の声が関係者から出ているというのだ。おそらくその批判は的を外してはいないだろう。夏の計画停電が発表された折でも、その必要はないはずだと指摘する研究者も少なくなかったし、何よりも原発を再稼働させたい人々が多くいてその人たちの意思が政と官を動かしているということが、この10ヶ月で国民によくわかったからである。国民よりも経済界を重んじなければならないこの国の体質はいかんともし難いものがある。
2012年1月21日
 今日の朝刊によると、水戸芸術館で行われることになっていた水戸室内管弦楽団の定期演奏会は指揮者なしで行われたという。指揮者の小澤征爾氏が19日夜の演奏会で指揮をした際の疲労がとれず、小澤氏と吉田秀和館長が話し合いをした結果、そのような処置をとることになったようだ。リハーサルで元気そうに指揮をする様子がニュースで流れていたので順調に快復されていることを喜んでいたのだが、やはりどこかで無理をされていたのだろうか。じっくり焦らずに体調の快復をめざされることを祈りたいものである。

 先日のこと、ある小学校から編曲の依頼があった。子どもたちがつくった詩に、保護者が曲をつけて音頭をつくったので、それに伴奏をつけて欲しいというのだ。出来た伴奏で校長自らが歌って録音し、その歌に合わせて春の運動会で全児童がおどる予定でいるという。ただ送られてきたその曲は、歌詞の抑揚やリズムに旋律がうまく合っていなかったり、構成に整合性を欠いていたりして音楽的にどうか、と思われる部分が多々あったので、ちょっとためらってしまった。しかし、『直せる箇所は直して』という依頼でもあったので直してみたら、申し訳のないことに7割がた修正することになってしまった。
そんなこんなで肝心の伴奏づくりに入るまでに時間がかかってしまったが、なんとか伴奏の編曲を終えることができた。
試みにその伴奏に合わせてVocaloidで歌詞データを打ち込み歌わせてみた。なかなかよいではないか。
これを録音して、週明けにくだんの学校に持って行って聴いてもらおうと思っている。

 ところで、JustSystemから一太郎バージョンアップの通知が送られてきた。現行バージョンは“創”。今度のバージョンは、“承”だそうだ。その“承”には、電子書籍の最新フォーマット「EPUB3.0」で編集・保存する機能が搭載されているという。
これは申し込んでおかなければなるまい。
しかしそれにしてもバージョンアップの間隔が短か過ぎはしないか?新しい機能を歓迎する一方で、矢継ぎ早なバージョンアップに少し首をかしげている私である。
2012年1月17日
 今日で阪神淡路大震災から17年目を迎えた。もうそんなに経ってしまったのだ。あの日は、朝のニュースを見て驚いてしまい、関西に住む知人の安否を確認するために電話をかけまくったものだ。大学院時代の教官や友人が大阪や兵庫に多く住んでいるためだが、あの日はどんなに電話をかけても通じず心配がいっそうつのったものだった。
 あの震災で被災し、立ち直った人々の多くが、自分たちの経験を生かそうと東日本大震災の被災地に手をさしのべていると今日の新聞に書かれていた。加古川に住む友人の一人が、今年の年賀状に『昨年は宮城でボランティア活動をした』と書いていたが、そういう思いからだったのかも知れない。
 先年、神戸を訪れたときにはあのときにニュースで見たすさまじい被害がほんとうにここで起きていたのかと思えるほど、一見すっかり復興・復旧を果たしていたように思われたのだが、人々の心には未だに大きな影を落としていることだろうし、実際の生活でも不自由さをかこっている人々も多いようだ。
 昨日のニュースでは、家を失った被災者のために県(市?)が借り上げたアパートの契約期限が迫っており、4年後にはそこを立ち退くようにとの知らせを受け取ったお年寄りの表情を報じていた。家を失ってしまった人々を「期限が切れる」からと立ち退きを要求するとは、何と杓子定規で冷淡なことを行政はするのかと思ったが、そうした苦境に立たされている人々が17年を経過したいまでもおいでになるということを忘れてはならないだろう。
2012年1月14日
 明日は小正月。そして今日はその前日であることから年越しの日である。いまは昔のように小正月を祝う習慣がなくなってしまったので、年越しを意識することもなくなってしまった。それにしても空気が冷たい。ちょっと風が吹くと、それだけでふるえ上がってしまうような冷たい寒さである。でもこのようなピーンと張り詰めた空気は嫌いではない。これからが寒さの本番だが、明日はいつもの年にそうしているように、タイヤをスタッドレスに交換して冬本番に備えることにしよう。

 ところで今日は、南極昭和基地にやむを得なく置き去りにされながら、たくましく生きていた二頭のカラフト犬“タローとジロー”の生存が確認された日なのだそうだ。当時の子どもたちは、ラジオや新聞、そしてニュース映画で報道されるその話題に興奮し、少年雑誌などに掲載された写真などをみてもえらく感激して語り合ったものである。
 考えてみれば、南極に行くということ、さらに越冬するということは、いまで言えば宇宙ステーションに行くことと変わりないほどの、いやもっと大変な危険を覚悟の仕事として見ていたような気がする。あれからもう50年以上も経ってしまったのだ。感慨深い思いでその話柄に接している。

 さて、家内は毎年のように年末ジャンボ宝くじを購入している。とは言っても大量に購入するわけではない。
せいぜい10枚〜20枚ほどなので、当たる確率も低い。いつも10枚買って300円の“おまけ”のような返金しかない。ところがどうしたわけか、(今日その確認に近所のお店に行ったら)中の1枚が3000円の当選くじだという。すごい!
というわけで、「庶民のささやかな幸せ」を存分に味わわせてもらった。
2012年1月11日
 東日本大震災が起きて今日でちょうど10ヶ月。もう10ヶ月も経ってしまったかという思いと、まだ10ヶ月しか経っていないのか、という思いがないまぜの複雑な心境で、そして感慨深い思いで今日を迎えた。
 今日は午後から私が指揮を担当する牛久フロイデ混声合唱団の練習が行われた。
 練習に熱が入りすぎてしまい、14:46を多少過ぎてしまったが、練習を中断してしばし黙祷。一日も早い復興を!と国内はもとより海外からも祈りと応援の声が寄せられているが、復興の足取りがあまりにも遅く、冬の厳しい寒さの中においでの被災地の方々のことを思うと心がいたむばかりだ。

 ところで先日購入したRoland社のアンプを合唱団の練習で試用してみた。なかなか良いではないか。何と言っても小型・軽量、しかも単三電池で動作するので、場所を選ばすいろいろな場面で活用できそうなところが良い。大いに使い倒してやろうと考えている。
2012年1月9日
 成人の日である。夕方のニュース番組では、各地の成人式の模様に併せて、いつもの
ことながら新成人があちこちで騒ぎを起こしているといったことも伝えている。この大変な時期に、そして同じ世代の若者が被災地で、あるいは避難先でがんばっていることを知っているはずなのに、何をかいわんやという心持ちである。

 ところで、昨日から大相撲初場所が始まった。新大関稀勢の里が昨日、今日と二連勝。
どんな活躍を見せてくれるか、楽しみである。大相撲と言えば、今日は現在の両国国技館が竣工し開かれた記念日なのだそうだ。

 昨日、近所の楽器屋さんでおもしろいものを見つけた。小型のPA機器である。小さいながら楽器の入力、マイクロフォンからの入力、外部音響機器からの入力を同時に扱えエフェクターまで内蔵、スピーカも内蔵しているのでこれ一台でプレゼンもできてしまうというすぐれもの。
電源は単三乾電池6本。それを含めた重量が2.5キロ。外に持ち出すには手頃な軽さと大きさである。名称は「MOBILE CUBE」。名前の通り可愛らしいRoland社のヒット商品になるのではないかと予想している。
2012年1月7日
 今日は7日。七草がゆを食するはずであったが、夕食近くまでは『今日はおかゆ』と決めていたにもかかわらず、いざ夕食の準備をする段階になって、我ら夫婦はそのことをすっかり忘れてしまった。残念!七草がゆは明日に持ち越すことにする。

 作曲家の林光氏が5日に亡くなっていたことをつい先ほど知らされた。オペラや数多くの器楽曲、さらには社会的な活動にねざした作曲活動でよく知られた作曲家である。学生時代の音楽科の友人が『林光作品集』というフルート曲集を持ってレッスン室に向かう姿を見かけ、現代的なすごい曲に挑戦しているんだなと横目で見ていたことを思い出す。小中学生にとっては、オペレッタ『森は生きている』の作曲家としておなじみのはずだ。
私たち教員には、日教組による全国教研集会における音楽部会の講師としてご活躍だった姿が印象に残る。もう80歳を越しておられていたらしい。ご冥福をお祈りするばかりである。
2012年1月6日
 小寒。寒の入りである。また1月6日は「七日正月」を迎える前日で、六日年越しというのだそうだ。
 夕方5時近くに、何気なく外の景色を眺めていて気がついた。つい先頃までは5時前には真っ暗だった外の景色が、まだ薄明かりの中に見え、まさに“誰そ彼(たそがれ)”と呼べるような光景である。ずいぶんと日が伸びたことに改めて気づかされ、寒さはこれからが本番だが春に向かって着々と時が進んでいることに感じ入ってしまった。

 ところで今日はロシアの作曲家スクリャービンが生まれた日である。神秘主義にのめり込み、その思想に基づいて音楽を書き進めた人物である。
その思想とは、“音楽とは単なる娯楽ではなく、世界の背後に存在する神の智恵の表れである。だから、これを使って人々を法悦の境地へ導き、神との合一を経験させ、通常の人間を超越した存在へと解脱させることができる…”というものだ。

 “法悦”の境地へ導くかどうかはともかく、音楽を演奏する、歌う、聴くことによって、人間は心が解きほぐされ、快の感情に満たされたり、音楽に共感してカタルシスが引き起こされたりして、新鮮な心持ちになることは誰もが経験済みのはずだ。
そうした状況を“法悦”と似た状況と言えば言えなくもない。音楽は不思議な力を持っているが、あまり神秘的なものとして扱うのはいかがなものかと思うのだが、スクリャービンが多くの名作を遺してくれたことは間違いはない。
2012年1月5日
 快晴。風が少し冷たく、そのせいで寒く感じられるが、心なしか日差しは力強さを増しているように見受けられる。
 今日はたった一人の孫の4歳の誕生日。朝のうちにお祝いメールを送る。

 ところで、私は今年のモットーを「拙速を心がける」こととした。
 “拙速”というと悪い意味にとられることが多いが、本来は『やりかたはまずくてもことの運びが早いこと(出典は「孫子」) 』という意味で、“ことの運びが早い”という良い意味にウェイトが置かれた言葉なのだ。若い頃に、ある校長先生から『確かな仕事でも遅くては周りに迷惑がかかる。修正はいくらでもきくのだから、早く仕事をこなすことこそ大事だと思って自分はやってきた』と教えられたことを思い出している。
 仕事がいくつか重なっても、てきぱきと作業を進め、時間に余裕をもってやりおおすことについては人後におちないと自負していたのだが、このところ考えている時間の方が長くなってきた。(トシのせいかも知れない)
 これではいけない、自分の持ち味を摩耗させてしまうわけにはいかない、と反省し、正月を好機と気持ちを新たにしようと考えたのである。がんばるのだ。
2012年1月1日
 2012年が明けた。どんよりとした曇り空で、いつものような暖かい日差しにあふれた元旦にはならなかった。ちょっと残念ではある。家族揃っておせち料理をいただいた後で、いつもの年のように土浦市内の八坂神社に初詣に出かけた。
 例年なら、どんなに参拝客で混み合っていてもせいぜい20〜30分も並べば、参拝を済ますことができるのだが、今年はそうはいかなかった。神社に着いてみると、例年にはない人での多さに驚かされた。いつもの4倍から5倍ほどの長い行列が出来ていたからである。これでは、寒さの中で何時間も待つことになる、と早々に元日の参拝をあきらめて帰ってきてしまった。思うに、復興や復旧への祈り、犠牲になった多くの方々への鎮魂の祈り、今年こそは平穏で良い年であれかしという祈りの心の表れなのではないだろうか。
 2012年は、これまでの生き方を見つめ直し、これまでと違った座標軸で新しい生き方を考え、進んでいく第一歩の年としたいと念じている人は多いはずである。そして、できることなら「平和で平穏」な日常を取り戻したいとの望みを多くの人が持っているはずだ。
そんな中、午後2時半頃ユサユサと大きな地震が襲ってきた。しかも時間がずいぶんと長く感じられた。速報では震度4だと
いう。正月早々、起きてしまった地震にイヤな感じを抱かせられた元日であった。
2011年12月28日
 無線LANルーターを新しくしたおかげで、いろいろと便利さを実感している。我が家のプリンタは2台とも無線LAN対応ではないのだが、新しいルーターを介することで、どこに置いたパソコンからでもまるで無線LAN対応のプリンタであるかのように使うことができるようになった。もちろん、これまでもホームネットワークの共有プリンタとして使うことができていたのだが、そのときに比べるとプリンタの反応もプリントアウトまでの時間もぐんと短縮され、作業がはやくすすめられるようになった。またHi-speedのUSBハブも接続できるので、スキャナもどこからでも共有して使えるようになった。便利なことこの上ない。
と言った具合に、その便利さと速さを享受し、満足しているところである。

 ところで、2011年も残すところあと三日となった。忘れてはいけない年、忘れられない年として、また改めて「生きること」について考える機会となった年として、日本国中が感慨深い思いで年の瀬を迎えていることだろう。来年は穏やかで平安に満ちた年であることを願うばかりだ。そうした願いと祈りが誰の胸にもふくらんでいるに違いない。
2011年12月26日
 あと10日ほどで満4歳になる孫娘は、このところ語彙も増えていろいろ楽しい話を聞かせてくれるようになった。
 先週の土曜日のこと、翌日の引っ越しの準備のため自分たちで運べる物は運んでしまおうとすると、お手伝いをしてくれるという。『じゃあ車までこれを一緒に運ぼう』と小さな荷物を持って外に出ると、もう6時近かったため外は暗くなっていた。すると、独り言のように『お月さん、いないね。かくれちゃったのかなあ。そんなこともあるよ』と言うではないか。
まるで一編の詩を聞くような気分であった。あまりにも可愛く、一方では『そんなことを言うようになったか』と成長ぶりにも驚いてしまった。忘れないうちに書き留めておいて、もっと大きくなったときに『小さいときにこんなことを言っていたよ』と聞かせてやりたいと思った。
 考えてみれば、私は我が子二人の日常の様子から、子どもがどう学習するかということを考える際の多くの示唆をもらったものである。ずいぶんたくさんのことを学ばせてもらい、そのおかげで学習理論の構築に役立ったと感謝している。
この孫の成長からも、多くの示唆を受けるのではないかと期待し楽しみにしているところである。
2011年12月23日
 天皇誕生日だ。昨日「冬至」を迎えたとたん、急に寒さが厳しくなった。日本海側や北海道、近畿の各県では大雪が降っているという。東北の被災地の方々、とりわけ暖房への備えが十分ではない仮設住宅などにお住まいの方々のつらさがしのばれる。
 
 この18日(日)は、我が家の次女夫婦が川崎市内に自分たちの家を新築し完成したので、その引っ越しの手伝いに土曜日から出かけてきた。狭い土地ゆえ三階建てにせざるを得なかった戸建ての家だが、隣家との境が数十センチしかない密集住宅にもかかわらず、日差しが遮られることなく十分に各室内に入り、快適な家造りとなっているのを目の当たりにして安心することができた。土・日と手伝いやら孫の世話をし、私だけは月曜日の午前中の電車に乗って帰宅。水曜日に行われる予定の、私が指揮を担当する牛久市内の混声合唱団の忘年会(クリスマス会)で歌う全員合唱の数々の伴奏やら何やらの準備が十分に整っていないからだ。今年は液晶プロジェクタで曲の背景をイメージした写真をバックに歌詞を掲載したカラオケのような動画を映し出し、それに合わせて合唱することとした。その準備が出来たつもりでいたのだが、見直してみると修正したい箇所があちこちに見つかったのだ。何とかして会に間に合わせたいと考え、月・火の夜中までかかって、何とか視聴するに耐えられると判断できるところまでこぎ着け、当日を迎えることが出来た。
 そんなわけで、この一〜二週間他の作業は棚上げしてきたのだが、(書きたいことが山程あってうずうずしていた)ブログの更新も今日ようやく済ますことが出来た。新しい曲のアレンジもしたいところだったが、時間的なゆとりができたところで、早速に取りかかりたいと考えている。

 その傍ら、時間が出来たので、ここ一月ほどの懸案だった我が家のルーターをWi-Fiに換えてみた。昔はルーターの設定や無線LANのセキュリティにかかわる設定、家庭内LANの構築は面倒な手続きが多かったように記憶しているが、いまはあきれるほど簡単で機器をモデムに接続し、同梱のソフトウェアをインストールしてWPSのプッシュボタンを押し、暗号化キーを入力するだけで簡単につながってしまう。これなら誰でも出来てしまうのではないかと思えるほどの容易さだ。今回使用することにしたルーターは「IEEE802.11n」対応なので、高速通信が可能だ。
 あとは、有線LANで接続する際に使用しているケーブルをギガビット対応の物すればより接続速度が上がるだろうと期待しているところである。

 ところで川崎から月曜日に帰宅直後、北朝鮮の金総書記が死亡したとのニュースに接した。とっさに北朝鮮がタガを失い世界を困らせるような状況にならなければよいが、と不安を感じたのだが、夕方のニュースでも私が心配したことと同じことを懸念するといった内容で報道していた。感じることは誰も同じなのだろう。それ以降、ニュース番組の度に北朝鮮の模様が連日報じられていて、何事か暴走するようなことはないかとその都度感じさせられる。何と言っても核を保有している最も近い国なのだ。どうかそういうことのないように願いたいものである。
2011年11月30日
 茨城出身、しかも竜ヶ崎・牛久出身の関脇「稀勢の里」が大関に推挙され、大関に昇進という。3場所で33勝にあと1勝及ばなかったので心配していたのだが、これまでの相撲内容が評価され大関昇進をものにしたと報道されていた。喜ばしいことである。先場所後には琴奨菊が大関に昇進し、二場所続けて新大関が誕生ことになる。大きな体と力に恵まれているのだから、それを生かし磨いてこれからますます活躍してくれることを願うばかりである。
 大関昇進を伝える使者への挨拶が良かったではないか。何やら四字熟語を使わなければならないようなこれまでの様子だったが、使い慣れない四字熟語を排して端的に自分の言葉で礼の口上を述べたその姿勢にす清々しさが感じられ、好ましく思えた。頑張れ!稀勢の里。
2011年11月19日
 つくば古典音楽合唱団の定期演奏会がつくば市内のノバ・ホールで開催された。今年はモツレクである。
 いつものことながら見事なアンサンブルによる調和のとれたハーモニーを聴かせてくれた。
 惜しむらくは、オケの木管や弦のピッチが不安定で、ちょっとハラハラさせられたことである。弦のピッチの不安定さの原因はおそらく「ノンビブラート」による演奏にあるのではないかと思われた。果敢に挑戦した姿勢は敬服に値するが、合唱が見事な演奏をしていたことを考えると、ちょっと惜しい気がした。木管の不安定さは、古楽器であるがゆえでそれも古典の味わいを醸し出すファクターであると言えば言えるが、弦についてはやはり惜しい気がする。
 そうは言っても存分に大好きな「モツレク」を堪能させてもらえたことは嬉しい限りであった。激しい雨の中を出向いても『聴けてよかった』と思える演奏であったことは間違いない。

 夜になって娘夫婦が孫を連れて来てくれた。さんざん元気に遊び、歌を聴かせてくれたりおしゃべりをしてくれたが、すっかり疲れたのであろう。先ほど眠ってしまい、いま家の中は火が消えたような静かさである。
2011年10月11日
 昨年の今頃まで、大変便利に使用していたネットワーク上のサービスが打ち切られ、残念かつ不便な思いをしていた。
 それは自宅のPCをあたかもネットワーク・サーバーであるかのように使えるサービスであった。特別なハードウェアを使用せず、ソフトウェアをインストールし必要な設定をすれば、第三者とファイルを共有することができたり、動画や音楽をストリーミング配信することができるというサービスであった。しかも、自宅のPCを疑似サーバーとするわけなので、レンタルサーバーなどにアップロードする必要もなく、ありがちなファイル容量の制限をきにすることなくデータを扱うことができ、サーバー側のディスク容量にかかわりなく、自宅PCのHDDの容量が許す限りのファイルを置くことができるのである。
同様のことが実現できるソフトやサービスがないかと思っていたところ、Vectorで見つけることができた。「Pogoplug」というソフトである。もともとサーバー機能を実現するためのハードウェアとして販売されていたようだが、このほどソフトウェアだけで同じことができるようにしたものらしい。しかも1ライセンスで複数のパソコンにインストールし使用することができるという。 早速ダウンロードしてみた。日本語マニュアルはついていないので、手探りでいろいろと試してみた。私自身がしたいことは何とかできそうだという目途がついたので、これからじっくりとファイルづくりに取り組んでいきたいと考えている。 
2011年10月2日
 今朝、外に出て気がついた。我が家の庭のキンモクセイが佳い香りを漂わせている。もうそんな季節になったのだ。そう言えば、朝夕はめっきり涼しくなり、ときには寒いと思えるような朝もある。ご近所にも多くの家でキンモクセイ植えられているので、これから何日かはその芳しい香りを楽しませてもらえることだろう。
 ところで「寒い」と言えば、昨夜は土浦の花火大会が催された。今回は「東日本大震災復興祈願」の大会として開かれたが、毎年のことながら近くで見物することはかなわないので、土浦市内の花火が遠望できそうな場所まで車を走らせ、小さく見える花火を車内で見物することにした。車外に出れば花火が見えてから数秒遅れて「どーん」という音が聞こえるのだが、何しろ薄着では寒いのだ。車の窓を通して、華やかに打ち上がるスターマインなどを堪能することができた。

 昔々、石井好子やペギー葉山が歌ったシャンソンで「ドミノ」という美しい曲がある。混声四部合唱に編曲したらどんなにか素敵な響きになるだろうと思い、編曲をし始めた。伴奏はピアノではなく、オーケストラ風にアレンジしWAVに録音して、それに合わせて歌えるようにしたいと考えている。仕上がりが楽しみである。
2011年9月27日
 悲しい訃報を聞いた。テノール歌手の五十嵐喜芳氏が亡くなったというのだ。日本でもっとも著名なテノール歌手として大活躍をし、音楽に不案内な人でもその名を知っているというほどの有名な歌手であった。日本におけるオペラの発展にも寄与し、さまざまな改革をし、オペラの普及に努められた人でもあった。近年は昭和音大の学長として、自らも声楽の授業を受け持つなど、最後まで声楽の発展と普及、後進の指導に心を砕いた人でもあった。ご冥福をお祈りするばかりである。
2011年9月25日
 「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉通り、いつまで続くかと思われたうんざりするほどの暑さが嘘のように、この数日涼しい日が突然訪れ、過ごしやすくなった。何とも嬉しい限りである。

 ところで、欧米で電子書籍の事実上の世界標準となっている規格「EPUB」が、10月にも縦書きの日本語にも対応するという報道がなされた。これを心待ちにしていた人は多いであろう。かくいう私もその一人であるが、何と言っても日本語は縦書きが標準なので、一日も早い対応を待っていたのだ。これは嬉しいニュースである。
 嬉しいと言えば、琴奨菊が大関昇進を決定的にし、横綱白鵬もどうにか優勝を果たすことができたことも嬉しいニュース。 琴奨菊は外国勢が上位陣を占める中でただ一人の大関として、これからの活躍を期待したいところだ。
 がんばれ!琴奨菊。
2011年9月19日
 私はずっとXPパソコンを使い続けている。VistaやWindows7では、これまで使ってきた音楽ソフトが使えないからだが、とりわけ高品位の音で愛用しているソフトMIDI音源「SY-XG50]が新しいOSでは機能しないことがわかっているからだ。
 ところが2週間ほど前、普段使用しているデスクトップPCのうち1台が突然不調になり、フリーズしてしまった。
近所のPC専門店に診断を依頼したところ、基盤が不具合を起こしておりメーカーに持ち込んでの修理が必要になるという。しかも修理に要する費用が新規にパソコンを購入できるほどの金額になるとのこと。先の理由でWindows7のパソコンの購入を渋ってきたのだが、もうXPパソコンは探しても手に入りそうにない。残る手段は、Windows7でXPモードが使用できるprofssionalタイプのものを手に入れ、VirtualPCのモードでXPのソフトを動かす選択肢しかなさそうだ。
 そんな折、新聞の広告欄にDELLの広告を見つけた。20インチのワイド液晶でディスプレイとセットで、XPモードをプリインストールしたCorei3のPCが(この構成としては)驚くほどの価格で販売されているではないか。『これだ』と飛びついて早速電話を入れ送金したところ、DELLの特急便で2日後には届いてしまった。
 直ちにセットアップし、その後、多少心配しながらXPモードでこれまで使ってきた音楽ソフトをインストールしてみた。心配は杞憂だった。何の問題もなくどうさするではないか(当然と言えば当然のことなのだが)。しかも最も懸念したXG音源もしっかりと鳴っている。
よかった!これで使い慣れたソフトも音源も何不自由なく使い続けられる。
胸をなで下ろしているところである。もし困っておいでの方には、Windows7でのVirtualPCのモードをお薦めしたい。

 ところで、この三連休は娘が孫を連れて帰省してくれた。昨日は、一段と動きが活発になった孫を連れて近所の果樹園にブドウ狩りに出かけた。おいしそうに実った巨峰をもいでおいしそうに食べている孫の顔を見るのは何とも嬉しい限りだ。たくさん食べた上に、お土産にするブドウも収穫し、さらにおいしそうな大きな梨も買って帰ってきた。
やはり茨城の果樹は最高のおいしさだ。
2011年9月12日
 昨日は、東日本大震災の発生からちょうど半年を迎えたことから、各地で慰霊祭などが行われた。また、アメリカの9.11同時多発テロから10年目の日でもあり、アメリカでその慰霊祭が行われた。
 ニューヨークのグラウンドゼロには、犠牲者の氏名が刻まれたモニュメントを前に涙するご遺族・知人の姿も見られ、未だに深い傷を心に負った人々の悲しみを思い知らされた。半年を経過しても未だに復興の兆しが見えない東日本大震災と福島原発事故による汚染による傷跡も見るにつけ、先が見えない閉ざされた気分に襲われる。

 そんな中、つくば市のノバ・ホールでマンドリンとギターによるアンサンブル「ラ・フォレスタ」のコンサートが行われた。
 冒頭の指揮者の挨拶でも東日本大震災のことが語られ、いたみを共有し、思いを届ける意味を込めたコンサートにしたいというメッセージが述べられた。マンドリンの繊細で豊かな響きで会場を埋め尽くした聴衆は暑さを忘れて魅了されたが、私もその一人である。密かに録音したものを編集し、この日記の中で雰囲気をお伝えできればと考えている。(録音があまりよくできておらず、会場内の雑音も多くとらえてしまっていることについてはご容赦戴きたい)
演奏された曲の中から数曲を選んでつなぎ合わせ、編集したものである。→こちらのページ
2011年8月6日
 親類の法事(一周忌)のため、早朝より福島県郡山市へ向かう。郡山も福島原発事故による汚染で、市民は心配の絶えない毎日を送っているはずである。奇しくも今日は「ヒロシマ原爆の日」だ。今日もヒロシマのあの日と同じように快晴。
 原爆と原発事故とでははその持つ意味が異なるとしても、放射性物質に汚染されるという意味では異なるところはない。 複雑な思いで郡山まで車を走らせた。
 ところで、今日は夏の甲子園が開幕。法事を終えて帰る途上の車中で、ラジオをつけたところ福島県代表の聖光学院と宮崎県代表の日南学園の試合が始まったところであった。何とはなし、福島の聖光を応援する気持ちになってしまう。
お互いに力を出し合い、しのぎを削って延長戦にもつれこんだが、最後は聖光のピッチャーが自らクリーンヒットを放ち、サヨナラの勝利をつかむことができた。
 なにやら私の中では、福島に彩られた気分になったような一日であった。

 それはさておき、法事が行われたお寺のお坊さんの読経にいたく感激してしまった。ひどく声が良いのだ。想像するに倍音成分が多いのではないかと思われる。ある部分などは、まるでモンゴルのホーミーのように複数の人間が声を合わせて読経しているかのようにも聞こえるのだ。これまで葬儀などでたくさんのお坊さんの読経を聴いてきたが、今日のように声に魅せられて聴き入ってしまったのは初めての経験だ。今でも耳の底に残っているが、もう一度あの読経の声を聴いてみたい気がする。
2011年7月24日
 昨日午後1時半すぎ、宮城県沖を震源とするマグニチュード6.4の地震。
 テロップで流れた地震情報では、岩手・遠野市では震度5強、花巻市と滝沢村で震度5弱を観測したとのこと。
しかもこれが、3月11日の大地震の余震だという。あの大地震がずいぶん大きなプレートの移動によるものだったかということの証なのだろう。まだまだ油断ができないということであろう。

 油断ができないと言えば、6月に退陣を表明したはずの菅総理が秋以降の外交についても意欲満々だという。誰も期待していないにもかかわらず、本人だけは元気いっぱいのようで困ったものだ。
 そんな折、昨日の読売新聞の読者投稿による「時事川柳」に秀逸な川柳を見つけてしまった。

■なでしこは 余計な人を 元気づけ■ 

 先日ワールドカップで優勝した「なでしこジャパン」の活躍を見て、あきらめない心、くじけない姿を自分も、と国会で発言した菅総理の誰も期待していない「見当違いな決意」を揶揄し、皮肉ったものだ。

■原発と 総理に依存せぬ社会■
 
 かつて「親はなくても子は育つ」という諺をもじって「親はあっても子は育つ」という洒落がはやったことがあった。子の成長を妨げるような親がいたとしても、子どもはちゃんと成長していくものだ、との皮肉をこめた洒落であった。
親を総理、子を国民と言い換えると、まさに現在の我が国の状態を言い当てているようにも思える。
 復興の妨げになっている菅総理とその菅総理が言うところの「脱・原発依存」がどこまでしっかりした考えに基づいたものかわかったものではない、そこに見え隠れするのは「自己保身」と「延命」でしかない。だから、そんな総理に期待するのはもうやめて、自分たち国民は自らの手で復興と再生を果たしていくぞ、とこの川柳は言っているかのようである。
 折しも今日のニュースでは、ワシントンで6月21日に行われた外務・防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会が示した共同発表は、「外交敗北」の連続だった民主党政権にしてはなかなかの出来映えだった、と報じられていた。
 しかもその成果は、総理が不在だったためだ、としているのだ。
 まるで、この川柳が暗示していること、そのものではないか。延命するなら延命しても良い、一人で政権にしがみついているが良い、国民は自分たちの力でやっていくから、と三行半(みくだりはん)をつきつけられていることに、かの総理は早く気づいた方が良い。日本の政治に「最悪の宰相」という汚名を残さないためにも。
2011年7月18日
 なでしこジャパンが見事な優勝をおさめた。アメリカチームにすれば戦いにくい相手だったのではないだろうか。
何と言っても、得点をして突き離してもすぐに追いつかれ、さらに得点をしても追いつかれるという「徒労感」を痛いほど味わわせられたのだ。
 延長戦では決着がつかず、PK戦に入った時にアメリカチームは追い込まれた思いをしていたに違いない。そうした状況を生み出したのは、なでしこジャパンのくいさがる姿勢だったような気がする。

 粘り強さとあきらめない心、劣勢になっても立ち向かう気力、自分の力を最後まで信じてくらいつく勇気などのすばらしさを決勝戦という最高の舞台で見せてくれた。
 それは元気を失いかけている日本、何とか復興に向かって立ち上がろうとしている人々を強い大きな力で後押ししてくれるものとなるに違いない。
 この優勝は奇跡と呼んでは失礼だろう。彼女たちの実力とその実力を信じて頑張ったことが実を結んだ成果に他ならないからだ。これはまさに「偉業」だ。

 それにしても何とすごいことだろう。体格も体力も彼女たちとは比較にならないほどのドイツ、スウェーデン、アメリカの選手たちと互角どころか優勢に戦いを進め見事に優勝を勝ち取ったのだ。世界の舞台で重圧を感じ、押しつぶされそうになった場面もあったに違いない。それをはねのけ、数多くの美技をくりひろげ、フェアプレイ賞を受賞するほどの正々堂々の闘いぶりを見せてくれた彼女たちに、日本中の人々は「感動をありがとう」と感謝しているはずだ。
 久々の明るい、そして日本を誇りに思えるニュースに、しばらくは日本中が浮き浮きとした陽気さを味わえることだろう。
2011年7月15日
 今夜は満月。美しい月の夜に、最大震度5弱の地震が茨城県を震源として起きた。このところ、福島や宮城で震度3〜4
の地震が起きていたが、茨城では少しの揺れしか感じなかったので油断していたので、多少緊張してしまった。
 何日か前のNHKテレビ「フォト575」でおもしろい川柳を放送していた。
 右の写真は、公園かどこかの池のほとりで男性が二人で差し向かいになり、何かをしている場面を撮影したものであろう。
単に向かい合ってのんびりと対話をしているようでもあり、二人の間に置かれた何かを熱心に見ているようでもあり、将棋や囲碁などに興じているようでもある。様々に想像することができて興味をそそられるが、水面に映った二人の様子が何ともよい景色ではないか。
 この写真につけられた句が次のようなものだった。

  『勝ち負けは どうでもいいと 定年後』

 この二人の男性をリタイアして、のんびりと将棋や囲碁を楽しんでいる二人と見たのだろう。
長い間の会社務めを通して、他人と成果を競いがんばってきたが、定年退職をして一線を退いてみたら、「勝ち負け」以上の楽しいこと、充実感を味わえることがあることに気がついた、今はそのことに夢中だ、とでもいうような情景として詠んだのだろう。
 
 こういう写真の見取り方を私はとても好ましく思うのだ。この詠み手の心の風景に出会ったようで、何となく嬉しくなってしまい、ここに紹介する次第だ。
2011年7月10日
  牛久市内に口笛を演奏するWhistlerの団体がある。団体名は「牛久ロビンズ」。何年か前に、口笛の世界大会が牛久市で開催されたことを契機に結成された団体だという。
 そのコンサートが牛久市のエスカードで行われるというので、鑑賞に出かけた。「口笛天国」「シング・アロング」などおなじみの曲が満載の楽しい演奏会であった。口笛の素朴かつ華麗な演奏の数々に、外の暑さを忘れるほどの楽しい午後で、一緒に出かけた家内も大満足の演奏会であった。

 平成4年頃から数年間、NECの「モバイルギア」を愛用していた。どこに出かけるにも、手軽に持ち歩けるしワープロ感覚で使えることから非常に便利に感じていた。当時はまだインターネットなど一般的ではなく、パソコン通信の時代だったが、
メモした記事は電子メールで送れるので、電話回線を介した通信で自分のPCに送り、編集加工して書き物をする上で、
大いに活用させてもらったものだ。その後、パソコン通信からインターネットに通信手段が変わり、モバイルギアのプロトコルが使えなくなり、次世代のモバイルギアに乗り換えたのだが、最初の世代のそれに比べると使い勝手があまり良くなかったりして、不満が生じた。モバイルギアに変わるものとして、何台かのシャープのザウルスを使ってみたのだが、やはりその使用感はモバイルギアに及ばなかった。それから、ずっとモバイルギアに変わるものを探していたのだが、『これならどうだ』という機器を見つけ出すことができた。NECの「LifeTouchNote」だ。OSはAndroidなので、Windowsに慣れてしまった私には多少戸惑うこともあるにしても、メモをしたり情報を収集したり、文章を整えて送信したりするといった、私の「こう使いたい」というモバイルギアもどきの活用には十分すぎるほどの機能を備えている。また、書いた記事を「EverNote」でPCと同期させることもできるので、これは非常に便利。モバイルギアの夢、復活と言ったところである。
最初の世代のモバイルギア モバイルギアU Life Touch Note
2011年6月9日
 私が指揮を担当している合唱団で歌われている団員のお一人から教えていただいた情報です。
 それは、ご自分が所属しているある合唱団についてのことで、日本語でメサイアを歌うというユニークでかつ素晴らしい活動を展開されておいでの合唱団です。
 CDも聴かせていただきましたが、歌うことが「信仰」そのものであるということが、演奏会のライブ録音からも十分に伝わってきます。
 それは、日本人が母国語で歌うことからこそ「心を込めた祈り」を捧げることができる、ということを基本的な姿勢として持っているからでしょう。
 合唱団の名称は主に吉祥寺の末日聖徒イエス・キリスト教会で練習活動を展開している「東京トワーニ合唱団」、指揮者はファゴット奏者であり、末日聖徒イエス・キリスト教会聖歌隊指揮者、音楽指導者である中村信行氏。
合唱団の名称は、No.53『われらをば血もて』でくりかえし歌われる『永久に(とわに)』という言葉に由来しているとのこと。
訳詞は、「おお牧場はみどり」の作詞者としても有名で、牧師、音楽伝道者、福音歌手、詩人、作詞家、作曲家、言語学者としてよく知られている中田 羽後氏。
 その訳詞を大切にしながら、しかしより音楽的な表現につなげるために、あるいは言葉が音楽の中で生きるようにということも重視し、これまでいくた びかの改編をしてきたようで、テキストに「中田羽後原訳、斎藤信彦改訳・監修、三鷹木曜会合唱団版」となっているのはそうした経緯によるということです。
 そこには、日本語を大切にするからこそ、日本人としての信仰を表現できるという考えが基調にあるということも窺えます。
 とにもかくにも、歌い込まれたその表現は、まさに切実な信仰心を背景とした追求の賜と言って良いだろうと思われるのです。
 私たちは、一連のこうした音楽を宗教音楽と名づけ、そう呼び習わしているにもかかわらず、これらの曲を歌う時にはともすると古典的な「芸術音楽」という視点からのアプローチに傾きがちで、宗教音楽なのだという意識が希薄になりがちだったように思われますが、この合唱団の活動がそのことについて改めて気づかせてくれたことに感謝したい気持ちにもなりました。

 こちらのページでその合唱団の演奏を試聴していただくことができます。
 →こちらのページ
2011年5月16日
 3月11日に起きた東日本大震災の直後、停電が始まり非常に難儀をした。電池があちこちの店から姿を消し、ラジオを聴くこともできず、携帯電話の充電も思うに任せず、情報が手に入らないために翌日の新聞が届くまで、何が起きてどういう状態なのかを把握することができなかったため、不便な思いをした。そこで、電池に頼らずダイナモ発電で聴けるラジオが市販されていたはずだとちこちの家電量販店やホームセンターを探し回ったのだが、とき既に遅し。どこでも手に入れることができなかった。しかし、それが幸いして思った以上のアイテムをネットで探し出し手に入れることができた。
 ハンドルの手回しでダイナモ発電することはもとより、懐中電灯・ラジオ(FMも聴ける)として使え、携帯電話の充電器としても機能するものだ。懐中電灯はLEDで、ランタンとしても使え、本体底面に細長いランプがついており、立てて使うとランタンにもなるのだ。もう大きな地震は来て欲しくはないが、あのときの不便さを思うと備えておくに如くはないと思い切って購入した。期待以上の機能に大満足である。
2011年5月12日
 昨日は、東日本大震災からちょうど2ヶ月目であった。震災が起きたと同じ午後2時46分頃は、私が指揮をつとめる合唱団の後半の練習が始まって間もない頃に迎えた。ほんとうは、団員の皆さんと黙祷をしたいところであったが、私の思いを強いることもできず、黙祷をすることはできなかった。しかし、祈る気持ちに変わりはなく、『もう2ヶ月も経ってしまったか』という感慨も指揮をしている間中、私の心を占めていた。2ヶ月を経過しても被災地の方々の過酷な生活は変わらず、原発事故の収束も先が見えない状況が続いている。未曾有の大震災がもたらしたこととはいえ、一歩でも前へと歩み出したい思いの被災地の方々のことを思うと、胸がいたむばかりである。

 そんな折、朝食後なに気なくNHK-BSの「フォト五七五」という番組を観ていたら、すばらしい俳句が今日の殿堂入りに選ばれる場面に遭遇した。あまりにも嬉しくなってしまったので、大切に保存したいと思い、NHKの公式サイトからその写真と俳句をダウンロードしてしまった。
こちらの写真です。
2011年5月4日
 明日は「こどもの日」だ。こどもの日と言えば、私たちは子どもの頃から「いらかの波と雲の波〜」と『鯉のぼり』の歌を歌って慣れ親しんできたものだ。それともう一つ「屋根より高い鯉のぼり〜」という歌も子どもの日を代表する鯉のぼりを歌った歌だ。私はどちらかと言えば、元気に歌える「いらかの波と〜」という前者の歌が、いかにも初夏の爽やかな風を受けて颯爽と泳ぐ鯉のぼりにふさわしいような気がして、小さい頃から好きだった。口語文で書かれたこの曲の歌詞は子どもにとって難しいものではあったが、それでも「たちばな香る朝風に 高く泳ぐや鯉のぼり」と歌う時、何やら気分も高揚し清々しい気分になるのが嬉しかったものである。
 大震災以来、ことごとく対応の遅れを指摘されている現政権は、国民がこぞって信頼するに足るだけの「頼もしさ」を感じさせてはくれず、もどかしいばかりであるが、この曲にうたわれている「我が身に似よや 男子(おのこご)と」自分をモデルにして自分のように立派になれ、と言えるような頼もしいしっかりした舵取りを願いたいものである。
 明日のこどもの日はどうやら気温が低く、1ヶ月ほど前の気候に戻るような一日になりそうだとのこと。それでも、全国の子どもたちの「健やかな成長」を願い祝福できる一日にしたいものである。今年はなおのこと強くそう思うのである。
2011年4月29日
 今日は、「昭和の日」。私が子どもの頃は、「天皇誕生日」であった。その天皇誕生日(昭和47年)に私たち夫婦は結婚した。その日は仏滅だったのだが、祝日でめでたい日だから仏滅であっても気にしない、と挙式したのだった。今年で39回目の結婚記念日をささやかながら二人で祝った。
聞くところでは今日、イギリスではウィリアム王子とケイトさんが結婚式を挙げるというではないか。私たちと同じ日に挙式をする彼らは幸せな家庭を築くに違いない、と確信している。

 ところで、かつての「天皇誕生日」は平成に入ってから「みどりの日」に変わり、現在は「昭和の日」と名称が変わった。
 どことなく「夢にあふれていて活気に満ちていた昭和」を懐かしむ気分がないではないが、そう言えば昭和の中頃、アメリカなどが盛んに原爆実験を繰り返し、雨が降ったりすると「放射能雨に濡れると大変だ」と大騒ぎをしたことを思い出した。
 シーベルトとかベクレルとか、そんな単位があることなど知らなかった当時、どの程度日本の大気や土壌は汚染されていたのだろうか。そうした記録は残っているのだろうか。たかだか50数年前のことであるから、残っているに違いないと思うのだが、それに比して現在の状態はどうなのか、何となく知りたい思いがする。
2011年4月20日
 この日記の4月10日の記事に「ゼオライトの活用を」という趣旨のことを書いた。どうやら、それが現実に使われ効果を挙げているらしいことが、わかった。
 産経新聞に次のように書かれていたのだ。
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 東京電力福島第1原子力発電所事故で、東電は20日、海の汚染を防ぐために投入した鉱物「ゼオライト」の
土嚢に、放射性物質(放射能)が吸着したと発表した。
 東電によると、17日に2、3号機の取水口付近に投入した土嚢のうち2袋を19日に引き上げ、放射線量を
測定した。その結果、土嚢の放射線量は毎時0.65ミリシーベルトで、周辺よりも0・1ミリシーベルト高かった。
 ゼオライトは多数の微細な穴が空いた鉱物で、ペットのトイレ用消臭砂などに利用されている。穴のサイズ
がセシウム原子の大きさに近く、セシウムを吸着しやすいとされている。
 東電の研究では、ゼオライト1キログラム当たり、セシウム6グラムを約30時間で吸着できたという。
 東電はゼオライト100キログラムの詰まった土嚢10袋を海に投入しており、今後も引き続き効果を確認する。
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 ニュースでは、フランスのアレバが放射能で汚染された水の処理について協力を申し出ていると報じられている。処理後は水の汚染濃度を現在の1000〜1万分の1程度まで薄めることができ、1時間当たり水50トンの処理が可能だという。やれること、効果が期待できることはどんどんやればよい。この原発事故はもはや日本だけの問題ではなく、世界の問題なのだ。日本政府と東電のメンツなど脇に置いて、海外からの協力を積極的に仰いで対処することが全世界からの信頼を得ると同時に、何よりも故郷に帰れずにいる被災地の人々の安心と安全を担保する近道となるはずである。
2011年4月19日
 昨日の朝、栃木県鹿沼市で登校中の小学生の列にクレーン車が突っ込み、6人の児童が死亡するという事故が起きた。集団登校で、きちんと歩道を歩いていたにもかかわらず、何の落ち度も罪もないかけがえのない生命が理不尽に奪われてしまったのだ。しかも登校指導中の校長先生がそれを目撃してしまったという。校長先生の悔しさはいかばかりかと思われるし、何よりもかわいい我が子を失われた保護者のお気持ちを思うと胸がつぶれそうである。いたいけな子どもたちの生命がなぜ奪われなければならなかったのか、言葉にならない悲しい事件はもう二度と起きて欲しくないものである。

 ところで、NHK朝の連続ドラマ『おひさま』は、現在主人公の陽子が女学校生活を送っている様子が描いている。その女学校のロケに、近所の土浦一高の旧校舎が使われているのに気がついた。どこかで見たことがある、ひょっとしてとは思ったのだが、タイトルバックを見て『やはり娘の母校だった』と、何やら嬉しくなってしまった。文化財として学校内に保存されているその旧校舎は、木造のゴシック建築でなかなか素敵なのだ。そのことに気づいてからますますこのドラマを見るのが楽しみになってしまった。
2011年4月17日
 フィラデルフィア管弦楽団が経営破綻したという。

 読売新聞、ニューヨーク支局から次のように伝えられているとのこと。
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 全米有数のオーケストラの一つ、フィラデルフィア管弦楽団が16日、米連邦破産法11章(日本の民事再生法に相当)
の適用を申請すると発表し、事実上経営破綻した。
AP通信によると、米主要オーケストラの破綻は初。当面、予定されている公演は続けるという。
 同楽団は1900年の創設。レオポルド・ストコフスキーやユージン・オーマンディら名指揮者の下で全米有数の楽団に
のし上がり、73年には米国のオーケストラとして初の中国公演を行った。だが、近年は切符の販売や寄付が落ち込む
一方で運営費がかさみ、慢性的な赤字体質となっていた。
 同楽団は声明で「我々はフィラデルフィアの象徴であり、国際的な財産でもある。コンサートに来て楽団を支えてほしい」
とファンらに呼びかけている。
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 いったいどうしたことか。音楽愛好家にとっては、残念なニュースである。
2011年4月15日
 本日付の読売新聞、編集手帳に次のように書かれていた。
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 幼い子供が二人、原っぱで遊んでいた。一人が誤って穴に落ちてしまう。もう一人の子は家に駆け戻り、
大人の助けを求めた。「××ちゃんが高い穴に落ちちゃったよ…」。深い穴、ではない
◆教師の知人からずいぶん昔に聞いた話でうろ覚えだが、実話という。知人いわく、助けを求めた子は
穴を上から見下ろすのではなく、友だちと一緒に穴の底にいる気持ちでいたから、“高い穴”になったの
だろう、と。
◆相手の身になったとき、おのずと生まれ出る言葉がある。逆に、相手の身になれば、口をついて出る
はずのない言葉もある
◆福島原発周辺の避難対象区域をめぐる「当面住めない」発言が物議を醸している。
「10年住めないのか、20年住めないのか…」。菅首相と面談した松本健一内閣参与は首相がそう発言
したと記者団に明かし、あとで「発言は私(=松本氏)の推測」と訂正した。首相が語ったにせよ、松本氏
が推測したにせよ、内閣発の言葉であることに違いはない。
故郷を捨てよ、と告げるにも等しい心ない発言である◆“高い穴”の心で寄り添えないのなら、現地を視察
して何の意味があろう。
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 誰もが感じていることであろうが、この官邸に落胆させられるのは余りにも心ない軽率な発言、あってはならない発言が
多すぎることである。その発言を生むのは、何よりも「民を思う気持ち」の欠如であろう。被災された人々の置かれた過酷な
毎日に思いをいたす「想像力が欠けていること」はもとより、何もかも失ってしまった人々の悲しみや不安、いたたまれなさを我が身に置き換えて共有することができない感性の不足がそこにあると思われてならない。ただの一日でも一晩でも、避難所での生活を体験したり、体験できないまでも、家も家族も職もふるさとも失ってしまった人々の気持ちを我がこととして思い描くことができれば、心ない発言などできようはずがない。編集子が言うように、「深い穴」ではなく、ついつい「高い穴」と、落ちてしまった友だちの立場になって表現してしまった幼な子の例をひくまでもなく、相手と思いを共有すること、相手の立場に立つことがなければ、この未曾有の事態から日本を立ち直らせ、国民を奮い立たせることのできるような復興の道を指し示すことなど望むべくもない。そのような政権がいくら復興会議などで議論したからと言って、国民がこぞって信頼できるような頼もしい政権になれるわけではない。
 真偽の程は定かではないが、東日本大震災が起きた直後、菅首相は『これであと2年は政権を維持できる』と漏らしたと言われている。これが本当のことだとすれば、国民不在の「民主とは対極の」民主党政権ということになろう。
 誠に残念なことであるが、被災地各地では自分達の手で%ニ自に復興の歩みを進める動きが出ている。もし、復興がなされ、東北の再生がなされたときには、それは政治によってもたらされた勝利ではなく、そうした名もなき一人ひとりの努力がもたらした勝利として顕彰されるべきものとなるに違いない、と今夜も避難所で暗い夜を過ごすであろう被災地の人々の辛さを思い描きながら感じている。
2011年4月13日
 福島第一原発の事故レベルが、チェルノブイリと同様の「レベル7」と発表された。これまでのところはともかく、あらゆる手を尽くして収束に向かえるよう、そして非難を余儀なくされている周辺住民の方々が早く安心して生活を営めるよう、精一杯の努力をしてもらいたいものである。真偽の程は定かではないが、菅首相が『あの地域にはもう人は住めないだろう』と言ったとか言わなかったとか伝えられている。国民と痛みや苦しみを共有できない、この人らしい軽々しくも人間としての深みの感じられない発言で、『そんなことを言っていない』と否定されても、言ったに違いないと思われるところがこの人の人徳のなさであろう。

 ところで、原発事故による計画停電はしなくなったということであるが、それでも節電は心がけなければなるまい。そう思っていたところ、パソコンの消費電力をおさえるソフトが無償配布されていることがわかった。
そのソフトは「Optimal Green(オプティマルグリーン)」。無償配布期間は4月いっぱいだということなので、早速ダウンロードしてインストールしてみた。適用前と適用後の電力消費量をグラフ化して示してくれるが、それをみるとだいぶ節電しているように思われる。私のように長時間パソコンを起動したままで使用している人間にとってはありがたいことだ。
こちらのサイトからダウンロードすることが出来る→こちら
2011年4月10日
 今日のこと、菅首相が東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市を視察に訪れたという。被災地訪問は3回目となるが、産経新聞の報道に拠れば、避難していた住民からは「がんばれしか言えないのか」「もっと具体的な対策を教えてほしかった」と不満の声があがったという。この首相にそれを期待するのは無理だということなのかも知れない。

 ところで、福島の第一原発では高濃度汚染水が問題となっているが、7日付の読売新聞に次のような記事を見つけた。
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  東電福島第一原発のタービン建屋地下などにたまる高濃度の放射性物質を含む水の浄化に、
  仙台市青葉区の愛子(あやし)産の鉱物「天然ゼオライト」が有望であることを、日本原子力
  学会の有志らがまとめ、7日発表した。

  研究チームは、同学会に所属する東北大など5大学と日本原子力研究開発機構の計59人。
  福島第一原発で、難航する高濃度汚染水の処理の一助になればと、自主的にデータを集めた。

  実験の結果、表面に微細な穴の多い「天然ゼオライト」10グラムを、放射性セシウムを溶かした
  海水100ミリ・リットルに入れて混ぜると、5時間で約9割のセシウムが吸着されることを確認した。
  愛子産ゼオライトは大量にすぐに入手できるため、有望な材料と判断した。
  ほかにも放射性ヨウ素を効果的に吸着する材料として、活性炭などを挙げる。
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 これが活用されれば、問題の解消に大いに役立つだろうと期待していたのだが、三日経った今日になってもこれが導入されたという話を聞いていない。どういうことなのであろう。国も東電も、原子力安全委員会もそして保安院も、一刻も早い問題解決をめざすなら、こうした学会の動きを積極的に受け止めるべきだと思うのだが。
 ここは「自分たちの手で」などという東電のメンツにこだわっている時ではない。、諸外国の力を借りることにも、こうした効果が見込まれる情報を活用することにも、もっと前向きでなければならないはずである。ことは東電だけの問題ではなくなっているのだから。
2011年4月5日
 東京電力は4日、東日本大震災で被災した福島第1原発の施設内にある、低レベルの放射性汚染水計1万1500トンを海へ放出することを決め、午後7時から 放出を開始した。いったいどうしたことであろうか。低レベルとは言え、法令基準の約500倍の汚染水である。国民の安全を守り、自然環境を守る上では「流出させてはいけない」汚染水を、何の説明もなしに、いとも簡単に、そして一方的な報告だけで放出するという仕方、そしてそれをあっさりと認めた国や保安院の姿勢には
国土を、民を何としても守り抜くという意志や意図が感じられない。多少の犠牲はやむを得ない、とでも言っているかのようだ。これまでこの原発事故に対して諸外国からさまざまな支援要請があったにもかかわらず、それを受け容れることなく、
官邸主導と称して「効果のない後手後手の策」しか打てなかったにもかかわらず、その責任を負うことなく国民に犠牲を強いるかのような姿勢からは、この政権と東電の「危うい本性」が見えてくるようではないか。

 ところで、4月2日には菅首相が行かなければ良いのに被災地を視察するという目的で被災地を訪れ、またもや顰蹙をかっているようである。陸前高田市などを視察した菅首相が「現地を見て、想像を超えた実感が伝わってきた」「津波の力はこんなにすごいのか」と周囲に漏らしていたと報じられているが、テレビなどで繰り返し被災地の惨憺たる状況が映像で報じられていたにもかかわらず、それを見ていなかったということなのであろうか。「想像を超えた実感」などと軽々しく言うべきではない。どの程度の被害を想像していたというのであろうか。もっと軽く見ていたということなのであろうか。だとすれば、想像力が欠如しているという他はない。
 この人の心を占めているのは、被災地の人々に寄り添い、励まし、勇気づけ、安心を得てもらうために何ができるか、といったことよりも自分が権力の座に居座り続けるために、どう振る舞うかといったことであるかのようである。ただ、それすら顰蹙の対象でしかないのだが、彼自身はそのことに気づいていないようだ。こうした国の危難の時代に、このような宰相をいただいてしまったのは、国民にとって不幸きわまりないといったところであろう。被災地の人々は、その本性を見抜き『何をしにきた』と怒りすら吐露しているという。当然であろう。
2011年3月27日
 奥州はかつて都人もうらやむ「豊かなまほろば」であった。
 藤原三代の栄華に象徴されるように、ヤマト政権と一線を画した独自の文化をもって、いわば「奥州独立国」を打ち建てた歴史を有している。
 近代に入って、とりわけ高度成長期以降、東京の発展を東北が支えてきたと言っても過言ではない。
 人材、労働力、食、建材、電力等々、多方面で陰に陽に都会の発展と成長を支えて来たのである。一方、都会は成長で得たものを「公共事業」という形にして還元してきた。
 しかし、戦後右肩上がりで成長発展してきた日本経済も、これまでのような成長一本やりのあり方を見直すことを余儀なくされている。都会の成長を東北に再配分するといったこれまでのありようも見直されるべきなのかも知れない。

 たかだか計画停電による2〜3時間の不便さに対する不満も、買いだめに走ろうとする日用品や水、米などの不足も、大地震・津波・原発事故・そして避難生活という苦しい生活を余儀なくされている被災地の人々のことを思えば、何ほどのことがあろう。
 避難指示を受けて避難所で肩を寄せ合い、寒さ・ひもじさ・不便さ・健康への不安を抱えて暮らす人たちは、「金を出せば利便性を買える」大都市生活者を辛抱強く支えて来た人たちなのだ。

 福島県は10基もの原発を受け入れ、そこで発電された電力は東北では使用されず、送電されて首都圏の繁栄を支えてきた。原発事故の不安を抱えおびえて暮らす地元の人々と、まばゆいばかりに明かりが灯る都会のビル。
 そのギャップを思うとなおいっそう、都会と東北の「支え〜再配分」という関係は、見直されるべきだしこのままの関係ではいけないと思うのだ。

 かつての奥州のように、地域独自の「成熟社会」をめざして東北が自立し、東京と東北が共生し「支え合う」という新しい関係を築く契機とすべきなのかも知れないと、この数日考えているところである。
2011年3月25日
 産経新聞によると、福島県では福島第一原発の放射性物質漏れに関する風評被害が広がっており、乗車拒否や宿泊拒否も起きているという。
 神奈川県在住の主婦が福島市にいる被災した両親を迎えに行こうと、栃木県内のタクシー会社に予約の電話を入れたところ、タクシー会社2社に乗車を拒否されたというのである。
電話した2社には「放射性物質が危険だから行くなと上司に言われている」と断られたという。
 また、厚生労働省には避難している被災者から「福島県から来たというだけで宿泊を拒否された」などといった匿名の苦情が2件あり、岩手県の旅館からも県を通じて「福島からの避難者を泊めても大丈夫か」などと相談があったという。
何と言うことかと暗澹たる思いに襲われる話ではないか。

 本日附けの朝日新聞朝刊「声」欄には次のような読者からの投稿が掲載されていた。
 『避難の車に「汚染」の心ない言葉』と題された投稿文は、横浜市金沢区のある男性からのものである。
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我が町内に避難してきた方の「いわきナンバー」の車が駐車してあったところ、自治会長のところに周辺の
住民から「自動車が汚染されているから、早くよそに移してほしい」と苦情があったという。
なんと心ない言葉であろうか。このように自分のことしか考えない人がいる。行列してパンや米、乾電池な
どの買いだめに走る人の中に年配の人も目立つ。戦後の食糧難を乗り越えてきたはずなのに、買いだめが
どういう結果を招くか分かるはずだ。
私は小学校3年生の時、戦時中に福島県に疎開したが、心からの温かい気持ちを受けてお世話になった。
今日あるのは福島県の方々のおかげである。今は逆の立場。何か恩返しができないかと思っている。
いま私たちで行うべきことは何か皆で考え、力を合わせてこの戦後最大の災害に立ち向かいたいものである。
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 タクシーの乗車拒否の例も、旅館の宿泊拒否の例も、そして投書にあった苦情の例も、無知による「心ない応対」の具体例という他はない。
 正しく知っていれば、このようなことは起こらないはずで、風評被害のほとんどはこうした「無知」が引き起こす「デマ」「誤った噂」「正確さを欠いた評判」によるものであろう。
 正しく知って正しく恐れ、正しく応対することが、パニックを起こさない唯一の道であることを肝に銘じなくてはなるまい。
2011年3月23日
 午前7時12分ごろと36分ごろ、福島県いわき市で震度5強の地震が相次いで観測された。
 震源地はいずれも福島県浜通りで、7時12分の地震の規模はマグニチュード(M)6.0、36分の地震はM5.8だという。
 夕方にも震度5強の余震があり、落ち着かない福島、茨城である。

 案じられている福島第一原発は、外部電源との接続に成功し、徐々にしかし順調に冷却作業に入っていけるものと思っていたのだが、本日午後4時20分ごろ、3号機で黒い煙が発生しているのが見つかり作業員を待避させ、作業を中断しているという。原因はわかっていない、ということなので心配である。
また原発からの放射性物質が、東京金町浄水場のサンプルから見つかり、東京23区、多摩地区、稲城市、町田市、三鷹市、武蔵野市の水道水を乳児に飲ませないようにとの政府からの発表があった。野菜に続く水道への影響である。
この件に関してNHKのニュースでは次のように報じられていた。
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東京都葛飾区にある浄水場の水から、乳児の摂取限度の指標を上回る放射性ヨウ素が検出されたことについて、
環境中の放射能に詳しい、学習院大学理学部の村松康行教授は、「落下してきた放射性物質が直接、浄水場
の水に入ったのではなく、大気中を浮遊していたものが、きのうの雨に溶け込んで集まり、高い値が出たと考えられる。
風呂や洗濯など、口に直接入らないものは水道水を使ってかまわないし、代わりの飲み水が手に入らない場合、
一時的に使う分には問題ない。今後も高い値が続くのか、地域的に広がりが生じるのか、監視を強める必要がある」
と話しています。
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雨を原因とした一時的なものであれば良いのだが・・・。
2011年3月22日
 3月2日の夕刻から突然に声が出なくなってからほぼ3週間。一昨日になって違和感なく声が出せるようになっていることに気づいた。
その間、かかりつけのお医者さんにかかったり、近所の耳鼻咽喉科の診察を受けたりして治療に努めてきたが、なかなか回復の兆しが見えなかった。
スリムクラブとかいう漫才の人と同じような声しか出ず、会話をするのも辛かったし、お医者さんからも『なるべく声を出さないように』と言われて、ずっと耐えていたのだ。(半ばおもしろがってもいたのだが)
 そこへあの大地震だ。
 声の心配どころではなくなってしまっていたのだ・・・。
 電気だ、水だ、ガソリンだ、そして県外への避難だと奔走しているうちに、私の喉は本人が気づかぬうちに、徐々に快方に向かっていたもののようだ。
合唱団のある人が『1ヶ月近くかかりますよ』と言っていた通り、時間が解決してくれる症状だったのだろう。
歌が歌えるようになるまでにはまだ少し時間がかかるかも知れないが、それもそう遠いことではないだろう。
ひとまず安心である。
2011年3月20日
 かすみがうら市のホームページでは、水道が本日付で復旧したと報じられた。相変わらず震度3〜4の余震が続いているようではあるが、水さえ出れば地震は何とか我慢ができる。残る問題は、東京電力福島原発の事故がいつ収束するか、ということだ。現在のような放射線漏れであれば、CTスキャンを受けた際の被曝量に及ばないので過剰に心配する必要はないが、収束せずに「炉心の溶融」などといういっそう深刻な状態に陥ってしまえば、かすみがうら市に帰ることは難しくなる。できれば、外部電源とも通じたようであるし、各種テストがうまくいって冷却装置が完全に機能し、深刻な状況を脱してくれることを祈るばかりである。
 
 常磐線は水戸から先で盛り土が崩れ、線路が曲がりくねってしまっている様子が写真でも紹介されている。
 そのようなわけで、上野から土浦までしか動いてはいないが、土浦までたどり着ければ我が家までは何とでもなる。
 聞くところでは、鹿島精油所からの発送が始まり、関東地区に石油製品が行き届くのもそう遠くはないという。
 帰宅できる環境が徐々に整ってきているのはうれしい限りだ。、残る原発問題が関係各位の捨て身のご尽力のおかげで、少し光が見えてきたように思われるが、ぜひうまく行ってほしいものである。
2011年3月15日
 3月11日(金)、いきなり襲いかかってきた大地震から5日目。大地震発生直後から始まった停電は、なかなか復旧せず、テレビはおろかラジオも聞けず、ルータもストップしているのでインターネットにも接続できない状態が続いた。
 電池も乏しかったが、手回しの発電装置付きの懐中電灯やLEDの懐中電灯、買い置きしてあったローソクで何とか夜は過ごすことができた。ラジオも携帯型の小型ラジオを探し出し、エアコンのリモコンに装着していた単4の乾電池で何とかラジオを聴ける状態にはなった。
 繰り返し放送されるラジオの報道では「マグニチュード8.8」、このあたりの震度を5強と報じていた。ラジオを聞くまで、どういう状況なのかさっぱりつかめない情報難民状態だったが、イヤーフォーンを通して聞くラジオのおかげで何とか何が起きているのか、被災状況はどうなのかがおぼろげながら把握できるようになった。
ご近所の方の話では「小名浜では10メートルの大津波が起きた」という。我が家の親戚が小名浜に住んでいることを知っていて、教えてくれたのだ。まさか10メートルの津波なんてと思っていたのだが、その後に聞いたラジオのニュースで本当の話だということを知った。そしてまた、仙台や石巻、三陸海岸などでは壊滅的な被害を受けているということも知った。大変なことだ。未曾有の大震災だったようだ。後で正式にマグニチュードが9.0であったと発表があったが、これから先、どのように立ち直れるのか、不安がよぎる。それよりも目の前の問題は、電池だ。コンビニもホームセンターも店は開いていない。
遠く離れたドラッグストアでかろうじて単4の電池を求めることが出来た。これでラジオもLEDの懐中電灯も当座は使うことが出来る。窮乏生活はここまでかと思ったのだが・・・。
 加えて日曜日の朝から断水が始まった。断水になって改めて思い知らされたが、一切の洗い物に不自由をきたすことに気づいた。シャワーはおろかお風呂に入ることができない、そればかりか水洗トイレが使えない、洗濯もできない、というないないづくしの生活を余儀なくされるのだ。幸いなことに、市の防災課が2キロほどの距離にある小学校の運動場で給水をしてくれるので、何とかなっている。
しかし、毎日が水を求める生活なのだ。もっとも東北各県で避難生活をされておいでの皆さんに比べれば、何のこともない。ちょっとの不便を耐えれば良いのだから。
 あの大揺れにもかかわらず、幸いなことに家が損壊するようなことはなかった。もっとも家の中はひどい有様だったが、それは少しずつ元に戻すことができた。デスクから転げ落ちた2台のデスクトップパソコンは、あれだけのショックにもかかわらず何とか生きていてくれた。ルータには不具合があったので、しまいこんでいた古いルータを引っ張り出してきて何とか間に合っている。パソコンデスクの上から床まで吹っ飛んだ2台のスキャナもどうやら無事のようだ。
 これで徐々に元の生活に近づいていけるかと安堵した矢先、福島の原発事故。耳にしたくないような「恐ろしいことが起きることを予想させる」ような状況がテレビで幾度となく報じられている。起きていることを知らせてくれるのは結構なことだが、最悪の事態を引き起こさないようにこうした手立てを打っている、しかもその対策には誤りがなく、こうした成果を上げているから大丈夫、といった頼もしい知らせを聞かせて欲しいものだ。
それにしても、こんな「危うい物」に頼って電気を消費し続けてきたことにぞっとする思いもする。
「あるだけ使え、そして使えるようにどんどん作れ」という消費社会のありようを問い直すことが必要なのではないか、と思われてならない。そしてまた、人間が人間の手でコントロールできないようなものを作りだすのはもう止めたいものだ。思い通りに動かせる、必要があればブレーキをかけて必ず止められる、という自在な制御が可能でなければ安心して受け容れられないではないか。反省することがたくさんありそうだ。
2011年3月8日
 一昨日の春のような陽気から一転、昨日は雪も降って冬に逆戻りしたかのような寒さ。文字通り三寒四温である。
 それにしても相変わらず声が出ない。お医者さんからもらった薬以外に、風邪や喉によさそうなことは手を尽くしているのだが、どうもはかばかしくない。

 ところで、懸案の(というより試したくてうずうずしているだけなのだが)電子書籍まがいの本は、つくってみたところ余りにもファイル容量が大きくなりすぎて思うようなものにはならなかった。他のサービスも似たり寄ったりで、縦書きの文書に未対応だったり、任意の仕様が許されず、準備されたテンプレートしか使えなかったりと、不自由な面が多い。しかも、それで作成してみたところ、『これなら単なるPDFの方が自在性は確保できるな』と思えるものばかり。
そこで、PDFでつくってみたのが、これである。→こちら。
2011年3月4日
 今週の月曜日、なにやら喉の調子がいつものようでないことに気づいた。火曜日に、完全に声が風邪気味に。
 いやな予感がしていたのだが、水曜日の夜になったらまったく声が出なくなってしまった。風邪をひいて声が出なくなるなどということは初めての経験だ。最初はおもしろがっていたのだが、木曜日になっても声が音にならない。ちょっと心配になってきたが、金曜日の今日になっても相変わらず声が出ない。慌ててかかりつけのお医者さんに行って診てもらう。
 こんなことはお医者さんにとっては、珍しくも何ともないのだろう。『すぐよくなります。音楽の先生は声が商売道具ですから、ご心配でしょうが大丈夫ですよ。』
 薬をたくさんもらってきたので、何となく心強くなってきた。早く声が戻ると嬉しいのだが。
2011年2月18日(金)
 これまでも電子書籍や電子出版についてさまざまな形態や方式が提示されてきたが、i-padの登場によっていっそうその話題が沸騰し、中には「自炊」と称して雑誌などをスキャナで読み取り、PDFファイルを作成してi-padなどの端末で自作の電子書籍を外出先に携帯するといった自作派も出現している。自分で楽しむためにだけ自作する向きは別として、小説やエッセイなどを電子出版したいという人達にとっては、残念なことに、現在は端末によって対応するファイル形式が異なるために、どのファイル形式でデータを作成すればよいか、迷っている人も多いことと思われる。そんな折、フリーで使える電子ブック作成ソフトを見つけることができた。シーサイドソフトの「メディアブックパブリッシャー」だ。手でページを繰るような感覚で閲覧できる電子書籍を作成できる上、作成した書籍は別途ビューワーを必要としない。つまり、携帯電話であろうがネットPCであろうが、インターネットに接続できブラウザ表示が可能なものであれば読み込めるということ。自作の書籍を配布したい向きには、ぴったりではないか。
2011年2月11日(金)
 日本語ワープロソフト「一太郎」が新しいバージョンで発売された。今度は「一太郎 創」と、従来バージョンナンバーや西暦でバージョン名を名乗ってきたことを改め、名乗りを一新させての発売である。発売前にネットで予約し、購入手配をしていたが、昨日それが届いた。考えてみれば、最初のバージョン「一太郎」を使い始めたのは1984年。16ビットのMS-DOSマシーンを購入した際に一緒に手に入れたものであった(それまでは、8ビットのマイコンを使い、単漢字変換でコツコツと文書を作成していたのだ)。ということは、一太郎とつきあい始めてから、もう27〜8年になる計算だ。長いつきあいである。
 DOSの時代には、WordやEXELなどは影も形もなかったので、ワープロといえば「一太郎」、表計算といえば「Lotus123」であったが、今やMicrosoftOfficeが標準となってしまったので、私同様に「両刀遣い」でWindowsの時代を生きてきた人も多いのではないだろうか。それはそうと、新しい一太郎に「音声読み上げソフト、詠太」がついてきた。
 茨城訛りの強い私にとって、プレゼン資料のナレーションを作成する際などに強い味方になるかも知れない。
 早速ためしてみたところ、これまでのドキュメント・トーカーとは比較にならないほどの表現力である。
 今日の大雪警報をテキストにして読み上げさせ、比較してみた。
○従来のソフト→こちら

○「詠太」→こちら

 このソフトには3人の読み手が付属しており、好みの音声を選択することができる。また、読み上げ速度も簡単に設定することができるようになっている。文節のかかり具合や同音異義などで「どうかな?」と思える抑揚になってしまう場面もあるが、それまで求めるのは酷というべきかも知れない。ともあれ、ここまで自然に聞こえる読み上げソフトが出現したことの方を評価すべきだろうし、活用の余地が出来たことを喜ぶべきだろう。
調子にのって、自分の書いた文章も読み上げさせてみた。→こちら
2011年2月9日(水)
 春らしくなった、と喜びをもらした途端の雪の朝であった。カーテンを開けてびっくり。外は白い世界に変わっていた。それでも、降り続くことはなく雨まじりの雪だったこともあり、午後からの晴れ間ですっかり地面の雪は失せてしまった。
 今日は2月9日、「肉(ニク)の日」なのだそうだ。日本人はこうした語呂合わせが好きだなあ、と思いながらニュースを眺めていたら、「ふぐの日」でもあるという。ふぐの本場、山口ではふぐを「ふく」と呼び、「2、9」で「ふく」なのだそうだ。これも語呂合わせで、それも旬の季節にぴったりということでの採用だという。そのニュースで報じられたいたのだが、どうやら山口のふぐを大量に消費するのは大阪なのだそうだ。しかもふだんなら三月場所が大阪で開かれ、どの部屋でもチャンコの材料としてふぐを仕入れるのだが、今年は三月場所の中止が決まっているため、豊漁なのにさばけないと漁協は嘆いているとも報じられていた。こんなところにも「八百長問題」が影を落としていたようだ。
 それにしても「八百長問題」はどう落ち着くのだろう。いわゆるスポーツとは違い、「勝ち負け」だけが問われる世界ではなく、人情相撲などという言葉がある通り、胸を貸す、花を持たせるなどのことも大切にされる世界だ。「勝負に負けて相撲で勝つ」ということも大切にされ、ファンもそうしたことを楽しんでいる世界ある。
金銭がからんでしまっては論外ではあるが、ヨーロッパ起源のスポーツの論理だけでこの問題に決着をつけようとするとますます難しくなるのではないか。「勝ち負けだけではない」相撲の魅力を楽しみにしている相撲ファンにとっては、いろいろな意味で気がかりな問題である。
2011年2月7日(月)
 立春を過ぎてから、心なしか日差しがこれまでと違って春らしくなってきたように思われる。梅のたよりもあちこちから聞こえてくる。気がつけば日没も遅くなり、日が長くなってきた。寒さはこれからも続くだろうが、徐々に「春」を感じることが多くなってくるだろう。
 先日のこと、ふとこんなことを思った。日常とは異なる祭りや儀式、晴れやかな行事の行われる特別な日のことを「ハレの日」と言うが、このことと「春(ハル)」は共通の語源を持つのではないか、ということだ。
早速「広辞苑」で調べてみた。

 「晴れ」の項には、@空のはれること、A日のあたる所、ひなた、Bひろびろとした晴れやかな所、Cはれがましいこと、Dおもてむき、正式、おおやけ、公衆の前、E晴れ着、それを着たさま、F疑いが晴れること、とあり、Dの項には対語として褻(け)とあった。
日常を「ケ」、晴れやかな日を「ハレ」と言い慣わしてきたのは、このことだったのだろう。
 一方、「春」の項には、その語源として、草木の芽が張る意、また田畑を墾る(はる)意、気候の晴る意からとも、と書かれている。
 どうやら私が直感したことは、「当たらずと言えども遠からず」だったようだ。
 閉ざされた気分の冷たい季節「冬」から、晴れ晴れとした季節、目の前が広がるような晴れやかな季節、草木が萌え、田畑の作業も始まる「新生」を思わせる特別な季節、つまり「ハレ」の季節として「春」を先人が感じたことが窺えるからだ。
夜なお煌びやかな灯火にさらされる現代と違って、闇と明るさが人々の生活に大きく影響を及ぼしたであろう古代にあっては、いっそう春を迎える喜びが強く感じられたのではないだろうか。
 ともあれ、春はもうそこまで来ていると思えるだけで、何やら心が浮き立つのは「ハレ」の気分そのものなのだろう。
2011年2月2日(水)
 先日(1/31)の読売新聞、一面のコラムに東大教授の御厨 貴氏が次のような一文を載せていた。
 『政治を見たくない、語りたくない、メディアの報道から思わず顔をそむけてしまう。国会の冒頭、菅直人首相が、谷垣禎一自民党総裁が、何といったかをフォローする気にもなれない。大多数の国民が、今そんな無気力感、脱力感に陥っている。このところずっと何だかダメなものを、やはりダメだと確認し続けてきたせいだ。政局でも政策でもない。もはや政治や行政を統べる統治″の構造や場を、何とかせねばならない段階に来てしまったためではないか。
 これはまさに私自身が昨年の秋から、政治関係のニュースから無意識に目をそらしてきた心情をピタリと言い当てた一文である。仙石、菅、前原、岡田諸氏の行き当たりばったりの、そして意思統一に欠けた、もっと言えば将来を見据えて国民と国のために何をビジョンとして思い描いているのかが、さっぱり見えない政権の右往左往、浅薄さにうんざりさせられた結果なのだ。あるラジオ局の今夕のニュースで、視聴者から寄せられた川柳を紹介していた。それは、次のようなものだ。
 『審議入り よりも世間はキャンプイン
 政治とカネの問題に決着をつけると称して、小沢元代表の議員辞職や党籍剥奪を主張している民主党の幹部であるが、政治とカネの問題なら「国民の血税を無駄に使っている」「使い方を間違えている」もっと大きな問題があるはずだ。
 まるで小沢元代表にすべての問題の原因を求めるような、そして彼を辞めさせればすべての問題が解決し支持率の回復が望めるかのような考は、問題の取り違えだと言えるし、浅はかな考えであるとしか思えない。そんなことにいつまでもこだわっておらず、もっと肝腎で大事なこと(予算案の審議等々)、国と国民にとって重要なことに時間をかけてもらいたいと多くの国民が望んでいるにもかかわらず、そうならないもどかしさも手伝って「うんざり」し顔をそむけていることに議員諸氏は早く気づくべきだ。政治の場で政治が行われず、党利党略に走る「浅ましい姿」ばかりを見せつけられて世間がうんざりしているからこそ、清々しい話題としてのプロ野球のキャンプインの報道に関心を寄せている、というシニカルな目がこの川柳の背景にあることを、政治家諸氏は気づくべきだ。

 そうかと思うと、こんな川柳も紹介されていた。『いまだろう、「どげんかせんといかん」のは』。
 「どげんかせんといかん」と決意を表明して宮崎県知事に就いたあの人が、ただの一期で知事を辞めたとたん、鳥インフルエンザの拡大、新燃岳の噴火、そして噴火による火山灰による重大な被害、とこれでもかというほどの痛手を宮崎県が受けている。「どげんかせんといかん」と声高に主張した彼の人は、この事態を見て何の動きも起こさないのだろうか。つい何ヶ月か前まで知事だったのに、という思いが込めて詠まれた川柳なのだろう。秀逸に過ぎると言って良いほどの川柳だが、そんなことより宮崎の諸々の被害がこれ以上広がらず一日も早く治まってくれることを祈るばかりだ。そして、子ども手当の満額支給などという「人気取り」のような施策で税を無駄使いせずに、こうした被害(東北・北陸は大雪の被害で悲鳴を上げているのだ)への対策にこそ、手厚い保護をすべきだろう。
政治は古来、「国民を守り、安んじる」ことを旨とすべきものなのだ。政治が政治の機能を果たせなくなってしまえば、国民からそっぽを向かれるばかりだ、ということを銘記すべきだろう。
この数日、中近東の各地で起きている大規模な市民運動も、そうしたことに起因しているのだ。
政権を獲得した者には、それだけの重大な責任があるのだ。政権に居座ることが目的であっては困るのだ。
責任を自覚し、果たすことにこそ一義の目的があるのだ、ということを菅総理はじめ民主党の面々は強く認識すべきなのではないだろうか。
2011年1月23日(日)
 この数日、良いこと続きで気分がすこぶる良い。まず、フリーではあるが非常に優れた機能を持った「譜面作成ソフト」を見つけ、手に入れたこと。MuseScoreというソフトだ。これまで使っていたSibeliusと勝るとも劣らない機能を持つソフトだ。
 それとは別に、これまでほぼ一月、良い音のするソフトシンセも探していた。新しく使い始めたWindows7では、お気に入りの音源「ヤマハS-YXG50」が使えないのだ。そればかりか、標準で内蔵されている「Microsoft Wavetable Synth」が我慢が出来ないほどの質の悪さなのだ。この音源の品位では音楽をつくるにしても聴くにしても「愉快な気分」にはなれそうもない。そこでWindows7で使えて、しかもS-YXG50並の音質を持つソフトシンセを探していたのだ。
そんな折、十分満足とは行かないまでも、「Wavetable Synth」とは比較にならないほどの良いものを見つけることができたのだ。「TiMidity++」というソフトシンセだ。しかもSoundFontを入手することで、Windows7標準のソフトシンセとすることができる。そのためにはcfgを書き換えなければならないのだが、挑戦するつもりでやってみたこところ、思いがけず出来てしまったのだ。
作曲や編曲に常に使用している「SingerSongWriter」のMIDIPortで「TiMidity」に設定することも出来た。CuBaseのMIDI音源としても設定することが出来た。
そんなわけで、一昨日から昨日、今日とやることがすべてうまく行き、非常に気分が良いのだ。
 しかも昨日は、正月に帰省できなかった長女夫婦が横浜から来てくれた。良いことづくめのここ数日なのである。
2011年1月21日
 昨日は大寒。
 各地で大雪の被害が相次いでいるという。雪による死者もかなりの数に上っているらしい。

 ところで、昨日のニュースで、京都大学の研究グループががん細胞だけをねらって「自ら死に至らせる技術の開発」に世界で初めて成功したという報道に接した。
 抗がん剤による化学療法のデメリットは、がん細胞だけでなく正常な細胞まで打撃を受け、人体に深刻な副作用を引き起こすことである。
 正常な細胞にダメージを与えずに、がん細胞だけを死滅させることができるとすれば、それはがんに苦しむ人々にとって大きな福音となる画期的なこと。
 どうやらがん細胞は、あるタンパク質を発現していて、そのタンパク質を発現している細胞だけに細胞死をうながすようなシステムをつくることが可能になった、ということらしいが、特定のタンパク質に反応して細胞の生死をコントロールできるとは、何とすごいことかと素人ながら驚くばかりである。

 NHKブックス「天孫降臨の夢」(大山誠一)を読み始める。関裕二氏の「蘇我氏の正体」「藤原氏の正体」(新潮文庫)を既に読了しているが、これでまた古代から延々と続いてきた藤原氏の実態について理解ができそうだ。また藤原不比等が作り上げた虚構によってもたらされたさまざまな影響から、現代人もいまなお解放されずにいる理由も含めて、私自身の疑問も多少なりとも氷解するのではないかと期待しつつ読み進めているところである。
2011年1月14日
 この数日、私が指揮を務めている合唱団で歌う曲の編曲やらその合唱団のサイトに掲載するための作業に追われている。3月初旬に牛久市内の特養を訪問して行う「訪問演奏」で披露するための準備である。パート別のサンプル演奏やら伴奏などをサイトに掲載しておけば、団員それぞれが自由な時間にサイトにアクセスし、個人練習が可能になると考えてのことだが、結構な作業量になる。しかし、ここで頑張るのが指揮者の務め。ガンバルぞ!

 ところで、またまた爺バカの話題である。孫のお絵かきが急成長。先日の絵よりも一段と顔らしい絵を描いたと送られてきた写真が右の絵である。耳がある。瞳も描かれている。頬も鼻も髪の毛も、より人間を思わせる出来ではないか。三歳になってまだ数日の子がこんな絵を描くか、とちょっと驚いている。自分の娘たちが三歳の頃のことを思い出そうとしているのだが、どうも記憶が定かではない。絵心のかけらもない私には驚きの上手さだ。感心!感心!
2011年1月9日
 男声カルテット「ダークダックス」のトップテナー、高見沢さんが亡くなったという。パクさんというニックネームで親しまれていたファルセットの美しい人であった。ダークダックスが盛んにロシア民謡を紹介し歌っていたのは、私が高校生の頃だったが、その美しいファルセットに憧れたものであった。パクさんはグループの中では一番若かったのではないだろうか。
また一つの時代が終わってしまったような寂しい感じである。ご冥福をお祈りする。
2011年1月7日
 いろいろと試してみたいことがあり、格安のWindows7を搭載したノートパソコンを購入した。ずっとXPマシンを使い続け、Vistaには見向きもしなかったのだが、XPのサポートが打ち切られるというアナウンスもあることから、多少不安を感じて
いたのだ。しかし、XPで使い慣れたアプリも新しいOSでは使えなくなるものもあり、特に音楽ソフト(DAW)の中には既に
まったく対応することを放棄してしまったものもあることから、新しいOSは避けてきたのだ。
 しかし、中には互換モードで動作する可能性のあるものもあるという。愛用しているヤマハの「SOL2」が動くかどうか試してみる必要もあって、Windows7マシーンを入手してみたのだ。暮のことである。
 それ以来いろいろと試してみた結果、どうにも動かないことがわかった。となると、いよいよスタインバーグの「Cubase」
を使うしか手がないことになる。私のしたいことを実現するために、手持ちのアプリの範囲内で考えるとそれしか選択の
余地はないのだ。使い勝手の良い「SOL2」に慣れてしまった私にとってCubaseは直感的に操作できるほど敷居の低い
ものではない。敬遠してきたアプリだが、将来的なことを考えるとCubaseを使いこなせた方が良いことは目に見えている。
 この機にCubaseをものにしようと格闘中の私であるが、「SOL2」でできていた程度のことはできそうだという見通しが
ついてきた。それにしても、「SOL2」とXG音源の組み合わせはベストマッチだったのだが、新しいOSへの対応を放棄して
しまったヤマハには少し残念な思いがしている。何よりもXG音源がWindows7では使えない、ということが痛い。音のグレ
ードから言えばソフト音源としては他の追随を許さなかったものだけに、Windows7対応のXG音源をDST版として開発して
もらいたいものである。「SOL2」「XGWorks」「XG音源」などのファンは多いはずなのだから。
2011年1月6日
 ベルリン在住の日本人バイオリニストの樫本大進氏が、正式にベルリンフィルのコンサートマスターに就任することが決まったという。世界最高峰のオーケストラのコンサートマスターだ。樫本氏は、現在31歳。ロン・ティボー国際音楽コンクールで優勝し、ソロのバイオリニストとして活躍していたが、ベルリンフィルの音づくりを担う責任者としてのコンサートマスターの仕事に大きな魅力を感じているという。もちろん、これからもソリストとしての活動も継続していくのだろうが、伝統あるベルリンフィルのサウンドがどのように受け継がれ変わっていくのか、非常に楽しみであるし、何と言ってもその大役を日本人音楽家が担うということに誇りを感じるではないか。
ちなみに(このニュースに接するまで知らなかったのだが)、樫本氏はNHKの大河ドラマ「利家とまつ」のテーマ音楽のソロバイオリン奏者だったということである。
2011年1月4日
 2011年を迎えて今日はもう4日である。元旦の全国実業団駅伝、2日・3日の箱根駅伝を楽しんでいるうちに、もう1月4日になってしまったという感じだ。こんな調子でこの一年も気づいてみれば大晦日ということになるのだろうか。

 暮れから昨日まで娘夫婦が帰省していた。一昨日のこと、明日5日には満3歳になる孫がお絵かき帳にクレヨンで絵を描くのを見て驚いた。それまで、横棒や縦棒しか書けなかった孫だったのだが、円を描いているではないか。それも始点と終点がきちんとつながって、歪んではいるもののまさしく円そのもの。そうして描いたのが写真にある顔の絵だ。3歳直前になるとこんな絵が(偶然かも知れないが)描けるようになるのだ。すごいことだ、と感嘆しきりの爺バカを自認する爺さんである。
2010年12月23日
 昨日は「冬至」。古来『冬生じ、夏枯る』と言われる本格的な冬の到来の日であったが、何とも冬にはふさわしくない暖かな一日であった。ゆず湯をたっぷり愉しみ、ゆっくり眠ることができたが、今日からは少しずつ昼の時間がのびていき、冬枯れの景色を楽しみながら一方では春の訪れを心待ちにする日を過ごすことになろう。
 
 我が家では天皇誕生日の今日、ピアノ教室の生徒さん達の「クリスマス・ミニコンサート」を催した。
 今日のコンサートに向けて一生懸命頑張ってきたのだろう。誰もが上手にみんなの前で発表することができた。私はカメラメントして家内のお手伝い。デジカメの便利なところで、撮影したその写真はすぐにプリントアウトし、生徒さん達が帰るときには持ち帰ってもらえた。それらの写真には、ちょっぴり誇らしげな顔で演奏している子どもたちの表情が写っていて、プリントアウトしながら眺めているこちらまで、つい微笑んでしまうほどのすてきな発表会であった。
2010年12月21日
 昨日のことである。長年使ってきたDVDプレーヤーが突然故障してしまった。電源が入らないのだ。ヒューズなのか電源コードの断線なのか、あるいは基盤の故障なのか原因はつかめないが、ともかくも動かなくなってしまった。
 ずいぶん使ったので寿命なのかも知れない。ということは、ブルーレイディスクレコーダーを購入するまたとないチャンスが訪れたということだ。そこで今日、行きつけの電気店に頼んで購入し設置してもらった。
500GBのハードディスク内蔵、同時2番組録画可能のブルーレイディスクレコーダーである。
これで、思う存分録画ができ、しかもDVDにでもBDにでもダビングして保存することができる。
 しかし便利になったには違いないが、また必要な記録メディアが一つ増え、リモコンも一つ増えたことになる。たかがTVを見るために、テレビのまわりにいくつものリモコンが並び、ややこしいことになったのも事実である。地デジは喜ばしいことばかりではない。便利さとひきかえに、機械に従属させられている気分がして、ちょっと不愉快でもある。
2010年12月14日
 ふたご座流星群が今夜から明日未明にかけてピークに達するという。期待していたのだが、いまベランダから夜空を見ると、雲が多くどうやら星は見えていない。明日の夜明け前も雲が晴れそうにない。残念なことに流星群を見ることはできないかも知れないと、夜空を見上げながら嘆息しているところである。

 ところで、先にも書いたようにyourserverという便利なサービスの停止を知ってから、私が指揮でお手伝いをしている合唱団「牛久フロイデ混声合唱団」のホームページも移転を余儀なくされた。無事に移転は済んだのだが、YahooやGoogleといった検索サイトで検索可能なように登録変更をしたのだが、なかなか検索可能にならない。1〜3週間はかかるだろうとのアナウンスがあったし、そう短時間ではヒットするようにならないことはわかっているのだが、「うまく登録できるだろうか」という心配はぬぐえない。どうかうまくいってくれればよいのだが。
 移転先は、次のアドレスである。→
http://chorfr.6.ql.bz/index.html
2010年12月10日
 私が幹事を務めている学会「日本電子キーボード学会(JEKS)が、この秋「日本電子キーボード音楽学会(JSEKM)」と
改称し、ホームページを移転した。サイト名を変えたことによるやむを得ない移転である。
 アドレスは次の通り。→
http://jsekm.jp/index.html
2010年11月30日
 youeserverのサービス休止を知ってから、そのサーバーもどきに納めていたデータの移転作業に追われていた。
 幸いなことにこのホームページを管理しているレンタルサーバーが、同じ料金設定のままで11月から200MBから一気に10GBにスペースを増量していたことがわかり、安心してすべてのデータを移転させることができると早速実行に移し、つい今し方すべての作業を終えることができた。気がつけば11月の晦日である。12月10日までにやりおおせなければと大急ぎの作業であったが、ずいぶんと期限までの余裕をもって終えることができた。これで一安心である。
 自分のサイトだけでなく、他に管理している二つのサイトに関してもどうにか移転先を見つけて引っ越しをすることができていたのだが、肝腎の自分のサイトは後回しにしていたのだ。もっとも後回しにしていたおかげで、レンタルサーバーの増量について知ることができたので、まさに「残り物には福がある」状態だったのだが、これで他にも迷惑をかけずに済んだとほっと一息ついているところである。
2010年11月25日
 九州計装という会社がネット上に展開している便利なサービスがある。「yourserver」というサービスである。自宅のパソコンをサーバーもどきにして、サイト上に公開できるというものである。
 通常、レンタルサーバーでは容量に制限があり、自分のホームページを公開するにしても、その容量内でしかファイルを扱うことはできない。しかし、自分のパソコンをサーバーのように使えれば、そのパソコンのハードディスク容量分だけファイルを置けるし、何よりいちいちアップロードする手間も省けるのだ。そのサーバーもどきを実現してくれるサービスを数年前に見つけ、便利に使わせてもらっていたのだが、来月12月10日をもってサービスを停止させるという。たくさんの容量の大きなファイル(音声データ、動画データなど)をその「サーバーもどき」を使用して公開していた私は大慌てである。12月10日までに別のレンタルサーバーを探し出して手当をしなければならない。いま、そのことにかかりきりである。
2010年11月2日
 一昨日(10/31.Sun)の夕刻、つくば市のノバホールで “singamademie Tsukuba(つくば古典音楽合唱団)”の定期演奏会が催され、団員のある方からご丁寧に招待状をいただいたので、楽しみにして出かけてきた。
 予想に違わぬすばらしいコンサートで、古楽器を交えた小オーケストラを伴奏にビバルディとバッハのミサ曲をじっくり味わうことができた。60名近くの合唱団が均整の取れた、しかもミサ曲にふさわしい抑制のきいたハーモニーを聴かせてくれ、古楽器の古雅な響きと相まって、まるで上質な乗り物にゆったりと乗って乗り心地を楽しむような心地好い時間を過ごさせてもらった。
 次の定演はモツレクだという。この合唱団がモツレクをどのように歌って聴かせてくれるか、今から楽しみである。
2010年10月30日
 万葉集に次のような歌を見つけた。
 “ものみなは、新しき良し、ただしくも、ひとは旧りにし宜しかるべし”
 (ものみなはあらたしきよし、ただしくもひとはふりにしよろしかるべし)
 『物はどれも新しい物がよい、ただし人は年を経た老人がよい』とでもいう意味であろう。多くの経験をしているから、人間としての味わいもあり、魅力もあると述懐しているのであろう。
 若さばかりがもてはやされる現在の風潮であるが、万葉の昔にこう指摘した人がいることを忘れてはなるまい。

 ところで、この歌を詠むと「新しき」は“あたらしき”ではなく、“あらたしき”と読むのが古来の正しい読み方であることがわかる。調べてみると、「新しい」を“あらたしい”から“あたらしい”と音韻変化させて読むようになったのは、平安時代頃だという。“あたらし”は、もともと“可惜し”、つまり『惜しい』の意味であり、現在でも『あたら若い命を〜』といった具合に使われていることからもわかる。また、“新し”がもともと“あらたし”と読まれていたことも『新たな年の初めに』を“あらたなとしの〜”と訓読することからも納得である。このように、いつの間にか音韻変化してしまった言葉は数え切れないほど多いのだろう。

 今日は朝から、強い台風の接近、しかも関東に上陸するのではないかとの懸念から矢継ぎ早に警報が発令された。
 しかし、本州沿岸に近づいてからは進行速度を速め、さほど大きな被害もなく、しかも上陸することもなく東北東の海上に去っていったようである。一安心である。
2010年10月7日
 あちこちの庭先から金木犀の甘い香りが漂う季節となった。いつまで続くかと思われるほど厳しかった暑さの中で、自然はちゃんと秋を準備して待っていてくれたのだ。
 ところで今朝は、新聞でもテレビでもノーベル化学賞を受賞した鈴木章、根岸英一両学者の話題でもちきりだった。研究内容を聞いても理解できないのだが、有機ELや抗がん剤やさまざまな分野で生かされている有機合成の研究成果が認められたとのこと。すごい頭脳だ。高校1年生で化学を捨ててしまった(化学に捨てられた)私にとっては、神の領分のような話であるが、すごいことなんだろうということは想像がつく。

 話は変わるが数年前に買った「ヴィオリラ」という楽器は、バイオリンのように弓で弦をこすって演奏するだけでなく、ピックで弦をはじいて演奏することもできる楽器だ。その撥弦方法でこの楽器を楽しんでみようと、「日曜はダメよ」の伴奏を編曲してみた。遠い昔に聴いた記憶では、マンドリンのような音色で旋律を奏していたような覚えがあることから、このヴィオリラに似つかわしいと思ったのだ。
その伴奏に合わせての演奏を、いつかこの日記上で公開できればと考えている。
2010年9月26日
 大相撲九月場所で、横綱白鵬が全勝優勝を果たした。これで62連勝。いよいよ双葉山の69連勝に並ぶ、あるいは記録更新も手に届くところまできた。正々堂々とした取り口と、落ち着いた静かなたたずまいや所作、あるいは相撲に取り組む真摯な姿は、もはや大横綱の風格である。そうした姿勢は、優勝インタビューで語られるコメントにもあらわれ、「自分は決して力が強いわけではないが、運がよかった。しかし、運は努力し勉強する者に神が与えてくれるもの。だからこれからもその姿勢でがんばるつもり」と、自らの決意を語っている。
どうやら、同じモンゴル出身で引退してしまったあの横綱とは「人間の出来」が違うようである。日本人以上に「日本人の好む生き方」をめざす外国人横綱だからこそ、応援の声にも力が入るのだろう。
 優勝後土俵下で行われた同じインタビューでは「一番近い目標は横綱谷風の63連勝」とも語り、大相撲の歴史や伝統についてふだんから勉強し研究していることも窺わせたが、日本人ですら忘れかけているそうした先人の記憶を呼び覚まして思い出させてくれることも、若い横綱でありながら何と立派なと思わせてくれるに十分。
いっそう白鵬という「人間」が好きになってしまった。ますますがんばってほしいところだが、ひょっとすると「平成の大横綱」として伝説の力士が誕生する瞬間に立ち会っているのかも知れないと気がついた。
それは、同じ時を生きている私たちにとって嬉しいことだし誇りとしたいところで、白鵬に大いに感謝したいところだ。
いろいろな意味で、この横綱は日本人が忘れかけていた「日本人らしさ」「日本人のよさ」を思い起こさせ、再認識させて奮い立たせてくれているかのようである。
2010年9月18日
 今日は私の住む市内の小学校で一斉にに運動会が行われた。子どもたちは快晴の下、楽しい一日を送れたことだろう。
 しかし、陽射しが強かったこともあって、(気温や湿度が低くなり涼しさが増したとは言え)応援の保護者にとっては、いくぶん疲労を感じる向きもあったかも知れない。それでも好天に恵まれ、子どもたちの歓声に満ちた楽しい運動会がどこの学校でも繰り広げられたことだろう。ご同慶の至りである。

 ご同慶と言えば、横綱白鵬が千代の富士の53連勝の記録を抜いて54連勝という偉業を達成した。もう少しで60連勝に手が届く。となれば双葉山の69連勝を追い越すことも夢ではないかも知れない。すばらしいことだ。千代の富士の記録だけでも、それを破ることは難しいと思っていたのに、双葉山の大記録にも手が届く勢いだ。日頃の精進の賜であろうし、相撲にかける日本人以上の「真摯な打ち込む姿勢」が今日の記録樹立を支えているのだろう事は疑いようがない。「おめでとう」の言葉以上に、リアルタイムでこの場に居合わせることができた「ありがとう」という感謝の気持ちの方が強いのも事実。
ますます精進して大相撲隆盛の大きな力になってもらいたいものである。
2010年9月16日
 ずいぶん前に録画しておいたにも拘わらず、何となく見そびれていた映画「劔岳〈点の記〉」を見ることができた。新田次郎原作の重厚な実話に基づく物語である。登山の経験や関心がまったくない私なので、劔岳が明治時代にようやく前人未踏の山でなくなったということにまず驚かされた。今でこそ多くの登山者が訪れる山だが、その当時はルートを見つけることの難しい「険しい山」だったのだろう。木村大作監督のカメラマンらしい視点でつくられたこの映画は、何と言っても雄大で美しい景色、自然との壮絶な闘いの模様などがこれでもかというほどの迫力ある映像で描かれていることが印象的であった。
それに音楽がいい。バッハ、ビバルディ、アルビノーニ、ヘンデルなどの楽曲がすこぶる効果的に配されて、この映像にこの音楽が?と以外とも思える組み合わせの妙で描かれており、映像と音楽の取り合わせの不思議さについて改めて思い知らされた。
 また、山を案内する長治郎役をつとめた香川照之の演技の見事さに感銘を受けた。山を知り尽くし、重い荷物を背負って山を歩いた当時の日本人はこうであったろうと、その姿を彷彿とさせる歩き方やその所作は、よくよく研究をしたものなのだろう。見事なまでの演技であったように思われる。
 測量隊の労苦を描くことを通して発せられた、人間にとって大切なことは「何をしたか」ではなく「何のためにしたか」だというメッセージも強く心に響く優れた映画のように思われ、久しぶりに「よいもの」を見せてもらった気がする。スタッフ、キャストの皆さんに感謝である。
 このところ、映画というと3D映画のことが話題になっているようであるが、そのような表面的で単純なうけをねらった刺激に頼るのではない、内容で魅了し訴えるこのような映画こそが「文化の所産」として大切にされるべきだし、誇りとすべきものだと強く思わされた。
2010年9月11日
 今日は、所用のため福島県郡山市に出かけてきた。常磐自動車道からいわきJCで磐越自動車道に入り、さらに郡山JCから東北自動車道に乗り換え、郡山ICで高速道をおり、郡山市内へと向かったが、考えてみれば今日は土曜日。ETCのおかげで往復とも1000円しか高速料金がかからなかった。高速道路を乗り継いでおよそ3時間弱のドライブ、往復でも6時間になるかならないかの距離を走って2000円である。これで高速道路の維持管理がきちんとできるのだろうかと心配になってしまった。とは言え、その維持管理にどの程度の費用がかかるのかなどといった具体的なことについては、何の知識もないのだが・・・。
 それはともかく、快晴に恵まれ、しかも土曜日にも拘わらず磐越自動車道は混雑もなく、阿武隈高原の爽やかな空の下、快適なドライブであった。用向きが郡山に住むおばの病気見舞い、しかも重篤な状態にあるということもあって、暢気にドライブを楽しむという心境ではなかったのだが、爽やかな空気感に包まれてのドライブは、そんな沈みがちな気分を救ってくれたようである。

 帰宅後テレビを見て寛いでいたら、谷啓氏が亡くなったとの報道。つい1年ほど前までNHKの「美の壺」で元気な姿を見せていたのに、といぶしく思っていたら、どうやら病気で亡くなったのではなく、転んで怪我をしそれがもとで亡くなったのだというではないか。よほどひどい転び方をしたのかも知れない。
それにしても、音楽、コメディー、ドラマや映画などで大活躍をした人だけに、またひとつ昭和が遠くなったという感が深くなる思いである。つい数年前の番組で、得意のトロンボーンを携えて「リンゴの木の下で」というジャズの名曲のルーツを探してアメリカを旅する旅人としてドキュメンタリーに出演し、その「リンゴの木の下で」を見事な腕前で演奏する姿を見せてくれた。それを見て、トロンボーンPLAYERとしての谷啓が健在だと知り、嬉しくなったことをいま思い出している。
ご冥福を祈るばかりである。
2010年9月10日
 昨日は、一昨日の台風(関東に来た時点では低気圧に変わってしまってはいたが)が通り過ぎ、爽やかな秋らしい一日となり、久しぶりに一日中エアコンのお世話にならずに過ごすことができた。気温も湿度も低く、身体にまとわりつくようなうっとうしさから解放されて一日中ここちよく過ごすことができ、何とも言えない幸福感に満たされた一日であった。
 それにしてもこの夏のエアコンは大活躍であったが、ちょっと疑問に感じていることがある。これまでの夏は、エアコンの使用に伴う電力の多さから、供給が追いつかない、なるべく使用を控えるか温度設定を高めにして欲しい、というような報道がしょっちゅうなされていたのだが、今年は例年以上の電力需要があっただろうと思われるのに、そうしたアナウンスは一度も聞かれなかった。これはいったいどういうことなのだろうか。これまで不足していた電力の供給が、今年になって急に増産できる体制になったということなのだろうか。不思議でならない。

 閑話休題(それはさておき)、涼しくなって秋らしい気候になったのは嬉しい限りである。気がつけば、日が暮れるのがいつの間にか早くなり、夜が明けるのは遅くなって、暑さはともかく季節は秋の深まりに向かって確実に進んでいたのだ。
日が落ちれば、家々の庭先からすだく虫の声が賑やかに聞こえるし、日中と朝夕の温度差は日ごとに大きくなっている。
書斎の窓から見えるお隣の庭の「柚子」もいつの間にか大きく育った実をたくさんつけていて、自然界は着実に秋から冬へと動いていることがわかる。この夏頑張って働いてくれたエアコンに感謝しながら、秋の訪れの気配を楽しんでいたいと思った昨日・今日であった。
2010年9月4日
 民主党の代表選についての報道が、新聞やテレビで大きく取り上げられている。今日もTVニュースで菅、小沢の両候補の討論会の様子や立ち会い演説会の模様が報じられていたが、どちらの候補の話を聞いても欠けているところがあるように思われてならない。それは、両候補ともあれをやる、こうした方策をとる、といった目先の方法論に終始している点だ。
この選挙は国民が直接投票をするわけではない「民主党内の選挙」ではあるが、政権を担当するいわば「国の代表」を選ぶ選挙である。にもかかわらず、この国を5年後、10年後、100年後、どういう国にしたいのか、どこをめざそうと考えているのか、といった理念や展望がまったく語られていないのだ。政治家は目の前に立ち現れた問題にどう対処するかということだけではなく、その問題自体をどう見るかという見識をもとに「国を導いていく」責務を負っているはずだ。そしていやしくも政権を担当する与党のリーダーになろうとするのであれば、確かな見識に支えられた展望を示し、この方向に向かうことが国にとっても世界にとっても、そして国民にとっても望ましいと考えており、その考えからするとそれぞれの問題や課題についてはこのように対処していくべきだとするのが自分の考えである、と理論立てて説明すべきではないか。
 あれをするから自分を選べ、こんなことをしようとしているから自分を支持してくれというだけでは、学校の生徒会の選挙の域を出ないではないか。政治家の政治家らしい「理念や哲学について語る姿」をみたいものである。
2010年9月2日
 初代若乃花が亡くなったという。土俵の鬼と呼ばれ、ライバル横綱栃錦と数多くの名勝負を繰り広げ、栃若時代を築いた若乃花である。小学生だった私は若乃花の大ファンで、ラジオにしがみつくようにして若乃花に声援を送ったものだ。小兵ながら腰の強さとスピードで大きな力士を大技でひっくり返す姿に、当時の人はずいぶん魅了されたはずである。その魅力は映画にもなり、“土俵の鬼 若乃花”の強さの秘密をあますところなく描いていたように思われ、ますますファンになったことを今でも覚えている。今日のニュースでは、優勝回数10回と報じていたが、そんなものだったのだろうか。もっとたくさん優勝して大活躍したかのような印象を持っていたので意外な感じがする。
 それにしても、これでまた昭和が遠くなったという思いが強くなった。

 昭和が遠くなった、と言えばその感を強くする出来事があった。ある映像を記録したDVDを知人にプレゼントしようと思い立ち作成したのだが、もしDVDプレイヤーを持っていないと困る(いまどきその懸念自体がいらざるものだったのかも知れないが)と思い、VHSのテープにダビングしようと考えた。だが、手元に生のテープがないことに気づいた。最初は近所の電器店に行けば容易に手に入るだろうと思っていたのだが、それが甘い考えであることをお思い知らされたのである。
どこの量販店に行っても、VHSのテープなど見あたらないのだ。CDやDVD、BRDなどはこれでもかというほど棚に積んであるのに、VHSはどの棚にもない。もはやVHSは前時代の遺物のようで、見つけることが難しくなってしまったメディアなのかも知れない、ということを思い知らされたのである。いつの間にかそんな事態になっていたのだ。
遠く去ってしまった昭和という時代を痛感させられた今日の二つの出来事であった。
2010年8月31日
 東京では今日の最低気温が27.5度で連続熱帯夜の記録を更新したという。これまでの記録47日を越えて、48日目になるという。さらに、真夏日の日数が57日目になるのだそうで、この7月と8月はまさに記録的な猛暑に見舞われたと言って良いのだろう。あながち私が年齢を重ねたための「暑さへの抵抗力の減退」のせいで暑がっていたのではない、ということがわかってちょっと胸をなで下ろしているところである。人間というのは暑さにも慣れが生じるようで、朝目覚めて気温が29度であっても「今朝は涼しい」とまで思えるようになる。普段の夏であれば、29度は決して涼しい温度帯ではないはずなのだが、こうのべつ幕なしに34度〜5度の気温にさらされていると感覚も麻痺してくるのであろう。早く涼しくなってほしいものである。

 ところで、このところsteinberg社のCubaseと格闘の毎日を過ごしている。ミキサーを購入した時に同梱でついてきたソフトで、冊子になったマニュアルがないのだ。Cubaseには、PDFファイルでマニュアルが添付されているので、それを参照すること、ということなのであろうが、ソフトを操作しながらPDFの内部を探し回るということが不便きわまりなく、やはり紙ベースのマニュアルがないとあちこち記述を探し回るのには都合が良い。
 そのようなわけで、その不便さと闘いつつ、そしてCubaseの概念を理解するための難行苦行を重ねてきたが、どうにか自分のしたいこととその操作手順との関係が見えてきた。これから録音作業をする時には、迷いなくこのソフトで作業ができるようにもう少しの試行錯誤が必要だと思われるが、少し光が見えてきたような気がする。
 振り返って考えてみれば、私の中で「生きた知識や技術」になっているのは、こうした試行錯誤の中で獲得してきたものばかりのような気がする。教えてくれる者がいないからこそ、探ること、試すことを楽しみながらやってこれたのだろう。Cubase君、待っていたまえ。もう少しで君を自在に操ってみせるぞ。とこの夏の暑さ以上に燃えているお爺さんである。
2010年8月23日
 今日は暦の上では「処暑」、夏の暑さもいったん落ち着きおさまるという意味の日だが、落ち着くどころではない。ここ数日過ごしやすかっただけに、まさに暑さが「ぶり返してきた」感がある。涼しくなるのが待ち遠しいが、それも望むべくもなさそうである。

 ところで、先週のことである。私が指揮をさせていただいている合唱団の方々と練習の後のお茶会で、ある団員の方から
『野口雨情の黄金虫は、実はゴキブリのことらしい』と教えていただいた。その方がおっしゃるには、野口雨情のふるさとである茨城県北茨城市では、古くからゴキブリのことを黄金虫と呼んでいたのだとのこと。
 私も北茨城の出身であるが、そんな話は聞いたこともないし、ゴキブリを黄金虫と呼んだ記憶もない。ゴキブリはゴキブリと呼んでいたし、黄金虫は玉虫色に光る甲虫の名前であった。ひょっとすると、私の祖父以前の時代にはゴキブリをそう呼んでいたのかも知れない。
 念のため、と思ってネットで探してみると、同じ指摘をしているブログなどが多数見つかった。どうやら巷間そのように囁かれていたらしいことが窺える。中に次のようなものもあり、噂の出所がわかった。
 『NHK元音楽ディレクターの若林さん(童謡講座講師)によると、作詞の野口雨情の出身地、北関東地方(茨城県)ではいわゆる「コガネムシ」とは違う虫のことを黄金虫という名前で呼んでいたらしいのですが、この虫が家にたくさん住みついているとその家は裕福になるという伝説があったらしく、〜云々』
 そうだったのか。当の北茨城出身者でも知らないことが根強く囁かれ信じられてきたようであるが、雨情は生涯通して茨城弁で押し通した人なので、信憑性が高いかも知れない。
2010年8月22日
 昨日は、娘たち夫婦が家内の還暦祝いを催してくれた。場所は私の還暦を祝ってくれた土浦市内の「霞月楼」という老舗料亭である。長女夫婦は横浜から、そして次女夫婦は孫を連れて川崎から駆けつけてくれて、家内の健康祈願と併せて
還暦を祝ってくれた。このように私たちを気遣ってくれる娘たちをもって何と幸せなことかと、改めて幸せを噛みしめている。
 私の還暦祝いの時は、次女は9ヶ月の大きなお腹をしていた。そのお腹から生まれた孫が、もう「アンパンマンの歌」や
「バイキンマンの歌」、「トトロ」「さんぽ」などをたどたどしい歌い方ではあるが、歌って聴かせてくれたり、ディズニーランドで
踊られるダンスなどを見せてくれるほど成長した。これもまた、私たち夫婦の喜びを大きなものにしてくれ、嬉しい限り。
 それはともかく、この老舗料亭の料理はどれも絶品。どの料理もおいしく、久しぶりに家族全員そろった祝いの食事がいっそう楽しいものになった。娘たちに、とりわけそれにつきあってくれたお婿さん二人に深く感謝している。

 ところで、昨日は「夏の高校野球」の決勝戦で、沖縄代表の興南高校が東海大相模を下して春夏連覇を成し遂げた。しかも沖縄県勢としては初の「夏の全国制覇」である。何とはなし、この大会の当初から、春夏連覇をめざす興南高校を応援する気持ちでいたが(沖縄とは何のゆかりもないのだが)、すばらしい投打に於ける活躍でついに優勝。
ことのほか暑かったこの夏の記憶とともに忘れられないチームになるに違いない、とひとりごちている。
2010年8月18日
 連日の猛暑で、頭も身体もうんざり、ぐったりである。気がつけば、もう8月も半ばを過ぎ、立秋もとっくに過ぎたというのにこの暑さはどうしたことであろうか。「夏は暑いものだ」と覚悟を決めてはいるものの、今年のこの暑さは異常だ。歳と共に暑さに対するこらえしょうがなくなってしまったせいもあるのかも知れないが、暑さにますます弱くなってしまっている自分に改めて驚くと同時に、(あと何年生きることになるのかわからないが)この後も毎年夏がやってくる度に暑さとの闘いをしなければならいかと思うと、目の前が暗くなる思いがする。命には代えられないので、我が家のエアコンはフル稼働。今月の電気料金はすごいことになっているのだろうな、とぞっとする思いがすると同時に、日本全国の電気の使用量やそれに伴う二酸化炭素の排出量、エアコン室外機の熱排出量のことを思うと、温暖化に手を貸しているような後ろめたさに気が滅入る。
夕立でも降って自然の涼風が訪れてくれれば、エアコンなどに頼らなくても良いのだが、それも望むべくもなさそうな連日のカンカン照り。うらめしい思いで外の景色を眺めるばかりのこの8月である。
2010年7月12日
 昨日は参議院議員選挙であった。どうやら与党、民主党は大きく議席を減らしたようである。就任間もない菅首相の消費税増税についての考えが大きく作用したのではないかとマスコミは報じているが、この選挙の争点が消費税であるかのように報じ、積極的に世論を形成したのはマスコミ自身ではないか。国民の多くがそれに乗せられてこの結果をもたらしたというのが実情ではないのか。
 もっとも、政権交代を言い立てて政権をとった民主党も、明確なビジョンやそれを実現するためのしっかりした戦略を持っていたとは思えず、何とも軽い発言ばかりが目立ち、これで大丈夫かという懸念を国民に持たれてしまったことが最大の敗因であることは疑いようがない。政権交代は目的ではなく、望ましい国づくりのための手段であるはずなのに、民主党のこれまでの右往左往ぶりをみると、まるで政権を取ることが目的だったのではないかと思われるようなまとまりのなさばかりが目立ち、多くの国民に失望と疑念を与えてしまったようである。
 しかし、その一方で、民主党とその代表である鳩山・菅首相の揚げ足をとるかのようなマスコミの報道に、いちいち踊らされ、長い目で政権を見守る姿勢を持ち得なかった国民、あまりにも短時間で結果を求めようとする国民もまた、この国に「まっとうな政治」(そういうものがあるかどうかわからないが)を実現することを阻む要因になっているように思われてならない。
政治を司る議員はもとより、マスコミも国民も「民度」を高める努力をしなければ、この国の行く末は見えにくくなる一方だし、危ういものに思われる。
2010年7月1日
 一昨日の朝のことである。朝食を摂りながらNHK-BSHiの「クラシック倶楽部」を眺めていたのだが・・・。
 その日のコンサートは「荒川洋フルートコンサート」。『えっ?』と思い、家内にも荒川さんの息子さんだよ、と声をかけてしまった。まだ30代から40代だった私のとるにたりない研究に目をつけて下さり、その後押しをしてくださったのが、フルーティストの荒川健秀氏だった。荒川先生が、私に研究の機会や発表のチャンス、執筆の場などを与えてくださったおかげで、多くの研究者や志を同じくする研究仲間とも出会えた、私にとっては最大の恩人である。
 そのご子息が、父君の薫陶を受け、海外での留学生活を経て、プロのフルート奏者として大いに活躍され、新日本フィルの副主席奏者として、さらにソリストとして大きな評価を得ているようで、喜び・驚き・感激しているとことろである。
これからも親子共々、すばらしい演奏を聴かせてくれるに違いない。荒川先生への感謝の念を新たにすると同時に、益々のご活躍をお祈りするばかりである。嬉しい、そして思いがけない「朝の出会い」であった。
2010年6月18日
 先日のこと、以前に勤務していた小学校でご一緒したことのある先生から電話をいただいた。
 用件は、いまNHKの連続テレビ小説で放送している「ゲゲゲの女房」の主題歌“ありがとう”を二部合唱に編曲して欲しい、という内容。クラスの子どもたちに歌わせたい、しかもできれば二部合唱で歌わせたいので編曲を、という頼みであった。
 その編曲完成し、ついでに子どもたちの練習の一助になればと、Vocaloidでコーラスのサンプルも作成し、今日学校に届けてきた。細かいリズムで合唱で声を揃えて歌うには歌いにくそうだと思われる箇所は、子どもたちにとらえやすく、しかも原曲の雰囲気を損なわないように配慮し、多少変えてはいる。楽しく子どもたちが歌い合わせることができれば幸いである。
 編曲のサンプルについては、下記のサイトで試聴していただけます
 
→http://imoanet.server.co.jp/song/gegege/gege.html
2010年6月14日
 人類初の小惑星の岩石採取に挑んだ宇宙航空研究開発機構(JAXA)の探査機「はやぶさ」が13日夜、地球に帰還した。 地球と火星の間の軌道を回る小惑星イトカワは、地球から約20億キロの距離で、一番長いところでも540メートルしかないという小さな天体だ。そこに、狙い違わずたどり着くというだけでもすごいと驚いてしまうのだが、その小さな星の表面から岩石を採取し、また地球をめがけて帰ってくるというのだ。何ということかと舌を巻くばかりである。
 2003年5月の打ち上げから約7年、総航行距離約60億キロにも及ぶ長い旅からの帰還である。しかもその間、幾度となくトラブルに遭い、打ち上げ直後、4基あるイオンエンジンの1基の不調が判明。イトカワ着陸前には、姿勢制御装置3台中2台が故障。着陸直後には燃料漏れがきっかけで通信が途絶。復旧した後も、12台の姿勢制御用化学エンジンすべてが故障。その上帰還に欠かせないイオンエンジンの故障にも見舞われたりしたというではないか。
そのたびにチームは知恵を絞り、ピンチを切り抜けての帰還である。
何やら疲労困憊の状態でありながら、大切な荷物を送り届けるためにがんばり抜き、自分は燃え尽きてもその託された荷物をしっかりと手渡してくれた健気で頼れる人間「はやぶさくん」といった姿を想像させてくれるではないか。
科学技術の高さが証明されたこのような快挙に出会えたことを誇りに思いたいものである。
2010年6月11日
 先日のこと、テレビのある番組で「鼻笛(ノーズ・フルート)」について放送していた。
 鼻で息を吹き込んで演奏するのだという。鼻息で演奏するという演奏法について、想像するが難しかったが、演奏を聴く限り口笛のような美しい音色で、しかも鼻息で演奏しているとは思えない自然さで、思わず『欲しい!』と思ってしまった。
 その日のうちにネットで注文してしまったが、それが昨日届いた。掌にすっぽりとおさまる程の小さな楽器である。早速吹いてみたが案の定、音が出ない。鼻で吹くべきなのに、どうしても口からも息を吹き込んでしまうせいのようだ。致し方在るまい。長年、笛類といえば口からの息で音を鳴らしてきたのだ。その習慣からは容易に抜け出せない。
ところが何度かしつこく試しているうちに、偶然「ポーッ」という音が出た。どうやら、鼻から出る息を受け止める口の形によって音が出たり出なかったりするようだ。もう一度吹いてみると、またしても音が鳴らない。やはりそう簡単ではなかった。手強そうだと思ったのだが、何度も吹くうちに音は出せるようになった。しかし単なる「ポーッ」でしかない。音程をつけ、旋律を吹くことができるようになるまでには、もうしばらくの挑戦が必要になりそうだ。
2010年5月23日
 友人が住職を務めるつくば市内のお寺で第3回目の「ミニコンサート in 禅寺」を催した。雨の中、たくさんの方が本堂に集ま
ってくださり、演奏に耳を傾けたりいっしょに歌って下さった。今回は、私の個人的な都合で何の準備もできなかったことから、
つくば市内で活動するハワイアン・バンドの演奏を中心にしたコンサートを友人が企画してくれた。
お寺でハワイアンという取り合わせは珍しいはず。ひょっとすると世界初の試みか?などとひとりごちてしまった。

 さて、大相撲夏場所は白鵬の全勝優勝で幕を閉じた。これで2場所続けての連勝記録。強い横綱の記録がどこまで続くか、楽しみである。
 そして、この場所の千秋楽で大関魁皇が通算1000勝という素晴らしい記録を打ち立てた。上手を引くと無類の強さを今でも発揮するベテラン大関の記録だ。白鵬の優勝と併せて何ともめでたいことである。
2010年5月13日
 昨日のニュース番組で、スポーツ選手が参議院議員選挙にあちこちの党から出馬するという報道がなされていた。
 柔道の谷亮子が民主党から、元巨人軍の中畑清がみんなの党から、さらに元巨人軍監督の堀内恒夫が自民党から推薦を承けて立候補するのだという。参議院議員選挙に於いては、これまでも有名タレントを担ぎ出すケースがあったので、珍しいことでも何でもないし、あってはならないということではないかも知れない。しかし、このように有名スポーツ選手や過去に勇名をはせた人気選手を政治の世界で起用しようとする各党の思惑について考えると、何と言うことかと思わざるを得ない。
 こうした有名人をかつぎだそうとするのは、その人の政治に関する力量や見識の高さ、国政に対する志の高さなど政治家としての資質に期待してのことではないのではないか。何と言っても政治家としての実力は未知数だし、これまで彼らが政治や社会活動に関して何か実績を残したとか貢献したという話を聞いたことがないからだ。
それゆえ、どう考えても人気による得票の多さを期待してのこととしか思えないのである。
 それは、いわば政治に関して「ずぶの素人」であっても政治はできるのだ、と自ら暴露し吐露してしまっていることに他ならない、と私は見ている。日本の政治に関してますます不安を感じるゆえんである。
 中畑清氏は、政治にかける意気込みを「GNO」と表明しているという。すなわち「義理(G)、人情(N)、恩返し(O)」なのだそうだ。悪い冗談かと思ったが、どうやらそうではないらしい。国の行方や国民の生活を左右する政治を「義理と人情」というヤクザ映画の主人公のようなレベルの論理でとらえている人がこれから政治家としてやっていくのだ、と考えただけでゾッとするではないか。
どこまで本人も政党も本気なのか、真剣なのか、と大いに疑問を感じざるを得ない。
2010年5月10日
 このところ、そのおもしろさにハマってしまっている本がある。佐伯泰英の『鎌倉河岸捕物控』シリーズだ。家内が入院していた病院の待合室にあったものを手にとったのがきっかけであるが、ふだんあまり読まないエンターテインメントものであるにも
かかわらず、寛政時代の江戸の雰囲気が伝わってきて、ついつい引き込まれてしまったのが始まりだ。ある日の夕食後、何気なくNHKテレビを見ていたら、新しい番組だという触れ込みで『まっつぐ』という時代劇が放送されていた。見ているうちに、その内容が読んだばかりの『鎌倉河岸捕物控』の、しかもたくさんあるシリーズ中のその巻のものであることに気がついた。偶然と言えばあまりの偶然だが、そんなこともあってそのおもしろさを堪能させてもらっている。
 おもしろい本と言えば、関裕二という歴史作家の「蘇我氏の正体」「藤原氏の正体」(いずれも新潮文庫)が、これまでの大化の改新に関する私たちの持っている知識や概念を一変させるおもしろさで、これまた読みふけってしまった。古事記・日本書紀はもとより、多くの文献や研究物、また幅広いフィールドワークから得た該博な知識をもとに、藤原氏(中臣氏)の正体にせまり、その一方で中臣氏に滅ぼされてしまった蘇我氏の正体を明らかにしていくという内容の論考で構成されている。
そこでは、「大化の改新の意味」や、横暴な権力者として伝えられてきた蘇我氏の真の姿を問い直し、現代まで続いている天皇と藤原氏(北家の末裔である近衛、鷹司、西園寺も含めて)との関係までも明らかにしようとしている。
 そんな中、昨日立ち寄った書店で、同氏の『平城京は古代豪族の墓標だった』(宝島社新書)という本を見つけ、先の二冊と内容がだぶっていることを承知で、買ってきてしまった。知的な興奮を楽しめるお薦めの一連の本である。
2010年4月30日
 4月も最後の日を迎えた。明日からはもう5月だ。
 ところで月の最後の日を「みそか」と呼び、一年の最後の日を「大みそか」と呼ぶが、今日の読売新聞のあるコラムによれば30代を「三十路(みそじ)」、短歌を「三十一字(みそひともじ)」と呼ぶように、「三十」を「みそ」と読む読み方と同じで「三十日」を「みそか」と呼ぶことによるという。
 また月の最後の日を「つごもり」、年の最後の日を「大つごもり」と呼ぶのは、「月籠り(つきごもり)」が転訛して「つごもり」と言い慣わされるようになったことによるという。それは、陰暦で月の最後はまったく月が姿を隠してしまうことを「籠もる」と表現したことによるらしい。さらに月の最初の日「一日」を「ついたち」と呼ぶのも、この日を新月として徐々に月が育っていくことを
表した言い方である「月が立つ」「月立ち」、すなわち「つきたち」が転訛して「ついたち」になったのだという。なるほど。
ものを知らないとは言え、60歳をとうに越した今頃になって、“そうだったのか”と納得仕切りなのは恥ずかしい限りであるが、なるほどと思える答えに思いがけず出会え、嬉しさも感じた記事との出会いであった。
2010年4月29日
 今日は家内と私の38回目の結婚記念日であった。結婚したのは昭和47年。当時は「天皇誕生日」と呼んでいた祝日、つまり、昭和天皇ヒロヒトの誕生日だった。結婚式当日は確か仏滅の日だったのだが、それでも祝日でおめでたい日だから、ということで挙式したことを今でも鮮明に覚えている。4月の末であるにも拘わらず、夏のように暑いカンカン照りの日だった。
 あれからもう40年近くも経ってしまったのだ。かつての「天皇誕生日」は、みどりの日と名称が変わり、現在は昭和の日ということになっている。夢と希望に充たされていた昭和を懐かしむ気分が世間に充ち満ちているように思われるが、それだけ昭和が遠くなってしまったということなのかも知れない。
 共に祝いたい結婚記念日を家内は病室の中で迎えている。抗がん剤治療で苦痛を味わう中で迎えた記念日であるが、どうか頑張って欲しいと念願ている。
2010年4月25日
 浮島は、霞ヶ浦沿岸の和田岬付近(稲敷市)の名勝である。
 かつては、夏の海水浴場として茨城県南各地からたくさんの海水浴客が集まったという。
 当時はまだ霞ヶ浦と海を仕切る水門が設置されておらず、汽水湖だったことから、ここでの水泳を「海水浴」と称したのだろう。しかも遙かに見る対岸は霞んで遠い。当時の人々がまるで本当の海を訪れたかのように思ったであろうことは想像に難くない。
その当時は文字通り白砂青松の浜だったようであるが、その砂浜の名残はほんの一部しか残っておらず、ほとんどの浜は護岸工事でかつてと様相は一変してしまったと家内は残念がっていた。
 その浮島に今日出かけてみた。竜ヶ崎市内の小学校に赴任してからずっと、この浮島のことが気になっていたのだ。どんなすばらしいところなのか、噂に聞く霞ヶ浦随一の名勝をいつか訪れてみたいものだと40年間思っていたのだが、今日実現できた。
ようやく訪れた春らしい日差しの中、浮島公園内にある「チューリップ畑」の見物を兼ねて、抗癌剤治療の合間でいくらか元気を取り戻すことができた家内とドライブがてら出かけてみたのだ。ようやく夢が実現できた。
たまたま公園内で訓練をしていた消防団の人が親切に教えてくれたところでは、公園内の松林でNHK大河ドラマ「篤姫」の撮影が行われたこともあるのだという。そう言われてみれば、松林を通して見る霞ヶ浦は、薩摩湾に見立てても納得がいくほど眺望がよい。かつての賑わいと景色のすばらしさはいかばかりかと思うほどの素敵な場所であった。
2010年4月9日
 新年度が始まり、毎朝登校する子どもたちの顔が3月末と変わらないはずなのに、何となく生き生きして見えるのは気のせいばかりではなく、新しい学年のスタートを切った喜びや期待が表情に出ているからであろう。実りのある一年となることを願うばかりである。
 ところで、ふらっと立ち寄った近所の書店でおもしろそうな文庫本を見つけたので、思わず買ってしまった。
 タイトルは『女子中学生の小さな大発見』(新潮文庫)。静岡県のある中学校の理科の先生が書いた本である。内容は、その中学校で指導している一年生の女子生徒たちの研究レポートだ。研究レポートと言っても、何ページにもわたるような大仰なものではなく、内容も身近にある「不思議・疑問」に自らの手で確かめた体験的で短いレポートの数々である。
 例えば、『Tさんは息を止めてみました。50秒でアップアップし70秒で手足がブルブル震え75秒でクラクラし、酸素が必要なことがわかりました』とか『Mさんは自分の脈拍を数えました。運動すると脈拍が増えるけど、朝起きた時も多いのはMさんは寝ている時よく動くからじゃあないかと考えました。』とか『Hさんはこたつの20℃は熱いのに、水の20℃はぬるいことに気がつきました』といった具合である。
 普通であれば何の疑問も感じそうもない身近な不思議を、『それはほんとうか?』と自らの身体で確かめて推論をつくりあげている様子が偲ばれておもしろい。科学の目と解明の手法はこんなことから育つのだ、ということがよくわかるし、そうであるべきだろうと頷けるお薦めの本である。
2010年4月3日
 今日は、孫の保育園入園式の日だった。娘夫婦が住まうアパートから、徒歩でほんの4〜5分の距離にある川崎市登戸の保育園である。
 川崎はもうすっかり桜が満開で、小田急線の車内から見える多摩川沿いの堤も、近所の小学校の校庭も満開の桜で春爛漫の風情。そんな中で、孫の入園式を迎えることができ、感無量である。入園式に行って驚いたのは、たくさんいる保育士さんたちが、入園する幼児の顔と名前をもうすっかり覚えていて『○○ちゃん、おはよう。今日はおめでとう』と玄関先で声をかけてくれたこと。親にとってこんな嬉しいことはないだろう。式の中で一人一人呼名され、元気に『はあい』と返事をする仕草や声が、何とも可愛らしく、明日からの楽しい園での生活を心待ちにしていた様子が偲ばれる。まだ遠距離を電車で往復するには心配のある家内は、家で留守番をしてもらっているが、めでたいこの日に立ち会いたかったであろうことは容易に想像がつく。今回はビデオで我慢してもらうことにすることとした。
 ところで、登戸に向かう常磐線の車内、北千住が近づいた頃に例の「東京スカイツリー」が遠望できた。さすがに高い。あれがまだまだ上に伸びるのだ。完成が楽しみである。
2010年3月30日
 今日は久しぶりの快晴。春らしい気持ちの良い陽射しに誘われて、今月開港したばかりの茨城空港へ見学に出かけてみた。見学デッキはたくさんの人であふれており、2階の売店や食堂も身動きができないほどの混雑ぶり。賑わっていたことで、なぜか一安心。
2010年3月29日
 建設中の東京スカイツリーが、東京タワーの高さを超え、今日午前338メートルに達したという。
 2012年冬の完成時には634メートルになるのだという。語呂合わせであろうか武蔵の国に建設されることから「ムサシ=634」としたのだと言われている。信憑性のほどはわからないが、覚えやすくてよいではないか。
 それはともかく、日本一の高さを誇ってきた昭和のシンボル、東京タワーが日本一の座を譲るということにますます昭和が遠くなったなという感慨を覚えないわけにいかない。東京タワーが竣工したのは、私が小学校5年生の時のこと。6年生の修学旅行で実際に見るまで、どんな高さで空にそびえているのか思い描き、日本の技術力の高さを誇りに感じ、友だちとすいぶんそのことを話題にし、修学旅行の日を心待ちにしたことを今も鮮やかに覚えている。あれから50年以上経つのだ。
昔を懐かしむのも良いが、それは措いて、もう少し暖かくなったら建設中のスカイツリーを見物に行って見ようか。
2010年3月28日
 大相撲春場所が盛況の裡に千秋楽を迎えた。横綱朝青龍が突然引退したため、当初は興行成績が落ちるのでは、と心配する声も聞かれたが振り返ってみれば、関脇把瑠都の大活躍や一人横綱となった白鵬の堂々とした頼もしい横綱相撲のおかげで、平年並みの観客が大阪府体育館に詰めかけたということだ。連日のように熱戦が繰り広げられたが、どの取り組みも正々堂々の清々しい取り組みばかりで、これまでの場所を見て感じたような不快さはどこにもないという印象を受けた。白鵬の全勝優勝はもとより、把瑠都が14勝1敗で大関昇進を確かなものにするなど、見応えのある場所となり大相撲人気に陰を落としていた問題を払拭しようとする協会や力士の懸命の努力が実を結んだかのようで、爽やかさを感じているところである。

 昨日のニュースで、いわゆる「毒入り餃子事件」の実行犯が捕らえられたという報道がなされていた。本当だろうか。何やら政治的な思惑で犯人を仕立て上げ、日中関係の修復を図ろうとする意図が見えないでもない。
何と言っても言論統制が布かれ、国の強い意志や都合が尊重される彼の国の出来事である。どこまで信頼できる情報であるのか、不明な部分が多すぎる。そう思っていたら、中国国内でも「犯人はスケープゴートにされた」と論じる人達がブログへの書き込みをしているというネット上の記事も見つけた。これまでの中国側の言い分からすると、この逮捕に至る証拠品や犯行の状況に、いくつもの食い違いが見られることから、このまま『そうか、よかった』と単純に受け入れがたい思いがするのは私一人ではあるまい。
2010年3月23日
 昨年11月に行われた「茨城県小中学校芸術祭 小学校合唱合奏大会」に出場した近所の小学校が、そのステージで私の
作曲した合唱曲を発表して下さった。つい先日、その小学校の教頭先生が当日の模様を記録したDVDが完成し送られてきた
ので、と我が家まで届けて下さった。
 そのDVDを見てみると、市を代表してこの大会に参加するために長い期間練習してきた成果が見事に表れて、立派な合唱を
披露していることに感動を覚えた。何よりも自分が作曲したものを、このように柔らかい歌声で、かわいらしい子どもたちが歌い
上げてくれていることに感銘を受けると同時に、ありがたさをしみじみと感じた。
楽譜に書いただけでは音楽にならないことは言うまでもないが、作曲者の思惑を超えるほどの美しい響きと表現で歌い上げて
もらえていることに感謝するばかりである。その発表の内容をこちらでご覧いただけます。→
こちらのページ
2010年2月14日
 今朝起きてみたら、うっすらと雪が積もっていた。
 昨日から天気予報で、関東地平野部でも積雪が予想されるとは言っていたのだが、予報ほどには積もっていないようだ。
 さらさらとした粉雪が景色を一変させている。書斎のベランダから写真を撮ろうとしたらお隣の柚の木が見えたのでそれを撮影。
そこでフォト川柳としゃれてみた。
冷たさに
 耐えるからこそ
  磨かれる がんばるね
 黄金の玉を
  みがく冬 修行する
 僧のごとくに
  金のたま
2010年2月1日
 2月最初の夜は雪の夜になってしまった。
 明日の朝は道路も凍ってしまい、通勤や通学に支障が出るかも知れない。

 ところで、先日テレビのニュース番組を見ていて違和感を覚えた。
 アナウンサーが「〜の問いかけに○○氏は声を荒らげた(アララゲタ)」と言い、テロップにも「荒らげた」と表示されたからだ。
 私の語感では、声は「荒げる(アラゲル)」もので、「荒らげる(アララゲル)」ものという意識がなかった。
 だから違和感を覚え、この頃のテレビ局もアナウンサーも正しい日本語を使おうという意識が希薄で困ったものだと思い、嘆かわしいものだとも思ったのである。

 ところが、このことをこの日記に書こうとして、それでも念のため確かめておこうと思い広辞苑で調べたところ、「荒げる」の項目に「荒らげるの約」と書かれているではないか。つまり、「荒らげる(アララゲル)」が正しい日本語の用法で、私が正しいと思っていた「荒げる(アラゲル)」の方は略した用法だったのだ。
 自分の言い習わした表現が正しいと思い込み、テレビ局とアナウンサーのミスと勘違いしてとがめていた自分の不明に気づかされた。
 そして、『この頃のテレビ局はー』などと自分の無知を棚に上げて偉そうに過ちを指摘するようなことをせずに良かったと、胸をなでおろしているところである。
 こんなことは他にもあるのかも知れない。うっかり生半可な知識や経験を頼りにしてモノゴトを語ることを自戒しなければと今更ながら感じさせられた冬の夜のできごとであった。
2010年1月31日
 昨日のこと、横浜に住む長女が夫婦そろって休日を利用して遊びに来てくれた。
 その際、私へのお土産にCDを持ってきてくれた。何かと思ってカバーを見てみると、マルコム・サージェント指揮の《フィンランディア》ではないか。
 昔むかし、学生だった時分に他の指揮者のどの演奏よりも印象深く聴いたのが、このマルコム・サージェント指揮のものだったのである。
 大学3年から4年まで住んでいた下宿の隣の部屋に丸亀から来ていた後輩が住んでいた。
 彼は当時の学生としてはもったいないほどの立派なステレオを持っており、彼の愛聴盤の一枚にこのレコードがあり、それを聴かせてもらったときに非常に強い衝撃を受けたのだ。
他の指揮者の演奏に比べると、冒頭部分の陰鬱さがより印象的で重い響き、粘っこい響きで迫ってきたことを今でも鮮明に覚えている。
そのことを長女といつか話したことを彼女は覚えていてくれたのだ。
 もう廃盤になっているはずのその復刻版CDを、娘はネットオークションで探し出し、競り落としてくれたのだという。
 何とありがたことであろう。わざわざそれを購入し持ってきてくれた娘の心遣いに感謝するばかりである。

 ところで、今日は1月31日、語呂合わせであろう「アイサイ(1=I“アイ”、31“サイ”)」の日なのだそうだ。『そんな日もあるのか』と60年以上生きてきてはじめて知り、驚いている。
2010年1月1日
 平成22年、西暦2010年のスタートである。富士山頂から美しい初日の出も拝むことができた。(TVでの話である)
 今年もよい年になりそうな、そんな気分である。
 暮れからとりかかってきた「野口雨情童謡メドレー」の混声四部合唱の編曲とその伴奏の編曲が、新年を迎えた今日ようやく
できあがった。野口雨情は、わが茨城県の生んだ大詩人。私のふるさと、北茨城市には生家があり、今もお孫さんが住んでおいでになるし、生家近くの海岸沿いの通りには野口雨情記念館もある郷土の誇りとする詩人である。
 多くの童謡や民謡、歌謡などの作詞で知られているが、その中でもおなじみの童謡を選んでメドレーとしたものである。
 下記のサイトで試聴できるようにしてみた。
 →こちらのページ
2009年12月19日
 寒波が日本全体を覆っているのだそうだ。すこぶるつきの寒さだ。石油ストーブをたき、さらにエアコンをつけてもまだ寒い。朝の冷え込みの厳しさは、老人にはつらい。午前中は、ピアノのレッスン。一人欠席の連絡が入ったので、生徒は二人。午後から今日退院する家内を迎えに、病院へ。同室の患者さんにお別れの挨拶をし、さらにお世話になった看護婦さんたちに挨拶をしようとしてナースセンターに行ってみると、当直の看護婦さんが『お預かりしていましたので、お渡しします』と担当の看護婦さんが
書いてくれた手紙を手渡してくれた。そんなことまで心配りをしてくれる看護師さんたちなのだ。ありがたいことである。
 それにしても、家の中に「いるべき人」が普段と同じようにいる、ということは何でもないことのようだが、幸せなことだとつくづく感じた退院の日であった。夕方から次女夫婦と孫が、お手伝いをしたいからと泊まりがけで来てくれた。嬉しいことである。
2009年12月14日
 11月10日から手術のため入院していた家内が意外なほどの順調な回復ぶりで、今週の土曜日(19日)に退院できることになった。開腹手術後のリハビリにがんばり、根気強くがんばったおかげでもあろうが、日ごとに元気さを取り戻していく姿を見るのは、なんとも嬉しいことであった。もとのように普段通りの生活ができるようになるには、しばらく時間がかかるかも知れないが、帰宅後も自宅で静養しつつ、これまでのようにがんばればもとの元気さを取り戻す日もそう遠くはないだろう。
 それにしても、家族そろって年末年始を過ごすことができるのは、何よりも喜ばしいことである。
2009年12月3日
 今日は私の誕生日であった。娘たちからはお祝いのメールや電話。かつての教え子からはお祝いの品が。入院中の家内からもかわいいお菓子が。何と幸せなことか。
 ところで私は何歳になったのだろう。何だかこの頃は数えるのも面倒になってしまったが、3つ違いの家内が今年還暦を迎えるはずだから私は63歳になったことになる。63歳か。はるばると歳を重ねてきたものだと思うが、そんなに歳をとってしまったことをうっかりすると忘れてしまいがちだ。気を引き締めなくては。
 その記念すべき日に、家内は手術後ちょうど一週間を迎え、今日はめでたく抜糸をすることができた。しかも今日から「おもゆ」を口にすることができ、もうすぐ点滴からも解放されることになりそうだ。
心なしか歩く姿も傷をかばったゆっくりした歩みではなく、すたすたと普段と変わりないほどの歩き方に戻ってきたようで、回復の順調さが窺え、嬉しいことである。
 
 ところで学習雑誌の学研の「学習」と「科学」が休刊になると報道されている。
 学研の「学習」は、私が小学生のときに毎月届くのを楽しみにしていた月刊誌であった。だとすると50年以上の歴史を持つことになる。廃刊ではないので、いずれまた再開されることもあるのかも知れないが、少子化や活字離れなどの影響が改善されなければそれも期待できないと思われる。
 報道と言えば、シルクロードや敦煌などの絵画で知られる元東京芸大学長の平山郁夫氏が亡くなったという報道が今朝のトップニュースだった。昭和を代表する日本画の巨匠というだけでなく、日本画の枠を超えた世界平和につながる創作活動を展開した芸術家と呼ぶにふさわしい日本の誇る偉大な作家を失ったことになる。
先日は丘灯至夫というこれまた昭和を代表する詩人が亡くなったばかりである。ご冥福を祈るばかりである。
2009年12月1日
 家内の入院している病院には、あちらこちらに入院者のために書棚が設けられ、患者の日々の慰めになっている。ここに置かれている数多くの書物は、職員の皆さんがそれぞれの家庭で読み終わったものを持ち寄ったものであると掲示されている。
 患者にとっては何とありがたいことかと思う。その本棚の中に興味深い書物を見つけた。
 土浦で開業医をしながら数多くの書籍を世に出し、米国のシンガーソングライター、ボブ・ディランが「浅草博徒一代」から歌詞に引用したとして海外からも注目を集め、ニューズウイーク日本版の「世界が尊敬する日本人100人」にも選ばれたという有名な作家、佐賀純一氏の本である。タイトルは、『古事記〜変容する神々〜』という。佐賀氏の本と言えば、常陸の国や筑波山周辺の故事を題材にした「聞き書き」が多いのだが、この書物は古事記についての論考である。決して難解な文章ではない。わかりやすく、しかも平易な文章で古事記の持つ謎について考察を加えた本である。その論考の視点は、古事記は歴史書ではなく、現代の我々にも通じる「思想書」であるということ。いずれ、詳しくその感想をブログなどで綴ってみたいと思っているが、謎の多い古事記について『なるほど、そういうことだったのか』と納得させられること必定。良い本と出会えたものだ。
2009年11月28日
 午前中は、家内の代行でピアノの生徒さんへの指導を行う。午後から病院に顔を出すと、川崎から次女が見舞いに来てくれていた。病棟の廊下で担当の看護婦さんに会うと、家内はまだHCUにいるという。だが昨日とはかわって元気になっているという。聞けば戻るべき病室の準備ができていないので、HCUに留まっているだけで具合が悪いためではないという。午後には準備が整うので、HCUを出る予定だという。それを聞いて安心する。
 午後2時半頃、川崎に帰る次女を駅まで送り、病院に戻ってみると、既にHCUから病室に戻っていた。ほんの30分たらずの間のことである。家内は自慢そうにHCUから病室まで自分の足で歩いて来たと笑う。すごいことだ。
明日からは、少しずつ運動の量を増やしていき、どんどん血行をよくして回復を図ることに専念していくことになろう。

 帰宅して、自分の夕飯の準備をしながらテレビをつけてみると、大相撲の結び前の一番、朝青龍と琴欧洲の仕切りが行われている所であった。力の入った相撲を期待したが、朝青龍はあっさりと敗れてしまい3敗目。いつもの元気がない。続いて行われた琴光喜と白鵬の一番は、がっぷりと組んだ四つ相撲で互いに譲らない大相撲となったが、見事な上手投げで白鵬が勝ち、年間最多勝の記録を打ち立て、同時にこの場所の優勝を決めた。おめでとう、白鵬!相撲といい、所作や身ごなし・動作などの振る舞いといい、本当に横綱らしい立派な横綱ぶりである。これから一時代を築くことを予感させるすばらしい横綱である。
2009年11月27日
 手術を受けた家内は、予定では午前中のうちにHCUを出て、病室に戻れるはずであった。しかし、昨夜から吐き気が止まらず
どうやら戻れそうな様子ではない。心配していると、婦長さんが来て『今日はここで過ごして様子を見ましょう』とのこと。ちょっと
心配ではあるが、看護師さんたちの目が届く所にいられるという意味では安心か。それでも、腸捻転やエコノミー症候群など手
術に伴う合併症を避けるための運動(足を動かす、上半身を動かすなど)が不可欠なため、リハビリ担当のお医者さんが来て、
運動やマッサージを施して下さる。今日一日は様子を見ながらも、できる範囲のリハビリをするのだとのこと。がんばれ!
2009年11月26日
 気持ちの良い快晴。
 午後から家内の手術。
 午前中に諸準備を済ませ、午後1時半、手術室に入室。ちょっと手術時間が長引いたような気がするが、午後5時10分に主治医でもある執刀担当の先生が手術室から出てきて私を呼んでくれる。中に入って説明を無事に計画通りの手術が終わった旨の説明を受け、さらに切除部分を見せてもらう。内視鏡で撮影した写真で予想したよりも病巣部分が大きいと感じたが、すっかり
組織を取り除けたという説明で一安心。その後大急ぎで自宅やら神奈川に住む娘たちに電話やメールで報告。
 30分ほどしてから麻酔から覚めた家内がストレッチャーに乗せられて手術室から出てくる。乳がんの手術を受けて出てきた時に比べると顔色も良いし、意識もはっきりしているようだ。そのままHCUに入り、明日の午前中には病室に戻れるだろうとのこと。
 何はともあれ、これで一安心。後は開腹手術で懸念される合併症が出なければ、回復を待つばかりだ。
 HCUに呼び入れられるのを待っている時に、待合室のテレビが大相撲を放映していた。日馬富士と朝青龍の対戦である。日馬富士の苦戦が予想されたが、反対にあっという間に朝青龍が投げられ、大関が勝った。立ち会いで横綱が大関を平手で張ったにもかかわらず、それに惑わされず投げ飛ばしたのである。テレビの画面には朝青龍の悔しそうな顔が大写しになる。
 そして、結びの一番ではお気に入りの横綱、白鵬が貫禄勝ち。手術の成功といい、今日は何といい日であろう。
2009年11月18日
 先週の火曜日(10日)に家内が入院してから、まる1週間が経過した。
 その病院の広い敷地のいたるところに銀杏の樹が植えられている。
 数年前にずいぶんその銀杏を伐採して整理したと聞いているが、それでもたくさんの銀杏が構
内を彩っている。数日前の雨や風で、その木々の下は金色のじゅうたんのように葉が敷き詰めら
れ、美しい光景が見事である。その景色を見ていると、「心の四季」という詩を書いた吉野弘が、
秋の風景を次のように表現していたことを思い出す。

  『雨がいちょうの金の葉を落とす 秋がそれだけ透き通ってくる 薄いレースの糸を抜かれて

 今日のように晴れた日には、ますます秋が輝き、その透明さを増すように思われる。
 しかし、それはすぐに冬が訪れる知らせでもある。いま身にまとっている見事な金色の衣装をす
べて脱ぎ捨てて本格的な冬がやってくる頃には、家内も元気を取り戻し、本復して退院することが
できるはずである。
2009年11月5日
 ヤンキースがワールドシリーズを制して、9年ぶりに優勝を果たした。しかもこのシリーズで松井がMVPを獲得。日本人初の快挙である。これまで怪我に泣かされながら、それを乗り越え、大活躍した松井に大きな拍手を送りたいものである。イチローもそうだが、松井のようにかの地で大活躍できる日本人がいるということは、日本人として大いに誇りに思って良いのではないか、と今日の試合で7点中何と6点をたたき出した松井の活躍を見ながら思った。
 
 ところで、今日は近所の小学校で行われた音楽鑑賞会に招かれ参加してきた。文化庁主催の「芸術体験事業」の一環で行われたものである。演奏は、東京シティーフィル。見事なアンサンブルであったが、とりわけシベリウスのフィンランディアが重厚な演奏で見事であった。じかに音楽に接することの少ないであろう子どもたちも、魅了されていたようで、得がたい機会を得た子どもたちは何と幸せなことであろうとしみじみ思いながら帰宅した。

 我が家の長女から突然のメール便。何事かと思って封を開くと、韓国ドラマ「宮廷女官 チャングムの誓い」のサウンドトラックのCDである。先日、彼女が帰省した折に、何気なくこのドラマのエンディング・テーマが好きなんだよねえ、と言ったことを覚えていてくれて、CDを見つけたので、と言って送ってくれたものだった。何と嬉しいことであろう。何気なく言った一言であっても、このようにいつも気にかけてくれる娘である。忙しい仕事についているにもかかわらず、そんなことに気を配ってくれる優しい心遣いに、いつもホロっとさせられてしまう(歳のせいか)涙もろくなっている父である。
娘に感謝しながら、今日もエンディングテーマをいい加減な韓国語で口ずさんでみたりしている。
2009年10月30日
 今日は十三夜。きれいな月が出ている。
 落語会の巨匠、三遊亭円楽さんが亡くなったとのこと。私たちには「笑点」大喜利の司会でおなじみだったが、古典落語の大家として円生の後を継いで話芸の世界をリードしていくことを期待されていただけに残念である。脳梗塞を患い、高座で恥をさらしたくないと引退を宣言されるなど、引き際の見事さと潔さは他山の石としたいところであるが、それにしても76才という若さでお亡くなりになるとは、一門の方々の無念さはいかばかりかと思われる。これから「円楽」の名前を継ぐ楽太郎の活躍に大いに期待したいところである。
 ご近所のお宅の生け垣に、毎年いまごろになると「むべ」が実をつける。アケビ科の食べることのできる「つる性」の植物である。
 「むべ」という言葉で思い出されるのが、百人一首の中の文屋康秀の
 
吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風をあらしといふらむ
という歌である。正直に告白すると、この歌の「むべ」と植物の「むべ」を同じことだと思っていたのだが、大きな間違いであることに調べてみて気がついた。
 和歌でうたわれている「むべ」は国語辞典に因れば「うべ」に同じであると書かれている。
 「うべ」を調べてみると、「もっともであるさま。なるほど。ほんとうに。
」などと書かれている。であるから、『山風をあらしというのもうなづけることだ』と解釈できるのだ。アケビの仲間の「むべ」とは何の関係もなかったのだ。
 実は、『むべが実る頃に吹く風をあらしと言うのももっともだ』と勝手な思い込みで解釈していたのだ。調べることの大切さを改めて思い知らされた次第である。恥ずかしい話である。

 ところで、調べながら思った。
 「調べる」という字は本来「調理」「調整」「調律」などの言葉に使われるように「ととのえる」という意味であろう。それがいつ、どのようにして「しらべる」などの意で用いられるようになったのかという疑問を抱いたのだ。
そればかりか、「うたのしらべ」などのように音楽的な意味を持った言葉としても用いられているが、それらさまざまな意味の間にどのような関係があるのか、どう関係づけたら納得がいくのか、ここ数日そのことで頭がいっぱいである。
誰かこの疑問に答えてはくれまいか。
2009年10月22日
 私が指揮でお手伝いをしている牛久市の合唱団「牛久フロイデ混声合唱団」が、牛久市の文化祭
の一環として行われているシビックコンサートに出場した。昨年初出場したのに続き、2回目の参加
である。今週の日曜日(10/18)のことである。
 団員のみなさんのがんばりで、これまで練習してきた成果が発表できたように思われる。
 昨年は、団員数が13名でステージ上でも少し寂しい感じがしたが、今年は写真で見るように団員
数も増え、堂々とした合唱団の姿である。この秋には、体験合唱の場も設け、さらに団員数の増加
を図るのだという。ますます楽しみな合唱団である。
 我が家では先週から小さなリフォームの工事を行っている。両親が高齢であるにもかかわらず、
30年以上も何の手も打たずバリアフリーへの配慮も歩行の安全への配慮もしてこなかったのだが、
ことに温度差の激しい滑りやすいタイル張りのお風呂に危険を感じ、リフォームすることにしたのだ。
ユニットバスを設置するために、お風呂だけでは済まず脱衣場、トイレ、廊下、玄関にも手を入れるこ
とになり、毎日大工さんが作業をしてくれている。大工さんにとってみれば、居住者が住みながらの
工事で、あちこち手当をしながらの工事なので大変だろうと思っている。今月中にはすべての工事
が完了するだろうが、できあがりが今から楽しみではある。
2009年9月27日
 先日来、玄関を出ると甘い香りがどこからか匂ってくるようになった。我が家の庭のキンモクセイが咲き始まったのだ。この花の香りを味わうことができるのも、秋の楽しみの一つである。
 ところで、私の両親が庭の片隅に植えていた「コルチカム」という花が先日咲いた。花が散った後に葉が出てくるという珍しい花で、現在は花茎の先に、その茎の細さに不似合いな大きな花をつけて咲いている。お隣の庭では、萩の花が満開である。秋の花の風情を味わい、秋の虫の音を満喫できるこの頃は、しみじみと日本人であることの幸せを噛みしめることのできる季節である。
 
 8月の末に受けた健康診断の結果が送られてきた。大きな封筒である。普通なら長形3号程度の封筒で送られてくるはずなのだが、A4用紙を折りたたまずに納めることのできる角形2号の大きな封筒で送られてきた。イヤな予感がしたが、その予感は的中。
どうやら「肺がん」の疑いがあるとのこと。検査機関で精密検査を受けるようにとの指示である。胃がんによる胃摘出手術を受けてから15年。すっかり安心し油断しきっていたのだが、心のどこかではいつかこんなことが起きるかも知れないとも思ってはいたのだ。それなのに、ついうかうかと何事も為し得ずに漫然と日々を過ごしてきてしまったことを、今更ながら悔いているここ数日である。
2009年9月19日
 隣の市で活動しているあるボランティア団体から、演奏の依頼があった。目の不自由な方たちの読書を支えるために、点字や音読などの活動を行っている団体だ。12月にそうした目の不自由な方々を招いて「クリスマス会」を例年しているのだという。その「クリスマス会」で50分程度のプログラムで演奏会を、という依頼を受けたのが4月のこと。選曲や編曲をしてきて、いよいよ音出しをしたいと思ったのだが、家では大きな音を出すことはできない。いくらなんでもご近所に迷惑になるからだ。  そこで、市内の研修施設の音楽室を借りて音出しをすることにした。PAやらシンセサイザー、ウィンドシンセなどを持ち込んで音出しと調整を行ったが、まずまずの結果。編曲もどうやらうまくいって、大音量でならしても思い通りのバランスで鳴っている。マイクやライン入力による演奏とのバランスも良好で、まずは一安心である。大汗をかいての機器の搬入・搬出、セッティングではあったが、何とかメドが立って安堵できた今日であった。

 敬老の日が近いということで、長女が私の両親に写真のような生花を贈ってくれた。毎年の事ながらの気遣いに、両親は涙を流して喜んでくれたが、長女の優しい心遣いに感謝するばかりである。
2009年9月15日
 我が家では、これまでSOTECのデスクトップPCを5〜6台買い換え、便利に使ってきた。そのうちの1台はまだ現役で録音作業に大活躍している。何と言っても安価だっただめ手に入れやすく、ちょっと古くなる度に買い換えることができたのだ。
 ところが、そのSOTECブランドがなくなってしまうと言う。
 知らなかったのだが、音響機器メーカーの「オンキョー」が2007年にSOTECを吸収合併し子会社化していたのだそうだ。
 そう言えば、ネットでオンキヨー製のパソコンを見かけ、『えっ、オンキヨーでパソコンを作っているの?』といぶかしく思ったことが最近あった。それがもともとはSOTECのパソコンであったとは。
 そうか、やはり世の中は劇的に動いているんだ。何だかちょっと寂しい感じのするニュースであった。
2009年9月10日
 9月6日から8日までの3日間、東京ディズニーリゾートに泊まりがけで行ってきた。ホテルは新しくできたばかりのディズニーランドホテルである。次女夫婦が誘ってくれたさまざまに計画を練り手配をしてくれた旅行であったが、孫と5人の何とも贅沢な楽しい旅行であった。日常を離れた「ハレの日」を大いに満喫させてもらった。
誘ってくれた娘たち夫婦に心から感謝している。
2009年9月3日
ライフハッカーの記事によると、肥満が脳を萎縮させる要因になっているという。引用すると次のようである。

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  米紙「U.S.News」によると、米カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)
  の神経学者・Paul Thompson氏が70代の被験者94名の脳を5年間にわたって
  調査したところ、肥満の人は標準体型の人に比べて脳細胞が明らかに小さいと
  いう研究結果が出たそうです。

  肥満の人は16年分、肥満気味の人は8年分、標準体型の人に比べて老化が進
  んでおり、肥満の人は8%、肥満気味の人は4%、標準体型の脳細胞に比べて
  小さいことが明らかになったとのこと。
  特に、意思決定や記憶をつかさどる前頭部や側頭部での脳の萎縮が顕著だそう
  です。

  肥満と脳の萎縮との詳しい因果関係についてはまだ明らかになっていませんが、
  この研究結果は肥満と脳の老化との何らかの関連を示すものとして注目されて
  いるようですよ。
  たしかに脳もカラダの一部。
  内臓や関節に対するのと同様、脳にも肥満が何らかの影響を与えうることは、
  よくよく考えれば納得ですね。

                        ライフハッカーの記事より 2009/08/31
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 因果関係は明らかになっていないとはいえ、肥満が脳を老化させたり萎縮させる要因になっているとは、またまたメタボ傾向にある人にとって心配の種が増えたようである。
 昔は太っていることは、裕福さの象徴であったり、人格の寛さのあらわれであるかのように言われたものであるが、今や太ることに恐怖を覚えるようになってしまった。それが身体面だけではなく、脳の健康にまで影響があるとなればなおさらのことである。
 だが、身体の肥満よりもっと怖いのは、精神の肥満(増長、自惚れ、自信過剰)のような気がする。
 今回の衆議院議員選挙で自民党が大敗したのも、そうした精神の肥満に国民が見切りをつけ、Noをつきつけた結果だと思われてならないが、いかがなものだろうか。
2009年8月31日
 昨日行われた衆議院議員選挙で、自民党は歴史的な大敗北を喫した。一方、政権交代を訴えた民主党は、単独で過半数を
大きく越える308議席を獲得。国民の『自民党による国民不在の政治はもうたくさんだ、うんざりだ』という意向が強く反映されたのであろう。
 「競争による成長と発展」が行き詰まり、資本主義経済の弱点が招いた現在の状況であるにもかかわらず、その根本的な対策を見いだすことができないまま、最後まで「経済の発展を!」と言い続けた麻生政権は、その一点だけでも国民を真の意味で守ることのできる政権担当能力に欠けていたと言うべきであろう。
 麻生政権に限らない。小泉首相から安倍、福田と続いた新自由主義を基調とした保守主義そのものが内部から崩壊したのだと見るべきであろう。
 モノがこれほど社会の隅々まで行き渡ったにもかかわらず、売れるものを作り、買い換えによる消費を促し、それが無理なら定額給付金を支給したり、高速道路を距離に関わりなく1000円にしたり、はたまたエコポイントを導入したりして、無理にでも「モノを買わせ」ることで経済の活況を現出させようとするなど、その手法には安易さと浮薄さだけが目立った。
誰が困窮した生活の中で、もう既に持っているものを買おうとなどするだろうか。
 モノを買う、買うから売れる、売れるから作る、作るから儲かる、儲かるから購買力が増す、という資本主義の基本的な考えは、モノが十分に行き渡ってしまえば機能不全になる。にもかかわらず、その考えに固執し、推し進めようとしてもうまくいくわけがない。基本的に考えを改めることが必要なのだ。
 かつて司馬遼太郎は『美しき停滞から美しき成熟へ』と停滞することの善さを論じていた。
 意味のない成長・拡大戦略から「停滞・充実・成熟」へと路線の転換を図り、国民の幸福を願う政権運営こそが、これからの日本にとって重要なのだと10数年も前に説いているのだ。
 『美しき停滞』、何とよい言葉であろう。この度の衆院選挙で、日本人は一歩立ち止まって冷静に考える良い機会を持ったととらえ、真に国民が主役の政治が行われるよう見守っていきたいものである。
2009年8月25日
 衆議院選挙まで一週間を切った23日、東京2区に入った麻生首相は学生主催のイベントに出席し、『金がないなら結婚しないほうがいい』などと発言したという。報道によれば、次の通りである。
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   東京・花川戸の台東区民会館で開かれた、学生主催の「ちょっと聞いていい会」。
   約60人の学生を前に、麻生首相が質問に答える形で進められていたが、ビックリ発言はいきなり飛び出した。

   男子学生からの「結婚資金が確保できない若者が多く、結婚の遅れが少子化につながっているのではないか」
   との指摘に対し、首相は「金がないのに結婚はしない方がいい。オレは金がない方ではなかったが、43歳で結婚した。
   稼ぎが全然なくて(結婚相手として)尊敬の対象になるかというと、なかなか難しい感じがする」と答えた。

   さらに「(結婚は)金があるからする、ないからしないというものでもない。人それぞれだと思うから、うかつには言え
   ないところだと思う」と続けた。

   首相の発言は一定の生活力が必要との趣旨ともとれるが、学生からは賛同の拍手などは一切起こらず、それどころか、
   会場全体が一瞬、凍りついたような雰囲気。
   不況の影響で就職先がなかったり、ワーキングプア状態にある若者たちに対する配慮を欠いた発言との批判を呼びそうだ。

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 この人は、対話をしていても何を訊かれているのかがわからない人らしい。あるいは、なぜそのようなことを尋ねているのかということについて想像したり推し量ったりする力が欠落しているのかも知れない。あまりにも的外れな回答に、その場にいた学生は唖然としたであろうし、配慮のない発言に落胆したことであろうことは容易に想像がつく。
 さすがに麻生太郎ならぬ「アホウ太郎」と揶揄されるだけのことはある。逆の意味で面目躍如といったところである。
 そう言えば、今回の衆議院解散は祖父である吉田茂の「バカヤロー解散」をもじって「バカタロウ解散」と称する人もいるらしい。
 もっとも、この人が首相でいられるのもあと数日のこと。政治感覚も政治力もない、そして知性も徳もない宰相をいただいてしまったこの一年は、将来どのように振り返り語られるようになるのだろうか。思えば国民が選んだわけではない宰相にさんざん振り回されてしまった一年であった。
2009年8月17日
 以前から気になっていた「MVPen」を入手した。メモした文字などの手書きの文字を認識し、デバイスに保存したり、PCと接続してテキストとして認識させたりすることのできるアイテムである。
 しかも、写真にあるようにユニットとペンだけ、外出時に持ち歩けば外出時にメモの必要が生じたときに手書きでメモし、それをユニットに記憶させておくことができるのだ。
 専用の用紙やパッドを持ち歩く必要がないので、どこででも利用できる。そして、「これは使える」と思ったのはテキストの認識精度がかなり高いことによる。字には自信がない私が書いた文字でもほとんど間違いなく認識してテキストに変換してくれるのだ。実は、このところ公立の図書館のいくつかでは、パソコンの使用を禁じている図書館があり、読書の際にメモをとろうと思ってカードなどにメモをとる必要が出てきたのだ。帰宅してから、それらのカードを読み取りながらPCに入力し直す手間を省きたいと思っていたのだが、これならそうした場所でも安心して使うことができる。
むしろ、PCのキーボードを操作してカチャカチャ音を立てるより、手書きで書く方が図書館の静かさを破らずに済み、迷惑をかけることもないという意味で、この方がお薦めだ。
これで図書館に重いPCをかついで運ぶ必要もなくなるだろう。
2009年8月12日
 昨日(8月11日)は、私の好きな作曲家、古関裕而の生誕100周年の記念日だった。古関裕而と言えば、私たちの世代では
何と言っても東京オリンピックの際のオリンピック行進曲が印象的だが、明るい溌剌としたメロディーと響きのたくさんの曲を戦前・
戦中・戦後にわたって生み出した昭和を代表する作曲である。どの位の数の作品があるのかわからないほどの多数の曲を作曲しているが、「昭和のマーチ王」と称されるほど、行進曲や応援歌などでその魅力を味わわせてもらっているが、歌謡曲の分野でも
そうしたクラッシックの手法と持ち味による明るく健康な歌の数々で今でも多くのファンを持っている作曲家だ。ところが、聞くところでは作曲法や和声法、対位法などについては独学なのだという。それでも、(あいまいな記憶ではあるが)19歳の折にはヨーロッパの作曲コンクールで入賞するほどのオペラ作品を発表しているということも聞いている。それだけでもすごい人だ、ということがわかる。そうのような人と同じ時代に生き、リアルタイムで作品を聴いたり、そのメロディーを口ずさんでいられたりすることの幸せを
かみしめて感謝したいものだとつくづく思うのである。ちなみに私の大好きな古関裕而の歌は『高原列車は行く』である。さわやかで明るいメロディーは、いつまでも人の心を魅了してやまない。そう言えば、読売巨人軍の応援歌『闘魂込めて』も、阪神タイガースの応援歌『六甲おろし』も古関の作品。そうとは知らず、歌っている人も多いかも知れないが、これらはこれからもずっと愛され、歌い継がれていくことだろう。
2009年7月31日
 私の使っているUMPCは、8.9型の小型のディスプレイで1Kgを切る計量のミニノートなので、非常に重宝している。
 ハードディスクではなくSSDを使用しているため、アプリケーションをインストールするのに十分な余裕がない。オフィスソフトについては、StarSuite8がインストール済みなのでそれを使ってきたが、完全互換ではないためページ設定やフォント設定で不都合が生じることが多く、何とかこのミニノートでオフィスソフトが思い通りに使えたら、と思い続けてきた。いいものを見つけた。インストールする必要がなく(つまりSSDを使うことなく)、しかもMSOffice完全互換、さらにとてもとても安価なソフトだ。
 それは、イーフロンティア社の「ElOffice2009」というソフト。USBメモリベースで販売されていて、そのUSBメモリから起動できるのだ。MSOffice2007形式のファイルも扱え、最初からPDFでも出力できる、というすぐれもの。これが5千円を切る価格、店頭ではもっと安いのだ。互換性が高いので、何の違和感もなく安心して使える。今のところ何の不都合もない。こんな価格で良いのだろうか、とも思ったが、考えてみればマイクロソフトの製品が高すぎるのではないかとも思えてきた。PowerPoint2007だけでも2万円前後で販売されているが、このElOfficeにはPowerPointも当たり前のようについている。やはり、どう考えてもマイクロソフトの製品は、高いと思わざるを得ない。

 今、「思わざるを得ない」と書いて思い出したことがある。何週間か前、テレビのニュースを見ていたら、インタビューの内容が字幕で映し出されていた。ある大臣が『思い切ってやらざるを得ない』と言ったところ、字幕には『やらざるお得ない』と表示されているではないか。テレビ局では、こうしたことをチェックしないのだろうか。不審に思っていたのだが、別のある日、やはり報道番組であるアナウンサーが『判断せざる お得ない』と妙なところで切って発言していた。どうやら「を」と「お」の取り違えだけでなく、文節の区切りまでも取り違えているようだ。そうだとしたら、もともとの意味が通じなくなってしまうと思うのだが、テレビ局よ、正しい日本語を国民に示すためにも、日本語の勉強をしたほうが良いのではないだろうか。

 今日は家内の59歳の誕生日。そこで今日の昼食は二人で外食に出かけた。ちょっと買い物もして、誕生日らしいこともできた。
 何と言っても50代最後の誕生日。涼しいことも手伝って、ゆったりした佳い一日であった。
2009年7月30日
 先日のこと、新聞を読んでいて、『赤ちゃんチンパンジーも協和音の音楽が好き』という記事を見つけた。
 以下、その記事の引用である。
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  チンパンジーの赤ちゃんは、人間の赤ちゃんと同じように不協和音より協和音の音楽が好きなことを、
  九州大(福岡市)の橋彌(はしや)和秀准教授(比較発達心理学)ら の研究グループが確認した。
  生後まもなくの動物が協和音を好む傾向を実証的に確認したのは初めてという。
  24日付の日本の英文学術誌「プリマーテス」電子版に発表する。
  橋彌准教授らは、生後5か月のチンパンジー1頭を使い、ベッドに寝かせた状態でピアノやマンドリン
  で演奏した曲を流した。
  その際、チンパンジーが手首につないだひもを引っ張ると、今聞いている曲を聞き続 けることができ
  る仕組み。
  曲は、ひもを引っ張らないと協和音と不協和音が14秒ごとに切り替わる。
  実験は週1回で計6回行った。
  譜面どおりに演奏した協和音の平均再生時間は約25秒だったのに対し、不協和音では約16秒だった。
  最長で2分連続して協和音の曲を聞いたこともあったという。
  こうした実験は、大人のチンパンジーではまだ行われていないという。
  橋彌准教授は「音楽の好みは人間特有のものではないことがわかった。
  音楽の起源を議論する上でも貴重なデータだ」と話している。  
                                            (2009/07/24 読売新聞)
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 興味深い記事である。この記事に関して考えたことを、ブログやこのサイト内の「音楽雑感」にまとめてみた。 
2009年7月29日
 夏が来たというのに、今年は我が家の周りでセミの声が聞こえなかった。
 いったいどうしてしまったのか、と心配していたが、昨日の午後、一斉にアブラゼミの声が襲ってきた。
 午前中はまったく静かだったのに、午後になって突然の大合唱である。セミは一斉に羽化するものなのだろうか。
 まるで申し合わせたように同日・同時刻に鳴き始めたところをみると、そうとしか思えない。
 地中でテレパシーか何かで『いつ出ようか』『そろそろ行くぞ』などと連絡し合い、『5、4、3、2、1、GO!』とカウントダウンして羽化行動を始める様子を想像したら、可笑しくなってなってしまった。
 それにしても、『これで本当に夏がやってきた』という妙な安心感が持てるのは、幼いころからの聞きなれた馴染みの音だからだろう。ただ、心配なのはミンミンゼミの声がまだ聞こえてこないことである。
 これもまた数日後には一斉に合唱を始めるのだろうか。
2009年7月26日
 昨日のニュースを見て驚いた。麻生首相の発言である。
 元気な高齢者が多いことを指摘した上で、『元気な高齢者をいかに使うか。この人たちは、働くことしか才能がない。80過ぎて遊びを覚えても遅い。働ける才能をもっと使って、その人たちが働けるようになれば、その人たちは納税者になる。』といった趣旨の発言をしたというのだ。何という暴言であろう。「高齢者を使う」「高齢者は働くことしか能がない」とは、まるでお年寄りを働き蜂か何かのようにとらえた発言ではないか。しかもそれが「税金を徴収するための手段」であるかのごとき内容の発言。
 口では『国民が安心・安全に生活できる社会の実現を』と唱えながら、内心はまるで封建社会の暴君のごとき庶民蔑視。
 その後真意が伝わっていないと釈明をしたようであるが、真意はちゃんと国民に伝わったはずだ。
 さすがに以前、何かの折に『下々の諸君!』と聴衆に呼びかけただけのことはある。どこまでも自分は殿様で主役なのだ。
 国民主権という言葉の意味と重さなど知ってはいないのだろう。
 人間観の底の浅さが体のあちこちからにじみ出てしまうように、人間としての愚かさを自ら露呈してしまったとしか思えない。
 このような人を国の舵取り役に戴いてしまった国民の悲哀をどう表現すれば良いのだろうか。

 それはそうと、今日は名古屋場所の千秋楽。見事に白鵬が優勝した。琴欧洲も日馬富士を倒し、白鵬が朝青龍に負けるような
ことがあれば、優勝決定戦になるところであったが、白鵬は朝青龍を熱戦の末に倒し、見事に優勝を果たした。今場所もどっしりと落ち着いた取り口で、さすがは横綱と感じさせる風格を備えてきたが、『われ未だ木鶏たりえず』と言った双葉山が目標だと聞いて
なるほどと納得させられた。立ち会いで張り差しをするなど横綱らしからぬ取り口が目立つもう一方の横綱や、軽口を叩いて愚かさを露呈してしまうこの国のトップと比べると、このモンゴル出身の若者の「頼もしさ」と「高潔さ」がいっそう浮き彫りになって見えるではないか。
2009年7月16日
 今日は7月16日。モーツァルトの歌劇「後宮からの誘拐」がウィーンで初演された日だ。1782年の
ことだから、227年前の出来事だ。

 ところで、以前から(と言っても、もう30数年前)手に入れてみたいと思っていた念願のケーニャを手に入れた。吹いてみたかったのだ。いや吹いた経験はあったのだが、それは借り物だった。いつかは自分のケーニャを、と思っていたのだが、ようやく手に入れることが出来た。
素朴な風の音は、いいものだ。
2009年7月13日
 私が仕事部屋に使っている住宅の脇で、先年家内が植えた半夏生が花をつけた。夏の「茶花」と
して知られている多年草だ。
 7月の初旬(2日頃)を半夏生というらしいのだが、この頃に見頃を迎えることから「半夏生」と名付
けられたという。また葉の一部が白くなり花のように見えることから「半化粧」とも呼ばれるというの
だが、その白さが夏の鬱陶しい空気を和らげてくれそうな装いの植物だ。

 一句詠んでみた。

 
半夏生 梅雨のやすみの 陽射しかな

 
 昨日は、東京都議会選挙。民主党が議会第一党に躍進し、自・公は過半数割れ。いよいよ麻生総理ものっぴきならない窮地に追い込まれてしまったようである。衆議院の解散は時間の問題だろう。
2009年7月10日
 今日の新聞で、文化人類学者の川喜田二郎氏が亡くなったことを知った。KJ法の考案者としても有名な川喜田氏だ。
 ネパールやヒマラヤなどの学術調査で知られ、多くの功績を残された研究者である。
 KJ法は氏の徹底したフィールドワークから生み出された独創的ですばらしい発想・情報整理法であり、研究をする上で多くの人がお世話になった手法である。私も大学院時代には、研究の中で情報を整理し、まとめ、ことがらを関連づけて、新しい関係が見えてこないかと学生寮の狭い部屋の中で大判の模造紙にポストイットを並べ、島分けを繰り返して苦しんだものであった。
 解答は自分の中にある、という氏の示唆に励まされながら、絞り出すようにして書いた一つ一つのことがらを何時間もじっと眺める中で、新しい関係が作り出せたように思えた時の感動は、今でも鮮明に覚えている。中にはKJ法の限界を言う人もいるが、それはKJ法をきちんと理解せずに、最初から分類項目を想定し、既成の概念でものごとを見ようとするからだ。あるいは、自分の中にあることがらの洗い出しが不十分なまま、島分けをしようとするからだ。KJ法が分類の手段ではないにもかかわらず、分類を念頭において分類項目を立てておき、そこにことがらをあてはめようとすることが失敗を生むのであって、その失敗はKJ法のせいではない。
 まずは自分の中にある既成の概念を取り除いて、新しい関係が見えてこないか、虚心にことがらを見つめること、フィールドワークの中で得たさまざまな情報を結びつけよ、という氏の教えは、まさにご自身の研究体験から生み出された貴重な手法であり、遺産である。これからも多くの研究者、知的生産をめざそうという人々には大きな力となるに違いない。
感謝申し上げるとともに氏のご冥福をお祈りする。
2009年7月8日
 中国では数日前から新疆ウィグル自治区でウィグル族(回族)の反政府運動が起き、サミットに出席していた胡錦涛主席が緊急帰国したというニュースを聞いた。中国政府は「暴動」と内外に示しているが、これは暴動ではあるまい。
漢族が周辺少数民族への支配を強め、厳しく抑圧した結果、その不満が引き起こした事件に他ならない。
 それをまた力でねじ伏せ、あたかも漢民族が被害者であるかのごとく報道を規制し、情報を統制してまで「中国は一つである」ことを示そうとしている。
 少数民族の訴えを力で抑え、銃を向けて鎮圧しようとする姿は、もはや国民を守るはずの国家の姿勢ではない。
 天安門事件でもチベット自治区で起きた反政府デモの折にも、この国の見せる姿は、「人間の尊厳を軽んじ」国民を支配の対象としてしか見ない国であるようにしか思えないそれである。
 自分たちは中華であり、周辺の民族は夷狄であるという何千年もの間、脈々と受け継いできた「中華思想」の亡霊が未だ息づいている姿を見るようで、背筋が寒くなるような思いでこの報道に接している。悲しい国である。
2009年6月30日
 今日は6月最後の日。明日からは7月である。早いもので、2009年も既に半年が過ぎてしまった。時の経つ早さに、何ということかと茫然とせざるを得ない。そこで一句。
 
 紫陽花も梔子も過ぎ 年なかば
 
 ところで今日はトランジスタの日なのだそうだ。トランジスタで私たちがまず思い浮かべるのはソニー。ソニーはトランジスタの技術を生かして、それまでにはない小型の電気製品を次々と世に送り出してきた。そうした製品の中で、最も大きな驚きをもって迎えられたのは、ウォークマンではなかったか。こんな小さな機械がどうしてこんな高品質の音を出せるのか、と感動したものであったが、明日はそのウォークマンが世に出てから30年目の日だと新聞の報道で知った。時は流れて、今はi-podなどのデジタル機器が主流である。時代の推移を今更ながら感じざるを得ない。
 ベランダのポットに植えたフルーツトマトが赤く色づき始めた。
 この他にも花がしぼんだガクの部分に、いくつか実をつけている。
 それらが日ごとに大きくなり、膨らんでいくのを眺めるのが毎日の楽しみな日課になっている。
 一緒に植えたバジルもずいぶんと大きくなり、葉が茂ってきたので、先日パスタを料理したときに
摘んで食してみた。いい香りである。料理の楽しみがまた一つ増えた気がする。

 宮崎県の東国原知事が自民党の古賀選挙対策委員長の衆議院出馬要請に『総裁候補にしてくれるなら』と言ったとか言わないとか。民衆への人気が高い人間をあてにして出馬を要請するなど、自民党のなりふりかまわぬ様にもあきれるが、それを良いことに「自分を総裁候補に」と自薦する知事も知事だ。政治とは人気さえあれば誰にでもできるものだと自ら暴露しているようなものではないか。一方、知事のうぬぼれの強さも鼻につくイヤな話題である。

 そんな人間界の愚かな話よりもトマトの健気な成長ぶりを見つめる方が、よほど健康によさそうだ。
2009年6月21日
 昨日と今日の2日間にわたって、「平塚八兵衛の昭和事件史」というドラマが連続で放映されている。テレビ朝日が開局50周年を
記念して制作した特別番組である。帝銀事件や3億円事件、そして吉展ちゃん誘拐事件などで活躍した伝説の刑事を主人公としたドラマである。よくもまあ、これほど見事に場面の再現をしたものだと思うほど、建物や風俗、乗り物や道路など、昭和30年代の景色が忠実に描かれている。
 この平塚八兵衛は、茨城県出身。しかもその出身地が私の住むこの地域であり、今ではご子息が大きな病院を建て、その院長先生をされている。
私の母も毎日のように、通院している病院で、徒歩でも10分程度の距離にあるので、我が家の子どもたちも小さい頃にはよくお世話になった病院である。ドラマの中では、まだ幼かった姉弟の姿として描かれているが、あの弟が平塚先生なんだね、と家内と話をしながらドラマを興味深く見た。八兵衛は生涯茨城弁で押し通したということだが、主演の渡辺謙の話す茨城弁の見事なこと。ずいぶん練習をしたのだろう。まったく自然な茨城訛りとイントネーションなのだ。しかも事件を追及し、容疑者を追い詰めていく、まさに名刑事の姿を迫真の演技で演じまくっている。さすがに世界的に活躍する名優だと感心させられる。今晩は、3億円事件、吉展ちゃん事件がドラマの中で展開されることになっている。どんな演技を見せてくれるか楽しみである。
2009年6月18日
 1歳5ヶ月を迎えた孫娘は、このところ『ブーブー』や『わんわん』など、モノの名前をいくつか覚え口にするようになってきた。
 今日は、娘からの電話で『電車もわかって言えるようになったんだよ』とのこと。それはずごい!などと娘と話しをしていた時、電話口に近寄ってきた孫に『じいちゃんだよ』と娘が声をかけたら、何と可愛い声で『じいちゃん』と言うではないか。すかさず娘に『今じいちゃんって言ったよね』と尋ねたら『言った、言った』と娘。それからは何度も電話口で『じいちゃん』という声が聞こえるではないか。何と可愛いのであろうか。うんうん、いい子だよ。まだ『ばあちゃん』は言えないのだ。先にじいちゃんを呼ぶなんて、天にも昇るような心地である。
2009年6月14日
 私が合唱練習のお手伝いをさせていただいている茨城県牛久市内の熟年合唱団が、いつも練習に使っている公民館主催の「ふれあいコンサート」という文化祭のような催しで一つステージを持った。同じ公民館で練習活動をしているさまざまな団体が発表し合うという趣旨の催しである。
 その熟年合唱団は、昨年の4月に発足したばかり。若い頃からの合唱経験者は数少ないが、みなさん歌が好きで声を合わせて歌うことに無上の喜びを感じていらっしゃる方ばかり。今日のステージもそうした気分が見事に出て、楽しい若々しい歌声とハーモニーを披露することができた。ところどころ他のパートにつられてしまったり、歌詞を間違えてしまったりする場面もあるにはあったが、そんなことは歌う喜びを表現する上で大きな問題ではない。何と言ってもまだ合唱経験も浅いのだ。団を結成してから、1年数ヶ月で
今日のようなステージ上での演奏ができたということの意味は大きい。
 「今もてる力」は十分以上に発揮することができたという意味で、これからの充実・音楽的深まりが楽しみな団である。

 先日来、ヴァン・クライバーン・ピアノコンテストで全盲でありながら見事に優勝を獲得した辻井伸行さんについて、ラジオ・テレビで報道がなされている。中には『全盲なのに・・・』とまるで、キワモノを扱うような報道もあるが、彼が優勝したのは全盲でも見事にピアノを弾きこなしているからではない。それ以前にピアニストとして高い音楽性と技術を持っているのだ。ほんの数小節聴いただけで涙があふれてきて止まらなかった、と評した評論家もいるほど演奏それ自体がすばらしいからに他ならない。大好きなピアノを演奏してオーディエンスに喜んでもらえるのが嬉しい、と洩らす辻井さんのこれからの活躍が楽しみだし、どんなすばらしい演奏を聴かせてもらえるか、同時代に生きている人間として期待がふくらむ。

 横浜に住む長女は、誕生日や父の日、母の日などに毎年のようにプレゼントを贈ってくれる。今年も父の日のプレゼントにと、下の写真のような読書のためのライトを届けてくれた。かつて手術をしたその晩、体のあちこちに管をつけられていて読めるわけもないのに、看護婦さんに本がないと眠れないからバッグから本を取って欲しいと頼んだほど活字好きな私には、何よりのプレゼントだ。
 スタンドのように立てて使うこともできるし、本にしおりのように挟んで部分的にページを照らすこともできる。LEDだから発熱することもなく、就寝時の読書には最適。娘に感謝!である。
2009年6月4日
 6月4日、虫歯予防デーである。昔、小学校に勤めていた頃、この時期になると「よい歯よい子の音楽会」という催しが開催され、
水戸市内の小中学校の児童生徒が合唱や合奏を発表し合ったものである。今でも行われているのだろうが、毎年4月の新年度を
迎え、新入団員が入ってくるとその指導と併せて、この6月の音楽発表会に向けての準備で気がせいたことを思い出す。
 音楽指導者は、入学式から卒業式まで一年中何かの行事に追われていて、気の休まることがないのだが、それも音楽指導者の楽しみの一つで選曲や編曲、練習の計画から実際の指導まで、子どもたちとのやりとりも含めてずいぶんと楽しませてもらった、と
今になって感慨深く思い返している。

 ところで今朝の新聞で音楽評論家の黒田恭一氏が5月29日に亡くなっていたことを知った。
 黒田氏の名前にはじめて接したのは、30年以上も前になるだろうか、雑誌「ステレオ」でアンプやスピーカーの聴き比べをして、
その音質について解説していた文章を通してであった。それはハード面のスペックという視点からではなく、多くの音楽に接している
評論家の視点から、音楽的にスピーカーやアンプの「聞こえ方」を論じてもらおうというコンセプトでつくられた紙面であった。
 こういううことにも熱心に応対し取り組んでいる「音楽評論家」がいるんだなあ、と強く印象づけられ、その名前を覚えたことが記憶に鮮明である。それ以来、多くのさまざまな書誌に評論を掲載され、その文章に接してくることができただけに残念なことである。
ご冥福をお祈りしたい。

 それはそうと、今日は中国で「天安門事件」が起きてから20年目の日でもある。経済的には民主化を推し進めながら、本来的な
意味での民主化とはほど遠い強い言論統制が行われ続けている中国であるが、学生による民主化運動を力でねじふせたこの国
のありようは、20年経っても相変わらずである。周辺の少数民族に対する統制も、体制を批判する市民に対する統制も正当化され、
いっこうに人間の生きる自由を保障する方向に向いては行きそうにない。何でも言える日本は、それに比べたら天国と言ってよい
ほど、良い国だと言えるかも知れない。
2009年5月15日
 昨日の読売新聞、読者の投稿欄に「お古のランドセル胸張る孫」と題する東京都の71歳になる女性からの投稿記事を見つけた。
 以下、その記事全文を紹介すると・・・。

 小学2年の孫息子は、現在、中学生の兄が使っていたランドセルを使っている。
 実は、そのランドセルをめぐって、以前、娘夫婦でもめた。婿は「1年生なのだから、新しいのを買ってやりたい」と言い、娘は「あまり傷んでいないから捨てるのはもったいない。そのまま使わせるべきだ」と譲らなかったという。
 その話を聞いた私の夫は、そのランドセルに皮革製品用のクリームを塗り、金具を磨いて、見違えるほど立派に修復しなのだった。
 結局、それを使うことになった。ある時、「僕のはお兄ちゃんが使っていた古いランドセルだよ。いいだろう」と孫は誇らしげに胸を張った。そんな孫を私は頼もしく思った。
 これからも物を大切にし、兄弟で譲り合う精神を忘れずに成長してほしい。


というものである。
 日本の子どもも捨てたものではない、と思えた。古いものに誇りを感じ、それを愛用することに嬉しさを感じ、胸を張るという様子は、現今の消費一辺倒の社会からは想像しにくかったからである。ひょっとすると、この子はお兄ちゃんが大好きなのかも知れない。お兄ちゃんの使っていたものを自分も使える、ということで嬉しさを感じているのかも知れない。あるいは、このご家庭の雰囲気が「使えるものは大切に使う」ということに価値を置いていることに因るのかも知れない。いずれにしても、そうしたことを誇れる子どもがいる、ということに言いしれぬ嬉しさを感じ、それを頼もしいと感じているこのおばあさんやおじいさんの姿に強い共感を覚えるのである。
2009年5月7日
 東京都足立区が今月中旬から、一部公園に「モスキート音」と呼ばれる不快な高周波音を流し、たむろして破壊行為などを繰り返す若者らを「退散」させる実験を始める、というニュースを聞いた。
 「モスキート音」とは17kHz程度の高周波音のことで、10代の頃はよく聞こえるが、加齢とともに聞こえなくなるといわれている。
 蚊の羽音のような音といわれるように、聞こえるとキーンという不快な音がすることから、公園内で破壊的な行動や周辺住宅への騒音などによる迷惑行為を阻止するために試験的に導入を図ったという。そこで興味が湧いた。どんな聞こえ方がするのか、私に聞こえるのかどうか試してみようと思い立った。
 さっそくサイトを検索してみたところ、さまざまな周波数で音の聞こえ方を試聴するサイトを見つけることができた。やはりある周波数から上の波長では、音が聞こえなくなってしまう。歳のせいだろう、聞き取る力が減退しているに違いない。
 そう思っていたら、次女が『さっきかから鳴っているこの嫌な音は何の音?』と言うではないか。ショックである。私には聞こえないのに、若い彼女にはしっかり聞こえているのだ。さて、あなたには聞こえるでしょうか。
 下記のサイトでお試しあれ。
 →こちらのページ
2009年5月4日
 我が家の庭にかわいいスズランの花が咲いた。昔、ロシア民謡の「すずらん」をダークダックスが『かわいい乙女よ』と歌っていたが、可憐で小さな純白の花はその歌にふさわしいかわいい花だ。

 ところで、今日シャンソン歌手の高英夫氏が亡くなったという報道を聞いた。
 私たちが子どもの頃に「雪の降る町を」が大ヒットし、ラジオからしょっちゅうその歌声が流れていたものだ。 まさに日本を代表するシャンソン歌手で、甘い歌声が印象的であった。ご冥福をお祈りする。
2009年4月29日
 今日は「昭和の日」である。以前は「みどりの日」であったが、もともとは昭和天皇の誕生日を祝う「天皇誕生日」であった。
 そして、私たち夫婦にとっては37回目の結婚記念日。昭和47年の今日、結婚式を挙げたのだが、その日も今日と同じような快晴で、暑いぐらいの日であった。あれからもう37年も経つのだ。そこで二人とも好きなイタリアン・レストランでささやかな昼食でお祝い。
 おいしかったせいか、ちょっと食べ過ぎ。

 それはそうと、豚インフルエンザで大変な騒ぎである。水際で食い止め、感染の広がりをおさえるため、どこの国でも対策に追われていることだろう。広がらないことを祈るばかりだ。それにしても花粉症対策や風邪予防のために、マスクを頻繁に使用する日本人と違って、普段あまりマスクを着用しない西欧の人々は、そのことにも戸惑っているのではないだろうか。それにしても要注意である。
2009年4月25日
 イギリスの独身中年女性が、人気を集めているという。彼女の名はスーザン・ボイル。
 ボイルさんが人気を集めているのは「普通のおばさん」にしか見えない外見と、歌声との落差だ。
 報道によれば、47歳、独身、無職、教会ボランティアというプロフィールの持ち主で、現在は愛猫と生活をしているという。イギリスのタレント発掘番組に出場し、自信たっぷりに「ペイジのようになりたい」と話すと、審査員をはじめ会場全体から失笑が漏れたが、いざ歌い出した途端その美声と歌のうまさに会場は興奮。観客はスタンディング・オベーションで大喜び。
 この番組の演出によるのかも知れないが、その場に居合わせた人々の驚きの表情は、まさに「スター誕生」の瞬間を描き出しているかのようだ。
 小太りで、どちらかと言えば野暮ったい感じの決して美しいとは言えないおばさんという「見かけ」の女性が、その内に持つすばらしい「声量と美声・表現力」という「本質」を披瀝してくれたことが観客の感動を呼び起こしたのだろう。
 この様子は、youtubeで流され、全世界で何万件ものアクセスを記録しているようだ。
 →こちらがその日本語版のアドレス
こちらで、その歌声のサンプルを聴くことができます。
2009年4月23日
 よいお天気に誘われて、家内と二人でドライブとしゃれこんだ。行く先を決めずに車を走らせたが、『佐原にしよう』と思い立った。
 佐原囃子や伊能忠敬で有名なあの佐原である。以前から一度行ってみたいと思っていたのだ。古い町並みが保存され「小江戸」と称されていると聞いたからだ。着いてみると、期待以上のすばらしい町だ。特に小野川沿いの景観保存地区は、心地よい春風に吹かれて散策するにはもってこい。その町並みの中程に伊能忠敬記念館があり、小野川をはさんだ反対側に伊能忠敬旧宅がある。中央左の写真が伊能忠敬記念館、その右側が記念館から旧宅を臨んだもの、一番右側の写真が旧宅の写真である。急に思い立って出かけてみたドライブと散策だったが、落ち着いた町並みと懐かしさを感じさせる風景、さらにお天気の心地よさで頗る楽しい小旅行であった。
2009年4月21日
 11年前に起きた和歌山園部町のヒ素入りカレー事件の最高裁判決が出たという。多くの状況証拠から、林眞須美容疑者の犯行以外には考えられないという判断のようだ。この事件が起きたとき、家内が手術入院をしていたのでそのことと結びついて記憶が鮮明だ。
あれから11年も経ってしまったのだ。不特定な対象を死に追いやるという、なんとも理不尽な事件は、あの頃から増え始めたような気がする。動機の見えないことと相まって、なにやらイヤなものを飲み込んでしまった後のような不快さばかりが際だつ事件だ。

 ところで、何日も前から探していた「カルカッシ教則本」がようやく見つかった。
 重ねた書類の一番下に埋もれていて見つからなかったのだ。ものぐさをして書類をきちんと整理していなかったせいである。
 捜し物は探しているときには容易に見つからないのに、忘れた頃に思いがけないところから顔を覗かせたりすることがよくある。今回も同様で他のものを探していて見つけたのだ。
 作曲のアイディアや考え事も、集中しているときには七転八倒しても思いつかないのに、あきらめて放り出した途端、何の脈絡もない場面で天からの啓示のようにひらめいたりするが、捜し物と何か通じるものがあるのだろうか。
 もしかすると、懸命に探しているときには、真剣に目を見開いて見ているようでいて、「探している」という意識が目を塞いで見えにくくしてしまっているのかも知れない。そしてそれは考え事も同様なのかも知れないと独りごちているところである。
2009年4月19日
 満開の桜を楽しんだのは、つい10日前のこと。気がつけば、もうあたりは新緑が芽吹き、すっかり初夏の装い。
 書斎に使っている部屋のベランダに出てみると、お隣のハナミズキが咲いているではないか。春が去ってしまうのは
何とも寂しい気がする。去りゆく春を惜しんでばかりもいられないなどと考えていたら、子どもの頃に『惜春鳥』という歌謡曲を聴いたことがあったことを思い出した。どんなメロディー・歌詞だったかも忘れたが、惜春鳥という種類の鳥がいるのだろうか。愚にもつかないことを連想してしまったが、鳥と言えばもうツバメが飛んでいる。早すぎる季節の移ろいに戸惑いさえ感じる老境の私である。そこで一句。

 ハナミズキ 咲いて燕の時節(とき)となり
2009年4月8日
 私が指揮で練習のお手伝いをしている合唱団が練習場所にしている牛久市の三日月橋公民館では、今が桜のまっさかり。まさに春爛漫のたたずまいである。三日月橋を渡った向こう岸の川堤も桜並木。
水と花に彩られたこの場所は、眺めているだけで心が洗われ、清々しくなる感じがする。
春のうららかな陽射しの中で、何時間でも眺めていたいと思わされるほどだ。
 若い頃はそんなことを露ほども思わなかったのだが、何年か前から『あと何回桜を見ることができるだろうか』と思うようになってしまった。今年もおかげさまで満開の桜を満喫することができた。これからも「一度でも多く」この美しさに接することができるよう、祈るばかりだ。
2009年4月5日
 この数日、ぐんと春めいて暖かい日が続いている。陽射しもすっかり春の陽射し。
 もう4月。学校では新年度が始まっているのだ。
 散歩の途中で、野蒜(のびる)を見つけた。掘り起こしてみると、ずいぶん大きい。食するには十分だ。早速きれいに洗って夕食の膳に添えてみた。ささやかな一皿で春の味を堪能することができた。
 私たちが子どもの頃は、「ののひろ」と呼んで、田の畦や土手に生えているこれを掘り出しては水で洗い、独特の辛さを我慢してガリガリと囓り、おやつがわりにしたものである。今は特に見向きもされないが、昔はこんなものでも「おいしい」と思ったものである。
 それにしても春である。
 上野公園はもう桜が七分咲きだとか。この近辺でもチラホラと咲き出した桜が見られるようになった。どうやら始業式や入学式まではもってくれそうだ。
2009年3月27日
 春宵一刻値千金。何という馥郁とした響きを持った言葉だろう。
 毎年のことながら、春が訪れると夕刻の景色がやさしさを増して、ずっと外にいてそのやさしさを感じていたいと思う。
 この言い難い感覚を何と的確に言い当てていることか、とこの言葉を見聞きする度に思うのだ。

 昨日の夕刻、ディスプレイを見続けて疲れを感じ、ベランダに出てみた。
 冬の間に感じられたピンと張りつめた冷たさがない。
 空気がやわらかい。うっすらと見える木々の緑がやわらかい。薄闇の向こうに見える景色全体が包み込んでくれるようなぬくもりを
感じさせてくれる。
いつもながら「春の訪れ」を実感させてくれるのが、この春の宵のやわらかい雰囲気だ。
まさに「春宵一刻値千金」である。

 周知のことであるが、この言葉は中国宋代の詩人「蘇東坡」の詩の一節である。
   ******************************************************
    春宵一刻値千金 (しゅんしょういっこくあたいせんきん)
    花有清香月有陰 (はなにせいかあり、つきにかげあり)
    歌管樓臺聲細細 (かかんのろうだいこえさいさい)
    鞦韆院落夜沈沈 (しゅうせんいんらくよるちんちん)
   ******************************************************
 意訳すれば、
    春の宵は千金にも値する。花は清しく香り、月もおぼろ。
    歌と音楽が奏されていた楼台もひっそりしている。
    鞦韆(ブランコ)のある庭にも静かに夜が迫っている。
といったところだろうか。

 出典はともかく、春の宵にしか味わえないこの独特の空気感を存分に味わいたいものだ。
 もうしばらくすると、空気が湿り気を帯び、清々しいぬくもりを感じられなくなってしまうのだから・・・・。
 ここまで書いて唐突にナット・キング・コールを思い出した。
 なぜだろう、といぶかしい思いがしたが、彼が「月光値千金」という歌を歌っていたからだとすぐ気がついた。
 何のことはない。「値千金」つながりだったのだ。
2009年3月24日
 WBC(ワールド・ベースボール・クラッシック)決勝戦で、5度目の対韓国戦を戦った「侍ジャパン」が延長10回の末、見事に韓国を下して優勝した。先の大会に続いての連覇である。
 岩隈投手がよくがんばった。すごい!。偉い!。またこの大会中、不振に苦しんでいたイチローが最後のこの試合で決定打を放ち、勝利をもたらすことができたのも、ドラマティックで強く印象に残った。
 野球というアメリカ生まれのスポーツで、アメリカはもちろんキューバやベネズエラなどの強豪国を抑えて東アジアの韓国と日本が優勝決定戦ですばらしい試合を展開した、というのもなにやらおもしろい気がする。

 ところで、大相撲では横綱朝青龍が大関日馬富士に後ろ向きで押し出されて負けてしまった。一方の横綱白鵬は、落ち着いた盤石の相撲で大関千代大海を下し、全勝を守った。なんだか愉快な気分である。『今日はなんと良い日なのだろう』(と朝青龍を好きになれない私は思ってほくそえんでいる。)
2009年3月22日
 東京で桜の開花宣言が出された。なんだか毎年のように桜の咲く時期が早まっているように感じられる。
 付近の小学校では、卒業式も済み、今週中には修了式を控えているが、どうやら春休みを終えて入学式を迎える頃には、桜は散ってしまうのではなかろうか。私たちは、桜の下での入学式というイメージを強く持っているので、あまり桜が早く咲いてしまうのも惜しい気がする。『桜はまだか』という気持ちと『入学式まで待って』という矛盾した気持ちがあって、何とわがままな、とも思うのだが・・・。
 春と言えば、桜だけではない。ご近所の庭に立派な辛夷の樹があるのだが、今年もたくさんの白い花を咲かせている。私の中では辛夷もまた春の代名詞。これから日本は一年のうちで一番華やぐ「花の季節」を迎える。大いに満喫したいものである。
2009年3月19日
 2週間ほど前に、UMPC(ウルトラモバイルPC)用に外付けのハードディスクを購入した。せっかくのUMPC
なので、大きさも重量もぐっと抑えたものでなければ困る。そしてなるべくなら大容量のもので、しかも安価なものが良い、と欲張った考えでいたのだが、存外簡単に見つけることができた。
 容量は250GBもあるのに、重さは170gしかない。大きさは任天堂DSとほぼ同じ。しかも5000円台。
 これならUMPCと一緒にバッグに入れて持ち運んでも、まったく苦にならない。
 HDDの容量対価格比がこんなに下がっているのかと、今更ながら感心しているが、これではメーカーも
大変だろうなと逆に心配させられるような具合。

 ところで、昨日は私が指揮をしている熟年合唱団で、普段練習をしている公民館からほど近い場所にある
特養に訪問演奏会で訪れた。春の歌や懐かしい歌、童謡・唱歌のメドレーなど、およそ50分のプログラム
を組んで出かけたが、利用者の方々には喜んでいただけたようで、一緒に元気な声で歌ってくださった。
 その様子を合唱団のホームページでご覧いただけます。
 →こちらのページ
 
2009年2月27日

 寒い。気温が上がらないと思ったら、朝からの冷たい雨がいつの間にか雪に変わっていた。道理で寒いはずだ。
 というわけで、初雪である。午後いっぱい降り続いて家々の屋根も庭も久しぶりの雪化粧だったが、その後にシトシトと降った雨のおかげで、雪化粧は洗い流された。雪景色を楽しみ、しかも降雪の後始末をせずに済んだのは幸いであった。

 テレビのニュースでは、予算が通過したという。与党も含めてあちこちで麻生降ろしが活発化しているという。このように低い支持率なのに、よくもまあ平然と政権の座にしがみついているものだと妙な関心の仕方をしていたところ、朝日新聞の記事に次のような記事を見つけた。それは、麻生首相が新聞を読まない、という記事だ。

 「新聞はしばしば偏っている記事が多い。『うのみしてはいかんもんだな』と常に自戒している」。
 麻生首相は27日の衆院予算委員会で、低支持率や自らの迷走発言をめぐる新聞報道について、日頃の不満をぶちまけた。

 民主党の逢坂誠二氏が「一国のトップリーダーが『新聞を読まない』と公言するようなことがあっていいのか。なぜ新聞を読まないのか」とただした。逢坂氏が「やはり新聞は読んでいないのですね」と念を押すと、首相は「(筆者の)名前が載っている記事は読むようにしている。載っていない記事は見出しは眺めるが、自分のことが書いてあるとだいたい違うので、あんまり読まない。ほかの人もきっと違っているんだろうなと思う」と説明した。

 これに対し、かつて北海道・ニセコ町長を3期務めた逢坂氏は「民主主義は違いを認めあうことが出発点。こんな意見もある、あんな意見もあると認めることから民主主義はスタートする」と首相に語りかけた。

 新聞を読まない、特に自分に対する批判めいた記事は目を通さない、ということであれば、なぜ内閣支持率が低迷しているのかについて知るよしもないし理解できないのも当然だろう。
 これなら平気の平左で恥ずかしげもなく首相の座に居座り続けることもできるかも知れない。

2009年2月11日
 先週のこと、娘が孫を連れて一週間ほど帰省していた。満1歳を迎えた娘は、よちよち歩きではあるが、ずいぶん長い距離を歩くことができるようになったので、一緒に散歩を楽しんだ。その折に携帯電話で歩く様子を動画撮影してみた。

 携帯で撮影した動画のファイル形式は「3GP」という拡張子がついている。QuickTimeでは見ることができるのだが、果たしてネット上に公開することはできるのだろうかと思った。
 そのようなことができれば、嫁ぎ先のご両親にも見てもらえるだろうと考えたからである。
 例によってフリーソフトで動画を変換できるものはないかと探した結果、意外にも簡単に見つかった。「QTConverter」というフリーのソフトである。さまざまなファイルと相互変換できる便利なソフトだが、ここではmovファイルに変換し、この日記で見ることができるようにしてみた。
何と思った以上に簡単に変換でき、なかなかによく映し出すことができているではないか。
こうした便利なソフトを作成し、フリーで提供してくださる方々に感謝である。
2009年2月9日
 今日、薄曇りの天気でいくぶん肌寒い感じがしたが、そのような中、鶯の初音が聞こえた。鶯にとってはまだ藪啼きの頃かと思っていたのだが、もうすっかり上手な「ホーホケキョ」。やはり春なのだと実感。

 これまでMIDI楽器をコンピュータで扱おうとすると、RS232Cを介してMIDIインターフェイスに接続し、そこからMIDI楽器・MIDI機器に情報を送信する必要があったのだが、多くのノートパソコンにはRS232Cが装備されていない。どうしたものかと思っていたら、あったのだ。USB-MIDIインターフェイスが。これなら他のかさばる機器を使わずに、しかもスマートにMIDI楽器をノートパソコンで操ることができる。UMPCとこのインターフェイスを持ち歩くには、何の抵抗もあるまい。どちらも非常にコンパクトで軽いからだ。これで自宅以外でシンセサイザーを利用するのも気軽にできるようになるはずだ。
 
2009年2月3日
 今日は節分。冬から春に季節が移る季節の分かれ目の日だ。夕方になって、どこかのお寺だろうか、神社だろうか、「鬼やらい」の豆まきをしするという知らせの花火が何回か上がっている。明日から暦の上ではいよいよ「春」なのだ。何となく心が浮き立つではないか。
 しかし一方では、この季節になるといつも『春は名のみの 風の寒さや 谷の鶯 歌は思えど〜』という早春賦が思い起こされる。
 
 ところで、『梅にうぐいす』と昔から言われているが、ものの本によると実は「鶯」なのではなく「メジロ」ではないか、とも言われているということだ。そう言えば、我が家のまわりでもこの季節になると薄緑の「メジロ」をよく見かける。
 昔から言い古されたことなので、「梅には鶯」こそがよく似合うと思っていたのだが、かれんなメジロもこの季節の庭先にはよく似合う感じがする。
 
 いずれにしても春はすぐそこ。童謡に『春よこい、早くこい 歩き始めたみいちゃんが・・・』と歌われているが、まもなく1歳2ヶ月目を迎えようとしている我が家の孫も、よちよち歩きながらずいぶん上手に歩けるようになった。
 当初は靴を履いて歩くことをいやがっていたが、昨日の様子ではまったく抵抗なく、歩くことが楽しいといった嬉々とした足取りでお散歩ができていた。春がきて暖かくなる頃には、もっとしっかりした足取りで歩いていることだろう。それもこの春の楽しみである。
2009年1月21日
 大相撲初場所が後半戦に入った。場所前の予想に反して、元気だと言われた新大関の日馬富士は五勝六敗とあまり振るわず、引退の危機までささやかれた横綱朝青龍は負けなしで勝ち続けている。相撲はとってみなければわからないということかも知れない。
それにしても、朝青龍に対する声援のすごさは何なのだろう。どうしてこんなに人気があるのだろうか、といぶかりたくなるほどの国技館の盛り上がり方である。単に強いだけではないか。しかもその勝ち方は横綱に相応わしい「美しさ」を感じさせるものではない。やんちゃな負けず嫌いが、勝ちたいがために「なりふり構わず」「遮二無二」勝負をしている、としか思えないほどの無様さえ感じさせる相撲取りでしかないではないか。美しさや品格を微塵も感じさせない横綱を応援したがる人の気持ちは推し量ることができないが、今日も格下の琴欧洲の腕をとって力任せに倒し、倒した後にもかかわらず(空振りをしたとはいえ)大きく左手を振り回して叩こうとしたのである。まるで喧嘩のような醜い相撲であった。これでも勝ちは勝ちであるが、横綱の相撲ではあるまい。この人の人気が何に因るのかはともかくとして、この人の人気に相撲協会が頼っているようでは、あまりにも情けないのではないか。相撲は「勝つことのみを目標とした単なるスポーツ」ではないのだ。朝青龍が勝つたびに残念な思いをしている一人である。
2009年1月13日
 遅ればせながら、Windows Messenger に挑戦してみた。次女がマイクロソフトHotmailのアカウントを持っており、しかも使用しているパソコンにWEBカメラを搭載している、というので「映像会話」ができるのだ。いわばネットを介したテレビ電話のようなもの。これなら、思い立ったときに孫の顔が見られる。そこでWEBカメラを搭載したネットパソコンに最新のWindows Messengerをインストールし、実験をしてみた。
 驚いたことに(そうできるように作られているのだから、別に驚くにあたらないのだが。)よく映って、ほとんどタイムラグもなく通常に対話ができる。多少動作がなめらかでなくギクシャクすることはあるにしても、携帯電話によるテレビ電話でよく見られるような不自然さは感じられない程度である。孫も最初は驚いた様子であったが、次第に慣れ、最後には拍手をしたり「バイバイ」をしたりして見せてくれた。
 何と便利なことであろう。こんな簡単な手続きだけで電話による音声通話では味わえない対話が楽しめるのだ。嬉しいではないか。 
2009年1月8日
 昨年の暮れ(こう書いてしまうとずいぶん古い話のようだが、つい2週間ほど前のことだ)に、電子辞書を手に入れた。
 広辞苑をはじめとして数十冊の辞書・辞典を内蔵した電子辞書だが、以前から『あったら便利だろう』と過剰な期待を抱いていたのだ。
 しかし、実際に使ってみて少しく期待を裏切られた感がある。電子辞書と銘打つからには、縦横に検索ができると思っていたにもかかわらず、それができないからだ。ある言葉について調べると、その内容と説明が表示されるのは当然だが、そうした説明文の中にさらに知りたい言葉が見つかった場合、文中のその言葉をドラッグして検索したい辞書を指定するなどの操作をすると、該当する辞書が開かれ、その内容を表示してくれるはずだ、と勝手に思い込んでいたのだ。そうした検索を次から次へと重ねていくことができるからこそ、知的な活動としての「調べ」が意味をもつはずだ。そして、それができることが「電子」のメリットではないか。ちょっとがっかりである。

 それはそうと、一昨年の夏、次女の安産祈願を筑波山神社に詣でて行った。昨年の1月、無事に出産でき、この1月で孫が満1歳を迎えることができたので、お札を納めに家内と筑波山神社に出かけてきた。新年を迎えてもう1週間経っているので、初詣の賑わいはなく、静かな境内に数人の参拝客がいるだけだったが、神社への階段を上がりながら、階段横にある梅がもう咲いているのを見つけた。筑波山の中腹にあるにもかかわらず、日当たりがよいせいでもあるのだろう、もうすっかり咲きそろった紅梅や、つぼみを大きくふくらませた白梅を見つけ、改めて「新春」を迎えたのだなと実感した。もう1ヶ月もすれば筑波山の梅園も大勢の人で賑わうはずだ。明日は関東の平野部でも降雪があるかも知れぬと天気予報が伝えていたが、寒さはこれからが本番だとしても季節は確実に春に向かって動いているのだ。
 そこで一句詠んでみた。
 うらうらと梅の蕾にひかり射す
2009年1月7日
 今日は「七草」。我が家でも七草がゆを食した。
 また、1月7日は昭和天皇の崩御された日でもある。この日を印象深く覚えているのは、正月休みを終え大学院(兵庫教育大学)の寮に帰るために車を走らせていた高速道路の道すがら、どこのラジオ局でも静かにクラッシック音楽だけを放送していたことによる。
天皇の死を悼み、日本国中が派手な歌舞音曲を避けるということでなされた対応であるが、そのことが強く印象に残っているのである。
 ふだんなら諸々の話題や音楽を賑やかに放送する各局が、しめやかに流し続ける静かな古典の名曲を聴きながら、常磐・首都・東名・名神・中国と高速道路を走らせることとの間に妙なギャップを覚えつつも、いつものラジオが持つ軽躁さから解放された快適さを味わい、昭和が終わる日に大学院に戻る感慨にひたっていたことを思い出すのである。
あれからもう20年も経ってしまった。昔の言い方で言えば「二昔」前の出来事である。そう思うとなおさら感慨深いものがある。

 DTM(デスクトップ・ミュージック)という概念が産声をあげたのは、その前の年、昭和63年。デジタルシンセが普及し始め、MIDIが一般化するのも同じ年。振り返ってみると、DTMやMIDIを柱とした電子機器による音楽を学校教育に、と研究テーマを掲げ研究に取り組んでから20年以上経つことになる。我ながら同じことをよくもこんなに長く続けてきたものだと思うのだが、驚くのは『もうそんなに経ってしまったか』という感想しか持たない自分に対してである。まだまだ電子機器・電子楽器が本来の意味で「学校教育に貢献」できるところまで、その存在意味を確保できているわけではない。研究の余地がありすぎるほどというのが実感。やることはたくさんある。そう考えると、振り返っている余裕はない、と20年目の節目を迎えて考えた次第である。
2009年1月5日
 新年を迎えてからもう5日も経ってしまった。今日は我が家の孫の満1歳の誕生日。
 そこで娘のところにお祝いの写真を送った。よちよち歩きではあるが、がんばれば10数歩歩いて見せてくれるようになった。「這えば立て、立てば歩めの〜」の言葉通り、成長を楽しませてもらい、幸福な気分をもたらしてくれる孫である。

 ところで、私は4月からある合唱団の指揮を依頼され、練習のお手伝いをするようになってから8ヶ月を経過したのだが、その練習の模様がケーブルテレビで今日から放送された。その内容を下記のサイトでご覧いただけるようにしてみた。→ http://imoanet.server.co.jp/usiku-fr.wmv
2009年1月2日
 2009年が穏やかな好天気と共に訪れた。歩き始めた孫を連れて次女が帰省し、仕事をかかえた長女からは電話でかかってき、埼玉に住む弟が訪ねてきて、いつも以上に賑やかな正月になった。5日に誕生日を迎える孫のために、父が一升餅を用意してくれたので、孫に背負わせた。この誕生餅について調べてみたら、次のような厄払いの意味や成長を願う意味があるようだ。

 『初誕生の儀礼として、これまでの民俗調査で報告例が多いのは、満一歳の誕生日を迎える前に立ち歩きを始めた子どもに対するもの 
 である。早く歩き始めると「親の足を取る(親が早死にする、病気になる)」とか、子どもが親元から早く(遠く)離れるといって嫌い、この日 餅を背負わせて転ばせたり、餅を投げぶつけて倒したり、餅で押して転ばせる。』


 我が家の孫「斎生」は、餅を背負っただけで大泣きしてしまい、無事に一歩も歩けずに終わった。よかった、よかった。 
2008年12月22日
 以前から入手しようと思っていたUMPC(ウルトラ・モバイルPC)を先日手に入れた。これまで使っていたザウルスが製造中止になるというアナウンスをネットで見つけたことも一因だが、小さなキーボードで長い文章を入力するのは、疲労を伴うということを痛感していたからだ。図書館や電車の中でもっとも使いやすかったのは、10年ほど前にNECで製造していた「モバイルギア」だったのだが、インターネットが一般的になってから対応が十分でなくなってしまった。
 それにもっとも近い使い勝手を持っているのは、今やUMPCしかない。
 何と言っても軽小なのが良い。1Kgを切っているので片手で持ってもさほど重さを感じないし、キーボードだって文字の入力に不自由さは感じない。当然ワイヤレスLANも内蔵しているので、これ一台で出先での作業は十分にこなせる。
2008年12月3日
 今日は、私の61歳の誕生日であった。家内や次女(今週、孫を連れてたまたま帰省している)から、おめでとうの言葉をかけられただけでも嬉しいと感じていたのだが、朝のうちに長女から例年のように生花のプレゼントとお祝いのメッセージが(右の写真)。そしてさらに、かつての教え子がすてきな花とお祝いの品を携えて訪ねてきてくれたり、これまた別の教え子からもお祝いのプレゼントとメッセージが届く。
 こんなにたくさんの人から祝ってもらえるなんて、何と幸せ者なのだろう。

 午後からは牛久市の合唱団の練習のお手伝いに出かけたが、夜になってその合唱団の方々からもお祝いのメールをいただいた。誕生日のことを話したわけではないのだが、どこかでお知りになったのだろう。
それにしても、61歳である。還暦翌年なので、暦が還ってまた1歳から再スタートということになるのだろう。
ここは素直に喜んで、また新しい自分の歴史をつくる門出にすべきなのだろう。
 祝ってくださった皆様、ありがとうございました。深く感謝申し上げます。
2008年11月27日
 察するに、この人はモノゴトの理念や考えがよく理解できていないようである。この人とは、麻生首相のことだが、20日の経済諮問会議で
また失言をしてしまったと報じられている。『たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金(医療費)を何で私が払うんだ』と会議の中で発言したという。これは失言ではない。「過って発言した」「言い間違えた」というレベルの話ではないからだ。そもそも社会保障の意味や共生社会についての理解がされていないことに寄るし、ふだんそう思い込んでいるから「地を露呈した」ということだからだ。
 高齢者医療で保障制度のおかげをこうむっている人たちだって、一方的に社会の恩恵を受けているわけではあるまい。若いとき、元気なとき、社会で活躍できたときには、誰もと同じように保険金を納め、保険制度の一翼を担ってきたのだ。相互扶助の精神が忘れられてしまっては、社会保障はその基盤が崩壊してしまうが、首相自らがその根幹をなす「理念・精神」を否定してしまうというのはいただけない。
 というよりも、そもそもそうした制度の「理念・精神」がわかっていないから軽率な発言が頻出するのだ。このような程度の低い首相がこれまでにいたのであろうか。国民が選んだ首相ではないが、情けなくも恥ずかしい思いでいっぱいだ。
2008年11月26日
 昨日このホームページのデータを書き換え、更新しようとしたらエラーが出てアップロードできなくなってしまった。もしかすると、普段使っているIBMホームページビルダーが不具合を起こしているのかも知れないと思い、他のソフトのFTPを使用してもやはり同様のエラーが出てしまう。どうやらサーバーのディスク容量不足によるもののようだ。しかし、サーバーの契約は200MB。それほど使用してはいないはずなのだがと思い、いろいろと調べてみてわかった。どうやらこれまで何年間かのアクセスログがサーバー側のディスクに蓄積されており、それがずいぶんとディスクスペースを圧迫しているらしい。思い切ってそれらをすべて削除してみると、これまで通りの更新作業が行えるようになった。
 そんなログが蓄積されてしまうなんて、全然知らなかったが、まずはめでたし、めでたしである。こう書いてしまうとすべての作業がスムーズに進行したように聞こえるかも知れないが、丸一日がかりの作業だ。

 ところで、安馬がめでたく大関に昇進した。11月場所の千秋楽を待たずに、大関昇進は確実視されていたので、そのこと自体はいまさらめでたいと言うのも何なのだが、そのことよりもシコ名を大関らしく改名するとアナウンスされていたので、そちらの方が気にはなっていた。
 新しいシコ名は「日馬富士(はるまふじ)」。堂々としたよい名ではないか。人一倍稽古熱心な新大関であるから、天翔る馬のように力強い活躍を予感させるような、一方では彼の持つ優しさをも表すような名前ではないか。それにしても早く茨城出身の稀勢ノ里が大関・横綱になる姿も見たいものだ。

 今日はお天気が良かったので、家内と近くの鶴沼に出かけてみた。
 この時期渡り鳥がたくさん来ているのだ。写真を撮っていて、偶然バンを写すことができた。
2008年11月23日
 勤労感謝の日である。昨日、今日とよいお天気が続いているので、三連休で行楽地に出かけた人たちは、秋を満喫できていることだろう。
 我が家の近くの公園でも、銀杏が金の葉を全身にまとい、秋の陽射しに輝いている。見ると、銀杏の木の向こうにくっきりと筑波山が二つの峰を見せている。あいにくカメラを持っていなかったので、家内の携帯電話を借りて写真を写してみた。なかなかの景色である。なんだかとても得をしたような嬉しい気分を味わいながら散歩を楽しめた。

 この数日、テレビやラジオでは麻生首相の言動が話題になっている。嘘か本当か、小・中学生でも読めるような漢字が正しく読めないのだとか。まるで英語が苦手、と公言してはばからなかったどこぞの国の大統領のようではないか。そればかりか、モノゴトについての理解もよくできていないのではないか、しかもすこぶる常識的なことまで、とも言われ始めている。
 どうやら、世界の情勢については漫画「ゴルゴ13」で知るのだ、と自ら語っているようだ。まさか漫画ばかり読んでいるわけではないだろうが、漫画が読書の核であるとすれば、一国の首相としてはいかがなものだろうか。この国は、小泉首相、安倍首相、福田首相、そして麻生首相と四代続いて「まともとは言えないリーダー」をかついでしまったようだ。
 
2008年11月7日
 今日は「立冬」。暦の上では今日から冬なのだ。私が書斎に使っている2階の部屋は、お隣の庭に面している。ベランダに出ると、そこにお隣の大きな柚子の木が枝を広げている。仕事をしながら、その枝にたくさんなっている柚子の実が日ごとに黄金の色に染まっていくのを楽しみに見ている。まるで朝夕の冷え込みが、その黄金色を磨いているかのように、どんどん美しさを増していく。その美しさが増すたびに冬が深まっていくのだろう。冬枯れが進む中で輝きを増していく柚子の実を見ながら、人生と重ね合わせてみたりしている。
枯れることで中から美しさがにじみ出し、枯れる中で光を放つような人がいたら、すばらしいことだなあ、と思うのだ。
 このところ、「アンチエイジング」の風潮が世にあふれ、「いつまでも若く」がもてはやされているが、老成したからこそにじみ出す人間としての深みにもっと目を向けて良いのではないか。知恵もあり、落ち着きもあり、確かな判断力を備えた「頼もしい大人」になることは、若さを誇るよりももっと難しいことだ。深みのある成熟した大人の存在を、社会はもっと礼賛して良いはずだし、世の人も老いるからこそ見えてくること、あるいはできるようになることがあることを知り、そのことを楽しみ、味わうことを誇って良いはずだ。

 ところで、今日は「知恵の日」でもあるという。何のことかと思ったら、朝日新聞社が社会用語辞典「知恵蔵」を発刊するときに、その発刊を記念して名付けたのだという。記念日とはそんなことでも暦に刻まれるのか、と改めて知ったが、もっと違うことを期待していただけに、ちょっと肩すかしをくらった感じ。

 肩すかしと言えば、相撲の決まり手の一つだが、大相撲の横綱「朝青龍」が九州場所を休場するそうだ。
 聞けば左肘靱帯損傷で全治3週間との診断を受けての結論だという。ちょっと待てよ。モンゴルに治療に帰る前にも同じ診断だったのではなかったか。だとすれば、全治3週間が何ヶ月も続いていることになる。治療が効果を上げなかったということなのだろうか。それとも治療をしていなかった、ということなのだろうか。
素人にはよくわからない診断だが、稽古はしない、巡業にも積極的ではない、ケガの治療にも不熱心で完治しないことを口実に休場する、といった具合に横綱としての責任感も希薄で、大相撲の力士としての自覚も欠如しているのだとすれば、引退したらどうなのだろうか。
私が横綱審議委員であれば、強く引退をお勧めしたいところであるが、どうにもよくわからない人だ。
2008年11月6日
 我が愛機を受け取ることができると喜び勇んでPCデポへ出向いた。しかし、今日のところはバックアップフォルダの確認だけ。その確認が済んだら、リカバリ作業に入るのだそうだ。それにしてもずいぶんのんびりした作業ではないか。バックアップをとってリカバリするだけの作業など、自分でやるなら一日もかからずできてしまうのに、何としたことか。もう2〜3日かかるという。しかし、肝心のバックアップをとることすらできないほどに、我が愛機は瀕死の重傷だったので、致し方あるまい。やれやれである。

 そんなわけで、今日しようと思っていた作業は実行できないことがわかったので、運転免許証の更新手続きに警察署へ。事務的な手続きを終えて写真撮影。その写真を撮ってくれた婦警さんが『先生』と声をかけてくれた。私は気がつかなかったのだが、もう20年以上も前に勤めていた中学校での教え子だという。しかも話を聞くと、娘さんは2年前に同じ中学校に家内が音楽の臨時講師として1年間勤めたとき、指導したクラスに在籍していた生徒さんだったというのだ。そんなところでかつての教え子に会うなんて思いもしなかったのでびっくり。
これだから気を許せない。自分の知らないところで自分を知っている人が見ていたりするのだ。うっかりできないではないか。
2008年11月5日
 PCの修理を依頼しておいたPCデポから7:30PM、電話が入る。バックアップが取れるかどうか懸念されていたデータのほとんどについて、読み取ることができ無事バックアップできたという連絡である。ここ数日、消失の恐れのあるデータのことを考えると、心が落ち着かなかったが、これで一安心である。やれやれ、といった心境。
 明日は、運転免許証の更新手続きに警察署に行こうと思っていた(今度はめでたくゴールドでの更新なのだ)のだが、それは後日に延期して、早速PCを受け取りに店に向かうことにした。

 安心したら、世間の様子を気にとめる余裕も出てきた。
 アメリカでは、ほぼ2年にわたって繰り広げられていた大統領選の決着がついたという。しかもアメリカ史初の黒人大統領の誕生である。 アメリカの底力というか国民の持つ「動きを生み出す力」に感動すら覚える。自分たちの国をよりよいものに変えようというエネルギーが、どこかの国のように衰えておらず「変革」を求めてうねりを形成した結果、多くの識者が指摘したような人種差別の壁をいともあっさりと乗り越えて黒人大統領を生み出したと思われるからである。リンカーン以来の「国民のための、国民による政治」の精神が脈々と生き続けていたことを、まざまざと見せつけられた感があるし、まさに歴史的な瞬間に立ち会えたという喜びも感じられる。
アメリカを見直したと言っても良いかもしれない。
2008年11月2日
 なんということであろう。メインで使っているデスクトップ・パソコンが息を止めてしまった。今朝のことである。
 顛末はこうだ。タスクバーに『アップデータをダウンロードしてインスト-ルできます』のメッセージ。見ると、「サービスパック3」のようだ。普段なら慎重を期して、不要なアップデートは避けているのだが、魔が差したということなのだろうか。何気なく「インストール開始」のコマンドを実行してしまったのだ。ところが、1時間経ち2時間経ってもインストール作業が終了しない。デスクトップを見るとフリーズしているようにしか思えない。ほんの少し『ここで強制終了したら面倒なことになるかも』という思いが頭をよぎったのだが、手の方が早くメインスイッチを押して強制終了してしまっていた。そして、その不安な予感は見事に的中。
 それ以降は何をどうしようがWindowsが起動してくれなくなってしまったのである。またしてもトホホな神が降臨してしまったのだ。
 何とかリカバリをせずに(リカバリをするとすべてのデータが消去されてしまう。こういうときに限って、バックアップをとっていない新しいデータがたくさんあるものなのだ)、Windowsを起動してもらうことができないかと淡い期待をもって、このPCを購入したPCデポへ。ここなら修理も信頼がおける。診断に30分ほどかかったが、その診断結果は冷酷にも『リカバリするしかない』とのこと。残念!
 そうなると、大切なデータはすべてバックアップしてもらうしかない。費用は結構かかるが、背に腹はかえられない。痛い出費だが、そしてどれほどのデータがバックアップできるかわからないが、覚悟を決める以外に方法はなさそうだ。
 どうしてあのとき、ダウンロード→インストールをいとも気楽に油断して実行してしまったか悔やまれてならないが、できるだけ多くのデータが無事手元に帰ってきてくれるのを祈るばかりだ。
2008年10月17日
 筑波大の須藤伝悦博士(保健学)が書かれた『モーツァルトが求め続けた「脳内物質」』読了。モーツァルトの曲が心の安らぎや健康などに何かよい効果をもたらしているようだ、という説はこれまでも聞かれた。中には、知能の高まりやガンの治癒にも、という具合に奇跡的な効果があるなどと主張する人もいて、何やら「眉ツバもの」と疑いたくなるような説もあるが、この書物に書かれていることはそのような低次で俗なものではない。きちんとした科学的な研究に基づいた知見をもとにして客観的で医学的な立場から書かれたものである。とは言っても、難解なものではない。音楽や医学などについて予備知識を持たない人にもわかるような平易な言葉で、すこぶる理解しやすい文章で書かれたおもしろい一冊である。これは音楽ファンのみならず、万人にお薦めしたい本である。『へえ』『なるほど』と納得しつつ、夢中でページを繰ってしまいたくなる本である。

 我が家は、CATVの回線を通じてネットに接続している。数週間前にモデムの交換時期が来たので交換する旨の電話連絡があり、ついでに少しの出費で回線速度を上げることができるのでそちらに移行することを勧められた。
 多少、速度に不満を感じていたこともあり、即座にOKしたのだが、今日がその工事日であった。
 これからは下り30Mである。作業後、早速ネットへの接続速度を測定してみた。
 回線の混雑具合にもよるのだろうが、実測18M強という結果。やはり速い。数値上も体感上もサクサクと動けることがわかる。これなら、ちょっと大きなデータでも短時間で受信できるはずだ。添付ファイルで写真を送ってもらっても平気だぞお、と娘に知らせてやろう。
2008年10月7日
 今朝のテレビニュースで俳優の緒形拳さんの急死を知る。つい先日も何かの番組で元気そうな姿を見かけたような気がする。文字通りの急死だったのかも知れない。新聞で確かめようと急いで新聞受けから新聞を取り出し、眺めていたら作曲家の福田和禾子さんの訃報が載っていてまたびっくり。我が家の孫が毎日「おかあさんといっしょ」を喜んで見ている、というのでなおさら身近に感じていた作曲家だけに残念。
 福田さんと言えば「はみがきじょうずかな」、「パジャマでおじゃま」、「北風小僧の寒太郎」、「赤鬼と青鬼のタンゴ」、「ありがとう・さようなら」、「そうだったらいいのにな」などの作品がひんぱんにテレビ、とりわけ「みんなのうた」「おかあさんといっしょ」などの番組で放送されたことから、私たちにも馴染みの作曲家だ。現在子育て真っ最中の次女も、福田さんの死を非常に残念がっていた。

 とここまでで今日の記事を終わりにしようと思っていた。だが、夜のニュースですばらしい報道に接することができた。

 今年度のノーベル物理学賞を高エネルギー加速器研究機構の小林誠名誉教授(64)と益川敏英京都大名誉教授(68)=京都産業大教授=、米シカゴ大の南部陽一郎(87)の3氏が受賞する、というのだ。授賞理由は「小林・益川理論」と「対称性の自発的な破れ」による素粒子物理学への貢献で、宇宙や物質の成り立ちにかかわる根源的な現象を解明し、素粒子物理学の基礎となる「標準理論」を構築した功績が評価されたことに依るという。何だかとても難しい話で知ろうとの私にはちんぷんかんぷんなのだが、日本人のノーベル賞は6年ぶりだとのこと。何にしてもおめでたくもうれしい話ではないか。
そんなこんなで、悲しいニュース、嬉しいニュース、入り交じった今日の報道であった。
2008年10月1日
 腕時計を買おうと思い立った。
 時刻がわかるだけの機能を持っていればよいので、高価な物は必要がない。安物で結構なのだが、これまでいくつか時計を使ってきて不便に思っていたのが、電池の交換。電池の交換なんて簡単なこと(のはず)なのだが、時計によっては裏蓋をどうやって開ければよいのかわからないものもあり、その都度悪戦苦闘を強いられる。
 そこで、ソーラー充電タイプのものを買おうと思った。これなら電池交換のわずらわしさから解放される。
 また、この頃は自動的に電波をキャッチして、自動的に時刻合わせをしてくれるものがあると聞き、それは便利、できるならそのタイプが欲しいと思った。
 しかし、電池交換の心配がない、時刻合わせも不要、などという便利なものは値段も高いのだろうし、探し出すのも難しいのだろう、何と言っても「高機能」な時計なのだし手に入れるには、代償も大きいかも知れない、と思っていた。だから、「欲しい」と思ってから「買おう」と決心するまで、相当時間が経っていた。およそ半年である。探し出すまでの苦労も覚悟してようやく大決意をしたのだ。ところが昨日のこと、近所のホームセンターに行ったら、お目当ての「ソーラー電波時計」があるではないか。しかも、拍子抜けするほど安い。せっかく意気込んだのに思いがけず「あっさり」と手に入れることができたのだが、胸中複雑である。
2008年9月30日
 今日、玄関を出てみたら、どこからかよい香りがする。金木犀の香りだ。我が家の庭の金木犀が咲き始めたのかと思い、庭にまわってみたが、その気配がない。どこかご近所で咲いているのだろう。つい何日か前まで『暑い』とぼやいていたような気がするが、もう金木犀の季節。
 そう言えば今日はもう9月の晦日。明日からは10月。そう思ってみると、昨日・今日の肌寒さが、いっそう強く感じられる。

 今日は、モ-ツァルトの「魔笛」が1791年に初演された日である。217年前のことだ。今日は「魔笛」でも聴きますか。
 そしてまた今日は、我が茨城、東海村で臨界事故が1999年に起きた日でもある。
 あの日のことは、職員室で学校が取材を受けたケーブルテレビの番組を見ていて、突然に流れた事故のテロップに一同釘付けになってしまったので、よく覚えている。さらに翌日、学校には『臨界事故が起きたというのに、子どもたちを外で遊ばせるなんて』という苦情の電話が保護者から何件かかかってきたりして対応に追われたことから、忘れられない事故の一つになっている。臨界事故の被害が及ぶとすれば、校舎内にいようがグラウンドにいようが、大差ないはずだ。それを言うなら、登校・下校時には、親はどういう対策を施したのか、と逆に質問したいぐらいのものであった(退職した今だから言えることである)。今で言う「モンスター・ペアレンツ」のはしりだったのかも知れない。
そんなこんなで忘れられない事故となっているのである。
2008年9月28日
 今日、牛久市文化センターで、牛久市シビックコンサートが開催された。
 右の写真は、そのシビックコンサートに参加した13名の混声合唱団である。この4月から指揮/指導を依頼され、力不足ながら練習のお手伝いをさせていただいている、紳士淑女による合唱団である。13名で混声合唱?とお思いになる向きも多いかと思われるが、驚く勿れ、十分に美しいハーモニーを響かせることのできる熟年(?、失礼!)合唱団である。
 これからさらに力を蓄え発揮して、ますます魅力あふれる合唱をつくっていける合唱団だと思っているが、今日の発表で一区切り。次回の練習から、新たなスタートを切ることになる。
ソプラノ アルト テノール バス
2008年9月27日
 中山国土交通相が25日に発言した内容について撤回したと思ったら、今日も又とんでもない発言をしたという。
 25日には、『大分県の教委の体たらくなんて、日教組が原因。日教組の子どもなんて成績が悪くても先生になる。だから大分県の学力は低い。日教組の強いところは学力が低い』、『日本は内向きな単一民族』、『成田空港の滑走路拡張問題は、ごね得というか、戦後教育が悪かったと思う』などと発言。
 その認識の程度の低さと見識のなさを自ら露呈したようなもので、こうした感覚の人物が大臣を務めているというのは情けない限りである。 そしてさらに情けないのは、この人物がかつて文科相(小泉内閣)で、当時盛んに叫ばれていた「学力低下論」を受けて、それまでの教育改革に待ったをかけた人物だということであり、その「待った」の背景にあったのが、この程度の教育に対する「浅薄な理解と認識」だったということ。
 こんな人物の愚かな考えで、それまでこつこつと進められてきた教育研究を基盤とした教育改革が曲解・否定され、反対方向にねじまげられてしまったのだ。なんということだ、と慨嘆せざるを得ない。
 その彼が、発言の内容について撤回・謝罪をしたにもかかわらず、今日も「日教組はガン。日教組をぶっつぶす」と発言したという。
しかも、その謝罪の中で、一連の問題発言について「失言というか舌足らずというか、言葉狩りに遭わないように気をつけないといけない」と語った、というではないか。「言葉狩り」に遭ったという認識なのだ。自分の教育や人権についての見識が問われているのだことに考えが及ばず、単に「揚げ足をとられた」という程度の理解しかできない人物なのだ。
 彼の言動から察するに、戦後教育を否定と戦前の教育への憧憬が見解のベースにあるようだ。そのような考えの人物だから、どう糊塗しようと本質は隠しようがないということだろうが、こうした人物が大臣を務める国に住む国民は悲しいという他はない。
 と、ここまで書いてきたら、臨時ニュースのテロップで「辞任の意向を固めた」というではないか。彼が辞めれば、それで安心できるという問題ではないような気がする。口に出しこそしないが、同じような考え、戦前志向の人物はたくさんいるのだろうから。
2008年9月26日
 小泉元首相が今期いっぱいで政界より引退することを表明したとかで、マスコミは大騒ぎである。『自民党をぶっつぶす』と言って、自民党を壊すことができなかったかわりに、日本の国を崩壊させてしまった張本人である。さまざまな規制緩和で、国民の安心と安全をおびやかす事態を招き、いたずらに社会格差を押し広げ、官から民へを合い言葉に競争社会の負の面を押しつけ、社会に混乱をもたらした人である。
 にぎやかで浮薄な劇場型の政治を繰り広げて見せ、そのことによって「負の面」から国民の目をそらし、痛みを押しつけられたにもかかわらず、それに気づかない多くの国民の支持をいまだに受けているという困った人物だ。だまされているとも気づかず、あの当時の狂騒を懐かしんで引退を惜しむ人々には、『気は確かか』と思わず問いたくなるような心境だが、引退して影響力を持たなくなればいいが、と思っているのは私一人ではあるまい。

 ところで、ずいぶん前に市内のある小学校の先生から頼まれていた「パイレーツ オブ カリビアン」のテーマの編曲が完了した。
 金管バンド(マーチング・バンド)で演奏するためのアレンジである。マーチング・バンドなので、スネア、テナーなどの打楽器類が大活躍できるような編曲をめざした。こちらで試聴できます。→こちらのページ 
2008年9月23日
 プロ野球、ソフトバンクの王監督が今期限りで引退をするというニュースをラジオで聴いた。プロ野球人生50年、ホームランの記録樹立はもとより、真摯に野球に打ち込む姿で世の人々に感動を与えた素晴らしい野球人であったと言えよう。私たちの世代は「巨人、大鵬、卵焼き」が大好きな世代。その巨人は長嶋と王、両選手の活躍で黄金期を迎え、V9を達成できたのも彼らの活躍の賜であったことから、私たち子どもの多くは、1本足打法を真似て王選手になったかのような気分で草野球に夢中になるほどのヒーローだったのだ。
 その王選手、王監督が引退するということは、プロ野球の一つの時代の終焉なのかも知れない。今や日本人選手が数多く大リーグで活躍するネオプロ野球とも言える時代。かつての野球ファンには寂しいかぎりである。

 ところで、朝青龍が休場だというではないか。もしかすると、来場所は引退をしているかも知れない。これも一つの時代が終わる兆しなのだろうか。北の湖前理事長の優柔不断な対応のせいもあって、大相撲もさまざまな問題を露呈しているが、かつて北の湖が「憎らしいほど」に強すぎたために、子どもたちの嫌いなもののたとえとして「江川、ピーマン、北の湖」と言われた時代もあったのだそうだ。その北の湖前理事長の優柔不断さを浮き彫りにし、協会のあり方についてもさまざまに問題を指摘されるようになったのは、朝青龍が引き起こした不祥事や疑惑が引き金となったと見られているが、その意味でも大相撲がこれからも続いていくため、一つのステージの幕を下ろす瞬間に立ち会っているのかも知れないと感じた。協会と力士が一丸となって、新しい時代の幕を積極的に開けていくことを期待したいものである。
2008年9月21日
 つややかに 今年も秋が 訪れぬ

   ひっそりと 顔をのぞかす 秋の午後

     たちまちに こぼれ落ちそな 色とつや

        月の出を 秋の実りと 迎えたし

           まだまだと 気を持たせつつ のぞく顔
 この国の行政は、腐敗の一途を辿り、もはや国と国民を守るという基本的な構えを失ってしまったようである。
 そもそも国家の務めとは、自国の国民の安全を図り、「国民に食わす」ことである、と言ったのは司馬遼太郎。国民のことより自己を利することにやっきとなっている官僚の姿勢が、年金問題を生み、事故米流通の問題を生み、国民を不安に陥れてしまった。そしてまた、その官僚を統括すべき首相をはじめとする閣僚が無責任極まりないというこの国の状況は、国民にますます不安と怒りを感じさせる。
 内憂外患のこの時期に、自分たちの都合だけで党内の代表を選出する選挙を華々しく行い、表層的で一時的な支持率アップをチャンスに
解散・総選挙をと目論むような政治にあり方に、もう国民はうんざりし見切りをつけている、ということを政治家諸氏は知らなければならない。
 いったい国民の何パーセントが政治に期待しているだろうか。国民不在、国民無視の政治はもうたくさんである。

 早朝からあちこちで花火があがり、近所の小学校で運動会が実施されることを知らせていた。午前中は晴れ間もあり「ご同慶の至り」と思っていたのだが、午後から雨がちらつき始め、時に激しく窓を打つようなどしゃ降りになってしまった。せっかく実施された運動会も、これでは途中で中止になってしまったかも知れない。今夜は雷を伴って激しく降るとの天気予報。激しく降れば降ったで、それは嬉しい事態。なぜなら、ある程度大きな音を出してもご近所の迷惑にならないからだ。

 気がつけば、昨日は「彼岸の入り」だったのだ。『暑さ寒さも彼岸まで』と言われるが、どんなに照っても空気はもう秋の清々しい空気。
 そして日中がどんなに暑くても、夜になれば家の周りは秋の虫の大合唱。いつの間にか、日が暮れるのもずいぶんと早くなってきた。
 日一日と深くなっていく秋の風情を味わいたいものである。
 
2008年9月8日
 ついに日本相撲協会の北の湖理事長が辞任した。露鵬、白露山兄弟の大麻疑惑の責任をとって辞めた形だが、これまでの彼の言動を見る限り、どうにも「日本の国技」にふさわしい「潔さ」が窺えないもどかしさを感じていた。二人の力士も解雇処分になるという。スポーツでありながら、他のスポーツとは違う「日本文化」の担い手あるいは体現者としての自覚を、協会も各部屋も、そして力士一人一人も持つべきであろう。科学的な検査結果が出ているにもかかわらず、協会の処分が気に入らないからといって法的手段に訴えるかのような姿勢は、相撲という文化になじまない。
外国人力士であろうが日本人力士であろうが、日本の文化の担い手として力士を勤める以上は、そうした文化理解をベースとした「こころ」を持たなければ強さ以上の力を発揮することなどできないことを知って欲しいものである。


 いつも伴奏の編曲を頼まれる教え子から、新しくできた曲が届けられた。今日から早速アレンジにとりかかる。 
2008年9月4日
 私の住んでいる茨城県かすみがうら市の話題である。市の郷土資料館で現在、飯田吉英(よしふさ)に関する企画展が行われているという。何をした人か、と言えば、日本で初めてソーセージづくりを学び、全国に広めた人物だという。学芸員の説明に依れば、飯田氏がいなければ日本にここまでソーセージが広がらなかったのではないかというのだ。
 知りませんでした。現在の私たちの食生活に大きな影響を及ぼした、そんな偉業をなしとげた人が我が町の出身者だったなんて。
 国の畜産試験場の技師だった飯田氏は、日本の家庭に食肉加工品が十分に普及していなかった1918年(大正7年)、第一次大戦のドイツ人捕虜からドイツ式の12種類のソーセージづくりを学び、その後全国の食肉加工品業者を集めて講習会を開き、ソーセージづくりを広めたというのだ。すごい人ではないか。
 もっとも茨城県には、日本で初めてワイナリをつくり、本格的なワインの製造に取り組んだ神谷伝兵衛のような人もいる。牛久シャトーは、その名残であるが、どうやら我が茨城は後世の私たちが世に誇るべき先人をずいぶんと輩出していることをもっと認識してもよいような気がする。それも文化面で活躍した先人が多い。野口雨情、板谷波山、高木東六、吉田正、木村武山、小川芋銭、横瀬夜雨、長塚節、住井すゑ、など列挙するにいとまがないほどの多くの先人を輩出しているのだ。そうした先人を誇るだけでなく、創造の後を引き継いでいくこと、それを後世の茨城県人の誇りとしていきたいものである。
 
2008年9月2日
 学会誌の編集作業が完了し、無事入稿できた。
 テレビやラジオでは、昨日から引き続き福田首相辞任の動きを受けてこれからの政局がどうなるか、といった内容の報道がなされている。
 いわゆる「ねじれ国会」が福田首相を窮地に追い込んだ一因という見方もあるようだが、何が「ねじれ」なのだろう。衆議院も参議院も与党が大多数を占め、政府や与党の打ち出す政策や法案が、その多数を背景になしくずしに決まってしまうような、かつての安倍政権時の状況に比べれば、政治の状況としては「あるべき姿」に近いように思われる。決めることを急がず、じっくり議論を積み重ねて、望ましい結論が得られるようになることこそ、国民の望んでいることではないか。与党や政府が国民の多くの支持を得ているのならともかく、それすらはっきりしない状況の中で多くのものごとが安易に決められるような状況は、国民の望むところではないのだ。

 新しい携帯電話ではPCで作成した動画(WMV)を見ることができる、という。それなら、孫の写真を数枚使用し、WindowsMovieMakerで動画を作成し、携帯に入れて持ち運び楽しむことができるのではないか、と考えた。幸い、学会誌の編集も入稿も済み、時間的に余裕ができたので試してみた。これまでの失敗経験から、そう簡単にうまくいくはずがない、と考えていたが、案の定というか思った通りというか、予測に違わずというか、何度やってもうまくいかない。WMV形式で保存すればよいはずと多寡をくくっていたのだが、ビデオサイズやビットレートに問題があるのだろうか。
またしても心ときめく瞬間が訪れたようだ。今夜はもう遅いので、明日からまた『それができたから何だというのだ』と言われればそれまでの、空しくも楽しい時間を満喫?することにしよう。
2008年9月1日
 遅い時間になって、驚くべきニュースが飛び込んで来た。福田首相の辞任会見だ。『何のことか』といぶかしい気持ちを禁じ得ない。
 またもや安倍首相に続く政権の放り投げだ。辞任など考えるより、現政権がしようとしていることを国民に問い、国民から信を得て国会で正々堂々と議論できる環境づくりをすることがなすべきことではなかったか。
 これで国民はまたしても「政治に参加する機会」を奪われたことになる。八方ふさがりになってしまったことに嫌気がさし、『もうやめた』と投げ出してしまったのでは、お坊ちゃんだからと言われてもしかたあるまい。二人も続けてこのような腰抜け宰相をいただいてしまった国民は、
いったい誰のために国政をあずかっているのか、とその覚悟のなさ、志の低さに呆れる他はない。
 
2008年8月30日
 携帯電話のバッテリーがみるみる元気をなくしてしまった。
 使い方が激しいわけではない。いや、むしろほとんど使っていない状態といってよいほどなのに、どんどん弱ってしまったのだ。電話を1回かけただけ、それも決して長い電話ではない。というより充電したばかりだというのに、電話をかけようとしたらバッテリー切れの警告が表示されてしまったのだ。
 ひょっとすると充電が十分でなかったのかもしれないと思い、しっかり充電したつもりだったのだがツタヤで「半額クーポンの手続きを」と言われてi-modeにアクセスした途端に電源不足の警告。これはもう私のせいではない。バッテリーのせいだと確信が持てた。
 そこで、バッテリーだけを交換する手もあったのだが、思い切って新しい携帯に機種変更することにした。
 P906i、いわゆるVIERA携帯である。MusicPlayerはもちろんGPS、ワンセグ等々さまざまな機能を持っているが、とにかく画面が美しい。音も高品質。残念ながらFMトランスミッターは内蔵していないが、WMAにも対応しているので、携帯だけでも音楽が楽しめそうだ。
2008年8月29日
 台風のような大雨の音で目が覚めた。テレビをつけてみると数キロしか離れていない土浦では桜川が危険水位に達しているという。また、つくば市内では10台もの自動車が水没したという。さらに土浦では、プレハブの建物4棟が突風でとばされたという報道も。一方、ここかすみがうら市は雨こそ強いものの、そのような被害はどこにもない。ないどころか、雨も夜が明ける頃には小降りになって、世間の「記録的豪雨による被害」がうそのような静かさだ。ほんとうに、この町は天災とは無縁と思えるほどの平穏な町なのだ。世間に申し訳ないほどでもある。

 午後になって、川崎に住む娘から孫の写真が送られてきた。もう1週間ほどでまる8ヶ月。おすわりをして一人で遊んでいられるようになり、離乳食ももりもり食べるようになった。生まれて8ヶ月しか経たないのに、ぐんぐんと成長しできることも多くなった。目を見張るばかりの成長ぶりで、漸次下降曲線を辿る一方の老人からみれば、誠にうらやましい限りである。
2008年8月28日
 数日前から作業に取り組んでいた学会誌の編集が、今早朝ようやく片付いた。さほど難しい作業ではない(はずだった)。
 もうすでに校正の済んでいる数編の図版入りの論文を順番に並べ、ページ番号を割り振り、それに従って目次を作成し、作成済みの表紙等と組み合わせて冊子としての体裁を整えるだけの作業だからだ。
 しかし、Wordは侮りがたい強敵だった。どの論文も同じページ設定で作成しているにもかかわらず、それをつなぎあわせると1ページの行数や1行の文字数が予想もしない数字に変わってしまったり、2段組になっていたはずの論文が1段組に変わってしまったり、思いがけないことが多々生じ、一難去ってまた一難、壁の向こうにまた壁が、という状況の連続。
 おせっかいな機能が多い割に、日本語ワープロとしてはこなれていない部分が多すぎ、文書作成者の意図通りになりにくいことが多々あるということは「書くツール」としてはいかがなものか、と考えさせられた。
 ワープロは書くことを通して「考えるツール」ではあるが、「書いて思い通りにレイアウトする」表現のツールでもある。そのレイアウト編集が、マニュアルなど不要になるほどに直感的にできるようでなければ、道具としては不完全なものとしか思えない。
 ツール(道具)は本来マニュアルなど必要としないはずで、たちえばトンカチをマニュアル片手に扱う人や鉛筆をヘルプファイルを参照しながら使う人などおるまい。
 それにしても、この1週間は慌ただしかった。この最終原稿を印刷屋さんに入稿すると、ラッシュの1週間が終わる。と同時に子どもたちの夏休みも終わりである。早く涼しい季節を迎えたいものだ。 
2008年8月24日
 筑波大を会場にして行われた「体操ゼミナール」。筑波大の先生と大学近くでおちあい、大学内の会場へ。聞けば、このゼミナールは3日間の日程で行われ、今日が最終日。しかもその最終日程が私の講演だという。中には、所用で2日の研修には参加できなかったが、今日の最終日は私の講演を聴くために、遠く新潟から車を飛ばして参加して下さる大学の先生もいらっしゃるとのこと。プレッシャーがかかるではないか。そんな話をしながら、会場で機器のセッティングをする。会場となる教室には既設の液晶プロジェクタとスクリーン。壁面のコンセントと同じ場所に、液晶プロジェクタにPCを接続するための端子が埋め込まれている。新しい施設では、もうこうした状況なのだ。しかも、このプロジェクタの美しいこと。精細な画面で映し出されるパソコンの画面は、パワーポイントは言うに及ばす、音楽ソフトの五線や音符、パワーポイントに埋め込んだビデオの画像も美しく精緻だ。これなら、聴講する人々にもよく見えるに違いない。

 PCやPA、シンセサイザーなどすべての機器をセッティングし、いよいよ本番を迎えたが、何と言っても大学や短大で教鞭を執っている先生方を対象に「体操」に関しては門外漢の私が話すのだ。受け容れてもらえるかどうかはともかく、伝わるかどうかが心配された。
 タイトルは、【身体動作と音楽】。サブタイトルを【身体動作を引き出す音楽づくりの視点】とした。グレゴリオ聖歌の話や最近の脳科学の研究成果(なぜヒトは音楽を楽しいと感じるかなど)を引き合いに出し、音楽的な律動とヒトの自然な動作(身体の動きだけでなく心や考えの動きも含めて)とのかかわりについても論じつつ、自然に身体を動かしたくなる音楽づくりの視点について論じてみた。音楽の諸要素に手を加えることで音楽の表情が変わり、それにつれて身体反応も変化する、ということを具体的な音楽を通して感じとっていただこうとしたが、それはおおむね成功したようで、話の途中でも、音楽の試聴後も、そして講演終了後も思いがけないほどの拍手をいただいた。何というか「久々のヒット」を飛ばした打者のような心境である。うれしい気分で帰途に就いたが、帰宅してみると今朝までいた次女と孫がいない。
 いつ帰るか分からない私を待っていられないので、午後早く登戸の自宅に帰ったというのだ。何とがっかりである。

 しかし、講演が終わった安堵感と孫が帰ってしまった寂しさに浸っている余裕はない。この週末はラッシュなのだ。
 すぐに次の仕事(学会誌の最終的な編集)が待っているのだ。まぎらわすにも都合が良い。夕食後、早速にとりかかる。仕事があることは何とうれしくも気分を高揚させてくれることであろうか。
2008年8月23日
 「まつりつくば」のパレードが始まる直前になって雨がちらつく。雨が降っても多少のことなら心配のないよう、トラックの荷台に屋根をつけ、PAの機材が濡れないように手当をしたつもりだが、雨が強くなればそれでは心許ない。できるなら降らない状況でパレードをしたいものだ。と思っていたところ、幸いなことにパレードが動き出す頃には雨も上がってくれた。

 無事にパレードを終えた後、片付けなどをしているうちに次の会合の時間が迫ってきた。かつて勤めていた二の宮小学校の同僚の先生方と年に二回の集まりが今日の夕刻にあるのだ。大急ぎで帰宅し、シャワーなどをつかって土浦の会場へ。半年ぶりに会う面々。二次会にも誘われたのだが、明日のこともあるので失礼する。明日は筑波大で行われる「体操ゼミナール」で講演を頼まれているのだ。
 この週末はラッシュなのだ。
 とりたてて朝早いわけではないのだが、機材の準備もチェックしておかなければ落ち着いて寝られないではないか。
 
2008年8月21日
 日記をずっとほったらかしにしてしまった。とっくに始まった夏休みが半ばを過ぎ、お盆を過ぎ、もう8月も末。
 23日(土)は、「まつりつくば」。友人とつくった「TX音頭」を踊る会の人達が、その「まつりつくば」のパレードで踊ることになっている。
 昨年は参加できなかったが、私もトラックの荷台で歌うことになっている。今日はそのトラックの飾り付けのために友人のお寺に。昨年は初めてだったせいもあるが、何日もかかった飾り付けがたった一日で済んでしまった。何と言っても、飾り付けの多くの部品は昨年作成したものがそのまま使えるほどしっかりしているので、作業が早い。天気だけが心配。トラックにPA機材を積んでいるので、雨も心配だが、それ以上にお天気が良すぎて酷暑の中でパレードをするのは辛いからだ。できるなら雨の心配がない程度の曇りになってほしいものだ。


 私が所属するJEKS(日本電子キーボード学会)の電子オルガン研究部会の代表からメールが入る。学会会員を対象にアンケート調査をしたいという内容。それもネット上で回答を得られるよう、学会のホームページ上に質問紙を置きたいので、そのページの作成を、という旨のメールだ。質問紙も添付ファイルで送られてきている。ふだん使っている「ホームページ・ビルダー」でアンケートページの作成ができるはずだ。

 しかし始めてみて重大なことに気づかされた。
 このソフトの仕様では、一つの質問に対する回答として、選択肢から選択する回答と自由記述による回答を混在させることができないのだ。
 たとえば、ある質問に「YesやNo」で答える以外に「その他」という選択肢も設けられていて、「その他」を選んだ回答者はその内容を記述するといった質問項目を作成することはできない仕様になっているのだ。送られてきた質問紙の内容を見ると、そのように回答方法が混在する質問項目がいくつもあるではないか。
 そこで、そうした質問では、サブの質問項目を増やし、『前の質問で「その他」を選択された方は、その内容をご記入下さい』といった具合に自由記述で回答できる質問を作成することとした。
 さらに、このソフトでは途中までアンケート用紙を作成しておき、それを保存しておいて後から読み込んで作成・編集を続けるといったことができない。いったん作成を始めたら、最後まで(回答の方法とすべての選択肢の入力までを間違いなく)済ませなければならない。簡単な手順なのだが、何と緊張を強いられることか。久しぶりに疲れを感じた。
   
2008年6月14日
 東北地方、岩手県南部を震源とする大きな地震が起きた。ここ茨城でもユサユサとゆっくりした、しかし大きな揺れが感じられた。一瞬「めまい」がしたのかと勘違いしたのだが、すぐに地震だと気づいた。家人はちょうどテレビを観ており、緊急地震速報のテロップが流されたので身構えていたところ、直後に揺れがやってきたことから『すごい』と感心していた。
 それ以降は、どこのテレビ局でもこの地震に関する報道がなされ、今日は一日中テレビにくぎづけになってしまった。
 よほど大きなエネルギーが働いたのだろう。あちこちで道路が寸断され、土砂崩れで川がせきとめられ、あろうことか一関市厳美(げんび)町では山が広い範囲で陥没し、その間を縫うように走っていた道路がほんの所々だけ残っていて、「ここに道があったのか」とかろうじて分かる程度の崩壊ぶり。気象庁によれば、今後1週間ほどは震度6程度の余震のある可能性が高いとのこと。
 道路が寸断されてしまったために取り残されてしまった住民の方も多いようだが、自衛隊や警察のヘリで順次救出され、揺れが大きかった割には人的被害も少なくて済んでいるようだ。それにしてもこれ以上被害が大きくならないよう願うばかりだが、現時点で亡くなったとされる3名の方のご冥福、怪我を負われた100数十名の方の一日も早い回復をお祈りしたい。
2008年6月8日
 日曜日で賑わう秋葉原の歩行者天国で、理不尽な通り魔殺人が起きてしまった。秋葉原の歩行者天国と言えば、多くの人が一度は訪れ
たことがあるであろう馴染みの大通りで、今日も大勢の買い物客で通りは人の波で溢れかえっていたことであろう。
 その平和な賑わいを惨劇の場に変えてしまったのは、静岡在住の若者だという。
 『世の中が嫌になった。誰でもよかった』と逮捕された犯人は犯行について供述しているというが、「世の中が嫌になること」と何の罪もない
市民を死に追いやることの間にどういう関係があるというのだろうか。あまりの論理の飛躍に不可解さを禁じ得ない。このところ、こうした不可解な事件が頻発している。つい何ヶ月か前にも土浦市のJR荒川沖駅で無差別な犯行があったばかりだが、それ以外にも『なぜだ?』と思わ
ざるを得ないような事件が続発している日本である。短絡的で発作的な犯行という他はないが、こうした事件を耳にする度に「日本人はここま
で劣化し壊れてしまったのか」と嘆息を禁じ得ない。巻き込まれてしまった7人の犠牲者、怪我を負った10数人の方々は悔しい思いでいっぱ
いであろう。思いもしない突然の出来事で人生を断たれてしまった方々の無念の思いと「世の中に対する恨み」で何の関係もない人々を傷つ
け殺害するという犯行に及んだ犯人の心情を引き比べるとき、「そんなことのために生命を断たれてしまったのか」という無念さ・悔しさがなお
いっそう思いやられる。
 理由なき殺害・理由なき犯行と言っても過言ではないような、こうした理不尽な犯罪行為の連鎖が起きないこと、連鎖が断ち切られることを
願うばかりである。そしてこれ以上「日本人の崩壊」が進行しないために、何が必要なのかを真剣に考えるべきときなのではないかと強く思
わざるを得ない。
2008年5月30日
 高知県のある村の教育委員会で主任主事をされていらっしゃるOさんという方から、何週間か前にメールをいただいた。
 このホームページの校歌紹介欄に掲載しているいくつかの校歌をお聴きになり、それを参考にして村内の小学校の校歌を編曲なさっているとの内容だった。
 そのメールによれば、校歌を歌う機会のあるたびにピアノ伴奏で歌っているのだが、ぜひオケ伴が欲しいので音源の制作をと依頼を受けて編曲に着手されたとのこと。完成したら私にも曲のデータを送って下さるとのことだったのだが・・・。
 その編曲が完成した、とお知らせのメールが送信されてきた。早速聴かせていただいたが、すばらしい編曲に仕上がっている。この伴奏をプレゼントしてもらえた小学校とその小学校の児童はどんなに喜ぶことだろうか。以前にいただいたメールでは、この小学校は児童数が確か100人に満たない小さな学校ということだったと記憶しているが、この伴奏によって子どもたちは大きな喜びを感じ、誇らしげに、そして元気に歌ってくれることであろう。
 その様子が目に浮かぶようだ、とその主任主事の方に(編曲完成の)お祝いと(その編曲を聴かせてくださった)お礼のメールを送った所である。それにしても、遠く離れた日本全国の方とこのような交流ができるのもネットのおかげである。感謝!感謝!
2008年5月26日
 大相撲夏場所千秋楽の最後の一番。横綱同士の対戦で、朝青龍がもうすでに負けて手をついている白鵬に「ダメ押し」をし、それに反発を感じた白鵬が朝青龍を肩で押し返し、数秒間にらみ合うという考えられない事態が起きた。
 それを受けて、今日の横綱審議委員会では、横綱としてふさわしくない行為だとして白鵬に注意を与えるという処分を下したという。
『なぜ白鵬が?』と注意を受けなければならないのかというのが率直な感想だ。もともと朝青龍がダメ押しをしたことが原因なのではないか。
それを棚上げにし、「やられた」方の白鵬のみを処分する、というのはどうにも納得出来なかった。そんな折、毎日新聞の次のように伝える記事を見つけた。

 横綱審議委員会(横審)が、夏場所千秋楽で土俵上でにらみ合った朝青龍、白鵬の両横綱に品格を再認識するよう求めた。
 26日の横審は、北の湖理事長が白鵬の師匠、宮城野親方(元十両・金親)を呼んで注意した後で始まった。
 横審が、この「処分」に納得せず、北の湖理事長を寄り切った形だ。
 「私はダメ押しと見た。北の富士さんもダメ押しと言っていた」という内館牧子委員(脚本家)に、協会側は「相手がきちっと手をついているのを見ないと休めない。(朝青龍のダメ押しは)勝負の中での流れ」と説明。
 内館委員も「相撲を長年経験された協会側の言うことだから」と納得した。
 しかし、両者のにらみ合いは「白鵬だけ悪いと注意するのは納得できない」との意見が大勢。協会幹部からも「両方を注意すべき」との声が上がり、北の湖理事長も「きちんと注意しましょう」と受け入れたという。

 そもそも朝青龍の「ダメ押し」はいつものことではないか。そんなところから「美しくない勝ち方」という印象を強く受けることが多く、品格のなさという評価もそうしたことも一因としてあったのではなかったか。
 そうであるにもかかわらず、そして誰がどう見てもあの「ダメ押し」は「勝負の流れ」という説明では納得のいかない「余計な動き」でしかないはずだ。
 それを不問に付すかのような協会の姿勢に疑問を持つ人は多いはず。横審で大勢を占めたという意見には大いに賛成だ。
 しかしそれにしてもなぜ協会は(というよりも北の湖理事長なのだろうか)、これほどまでに朝青龍に手厚いのか。ひょっとすると傍からは見えない、何か大きな力でも働いているのかと勘ぐりたくなるような不可思議な朝青龍への対し方のように思われてならない。
協会こそ「しっかりとした視座」に立って相撲界をまとめていけるようにならなければならないのではないか。
2008年5月25日
 大相撲は昨日14日目千秋楽を待たず、琴欧洲の優勝が決まった。大関になるまでは順風満帆。トントン拍子で番付をかけあがってきたのに、大関になったとたん強さが影をひそめてしまっていた琴欧洲。彼がとうとう優勝したのだ。桟敷では遠くブルガリアから観戦に来たお父さんが応援していた。そのお父さんの前で初優勝。しかもヨーロッパ出身の力士としても初めての賜杯だという。喜びも感激もひとしおであろう。
 何と言っても、この数年間はヒザの怪我もあって、自信を失い欠けていたようにも見えた。聞けば今場所はカド番だったというではないか。
 その崖っぷちに立たされての「復活」とも言える優勝である。見事という他はない。
2008年5月19日
 昨日の大相撲でとてもすばらしい取り組みを見た。安馬と若ノ鵬の取り組みである。立ち会いからすばらしい寄りを見せて若ノ鵬が土俵際に安馬を追いつめた。体の大きな若ノ鵬が体格では劣る安馬をそのまま寄り切るかと思われたのだが、身体を大きく反り返らせて安馬が「うっちゃり」で逆転勝ち。若ノ鵬を裏返すようにして投げを打った安馬の粘りと腰の強さをには驚かせられた。すばらしい逆転勝ちだが、身体が大きければ有利であることには決してならない、という証の典型のような相撲であった。

 朝青龍も初日の1敗後勝ち続けてはいる。しかし、どうしてこの人の相撲は勝っても美しくないのだろう。
 今日の安馬の勝利の見事さや白鵬の腰の据わった勝ちっぷりと好対照に、この人の相撲は品のなさで際だっている。『いいものを見せてもらった』思えないのが残念だ。
2008年5月17日
 新緑の鮮やかな季節を迎え、どこの田んぼもすっかり田植えが終わり、初夏らしい風を肌で感じながら散歩が出来るようになった。
 よく散歩をする道に「すかんぽ」がたくさん生えている場所があるのだが、ちょっと気になることがある。
 「すかんぽ」は「〜土手のすかんぽ ジャワ更紗〜」と歌った、あの「すかんぽ」だ。昔、子どもだった頃は、このすかんぽの茎を折りとってはかじったりすすったりして、その甘酸っぱい汁をおやつがわりにしたものだった。
 道端の野草を食べるなんて、などと驚いてはいけない。セリだって野草だし、草餅の材料のヨモギだって野草なのだ。野蒜だってよく洗って味噌をつけて食べればすこぶるおいしいおかずになる。子どもの頃にはザリガニだって食べた。アカガエルに至ってはご馳走だった。(ザリガニやアカガエルは野草じゃないことはわかっている。当然のことだ)
 それはさておき、すかんぽの件だ。よく見ると、私たちが子どもの頃に見たすかんぽとどこか違うのだ。昔のすかんぽはもっと茎が太くて柔らかく、子どもの手でも簡単に手折ることができたと記憶しているのだが、いま良く見かけるそれは茎が細く硬く、しかも野放図と思えるほど丈が伸びている。
 ひょっとすると、すかんぽと見間違えているが本当はまったく別の植物なのかも知れないし、あるいは土着のすかんぽを駆逐してしまった外来種なのかも知れない。詳しくご存知の方はいないだろうか。
 畦道や空き地にたくさん生えていたすかんぽを手折りながら「土手のすかんぽ ジャワ更紗〜」と歌い遊んだ昔を懐かしむ一方で、「あなたは本当にすかんぽなの?」と目の前の「すかんぽらしき植物」に疑問を抱いている老人の私である。
2008年5月16日
 中国四川省で起きた大地震。被害の大きさが毎日のように報道されている。日本から救助隊が現地に派遣され、今日から救助作業にかかったと先ほどのニュースが伝えていた。
 被災地の映像から察するに、助かった人々もこれから衛生面などで心配な状況が続くのではないだろうか。伝染病などが懸念されるが、それはサイクロン被害を受けたミャンマーも同じこと。
 こうした被害を受け、大きな心配をかかえながら中国では五輪の聖火リレーが中断されることなく行われ、ミャンマーでは10日の国民投票が予定変更もなく平然と実施された。一般市民を置き去りにした政(まつりごと)という印象を払拭できない事態がアジアで次々と起きているように見受けられる。
 そしてそれは日本でも同様で、ガソリン税の暫定税率問題、道路特定財源見直しの問題、後期高齢者医療費の問題、年金問題等々、どれをとっても国民無視の与野党の駆け引き議論ばかりで、デモや暴動が起きないのが不思議なほどの混乱ぶり。
 生活に直接ひびくこうした事態が引き起こされても平穏な日本にあっては、学校教育がなしくずしに右傾化の方向に後退させられた程度では大きな反対運動など起こらないのも不思議ではない。
 しかし、だからといって官僚や政治家が自分たちの都合の良いように国の舵取りをして良いということにはならないはずだ。アジアで、そして世界で「あってはならない事態」がじわじわと起きているような気がしてならない。
2008年5月6日
 このゴールデンウィークは天候に恵まれなかったが、最後の日の今日はすばらしい快晴。いかにも初夏らしい、しかも湿度の低い爽やかなお天気になった。
 霞ヶ浦に帆引き舟が出ているかも知れない、と聞いたので出かけてみたが残念。歩崎から眺めても一艘も舟の姿は見えない。
出船する時間帯をはずれていたのかも知れない。
 それでは、と近くの資料館に行ってみると「琴の演奏と野点」をしているという案内表示がある。お城で聴く琴の演奏なんてよいではないか、と覗いてみると琴は琴でも大正琴。しかし、ベースやテナーも含まれた4声体の立派な合奏である。涼しい風に吹かれながらしばし演奏を楽しんできた。
2008年4月28日
 明日は4月29日。私たち夫婦の36回目の結婚記念日である。かつては天皇誕生日、現在は昭和の日として日本全国民がお休みをしてお祝いをする祝日。この日に結婚したことを今更ながら「よかった」と感じている。どんなことがあっても忘れようがないではないか。

 さて、その祝日に今年はコンサートを催すことにした。
 といってもどこかのホールで大々的にやろうというのではない。友人が住職を勤めるお寺の本堂で、地域の方々や檀家の方々に聴いていただくミニコンサートである。題して「ミニコンサート イン 禅寺」。
 これまでに私が編曲をし、DTMでつくりためてきた伴奏に合わせて楽器を演奏したり、歌を歌ったりして聴いていただこうという趣向だ。
曲のジャンルもさまざま。「G線上のアリア」や「アルビノーニのアダージョ」などのクラッシックから「ムーンリバー」「ストレンジャーズ イン ザ ナイト」などの懐かしいポップス、「エデンの東」などの昔の映画音楽など、ゆったりした気分で春の午後のひとときを音楽で楽しもうというもの。座布団にすわってお香の香りを味わいながら、ときおり聞こえる鶯の声もBGMに、愉しんでいただければと考えている。
2008年4月26日
 1月に誕生した初孫が生後110日を迎え、今日はめでたく「お食い初め」。
 先方のご両親も遠路はるばる京都から登戸まで駆けつけてくださり、お祝いをすることができた。
 それにしても、今は写真のような「お食い初めのセット」が準備されているのに驚いた。
 お赤飯やお吸い物、尾頭付きの鯛などをお膳付きのセットで過不足なく購入できるという。
至れり尽くせりである。
 それで驚いていてはいけない。これから離乳食に移行するわけだが、その離乳食を調理するための道具やら、離乳食の食器セットまで揃って市販されているのだ。もうすっかり一人前の食事が摂れそうな道具揃えである。我が家の子どもたちが育った頃と隔世の感がある。早くこれで食事をする光景が見たいものだ。
何にしても、健やかな成長を願うばかりである。
2008年4月13日
 長女が所属するオーケストラの定演が「府中の森芸術劇場」で行われた。
 毎年の春・秋に行われるこの定演は私たち夫婦の楽しみの一つ。このホールは何と言っても響きが心地よいので大好きなのだ。
 今回のプログラムは「後宮よりの誘拐序曲」、交響曲「ハフナー」とモーツアルトが続き、メインがベートーベンの交響曲「田園」。
 とても楽しく聴けたのだが、どうもいつものこのオケの響きではない。というよりも、弦のハモリが思わしくない。コンマスが変わったせいだろうか。ところどころでハーモニーに違和感があり、ヒヤッとさせられたが、プログラムも後半を過ぎたあたり、「田園」の第三楽章あたりからその違和感が徐々に消えていく。納得いくハーモニーで鳴っているのだ。よかった、よかったと胸をなでおろす。
 アンコールは、ヨハンシュトラウスの「アンネン ポルカ」。美しい歌い方で鳴っている。これは秀逸。大絶賛である。
 余韻を味わいながら会場を後にする。もちろんステージを降りてきた娘と簡単な挨拶をしてのこと。
 久しぶりに会った娘は、勤務先で主任に昇格し忙しさにいっそう拍車がかかっていると言う。心なしかもともとスリムな身体がいっそう細さを増したようにも思われる。仕事で活躍する娘の存在は嬉しいのだが、くれぐれもそれ以上痩せないようにと願う「身勝手な親」である。
2008年3月9日
 ヤマハの製品でずっと気になっていた楽器がある。ヴィオリラという楽器だ。一見「大正琴」のようだが、この楽器は弓で弾いて音を出したり、ピックや指ではじいて音を出したり、スティックで叩いて音を出したり出来る。
 ヴィオール属の奏法とリラの奏法、どちらでも演奏可能ということから「ヴィオリラ」と命名されたもののようだ。
 大正琴と同じように指鍵盤を押さえることで音程をコントロールするので、ヴァイオリンなどの弦楽器よりはずっと演奏がし易そうだ。しかも、その指鍵盤を左右にゆすることでビブラートも表現できるという。
 大学院時代にヴァイオリンの講座を受講し、ずいぶん頑張ったにもかかわらず、ビブラートで挫折し弦楽器の難しさをつくづく思い知らされた経験があるが、これなら私にもできそうな気がした。
 先日ようやく手に入れることができたので、60の手習いで挑戦中である。
2008年3月4日
 産後8週間を経過したので、孫が川崎に帰ってしまった。一昨日のことである。残された写真を眺めて「今頃どうしているか」と心配をしているお祖父さんの私。我ながら自分のじじバカぶりにあきれるばかりである。

 ところで、昨日おもしろい話を聞いた。古老の言をTVが取り上げていたのである。
 『人生は、笑って楽しい気分でいるときの方が多い。くよくよせずに幸せな気持ちで過ごせ』というものだ。
 そのこころは、『ハハハと笑って過ごすのは(8×8=64)。しくしくと悲しく過ごすのは(4×9=36)。合計すると丁度100。「しく」より「ハハ」の方が多いではないか。しかも64%も楽しい時間があるのだ』というもの。何とうまく考えられた話ではないか。古老の知恵に不思議と納得させられ、多少は勇気づけられる思いがする。

 それはさておき、福田内閣の支持率が低迷しているとニュースが報道していた。考えるに誰が内閣を担当しようが支持率は高くはなるまい。低迷しているのは「内閣の支持率」などではなく、政治そのものへの信頼感なのだ。政治家も官僚も自己の保身と利己に傾き、国のため・国民のために何をなすべきかを念頭に置いているとは思えないことをいやと言うほど知ってしまった国民が、政治離れをしているといったのが実情なのではないか。

 海上自衛隊のイージス艦衝突事故とそれに伴う一連の情報隠しともとれる動きも、そうしたことと無関係ではないはずだ。
何かことが起これば、軍や政治の前では国民を犠牲にしたり置き去りにしたりすることに痛みを感じない、ということについてはつい60数年前に日本人は経験済みである。
今や民主主義の世の中だから表だっては言えないものの、そうした気分が奥底で疼いているからこそ「教育を受けるべき存在」として国民をとらえる視座から教育基本法もつくりかえられ、指導要領も改訂されようとしているのだ。
 そんな気分が支配的でおおっぴらに語られるような日本になってしまってはいけない、と孫の写真を見ながらつくづくと考えている。
2008年2月10日
 すごいソフトがあることを知った。今日付の新聞に日曜版としてついてくる記事にあったことから知ったのだが、どんなものか試してみたいとダウンロードしてみた。(シェアウェアなのだが、正式版を14日間無料で試用することができるのだ)
 そのソフトの名称は「超驚録」(テクノクラフト
 http://www.technocraft.co.jp/av/index.html)。
 パソコンが発する音であれば、どんな音でもマイクやラインを通さず録音することができ、wavファイルやmp3ファイルとして保存することができるのだ。しかもエフェクタまで内蔵している。
 これまでMIDIデータをwavファイルとして録音することができなかったわけではないが、音楽ソフトによっては使用する音源に制限があったりするため、いったんラインで外部の録音機器に接続して再生・録音し、録音したものを再生してパソコンに取り込むという二度手間をかけていたのだ。しかしこのソフトを使えば、それを外部機器を通さずに、そのソフトで通常使用しているMIDI音源の音で忠実にwav録音できるのだ。
これはすごい。
 実際試してみてそれが嘘ではないことがわかった。
 しかもCDからであろうが、ネットからダウンロードした音楽であろうが、スカイプなど電話の音声であろうが、とにかくパソコンが発する音であれば何でも録音できるというところが便利。
 これはシェアウェア料金を払ってキーナンバーを入手すべきだと考えている。
2008年2月1日
 早いもので、今日から2月。日没時間も日を追う毎に遅くなり、気がつけば夕方5時を過ぎてもまだ薄明るい。随分と日が伸びたものだ。
 これだからうかうかしてはいられない。1年なんてあっという間に過ぎてしまう道理だ。

 我が家の孫は、もうすぐ生後1ヶ月を迎える。新生児ではなくなるのだ。ずいぶんとお乳を飲む量も増え、生まれた当時から比べると体重も増した気がする。
 ところで、先日のこと。むずかるので、どうしたものかと思い「ものは試し」と音楽を聴かせようとFMラジオをかけてみた。
 うまい具合にモーツアルトの演奏が流れている。すると不思議なことに、今までむずかっていた孫が静かになってしまったではないか。それ以来、むずかった時にはモーツアルトのCDを流すことにした。交響曲でもオペラの序曲でも、ピアノ協奏曲でも何を聴いても「静かになり、ごきげんになる」反応を示す。レクイエムだってお気に入りのようだ。
 他の作曲家の作品を聴かせていないので何とも言えないが、恐るべきモーツアルト効果だ。
 病院の新生児室でも試してみたい気がするほどである。
2008年1月30日
 27日(日)に行われた大阪国際女子マラソン。テレビで途中観戦した。「そうだ、女子マラソンをやっているんだった」と思い出してチャンネルを切り替えたところ、福士加代子は30km手前で独走態勢。2位グループを大きく引き離して快走している様子を見て「このままゴールに走り込むのだろう」とたかをくくり、夕方のニュースでは福士選手優勝の報道が大々的になされるのだろうと予想をし、テレビの電源を切ってしまった。決して彼女を応援しているわけではない。むしろ、あの脳天気とも思える調子の良さにうんざりしている方なのだ。

 ところが、である。驚いたことに夕方のニュースでは、35km過ぎて疲労の極みに達した彼女が何度も転倒しながら、ようやくゴールにたどり着く様子が何度も放映されており、何が起きたのかといぶかしく思ったものである。
 後で詳しい情報を知って、さらに驚いた。
 他のマラソン選手は数ヶ月前から大会に向けて着々と準備をするというのに、彼女はほんの1ヶ月前から準備を、すなわち練習を始めたばかりというではないか。しかももっと驚くことに(というかあきれたことに)、走り込んだのは30kmほどの距離で、30kmを超える距離を走るのは当日が初めてだとか。そのために脱水症状を起こしてしまったとか。
 マラソンという過酷な競技を(卑近な言い方ではあるが)「ナメテいる、甘く見ている」としか言いようがない。
 いくら5000メートルやハーフマラソンの日本記録を持っているとは言え、マラソンとは次元が異なるということについての認識に欠けていたとしか思えない。
 ゴールの長居陸上競技場では、もつれる足を引きずりながらも最後まで走り抜こうとする彼女の様子に大勢の観客が感動し、惜しみない拍手を送ったということであるが、「そんなことで感動するの?」と不思議でならない。
それよりも彼女のレースに対する認識や構えに見える「甘さ」は、他のマラソンに対して真摯に取り組んでいる選手に失礼なのではないか、と素人なりの感想を禁じ得なかったのである。

 一方、大相撲では横綱「白鵬」が見事に朝青龍を上手投げで下し、3連覇をなしとげた。すばらしいではないか。
 夏の巡業から一人横綱として相撲界を牽引し、がんばってきたからには、休場明けの横綱に優勝させるわけにはいかないと気力を奮い起こしてがんばった、というその言葉通り、相星決戦となった千秋楽結びの一番は両者に大拍手を送りたいほどのすばらしい力の入った大相撲。こういうフェアなぶつかり合いに出会うことこそスポーツ観戦の醍醐味だが、やはりがんばってきたと認める人が勝てば、それは素直に嬉しいものである。
 「真摯にがんばらずには勝てないし、ほんとうの意味で人の心には響かない」ということを教えてくれた日曜日の「スポーツであった。
2008年1月26日
 簡易型のテルミンのキットを入手。工作してみた。
 学習研究社の「大人の科学」で話題になったミニテルミンだ。
 工作は至極簡単。ドライバー1本あれば誰でも組み立てることが出来、工作に要する時間もわずか15〜6分というところか。
 しかし、それからのチューニングが手強い。昨晩キットの組み立てが完成してから、何度か挑戦しているのだが、思わしい結果は出ていない。もう少し粘ってみる必要がありそうだ。

 閑話休題、メインで使用しているPCの処理速度が遅い。これだからWindowsは困る。しかし「困る」とばかりも言ってはいられないので、メモリを増設することにした。512MBだったものを2GBに増設。
考えれば、これまで512MBで使ってきた方も悪いのかも知れない。
 メモリを増設した効果はテキメンである。私の仕事の速さ?にようやくパソコンが追いついてくれた。
 これでまたしばらくパソコンを責めずにXPを活用することができる。
2008年1月16日
 週末からずっと体調が悪い。食欲がない。腹痛や熱はないのだが、下痢と吐き気に悩まされ4日間ろくに食事も摂れない。
 かてて加えてメインのPCの調子も悪い。どうしてPCはこんなときに限って不具合を起こすのだろうか。
 まるで計画されたことであるかのように、こういうタイミングをねらって不具合の神様が降臨するのだ。
 昨晩はこの不具合を何とかしようとおもってPCの前に坐りはしたが、椅子に座っているのも辛い。身体が横になることを欲求している。生あくびがやたらと出る。どうにも気分が優れないので、横になろうと立ち上がったらひどい吐き気。家人に頼んで急いで布団を敷いてもらい、今朝まで死んだように眠ってしまった。
 そのおかげか、今日はいくらか気分が良い。病院に行く気にもなれたので、かかりつけのお医者さんの処へ出かけた。
 どうやら「ウィルス性何とか」で腸に変調をきたしているとのこと。気もそぞろで「何とか」の部分を聞きそこねてしまったが、そうした変調はよくあることらしい。即座に「点滴を打ちましょう」との診断。40〜50分かけて点滴を受ける。飲み薬も3種類、3日分出たが、点滴のおかげかこれまでとは気分が全然違う。3日も薬を飲まなくても体調がもとに戻るかも知れない。
 こんなことなら、もっと早く点滴を受けていればよかった。
 不快な気分に苦しめられたこの4日間が悔やまれる。
 それにしても、その「ウィルス性何とか」が生まれたばかりの孫にうつらなくてよかった。ひょっとすると伝染性のものではなかったのかも知れないが、それでもホッと胸をなでおろしているところである。
それでもまだ「めでたしめでたし」というわけではない。PCの調子は依然として悪いままだからである。
2008年1月12日
 今日は、先日生まれた我が家の初孫の「お七夜」。
 神棚に命名紙を上げ、お灯明をたいて祀った。
 本来であれば、この日が正式に命名をする日で、名付け親を招いて祝いの宴を催すところなのだろうが、名付け親は私であるし、女児と判った段階で生まれる前に早々と名前を決めてしまった関係で、形ばかりの「お七夜」ということになってしまった。
 それにしても、命名紙は今やインクジェットプリンタ対応。販売元にアクセスすると、ワードや一太郎のフォーマットに対応したテンプレートがダウンロード用に準備されていて、そこに文字を入力すれば完成。娘たちが誕生した頃とは隔世の感がある。
 ついでのことに赤ん坊の顔写真まで貼り付けた命名紙としてみた。
 これはお宮参りが済むまで神棚に飾っておくものだそうだ。まだ先の話なのに、お宮参りはどこにしようかと家内と物色中の初孫べったりのおじいさんである。
 今日は初めて沐浴をさせた。娘達も二人とも私が沐浴担当だったが、孫にもそれができるとは嬉しい限りである。
 「親バカ」という言葉はよく聞くが、「祖父バカ」という言葉もあるのだろうか。まるちゃんちの「ともぞう」にならないように気を付けていたいものではあるが・・。自信はない。
2008年1月9日
 この数日間、生まれたばかりの初孫を撮った写真やビデオの整理に余念がない。
 娘の嫁ぎ先のご実家は京都。遠くにお住まいのご家族にアルバムを作ってお渡ししよう、それもデジタル・アルバムなら必要に応じてプリントアウトしていただけるだろうと思い、簡単なアルバム作成ソフトを探してみた。

 そうしたところ、フリーのソフトで操作も至極簡単なものを見つけることができた。
 「簡単の夢 デジバム6」というソフトである。
 写真ばかりでなく、ビデオデータもアルバムに挿入できる(もちろん動画のままで)。しかも自作のBGMも挿入できるし、アルバムのタイトルや1枚1枚の写真につけるコメントも任意のフォントで挿入できる。

 このような便利なソフトがフリーで手に入るのかと感心していたら、何とこのソフトは作成したアルバムをCDにおさめることもできることに気がついた。しかもアルバムを収めたCDをコンピュータのドライブに挿入すると、自動的にタイトル画面も含めてスライドショーが実行される。つまりプレーヤーも含めて自動起動するCDとして作成・配布することができるのだ。
 これなら、このCDを受け取った人に何の負担もかけずに見てもらえるだろう。
 すごい!と感心しきり。

 どうせならとBGMは自作の「子守歌」にすることにした。初孫の産声を録音し、そのWAVデータと新たに作ったオルゴールの演奏によるメロディーを重ねて「子守歌」とし、それをMP3に変換してスライドショーのBGMにしてみた。
 扱えるファイル形式は、MIDI、WAV、MP3の3種類だが、MIDIは音源によって忠実な再生が保障できないし、WAVではデータ容量が大きすぎるので、ここではMP3で我慢することにした。
 それはともかく、誠に扱いやすい「簡単の夢」を実現したソフトなのだ。これはお薦めである。
 ※いま気がついたのだが、これは「邯鄲の夢」にひっかけたネーミングのようである。アルバムにおさめた自分たちの生活の足跡も、振り返っ  てみれば一瞬の夢のようなできごとである、ということをいわんとしているのであろうか。ブラックユーモアにも似たネーミングではある。

 そんなわけで、初孫が退院し、お七夜での命名などを済ませたら、その際に撮った写真やビデオも含めて、このアルバム作成ソフトでアルバムを作り、CDにおさめて京都のご実家に送ることにしようと目論んでいるところである。
2008年1月5日
 早朝午前0時25分、娘が女の子を出産。
 予定日は23日だったのだが少し早まり、昨日の朝から陣痛が始まり入院していたのだ。
 真夜中の出産だったが、母子ともに元気な様子で安心。
 女児ということがわかった数ヶ月前にはもう名前を決めていたが、名付け親は私。
 名前は「斎生」。「斎」は「いつき」と読み、もともと「潔斎して神に仕えること、またはその人」を意味する。
 源氏物語でおなじみの「斎宮、斎王(いつきのみや、いつきのみこ)」は
天皇の代わりに伊勢神宮に仕えた皇女のことだが、そうした「いつき」から名付けられたものである。
 また「いつく」という動詞には本来「
心身を清めて神に仕える」ことや「敬って大切に世話をする、大事に守り育てる」という意味を持つことから「いつくしむ」に通じる文字なのだ。
 さらに「斎」は「いわう」とも読み、「めでたいことをことほぐ、祝福する」という意味も持つ。
 そればかりではなく、この「いわう」という読みにも「大切にする、かしづく」「神の力を借りて守る」という意味があるらしい。

 そうした諸々の意味を持つ「斎」の一字をもって、愛情を豊かに受けて自らも身を慎んでまわりを明るくできるような子として心身共に健やかに育つようにという願いをこめた名前にしようと思ったのだ。
 さらに私の娘は二人とも「生」の一字を持つことから、同じように「斎生」とし「いつき」と読ませることとしたのだ。(これは娘のアイディア)
 ともかくも我が家にとっても、娘の嫁ぎ先にとっても「めでたい初孫」である。無事にすくすくと成長できるよう「大事に守り育て」ていきたいものである。
2007年12月31日
 大晦日である。数日前から手がけていた我が家の外階段のペンキ塗り。昨日、一昨日と天候が思わしくなく、作業が中断しており、今年中に終えることが出来るかどうか心配だったが、今日は快晴。朝から作業に取りかかることができ、午前中にすべての塗装を終えることが出来た。
これでスッキリした気分で新年を迎えることが出来る。
 昨日は雨天のため、外の作業が出来なかったが、そのかわり以前から気になっていたお風呂の壁の塗装をした。
 この年末はペンキ塗りに精を出し、何となし塗装の腕を上げることができたような気もする。まさに自画自賛の爺さんである。

 ところで、今は紅白歌合戦の最中。11時頃には、友人が住職をつとめるつくば市の覚王寺に臨月を迎えた娘夫婦を伴って出向き、安産祈願も兼ねた除夜の鐘撞きを、と考えている。今年も残すところ3時間半。
我が家にとっては新しい家族が増える喜ばしい年になりそうだが、社会全体も「欺」や「偽」に満ちた今年のような風潮を脱して、喜ばしいことの多い年になることを望むばかりである。
2007年12月28日
 この10年以上眠らせていた古い楽器を起こしてみた。
 あるイベントで、この楽器を使ってみようと思い立ったことから、押入の中にしまい込んでいたこの楽器を取り出してみたのだ。
 楽器の名称は「EW20」。YAMAHAが学校用に開発したウィンド・シンセである。
名称の「EW」は「Electoronic Woodwind」の略。 リコーダーの運指ができる児童なら誰でも、リコーダーの奏法でさまざまな管楽器の音色による演奏を体験することができる。
オーボエであれ尺八であれ、トランペットやチューバでも、付属の音源で音色を選択すれば、その音色で演奏に参加することができるのだ。
 しかも何と言っても、自分の「息で」演奏をコントロールできるので、自分が演奏しているという実感が持てる。
 当時の開発担当者に『これは活用されるはず。導入しようという学校は多いのでは?』と推測を伝えたのだが、予想に反してそれほど普及せずに今に至っているという何とも惜しい楽器である。
 もうずいぶん前の楽器なので「ひょっとしたら長い間の睡眠であちこちに不具合が生じていて使えないのではないか」と心配しながら梱包を解き、おそるおそる電源をON。ヘッドフォンをつないで吹いてみたら、何の支障もなく演奏できるではないか。しかも古い楽器にもかかわらず、なかなかの音質だ。ちょっとこもって聴こえるのは、どうやらヘッドフォンのせいのようで、ステレオのAUX入力につないでみると予想外の「いい音」。
 これを使わない手はない。蔵の中から望外の「お宝」を見つけたような(そんな経験は未だかつてないのだが)ちょっと得した気分である。

 この何日か、我が家の2階勝手口に通じる鉄製の外階段のペンキ塗りに精を出している。
 20年以上放ったらかしにしておいて気づかずにいたのだが、あちこち錆ができ、数ヶ所の腐食部分も見つかり、危険この上ないことに穴まで空いてしまっている接合部分もある。近所の大工さんにお願いしたところ、鉄骨屋さんがすべて修理してくれたが、ペンキだけは自分で塗ると宣言してしまったのだ。
 何とか年内にすべての部分を塗りおえたいと思ったのだが、手の届かない柱や桟の陰の部分、高い部分の鉄板など、予想外に手間取る箇所が多く、時間ばかりかかっている。
それでも徐々に鉄骨が衣替えをし、ツヤのあるきれいなペンキで塗った部分が広がってきた。
 もう一息である。
 だが、どうやら今晩から明日の午前中にかけて雨の予報。 続きの作業は、30日と31日になるかも知れない。それでもあと2日あれば全部の作業は終えるだろう。
 待っていろよ、外階段。いまにすっかりきれいにお化粧してやるぞ。

2007年12月23日
 今日は朝から雨。午後からは天気が回復し、午前中の雨降りが嘘のような好天。 そんなわけで午後からは気晴らしの散歩を楽しむ。
 薬害肝炎訴訟で、福田首相が、原告の求める一律救済に応じるため、救済策を盛り込んだ法案を議員立法で国会に提出すると発表。 野党の協力も得て、「可及的速やかに」立法に努めるとのこと。喜ばしいことだ。
 気分が晴れたところで、前からしようと思っていた「アルビノーニのアダージョ」の編曲に取りかかる。
 このじわじわと訴えかけるような「嘆きに満ちたメロディー」がときに懐かしくなるのだ。
 並行してまったく気分の異なるジャズの名曲「国境の南(South of border)」も編曲しようと思い立って楽譜を探し回ったのだが、本棚の中に 見つからない。誰かに貸してしまったのだろうか。
 あると思ったものが見つからない、という傾向がこの数年頻度を増している。 歳のせいか?
 そこで俳句を一つ。
  よたよたと60歳にたどりつき
 もう一つ。
  おろおろと迷うばかりの折り返し
2007年12月22日

 今日は「冬至」。夕食には毎年のことであるが、カボチャを食す。また、今晩のお風呂はゆず湯。
 これからは日一日と昼の長さが長くなっていく。明るい気分になれそうな、ちょっと嬉しい日ではある。
 ところで、今日は1808年にベートーベンが自身で指揮をし「交響曲第5番ハ短調(運命)」をウィーン劇場で初演した日だそうである。
 また、プッチーニが1858年の今日、誕生しているとのこと。
 音楽に縁の深い日のようだが、別の情報ではわが国初の内閣、伊藤博文内閣が1885年に成立した日でもある。
 こんな年の押し詰まったときでも、内閣を成立させたのか、と妙な感心をさせられた日でもある。

 
2007年12月20日
 週に一度、土曜日に茨城県県南地域全戸に無料で配布される「常陽リビング」という地元情報紙がある。
 この新聞の一面に私の記事を掲載したいと申し出があり、先週と今週の二度にわたって取材を受けた。
 音楽教育や学校教育についての研究内容や私の電子楽器とのかかわり、さらには研究と並行して行っている音楽づくりの手伝いの活動などについて話をしたが、それらがきちんと伝わったかどうか、私のしたまとまりのない話が記事になるものかどうかすこぶる不安ではある。
 ともかくも、掲載されるのは年明けの1月12日号だという。
 一面ということになれば、多くの目にとまることは間違いがない。
 恥ずかしいという思いも交錯して複雑な心持ちではある。
2007年12月18日
 かつての教え子が還暦祝いの席を設けてくれるという。 彼女の作詞・作曲をした曲の伴奏をアレンジし、提供した関係で、ここ数年行き来が復活した30年前の教え子である。 その祝いの会は、彼女が経営するホテルのレストランでということなので、家内と連れだって出かけた。
 この数年、同じようにアレンジで作曲の手伝いをすることができているかつての同僚(現住職)が彼女と相談の上で、 この席を設けてくれたということで、ご夫婦揃っておいでになった。
 つまり、音楽づくりを通してさらに親交を深めることのできた「音楽仲間」による祝いの席だ。 ありがたいことである。
 そこでは、会の間中、彼女の新しくつくったCD(何とこの半年で矢継ぎ早に作曲した10曲がおさめられている)が流れている。
 このCDにおさめられた曲のすべての伴奏を私が編曲したのだ。
 今夜の会は、そのお披露目も兼ねている。 また、かつての同僚も昨日が誕生日だったということで、それも兼ねてお祝いすることもできた。
 ともかくもいろいろなことが重なった楽しい会で、こうした席を設けて下さったお二人に感謝・感謝である。
2007年12月10日
 昨日は家内が主宰するピアノ教室の発表会が行われ、無事終了することができた。 ご家族も皆さんおいでになり、中には3世代で参加して下さるご家族もあり、和やかで楽しい発表会になった。
 今日は、その発表会の録音を編集し、CDにまとめる作業や記録写真を手直しする作業に追われた。 CDや写真を生徒さん達に配るためだ。
 それにしても、録音に使用したZOOMのHandyRecorder“H2”の録音性能のよさに改めて驚いた。
 潜在ノイズなどはほとんどなく、すこぶるクリアな音質で録音できている。 しかも録音データはSDカードにWAVファイルとして保存されているため、音量をブーストするとか、各演奏の開始・ 終了のフェードイン・フェードアウトを設定するなどの編集作業は、SDカードをPCに直接読み込んでPCで行えるなど、 スムーズに進めることができるので使い勝手が良い。
 すべての演奏データを編集し、演奏順に並べ替えて1枚のCDにおさめるのに2時間もかからなかった。
 これは使える、と改めて実感した。
2007年12月6日
 OECDの国際学習到達度調査(PISA)の結果について報道され、日本の高校生の理数系の学力順位が低下したとのこと。
 考える力が試されるこうしたテストで、「覚えること」に専念してきた子どもたちがよい成績をおさめられるはずがない。
 子どもたちの事象に対する関心の低さ、学習意欲の低下などがこうした結果に結びついていることは疑いようがない。
 かつては「知らないことを恥じる」のが一般市民の「知に対する姿勢」だったにもかかわらず、このところの風潮として「知らないこと自体大した問題ではない」と感じたり、あることについて知らないことを誇る傾向すらあったりする。
 知的欲求や知的好奇心は人間が生まれつき持っている「生きる力」だ。それを欠いてしまっては前向きに自分の人生を生きていくことは難しいはずなのだが。
 それはともかく、順位という結果のみを問題視し、勉強させるために授業時数を増やせ、という主張を展開するメディアもある。
 困ったものだ。 「学習すること」とりわけ「学ぶこと」とお勉強を混同しているのだ。勉強の時間を増やせば「知が育つ」と安易に思いこんでいるようだ。学習理論など最初から念頭にないようであり、順位を上げることが学習の目的であるかのような粗雑で乱暴かつ低レベルな論理で世論を形成しようとしている。
 問題はそんな単純なことではないし、それで「考える力=生きて働く知」、ダイナミックな知性、躍動する知性が育つはずもない。
 知識は覚えただけでは何の意味もない。覚えたその先にあるものを学習者自身が「意味あること・価値あること」と認識できるように「学習することそれ自体の枠組み」を築き直す必要があるのだ。
 そうあってはじめて「学ぶことの意味や楽しさ」「知ること、できることに対する心の弾み」「自分の世界の広がりを実感する味わい」などを支えとして学習に取り組むことができる。
 それは、小手先の制度いじりでたやすく解決できる問題ではない。
 ここから先は教育研究者の領分であり、門外漢の飲み屋の親父や落語家のかみさん、ヤンキー上がりのおにいさんなどの思いつきで子どもたちの行く末を左右するようなことにならないよう、しっかりとした研究に基づいた議論によってこの国の「教育の舵取り」をしていかなければ、世界が求める知の育ちとはかけ離れた「旧態依然とした知識の教育」に終始していまい、ますます学習離れを引き起こすであろうことは、想像に難くない。
2007年12月5日
 今日、午後1時頃のことである。居間のガラス戸にドンッ!と音がして小鳥がぶつかった。
 ドバトなどが勢いよくぶつかることはこれまでもあったことなので、そのこと自体は驚くことではないが(こう書くと、人里離れた田舎に住んでいると思われるかも知れないが)、ぶつかった小鳥がその後飛び立った様子がない。
 娘と二人で念のためガラス戸を開けてみると、ベランダにきれいな小鳥が身動きせずにうずくまっている。
 ぶつかった衝撃で気を失っているだけなのかも知れない、様子を見ているうちに蘇生して飛び立つだろうと窺っていたのだが、いっこうにその気配がない。どうやら死んでしまったようだ。
 ぶつかった衝撃によるのか、それとももともと具合が悪くて飛ぶ力を失ってガラス戸に衝突したものなのかは判然としないが、小さな身体をした可憐できれいな小鳥だけにかわいそうでならない。
羽根の色や体つきから察するに、メジロだと思われるが、確たる自信はない。
 もうずいぶん長いことここに住んでいるが、このようなことは初めてである。
 供養の意も込めて写真に納め、冥福を祈った。
2007年12月3日
 かつての教え子から誕生日のお祝いメールやらプレゼントが届いた。
 さっきは横浜に住む娘からもお祝いの電話。「メールよりもいいかと思って」という娘の言葉についホロリ。
 こんなに祝ってもらえる誕生日は初めて。お天気はあまり良くないが、嬉しい気分と感謝の気持ちでいっぱい。心は晴れだ。 

 それにしても、何日も前から手がけている曲のアレンジが遅々として進まない。スランプだろうか。それともこれが実力?
 「ここまで遅れてしまったのだから・・・」となかば開き直って、後悔せずに済むよう納得のいくアレンジめざしてじっくり攻めることにした。

 星野ジャパンが台湾を相手にすごい逆転劇を演じ、ついに北京五輪出場を手に入れた。チーム一丸となった戦いぶりにこのチームの選手達の力とまとまりのよさがよく出ている。
すごい!偉い!見事だ!おめでとう!
2007年12月2日
 昨日(12/01)、二人の娘達夫婦が私の還暦祝いを催してくれた。12/03の誕生日で還暦を迎えることになるので、祝ってくれたのだ。
長女とお婿さんは、横浜から駆けつけてくれた。次女は、現在里帰り出産のため帰省しているが、お婿さんは川崎から車を飛ばしてきてくれた。長女が土浦の老舗料亭「霞月楼」の中庭の見える部屋を予約しておいてくれたという。

 霞月楼は、明治22年創業の格式の高い料亭で、霞ヶ浦航空隊の将校もよく利用したことで栄えた店であるが、飛行船「ツェッペリン」や大西洋単独横断飛行で有名な「リンドバーグ」とも関係の深い店だ。
ツェッペリンもリンドバーグも霞ヶ浦飛行場に降り立ったことがあり、その際にはこの料亭で華々しく歓迎会や食事会が催されたとのことで、その折の写真や新聞記事などが玄関脇の資料室に展示されている。
そうした展示物の中には、吉田茂首相や池田勇人などの政治家が訪れた際の写真や山本五十六元帥の直筆の手紙、その他の著名人の写真なども多数ある。中でも圧巻なのが、河童の絵で有名な小川芋銭から贈られたという河童とかわうその描かれた掛け軸。大きさもさることながら大胆な筆運びで描かれた動的な構図による絵に圧倒される。

 そんな歴史を誇る老舗料亭でいただく料理の数々は、まさに祝いの膳にふさわしい見事なつくりのものばかり。
一、食前酒    金柑酒
一、先附     鮟肝豆腐 車海老 紅卸し 葱みじん 芽葱 ちり酢
一、煮物椀    上澄み仕立て  より人参 大根 山葵
一、造り     鯛鮪  ちさと 山葵 岩海苔
一、凌ぎ     飯蒸し朴葉包み  新唐墨 銀杏 焼目百合根
一、八寸     白子ちり酢合せ 玉子身蒸し サーモン焼 菊菜浸し 鶉焼鳥 干し柿松葉に刺して
一、焼肴     鰆付け焼柴漬けのせて 大根納豆射込み 芥子醤油を添えて
一、鉢肴     海老芋 蓮餅 菊菜
一、食事     鯛赤飯 味噌椀 香
一、水菓子    洋梨 苺

 すばらしい料理の数々だったが、そんなことより何より、こうした祝いの席を設けてくれた娘たちに感謝の言葉もない。
 何とありがたいことだろうか。これまで、世俗的な楽しみを何も与えてやれなかった父であるにもかかわらず(本当に、他の家庭のように旅行やイベント、遊びに連れて行くなどということができなかったのだ)、こうして宴を計画し、遠路駆けつけてくれる娘たちには申し訳のない気持ちと感謝の気持ちがないまぜになって、それを言葉でどう表現してよいかわからないでいるのが現実。
 それにしても子どものときに見た「還暦」を迎えた祖父をはじめとする人々は、おじいさん然として立派だった。
 我が身を振り返ると、そうした姿にはほど遠く、何とも情けない気持ちになるのだが、「年だけはとっているが」と思われないように、また自らも蔑まずにすむよう「実ること」を追い求めていきたいものである。
2007年11月16日
 新しいシンセサイザーを手に入れた。YAMAHAの「MM6」というシンセである。
 これまでのシンセがやたらと重く(重量が)、演奏を依頼される度に搬送するのが大変であった。 軽くて機能的にも満足のいくものを、と物色していてヒットしたのがこのシンセだったのだ。
 メーカーの謳い文句では『「かんたん、楽しい、カッコいい」を手にしたその日から体験していただけます。5kgと軽量ながら、本格的な演奏、音作り、音楽制作を実現します。クラスを超えた高品質。MOTIFシリーズの意思も継いだ70MBウェーブを搭載。 』とある。
 確かに軽い。これまで使っていたシンセに比べると(もっともスピーカを内蔵していない分、差し引かなければならないが)嘘のような軽さだ。
 しかも、USBデバイスが使えるなど、機能も豊富。明日からまた楽しみが増えそうである。
2007年10月27日
 台風20号が北上中である。外は雨風が強い。今がピークであろうか。
 この台風は移動速度が速いので、今夜半には関東を遠く離れていきそうだとのこと。
 それにしても台風が来るとちょっと嬉しい。
 なぜなら、作曲をしていても音楽を聴いていても、少しぐらい大きな音を出しても近所に気兼ねすることがないからだ。
 おそらくご近所の家は、どこも雨戸をしっかり閉めて台風にそなえているだろう。我が家とて同じ。
 ということは、二重にも三重にも遮音を施した状態と同じ。安心して大音量を出せる。
 台風が来て喜ぶなど不謹慎なようだが、やはり嬉しいのである。
2007年10月25日
 私の住んでいる町に世界中を旅して歩き、行く先々の大自然の景観を絵画で表現し、環境保護を訴えるべく野外展を開催している「漂白の画家」がおいでになる。
 この度、「美・チャレンジ100」と題したその展覧会がめでたく100回を迎え、しかも世界五大陸での開催を達成されたのを記念し、自らの「自然に対する思い」を詩に詠まれた。
 (聞けば、その100回目の個展は、フランス・ベルサイユ宮殿の前で行ったとか。)
 その詩のタイトルは『旅路』、そしてサブタイトルに『地球に愛を』とある。
 自然をこよなく愛し、かけがえのない地球を守りたいというメッセージがこめられた詩である。
 その詩に曲を、と私が依頼されたことから作曲に取りかかったが、つい先日完成し、無事お渡しすることができた。
 悠久の自然に対する思いが伝わるように「ゆったりとした曲想でたっぷりと歌い上げられるように」とのご希望だったので、その意向に沿うべく努力したつもりだが、そうなったかどうか不安でもある。
 その曲を紹介しているページは、こちらです。→
試聴ページ
2007年10月20日
 昨日の天気予報は「曇りのち雨」。ところが思いがけなく午前・午後ともよいお天気。
 昨日は、私の住んでいる市の小中学校音楽発表会が催されるというので、出かけてみようと思ったことからお天気のことが気がかりだったのだ。出かける私のためばかりではなく、音楽会に参加する小中学生やそこで使われる楽器の運搬などが支障なく行われるためにも、良いお天気であればよいが、と思っていたのだ。
 
 幸いよいお天気だったので、家内と連れだって会場へ出向いた。
 行ってみて驚いた。プログラムを見ただけではわからなかったのだが(何せ結婚して姓が変わってしまっていたので)、かつて中学校で教えた教え子たちが何人も会場にいるではないか。
 しかも私のいることに気がついて、その子たちが(と言っても、もう立派な大人なのだが)挨拶に来てくれる。
 彼らは各小中学校の音楽主任として大活躍し、昨日の発表会でもすばらしい指揮ぶりで見事な演奏を披露している。
 その演奏からは、普段の子どもたちとのやりとりや音楽づくりの姿勢が窺え、何とも言えないうれしい心持ちでいっぱいになった。そしてまた、私が知らなかった(気づかなかった)ところで、健闘してきた彼らの活躍ぶりも大絶賛したい気分である。
 こんな身近な市内の学校に勤務しているのであれば、ちょくちょく連絡をとってみんなでお茶でも飲みたいものだと懐かしくも楽しみな心持ちに浸れた一日であった。
2007年10月18日
 ボクシングの亀田三兄弟と言えば、今や日本中で知らない人は皆無であろうと思われるほどの超のつく有名人。
 中には、あれは三兄弟ではなく、父親を兄貴分とした四兄弟ではないか、と揶揄する人がいるほど目に余る暴言と傍若無人な振る舞いを親子揃ってしてきたファミリー。東京の葛飾内に住んでいるとか。どうやら「勝つしかない」の語呂合わせで葛飾内に住んでいるようだが、ある人は「葛飾区内」とすれば「勝つ資格ない」と読めるぞ、と茶化している。これは笑える。
 そんな親子が(選手は次男だが)こともあろうに世界選手権試合でいくつもの反則をしでかし、JBCから処分を受け、昨日謝罪会見を行った様子が報道された。笑ってしまったのは、当の次男が金髪をきれいに刈って坊主頭になり、しかも神妙な面持ちで終始力無くうつむき憔悴しきった(とマスコミは言うが、私には単なるジェスチャーにしか見えなかった)ような表情でいる姿を見た時である。あれだけ大口をたたき、人もなげに対戦者に対して無礼な態度で挑発をくり返すという「牙をむいた野犬」のような人物が、JBCから処分を言い渡された途端、心神喪失のような状態になって人前に現れるということに、ばかばかしさを禁じ得なかったからである。

 どうやらこうした変わり身は、今年の「流行(はやり)」であるかのようだ。
 向かうところ敵なしだった横綱「朝青龍」が、相撲協会から処分を宣告された途端に、精神を病み、引きこもり状態になって口もきけなくなってしまい、ついには故郷モンゴルで心の病の治療も含めて、というよりも元々の腰の怪我について治療はどこへやら、その心の病を治癒するのが先決とばかり日本を離れてしまった姿とだぶるからである。これだって、やれ神経衰弱だのうつ病の一歩手前だのと報道されたが、どこからどう見てもそうは見えない「ふてぶてしさをひた隠しにしたジェスチャー」としか思えなかった。
 それだけではない。
 権力を手にして、強行採決に次ぐ強行採決で「(国民のためにではなく)自分の望むこと」のために法律を矢継ぎ早に成立させた総理大臣が、アメリカからちょっとプレッシャーをかけられただけで説明にならないような説明しかできないほど理性を失い、あろうことか国会が開かれるやいなや「涙ながらに」政権を放り出してしまうという、大人げないまさに無責任な辞め方をしたのも、上の二人の姿と似たものを感じさせる。

 大口をたたいて虚勢をはり、必要以上に強さを誇示する姿と、その末に見せた「余りにも弱々しい姿」「情けない姿」にギャップがありすぎるが、そうした姿を今年は少なくても三度も見てしまったことになる。もっともここで見せた弱り切った姿ですら(何度も言うようだが)、パフォーマンスに過ぎないと思われるのだが。
 自分のしたことについて、きちんとした説明を自分にも社会にもできず、虚勢の末の「病を装った社会からの逃避」の姿がこれらから見て取れる。
 三人のどの姿からも、自己のおかした失敗を悔いて「落ち込んでいる様子」ではなく、そこに追い込まれてしまったことを「なぜだ」と逆恨みしたり、ふてくされている様子しか見えてこないのは、私だけではあるまい。
 その意味で、今年は「不貞腐れ」の年と名付けて良いかも知れない。
2007年10月11日
 散歩をしていると、あちこちの庭先から「金木犀」のいい香りが漂ってくる。
 もうすっかり秋なのだ。今朝は夏以降はじめて寒さを感じ、エアコンの暖房を使用してしまった。そう言えば、すだく虫の声も今を盛りとばかり聞こえてくるし、散歩から帰ってきた家人が「もう銀杏の実が落ちている」と言う。まだ銀杏拾いには早いかと思っていたのだが・・・。
 それにしても金木犀の香りは何と魅力的なのだろう。深まる秋をこのいい香りで味わえることは嬉しい限りだ。
2007年10月9日
 映画「フラガール」がテレビで放送された。その日は所用のため、見ることができなかったが、録画しておいたものを昨日見ることができた。
 フラガールは、常磐ハワイアンセンターのフラダンスを踊る踊り子たちの創設時の苦労を描いた映画である。彼女らは常磐炭坑の抗夫の
娘たちであり、フラダンスなどというものを見たことも踊った経験もない女性たちだ。
 そもそも常磐ハワイアンセンターは、常磐炭坑の斜陽に伴う人員整理で失われた働き口を確保すること、併せて炭坑からわき出る温泉(こ
のために起こる落盤事故が少なくなかった)の利用という一石二鳥のアイディアから創設されたもので、炭坑住宅に住む若い娘たちの活躍
場所を確保するということも期していたのである。

 なぜ、そんなことを知っているかと言えば、私自身が「常磐炭坑」の出身だからだ。
 私が中学生から高校生だった頃、昭和30年代の後半は安価で火力の強い、しかも燃えかすの出ない石油の普及によって石炭の需要が
どんどん減っていき、日本中の炭坑の経営を圧迫していった時代であった。石炭を掘れば掘るほど経費がかさむことから、出炭の制限をした
り、人員削減をして人件費を抑えたりすることを余儀なくされていた石炭産業の終末期だった。
 黒いダイヤともてはやされて、戦前・戦中・戦後の日本を支えるエネルギー産業の花形だった石炭が、新しい化石燃料「石油」にとってかわ
られる、そんな時代の常磐炭坑の生き残り作戦が「常磐ハワイアンセンター」だった。

 映画の中で描かれている炭坑のズリ山、炭坑住宅(炭住)の様子やそこでの生活ぶりは、よくもまあ細部にわたって考証し再現したと思わ
れるほどリアルで、私も子ども時代を思い出し、懐かしさにひたってしまった。
 そして何よりも常磐地方の方言もごく自然に演じられていて、『そうそう、こんな言葉を使っていた』と懐かしさを感じると同時に、俳優たちの
演技力に感心させられた。「でれすけ」「教えてくんちょ」「やっぺよ」など懐かしい言葉が、ごくごく自然なイントネーションと発音で語られ演じ
られていたのに驚かされたのである。

 そして一方では、若い娘たちの奮闘ぶり。
 ハワイアンやタヒチアンのダンスに関して何の経験も持たない娘たちが、曲がりなりにも人前でダンスを披露し、それで収入を得るという
プロのダンサーとしての技を身につけていく過程が見事に描かれていて、思わず泣かされてしまった。
健気にがんばる姿とその精進によって見事にダンサーとして成長していく様子、それに「裸踊り」と揶揄する周囲の人々の理解をかちとって
いく経緯が何とも泣かせるのだ。
 常磐ハワイアンセンターは、現在は「ハワイアン・リゾート」としてますます発展している。これを創設しようと思った当時の人々の発想力と
先見の明に感動を覚えながら愉しんだ映画であった。
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ヤマハの「EZ-TP」を手に入れた。
誰でも簡単に演奏できる“歌う! トランペット”と謳い文句にあるように、マウスピースに口をあてて歌うと、声の音程・音量を自動的に感知してトランペットの音で演奏できるという楽器である。
それなりに練習しなければならないトランペットの演奏が、歌うことの出来る人であれば誰にでも可能、というバリアの低さで出現したのである。
バズィングをしてしまうと、まともな音にならないが、「アー」とか「ター」とか発音しながら歌うと、見事な音色で演奏することができる。本物のトランペットだと、何よりもその音色を手に入れるまでが大変で、そこで挫折してしまう人が多いのだ、(もっともそれはどの楽器でも同じだが)
これなら、子どもでもお年寄りでも、手軽に垣根を乗り越えて演奏を楽しめるだろう。
いわば「イージーギター」のトランペット版だ。学習指導の場でも大いに活用の余地と意義があるのではないかと見ている。
2007年10月6日
 ようやく秋である。秋と言えばハゼだ。東京湾でも江戸前のハゼが盛んに釣れているという。
 我が茨城県でも汽水湖「涸沼」というハゼ釣りの名所がある。ずいぶん昔に職員のリクレーションでその涸沼にハゼ釣りに連れていってもらったことがある。舟で沖に出て、エサをつけ竿を垂らすか垂らさないうちに手応えがあり、釣り初体験の私でも信じられないほど釣れてしまった覚えがある。嘘ではなく、お昼ご飯に用意してもらったおにぎりを食べている暇もないほどだったのである。後で考えてみれば、おにぎりを食べている間だけでも竿を下ろさなければ良かっただけなのだが、余りにも釣れるので「どうしようか」と思ったほどである。

 そのときに高校時代に教えてもらった俳句を思い出した。
 〜鯊釣るや 水村山郭 酒旗の風
 誰の作であったかは覚えていないのだが、鯊を釣っている釣り人とそよ風にはためく酒屋の旗をはじめとする景色を思い浮かべて、そののどかさをうらやましく想像したものであった。どうしてそのような俳句を教わったかと言えば、これは漢文の授業の中でのことであった。
 杜牧の五言絶句「江南の春」についての授業中のことだった。
 千里鴬啼緑映紅(せんり うぐいすないて みどりくれないに えいず)
 水村山郭酒旗風(すいそん さんかく しゅきのかぜ)
 南朝四百八十寺(なんちょう ししゃくはっしんじ)
 多少樓台煙雨中(たしょうのろうだい えんうのうち)


 この詩の二段目「水村山郭酒旗風」をきかした俳句がある、と先生が教えてくれた俳句が先のそれだったのだ。
 どうやらそれ以来、鯊と「水村山郭酒旗風」がセットになってしまい、ハゼ釣りの最中に思わずその句を思い出したのだった。
 毎年、今年こそはあの年の秋のようにハゼ釣りを愉しんでみたいものだ、と思いながら果たせないできた。
 今年こそは本当に出かけてみたいものだ。お天気のよい日をねらって、秋の風を堪能できたら、たとえ一匹も釣れなくても良いとまで思えるのだが。
2007年10月5日
 国会がようやく正常な状態に戻り、所信表明演説に対する質疑が展開されているようだ。
 なかでも「テロ特措法案」の扱いについての議論が今国会の目玉のようである。そもそも、この法案が施行されたのは、6年前の9.11を契機として、ブッシュ大統領がテロとの戦いを最優先課題であるとタリバンを征伐する戦争を始めたことへの国際協力への動きによってであったはず。

 ところが、同時多発テロ「9.11」そのものが本当にアメリカ政府の公式見解通りの事件であったかどうか疑わしい、という話があるというではないか。
 立花隆によれば、NYタイムズとCBSの共同調査で、アメリカ政府の公式見解を信じている人は16%しかいないという。政府が何か隠していると思う人が53%、ウソをついていると思う人が28%もいるのだというのである。
 高度防衛国家のアメリカで、何かことがあれば数分以内に迎撃戦闘機のスクランブル発進が可能であるにもかかわらず、何の阻止もできないままワールドトレードセンタービルへの突入をさせてしまったこと。一機のみならず、約20分後の二機目の突入もさせてしまったこともありえる話ではないとする。しかも、あの巨大なビルの崩壊の仕方も物理的に起きえないことで、明らかに爆発があったと思われるのに、その調査が行われなかったばかりでなく、飛行機の衝突と何の関係もない第七ビルも崩壊するというのは奇怪な話だ、というのだ。
 そればかりかペンタゴンの壁に空いた穴は、ハイジャック機よりもずっと小さく、ほんとうにあの飛行機が衝突したのかどうか疑わしいというのだ。
 インターネットでも、「
911ボーイングを探せ」など、その謎を指摘するサイトがあるが、極端な話では、9.11以前からアフガニスタン戦争、イラク戦争のプランができあがっていて、それを発動するために、9.11をアメリカが自作自演したのではないかという説すらあるという。
 
 国際協約という名の下で(その実、アメリカとの約束でしかない)イラクへの派遣、船舶への燃料補給を可能にするこの特措法案が、そうした謎が未だ未解決の中で、しかも国連のかけ声でなされるものではない戦争への協力という形で行われることをねらったものだということを知ると、ちょっと待てよと首をかしげざるを得ない。ほんとうはどうなのだろう。
2007年9月28日
 先ほどYahooニュースを読んでいてはじめてわかったことがある。
 あのちょんまげを結った松浪某という衆議院議員が「文部科学省副大臣」という地位にいることを、である。
 議場でヤジに憤慨し、あろうことかコップの水を振りまいた人ではないか?そう思ってWikipediaで調べてみたら、それ意外にも国会議員としての資質を疑われるような言動をたびたびしてきた人らしい。暴力団との関係も疑われるようなこともあったと言うではないか。そんな人が副大臣?
 もっとも強硬にモノゴトを推し進めようとした安倍政権にあっては、深い考えをもってことにあたろうとする人より、肉体の強さとエネルギーにものを言わせて、あたりかまわず突き進む筋肉馬鹿の方がふさわしかったのかも知れない。
 そんな人が副大臣を務める文部行政。何とも気が滅入る話である。もっと科学的な思考のできる人、教育についてしっかりした見識をもった人はいなかったのだろうかと思わざるを得ない。

 今日も暑かった。中秋の名月を過ぎたというのにこの暑さ。やはりこの夏は異常であった。
 昨日のニュースでは、今年の紅葉は例年より5〜6日程度遅れそうだ、とのこと。それはそうだろう。しかし、5〜6日程度の遅れで済むのだろうか。この異常な暑さではもっともっとずれこみそうな気がするのだが。
 それでも季節は着実に秋に向かって進行している。今こうして机に向かっていても、窓外からは虫の声が涼やかに聞こえてきてもうすっかり秋の風情。
 お隣の庭の萩もすっかり満開だが、萩と言えば水戸の偕楽園がそろそろ見頃を迎えることだろう。
 水戸では偕楽園や弘道館を世界文化遺産として申請するという話もある。実現するかどうかわからないが、もしそうなれば学問・芸術にかかわる施設としては日本初の文化遺産になるのではないだろうか。
2007年9月25日
 今日は中秋の名月。先ほどまできれいに見えていた月が、薄雲におおわれて朧な月に姿を変えてしまった。これはこれで美しいと写真におさめてみた。

 ニュース番組では先ほどから「福田新内閣の組閣完了」の報道がなされているが、どう見ても「国民のための政治」を真剣に志向するような内閣なのかどうか、正体が見えにくい。ふくみ笑いをして煙にまきそうな首相をはじめ、派閥の領袖が四役を担うといった顔ぶれなのだから致し方あるまい。

 それはさておき、このところ内田樹氏にはまっている。昨日も「子どもは判ってくれない」(文春文庫)を電車の中で読み耽ってしまい、危うく乗り過ごすところであった。知性や教養ということについて、わかりやすく、しかも従来とは異なる視点から掌をさすように論を展開してくれている。これを読んで受け止めてくれる若者が一人でも多くいるように願うばかりである。
2007年9月16日
〜こんなものを見つけた〜
 ネットでこんなものを見つけて手に入れた。とても小さなデジタル・ビデオ・カメラだ。バッテリーを含めても200gに満たない。2GのSDメモリーカードで65分の録画が出来る。また500万画素のデジタルカメラとしても、MP3プレーヤー、ボイスレコーダーとしても使える。ハンディーカムを持ち歩くことを考えると、年寄りには嬉しくなる軽さだ。とりあえず、10月に行われる学会での研究演奏を記録してみよう。動画の記録はこのDVCで、音声の記録は先に手に入れたハンディーレコーダー「H-2」で、高品位な記録がとれることを期待している。

 ところで、数日前に我が家の外壁にヤモリがはりついているのを見つけた。「家守」というぐらいで、ヤモリがいると何かよいことがあるという話だ、と家人と話していたら、今日は洗面所のガラスにうつるヤモリのかげ。(もちろん外側にいるのだが)大きさからするとまだ子どものようだ。どこかに巣でもつくっているのだろうか。
 聞けばお隣では、もうずいぶん前からヤモリが棲み着いているとか。分家でもしたのだろうか。 
2007年9月14日
 昨日、空いた時間ができたので、家内と二人で石岡市にある「常陸の國風土記の丘」に久々に出かけてみた。
 長女が幼かった頃に一度行ったきりだったので、20数年ぶりのことである。あまり近所にあると出向くチャンスを逸し、なかなか訪れないものである。
 行ってみて驚いた。当時から比べると、園内も拡張整理されており、駐車場や入り口なども変わってしまっており、多少まごついたりもした。もう少し時期が早ければ、大賀ハスが立派な花を咲かせている様子も見ることができたのだろうが、残念ながらもうすでにその時期は過ぎてしまっていた。そのかわり、もう萩やコスモスがぼちぼちと咲き始めている。これからますます佳い景色をつくっていくことだろう。
 園内には、古代から近世までの民家や常陸の国府建造のために築かれた工房の建物などが復元されており、じっくり時間をかけることができれば丸一日でも興味深く過ごせそうだ。
2007年9月12日

 今日、安倍首相が突然の辞任表明をした。
 
「戦後レジームからの脱却」をスローガンに掲げ、平和憲法によって日本という国がどれだけその恩恵に浴することができたかを理解することもなく、旧い体制に戻そうとするかのような時代錯誤の感覚を持ったこのような首相には一日も早く辞任をしてもらいたいと、多くの国民が望んでいたことであるから、そのこと自体はむしろ喜ばしい。
 
また、「美しい国」「美しい星」などと上滑りで安直・意味不明な言葉を弄して、平和憲法そして教育基本法という国の根幹をなす大切な法に手を加えようとし、実際に教育基本法を次元の低い論理で作りかえてしまった首相が長くこの地位に留まることは、日本にとって決して望ましいことではないと見ていた多くの国民にとって歓迎すべきことであろう。

 しかし、なぜこのタイミングなのか、ということについては誰しもが疑問に思うことではないか。このような中途半端で無責任な辞め方をした総理大臣がこれまであっただろうか。ある衆議院議員が『このような中途半端な辞め方をする、ということは彼自身がとうてい美しい国や規範意識について語れる器ではなかったことの証し。極めて幼稚な政治感覚の持ち主。』と評したように、判断の甘さと過ち、決断の鈍さがこの人の骨格をなしているのだろう。「KY(空気が読めない)」と評されたのも、そうしたことの現れであろうし、松岡農水大臣を自殺に追い込んだのもこの人の優柔不断さがもたらしたものである。
 また、参院選挙で自民党が大敗したのも国民の望んでもいないことを「国民との約束」であると勘違いして選挙の論点にしたことが招いたことであるにもかかわらず、そのことに気づけないというのも、この人の政治感覚の甘さによるものではないか。
 そして極めつけは、参院選で大敗したときに退陣していれば将来もう一度チャンスが巡ってくるかも知れなかったにもかかわらず、首相の座にしがみついて退陣の時期を逸し、その上、所信表明演説をしてそれに対する代表質問を受けようとするその日に首相の座を降りてしまうという無責任極まりないと言われても仕方のない「辞めどき」の選び方。

 田中康夫元長野県知事は「シドニーでブッシュに激励されたら『職を賭す』と強がりを言い、国内で反発を受けると『辞める』という。お坊ちゃん気分で発言する人は首相のみならずどんなリーダーにも向かない。美しくない政治、日本を世界に発信して辞任するとは語るに値しない」と語ったと言われているが、すべての政策と方針が、この「お坊ちゃん気分」から出たものであり、しっかりした理念と理想に基づいたものでないことは想像に難くない。
 岸総理のDNAがこの人の行動原理で、「戦後レジームからの脱却」「世界のリーダーたるべき日本」「美しい日本」などの概念も、岸信介の孫という「お坊ちゃん気分」でさしたる深い考えもなく言われたことでしかないのではないか。
 そんな低次な発想で教育の方向をねじまげ、教育されなければならない存在として国民を位置づけ、競争による教育を押しつけ、徳育の復活を実現させ、戦前・戦中の教育を彷彿とさせるような教育体制を築こうとしたのも、その文脈の中での発想でしかないと思われてならない。

 そのように体制を壊し、めちゃめちゃにしておいて、都合が悪くなると「僕ちゃんは辞める」と言い出すのも「お坊ちゃん」の常。殿様の細川政権がそうであった。古くは徳川慶喜もそうであった。庶民の生活感覚とは無縁の「殿や御曹司」には、自分のしていることが国民に重大な影響を及ぼすことであるという感覚が欠如しており、まるでゲームでもするかのように権限の行使を楽しむ存在なのであろう。だから都合が悪くなったり、それがもとでイヤになったり、果ては飽きたりすると、いとも簡単に無責任に「辞〜めた」と放り投げるのだ。このような無責任な人物がこの一年間、国の進むべき方向について語り、百年の計と言われる教育の方向をねじ曲げてしまったことは国民にとって大迷惑である、と言える。辞め時のタイミングの悪さ、おもちゃ箱をひっくり返すようにして散らかしておいて辞めるというその無責任さにもっと国民は怒っても良いのではないだろうか。

2007年9月9日
 今日は9月9日。語呂合わせで「救急の日」なのだそうだ。
 また、重陽の節句でもある。なぜ「重陽」なのか。調べてみた。
 古来、中国では奇数は縁起の良い「陽の数」とされ、一番大きな陽の数が重なることから9月9日を「重陽」と名付けて節句の一つとしてきたのだそうだ。因みに五節句の他のものも調べてみた。
 ・1月7日〜人日(じんじつ)の節句
 ・3月3日〜上巳(じょうみ)の節句
 ・5月5日〜端午(たんご)の節句
 ・7月7日〜七夕(たなばた)の節句
 ・9月9日〜重陽(ちょうよう)の節句
 また、この重陽の節句には、
菊の香りを移した菊酒を飲んだりして邪気を払い長命を願うという風習があったことから、「菊の節句」とも呼ばれているという。

 そんなことを調べていたら、「今日は何の日」というサイトで、9月9日は「ベートーベンが生涯最後の公演をした日(1825年)」とあった。
 そうだったのか。しかし、どこのホールで、何の曲を演奏したのか、ピアノを演奏したのか、指揮をしたのか、などについて調べようとしたが、手がかりは得られなかった。残念だ。
2007年9月3日
 学校では、今日から新学期。子どもたちのにぎやかな声が学校に戻ってきて、新しい活動が元気に展開されたことだろう。さっそく運動会や体育祭の練習にとりかかった学校も多かったことだろうが、夏休み中の猛暑から一転、涼しい学期の幕開けで「救われた」と感じた子どもたちも大勢いたのではないだろうか。

 新聞やテレビでは、組閣一週間にして早くも農水相辞任の問題や横綱朝青龍の問題、昨日行われた世界陸上女子マラソンで粘り強い走りを見せ、唯一銅メダルを獲得した土佐選手の話題等でにぎやかだ。
 それにしても、どうでもよいことだが安倍首相の「政治とカネの問題について十分な説明ができない閣僚には去ってもらう」という発言は、いかにも他人事で自分が任命したのだということを忘れた無責任さを感じざるを得ない。自ら手を挙げて「農水相にしてくれ」とその任についたわけではなく、首相が任命した人間についての話なのだから「去ってもらう」という言い方はないだろうと、違和感を覚えるのは私一人だろうか。

 それはともかく、ハンディーレコーダーを手に入れた。内蔵のステレオマイクで2GBまで録音しWAVファイルとして保存できるものだ。ローカットフィルターやコンプレッサー/リミッターも内蔵しているので、ライブの演奏を録音しても高品位の音で録音し、編集可能。
 しかも収音する方向と角度もある程度選択可能で、必要に応じてフロント方向・リア方向の2つのマイクロフォンを動作させてサラウンド2CH録音も可能。臨場感のあるレコーディングができることだろうと期待大である。
2007年7月30日
 注目の参議院議員選挙が終わった。多くの予想通り、と言うかそれを上回った自民党の大敗北。
 しかし、安倍首相は続投の意向だという。年金の問題にしても、閣僚の不祥事や不用意発言の問題にしても、それは安倍氏本人の問題ではないから、責任をとって辞める必要はないとの判断だという。
 だが、この選挙は「戦後レジームからの脱却」を謳い文句に乱暴きわまりない国会運営を官邸主導でしてきた安倍政権の政治姿勢を問う選挙であったはずだ。決して年金問題や政治とカネにまつわる不祥事などの目先の問題などではなく、日本の将来を見据えた根本的な問題こそ、この選挙の核心だ。
 そうした政治姿勢にかかわる問題に国民が「否」を表明した結果が、この惨敗であることから、懸命に目をそらそうとしているかのようだ。思うに、安倍首相という人は、「辞める」「辞めさせる」ことで潔い姿勢を示すということを知らない人であるようだ。
自らも、そして他をもかばい、かばうことでますます自らの「信」を失うということの怖さを知らない人であるとしか思えない。
何とも困った人だ。

 それはともかく一昨日から難問に突き当たっている。
 Wordで文章を編集していたのだが、文中に脚注を挿入し、本文を2段組にしたところ、あろうことか脚注まで段組みされてしまうではないか。これは不都合だ。脚注に影響を及ぼさず本文のみを2段組にしたいと思っているにもかかわらず、幾度やっても脚注に影響が出てしまう。
 因みに一太郎で試したところ、そうした問題は発生しない。入稿はWord形式の文書なので、一太郎で出来ても何の意味もない。何と不便なアプリケーションであることかとWordを呪いながら四苦八苦しているところである。
2007年7月20日
 先日受けた健康診断の結果が出た。特にどこにも異常はない。ガンの再発も兆候がないようだ。
 ただ「要指導」の欄に「低体重」とある。「痩せすぎですよ、気をつけなさい」という指導なのだろう。いわば逆メタボだ。
 そんな指導事項があるなんてはじめて知った。しっかり食べてもう少し太りなさい、ということなのだろうが、しかし、そんなことを言われても食べられないのは仕方がないことではないか。普通の人と同じ分量を摂ることができず、食事は毎食戦うようにして摂っているのだ。ちょっと食べればすぐに満腹になり、苦しくなってしまうのだから。
むしろメタボ気味の人に「せめて胃を半分にすれば、すぐに痩せられますよ」とお薦めしたいくらいのものだ。

 ところで、参院選挙の真っ最中である。争点は「年金問題」や政治資金などをめぐる「カネと政治の問題」だとマスコミははやし立てるが、そんなことではないだろう。もっと大きな問題は、安倍晋三首相の政治姿勢や政権運営を問うことなのではないか。
 社民党の福島代表がいみじくも「ぼくちゃんの ぼくちゃんのための ぼくちゃんによる政治」と表現した安倍首相の国政に対する姿勢とそのめざすところこそ問われなければならいはずだ。
「首相になったのだから自分のしたいことを実現する、それが失敗した時には責任をとる」と言っているようだが、首相を辞任して責任をとってもらっても仕方がない。失敗のツケを負うのは国民なのだ。そんな自分の浅はかな夢の実現のために慎重で十分な論議を深めることなく、「力と数の論理」で性急にそして乱暴に立法を推し進める姿勢は決して美しいものではない。
 目に見えやすいカネの問題や生活の問題を論点にしてしまっては、この国の将来に禍根を残すことになりかねない。
 しっかり見据えて判断した上で1票を投じたいものだ。
2007年7月17日
 昨日は、市内の老人施設から依頼を受け、ボランティアで歌を歌ってきた。その施設で行われる七夕まつりの中で歌ってくれとの要請だったのである。聴いて下さるのが特養のお年寄りなので、岡本敦郎や藤山一郎などの懐かしい歌ばかりを選んだ。午後からの催しなので午前中少し練習をと思い、発声練習をかねて歌っているとかなり大きな揺れを感じた。地震だ。急いでテレビをつけてみると、中越・長野で震度6強の地震が起きたという。
 またしても中越に大きな被害が出そう。
 私の甥が小学校からずっと野球に頑張ってきている。
 現在高校3年生。私の地元でも夏の高校野球県大会の真っ最中だが、その甥の試合が昨日行われ、地元のケーブルテレビで放送された。実は数日前に第一試合があって、その試合で彼はヒットを打ち、一つ勝ち進んで昨日の第二試合を迎えたのだ。12時20分開始の試合だが、老人施設に行かなければならない。ビデオにとって帰宅後に見ることにした。帰ってきてビデオを見ると、残念なことに負けてしまっていた。彼の高校球児としての最後の夏は終わった。
 ところで地震である。テレビに映し出される倒壊した家々、脱線した電車、亀裂や段差の生じた道路など、予想以上の被害の大きさのようだ。何だかいろいろなことがあった昨日一日であった。
2007年7月14日
 メールに添付されているファイルが読み込めないという事態に遭遇した。拡張子は「docx」となっている。
 何の事やらと調べてみると、Office2007で作成した文書はXMLに対応するためこの形式で保存されるという。
 エクセルもパワーポイントも、新しいOffice2007で作成したファイルは、拡張子に「x」がつけられるという。
 そうだったのか。コンバートして読み込めないはずはないと思っていたら、Microsoftからアドオンが無償で配布されているというではないか。
 早速ダウンロード・インストールしてみた。
 くだんのファイルは従来の「doc」ファイル同様、私の使用しているWord2003でもめでたく読み込むことができた。
 ひょっとすると私と同じように、送られてきたファイルが開けないと戸惑っている人がいるのではないだろうか。
 この互換機能パックのダウンロードは下記のページで。
http://www.microsoft.com/downloads/details.aspx?displaylang=ja&FamilyID=941B3470-3AE9-4AEE-8F43-C6BB74CD1466
2007年7月2日
 編曲やそれに伴う録音をそれとなく依頼されることが多い。これまで使っていたPCが力不足に感じられるようになってしまったので、1ヶ月ほど前に新しいPCを購入した。Vistaは不要と見きわめ、XP搭載のPC、それもハードディスク250GB以上、メモリ1GBをめやすにあちこち探し回り、ようやく見つけたものだ。
 購入してから録音のテストをしていなかったのだが、つい先日のこと、録音を依頼されていつもと同じソフトXGWorks-STを起動しいつもの手順で録音しようとしたが、マイクロフォンからの録音レベルが低く、とても使えたものではない。
 原因を探ってみると、そのPCに搭載されている「Realtek HDオーディオ」が適正に設定できていないためのようだ。
 しかも正しく設定した(と思うのだが・・。何せマニュアルがないのだ。そう言えばMebiusにもこれが搭載されていて、マイクロフォンからの録音を諦めたことを思い出した)にもかかわらず、今度はXGWorks-STとの相性でも悪いのかレベルが思い通りに上がらない。
 こうした作業をするために購入したPCである。ここで諦めるわけにはどうしてもいかない。
 どうしたものかと思案の挙げ句、ここでは使用するつもりがなかったMW10を使ってみることにした。
 MW10は、標準プラグも装備しているが、キャノンプラグで接続する方がよさそうだ。早速キャノ→キャノで接続し試してみる。
 当然の事ながらうまくいくではないか。十分なレベルが保たれている。
 ついでのことに新しいマイクロフォンとマイクスタンドを購入することにした。それもブームつきのスタンドである。
 これで、これからの録音作業はスムーズにできるはずだ。
2007年6月16日
 MicrosoftOfficeを使って日常の作業をしている人が多いと思われるが、personal版にはパワーポイントは同梱されておらず、パワーポイントを使用したいという方はより高価なprofessional版を購入しなければならない。あるいは別売りのパワーポイントを購入しなければならないが、単体でも結構な支出を覚悟しなければならない。
 KINGSOFTの「Office2007Standard」は、MicrosoftOfficeと完全な互換性を持ち、しかもプレゼンテーションソフトも同梱されていて非常に安価。これまでもフリーのOpenOfficeというソフトはあったが、完全に互換性が保たれているとは言えなかった。
 しかし、KINGSOFTのものは見た目も操作性もファイル形式も高い互換性を持っている。しかも、PDFに出力する機能も持ち、自動アップデートに対応しているので常に最新の状態で使い続けることができるという。

 試しにインストールしてみた。以前作成したプレゼン資料もワード文書もワークシートもMicrosoftOfficeで開いたと同じように表示され、しかも重たくない。軽快に操作できるではないか。すこぶる安価に、しかもプレゼンテーション・ソフトも手に入れたいという向きにはぜひお薦めのソフトである。何と言っても4分の1から5分の1の出費で互換性の高いOfficeソフトを手に入れることができるのだ。
2007年6月12日
 おもしろいピアノアレンジの曲を見つけた。変奏曲である。主題は「ぶんぶんぶん」。
 幼稚園児や小学校低学年の児童が歌うあの「ぶんぶんぶん」である。それをさまざまな作曲家の手法で(というより、その作曲家の有名な曲のモチーフを生かして)編曲しているのだ。編曲者は橋本晃一氏。ピアノの教則本や編曲でお馴染みの方で、楽器屋さんのピアノ曲集の棚を覗けば、必ずと言ってよいほどお目にかかる名前なのでご存知の方も多いだろう。
 昔、フランソワ・グロリューがビートルズのいろいろな曲を、著名なクラッシックの作曲家が作ったとすればこうなるだろうと思わせるような演奏を聴かせてくれていたが、それを思い起こさせるような楽しい編曲である。
 試しにDTMで打ち込んでみた。橋本氏に敬意を表してご紹介する次第。→
こちらで試聴できます。
2007年6月9日
 今日は「ロックの日」なのだそうだ。「6(ろく)/9(く)」の語呂から愛好者がそのように決めたとか。いろいろな記念日があるものだ。

 主要国首脳会談、いわゆるサミットが閉幕した。安倍首相の記者会見の模様をみて、何のことかと恐れ入ってしまった。
 今回のサミットの主要な議題は、「温室効果ガスの削減問題」であったが、日本の基本戦略「美しい星50構想」というものを提案したとかで、『私の提案を基軸として議論が行われ、その提案が首脳文書に盛り込まれた』と満足げな様子で話していたのだ。
 「美しい国日本」に続いて「美しい星」とは、この首相はよほど「美しい」という形容詞が好きなようだが、そのことはまず措くとして、自分の提案を基軸として議論が展開された、とか自分が議論をリードしたとか、自分の主張が支持を受けたとか、それが首脳文書に盛り込まれ成果を実感しているとか、何とも小学生がするような「自慢話」めいたことばかりで、程度の低さに驚かされたのである。

 サミットへのデビュー、しかも国内では内閣支持率の急落ということもあって、その成果を強調したい気持ちもわからなくはない。
 しかし、世界をリードすることがそれほど価値あることなのか、リーダーシップをとることがそんなにすばらしいとする価値観はどこから生じるのかと素朴な疑問と同時に不気味さを感じざるを得ないのだ。
 かつて「八紘一宇」「大東亜共栄圏」を唱え、その中心に日本を位置づけ、アジアの国々を恐慌に追い込み、大迷惑をかける結果になった膨張主義を想起させるからだ。
 できることならそうした反省に立ってリーダーシップをとることなど何ほどのことがあろう、と自国の充実を図り、その上で世界に貢献・寄与できる国づくりをめざすような「見識の高さ」と誇りを持って欲しいと思うのだが、この人は(ちゃちでちっぽけなとしか言いようのない)お山の大将志向しか持っていないようにしか見えない。

 そんな程度の低い自己満足のために国の行く末を左右されたのでは、国民はたまったものではない。
 「美しい」とこの人が言う程、それは「美しい」ことではあるまい。
 「美しい」とは、「美し(うまし)」ことであり、それは表面的なきれいさではななく、「よいこと」「りっぱなこと」を意味する価値あることを意味する言葉だからだ。
 お山の大将になることがさほど「りっぱなこと」ではないことは明白であるし、そうした見識の低さで世界をリードするなどということが、真に世界に貢献・寄与できることにはなるかどうか疑わしいものがある。
 そのような夜郎自大ともいうべき下心をとりつくろうように「美しい」という美辞で飾っても、この国はよくはなるまい。
 まずは取るに足りない「世界の中での勝ち組志向」から脱却することこそ大事なのではあるまいか。
2007年6月6日
 今日は6月6日。日本では、古来、踊りや邦楽などの芸事は、6歳の6月6日から始めると上達すると言い伝えられているようだ。
 そこで「お稽古の日」というのだそうである。
 その道具となる楽器も、全国楽器協会の提唱により、この日を記念日としているようで、こちらは「楽器の日」。
 同様の主旨で「いけばなの日」「お稽古の日」でもある。
 いずれにしても「習い事」を6歳に始めれば上達が望めそうだと昔の人が考えたということなのであろうが、かつての6歳と言えば
それは「数え年」。現代の満年齢で言えば5歳である。
 絶対音感が身に付くかどうかは、6歳までに音楽の教育を受けるかどうかにかかっているとよく言われるが、洋の東西を問わずこのあたりの年齢が、肉体的にも感覚的にもさまざまな情報をありのままに受容し取り込むことのできる分水嶺として経験的にわかっていたということなのであろうか。
2007年6月4日
 昼頃のニュースでピアニストで作曲家のハネケンこと羽田健太郎氏が亡くなったことを知った。
 クラッシックからポピュラー、ジャズまで幅広いジャンルで活躍し、最近は指揮までこなしており、多くのファンに親しまれていたのに残念なことである。私よりずっと年上かと思っていたのだが、まだ58歳だったとのこと。早すぎる死に驚くと同時に、彼の軽妙洒脱な話が聞けなくなってしまったことに言い知れない寂しさを感じる。非常に残念である。

 仕事部屋に使っていた部屋を整理し始めた。改めて見てみると、狭い一軒家にもう使わなくなった古いパソコンが5台もある。
 何とか廃棄しなければならないが、リサイクル法が施行され簡単に粗大ゴミとして捨てることなどできないことから、ずるずると置きっ放しになっていたものだ。XPパソコンに関しては、近所のPCショップで買い取ってもらうこともできたのだが、古いものに関してはそうすることもできない。何と言ってもWindows95、98の時代のもの、それに同時代のMacなのだ。古すぎてリサイクルマークなど貼られていないので有料でリサイクルに回さなければならない。この際、覚悟を決めてそれぞれのメーカーのサイトにアクセスし、処分の申請をすることにした。これで仕事部屋もいくらかすっきりするはずである。

2007年5月29日
 昨日、松岡農水相が自殺をしたことで、新聞・テレビなどマスコミは今日もその件に関する報道一色だった。
 法の不備を盾に「法に従って処理をしている」と事務所費問題についての説明を避け続けてきたものの、独立行政法人・緑資源機構を巡る官製談合事件について検察から捜査の手が伸びたことから、行き詰まってしまい自殺をしたのであろう。

 昨日のニュースでは、石原東京都知事が『死をもって償ったということはサムライである証』などとコメントしていたが、そうとらえてよいのだろうか。自分が死ねばすべてをうやむやにできると判断しての自殺であるとすれば、それはいかにも「潔さ」に欠ける行為でしかなく、その意味でサムライという言葉で象徴されるところの姿とは対照的なものとしか思えない。
 自らのしたことをきちんと説明し謝罪することもなく、大臣を辞することもなく、死を選択して疑惑をあの世に持って行ってしまうというのは、サムライとは対極の「卑怯な行為」としか思えないではないか。

 自己を利することに汲々とする余り不正な行為に走ったことであるから、国と国民のためにしたことと「正当性」を主張できるような説明はできなかったであろうが、少なくても非を認め謝罪することはできたはずだ。もしかすると、それすらできない状況にあったということも考えられる。自分が非を認めることで、他の多くの者に迷惑が及ぶと判断したということもあるかも知れない。必要以上に疑惑の大臣を擁護し続けた首相、彼の権力にすがって寄っていった多くの人々、彼の権力を陰から支え指示を与えた人々など、及ぼす影響の大きさを考えると足がすくむ思いもしたであろうことは容易に想像がつくからである。
 とりわけ彼を登用しかばい続け、死を選択するしかないというところにまで追い込んだ首相の責任は大きいだろう。

 政治の世界が決して「美しい世界」でないことは承知しているが、政治家である以上「国と国民のために」が第一義と認識されていれば、もっと「潔い態度」がとれ、正々堂々を貫けたのではないか。
出処進退を潔くすること、それがそもそも政治家としての「覚悟」ではないのか。潔さの欠如、覚悟のなさがいまの日本を覆っている感があるが、国の方向を討議する場にいる政治家には、その姿をもって「あるべき姿」を示して欲しいものである。
 そうした姿を見せなければ国民の政治離れは加速し、志を高く持とうとする市民・国民など育ちはしない。
 教育改革を叫ぶ前に、立法・行政にかかわる人間として自らを厳しく律する必要があるのではないか。
2007年5月25日
 ソースネクストがフリーで使用できるオンラインのオフィスソフトを提供し始めた。
 グーグルでは一足早く、ワープロと表計算のオフィスソフトをオンラインで提供しているが、今度のソースネクストの「ThinkFreeてがるオフィス」はプレゼンテーションソフトも準備されている。
ダウンロードやインストールは不要で、インターネットに接続されている環境であれば、いつでもどこでもオフィスソフト(ワード・エクセル・パワーポイント)を使うことができるのだ。

 しかも一人のユーザーが使えるディスクスペースは1GB。余裕のスペースではないか。
 作成したファイルは、他のユーザーと共有することもできるので、共同作業も可能。メールアドレスと任意のパスワードを入力するだけで、使用手続きは完了。
 グーグルで提供しているものと違って、このワードやエクセルはメニューも日本語。普段使っているワードやエクセルと同じメニュー、同じファイル形式で作業することができるので、戸惑うこともない。
 当然パワーポイントはpptファイル形式なので、自分のPCで作成したデータを読み込み、他のユーザーに公開することも可能だ。
 その画面はこちらのページに掲載してみた。→こちら 
2007年5月12日
 ひょんなことから、コカリナという楽器を演奏する方と知り合いになれた。あちこちでその楽器の奏法を指導したり、コンサートを開いたりしているという。 コカリナとは木でできたオカリナのことだという。
 しかも、この市内でも公民館が主催する講座で、その先生が指導をするというので、家内が早速受講の申し込みをし、練習を始めた。
 素朴ですてきな音のする楽器だが、両手の親指でおさえる2つのトーンホールが裏側にそれぞれ1個ずつ、そして前には両手の人差し指・中指でおさえる穴が4つ。計6個のふさぎ方の組み合わせで音階が鳴らせる。リコーダーのように順次おさえる(ふさぐ)というのではない分、結構むずかしい。それでも魅力的な音色なので、私も挑戦しているところである。
2007年4月30日
 いよいよ4月も晦日。明日からは風薫る5月である。そう言えば、家の周りの木々も美しく新緑で彩られている。
 ところで昨日は「昭和の日」。昔は「天皇誕生日」であった。そして私ども夫婦の結婚記念日。
 娘たちからは、それぞれ電話やメールで「おめでとう」のメッセージが送られてきた。
 思えばよい季節に結婚したものだ。清々しく爽やかな季節に祝いの日を迎えられることに感謝したい。
 しかも「昭和の日」と名前の変わった祝日である。
 団塊の世代の私としては、昭和の「明るい面・暗い面」両面を見据えた上で、なお貧しくても豊かだった昭和、乏しくても夢のあった昭和を象徴する日に記念日を迎えられることを誇りに感じるのである。

 さて昨日は、私の友人が地区の方々から依頼を受けて作詞をした「花室小唄」のレコーディングをした。
 頼まれて私が作曲をしたのだが、歌うのは「TX音頭」を一緒に歌った北条けい子さん。さすがに歌が上手なので、スムーズにレコーディングの作業が進み、CDに納めることができた。
 サンプルの演奏を次のページで→
こちら。
2007年4月25日
 この4〜5日間、どうしようもない肩こりに悩まされてしまった。寝ていても辛い。
首が重いし、首から肩、そして背中にかけて「イライラ感」が抜けない。デスクトップに向かっても、マウスを握って操作することすら辛いのだ。マウスをほんの少し移動したり左右のボタンを押しただけでも、右腕、右肩、背中全体がすぐに疲れるし、何と言っても首を左右に振ること自体が痛いために苦しい。
 そんなときに、JEKS(日本電子キーボード学会)事務局からメール。事務局の所在地が変わったので、JEKSのホームページに記載されている関連のページの変更を、というものだ。一刻でも早く何とかしなければならない。

 そこで近所のドラッグストアに出向いて肩こりに効きそうな薬を探す。探す必要などないほど何ともたくさんの塗り薬や飲み薬、湿布薬などが売られている。肩こりに悩む人が多いという証であろう。これで私もようやく一人前の人間になれたということか。

 手頃ですごいものを見つけた。「フェイタスローション」という塗り薬である。箱書きに「フェルビナク」を主成分としているという。何だか知らないが効きそうな名前ではないか。塗った途端に楽になれそうだ。しかも3%配合だという。たった3%で効果がある、ということはよほどすごい効き目をもった成分なのであろう。迷わずにそれを買うことにした。
 脇に目を移すと、大きな文字で「貼付面に磁力線集中!100ミリステラ」と書かれた箱がある。意味は不明だが、100ミリステラなのだ。100ミリステラもの磁力線が肩全体に行き渡ってすごいことが起きそうな気配である。しかも、「謝恩増量サービス中」として10粒も余分に入っているという。買うしかあるまい。

 家に持ち帰り、早速フェルビナク成分を痛む箇所全体に塗り、さらにその上から100ミリステラの磁気バンをこれでもかというほど貼ってみた。

 それから数日、薬が効いたのかどうかは不明だが、あの辛さは嘘のように去って、首を回してもマウスを握っても、こうしてキーボードを叩いていても何の痛痒も感じない。おかげでこうして日記を書けているわけである。めでたしめでたしなのである。
肩こりなんて大嫌いだ。
2007年4月13日
 今年はじめてツバメの飛ぶ姿を見かけた。4月なかばなのにちょっと早すぎないか、と思うのだが、その気になって探してみると近所のドラッグストアにもうしっかり巣ができていた。

 今朝の新聞で大学時代からの友人が亡くなったことを知った。昨年3月、ある学校に校長として赴任することが決まっていたにもかかわらず、転勤間際に急に退職をした友人だ。その後、肺ガンに冒されていたことを知った。闘病1年で早い死を迎えたことになる。
 彼には長女も中学時代お世話になったものである。剽軽で明るかった彼からは、ガンに冒されることになるとは想像もしていなかったのだが。ご冥福を祈るばかりである。

 「ゆとり教育」が実施されてからはじめての学力テストの結果が公表された。おおむね成績は向上しているという。
しかも「学ぶことは大切」などと学習意欲面でも好ましい傾向が窺えると言う。これまでの指導要領に基づく学習指導がようやくその成果を表し始めたということであろう。声高に「学力の低下」を唱え、性急・拙速に学習指導要領を方向転換させた人々には猛省を促したいところである。

 覚王寺(つくば市花室)の住職をしている私の友人が「霞ヶ浦讃歌」という歌をつくった。県内外に茨城のよさをアピールし、併せて自分たちもそのよさを再確認しようという願いを込めてつくった曲だという。作曲者自らが歌っているところもウリである。
 折も折り、この週末には日本全国からランナーが14000人参加して「霞ヶ浦マラソン」が催される。
 大会事務局では会場でその「霞ヶ浦讃歌」を流して演奏してくれるという。反応はどうであろうか。
 (※こちらで一部試聴できます。
 また彼が住職を勤めるお寺のホームページづくりのお手伝いもし、このほどアップにこぎつけることができた。
 
→こちらのサイト
2007年4月8日
 天気予報では朝から一日中曇りのはずだったのだが、思いがけず晴れ。
 そこで、名残の桜を見物しに出かけることにした。
 ますは、土浦新川沿いの桜から。川面に張り出した枝々は桜が満開。いままさに見頃と言ってよい。川岸ではちらほら散り始めた花びらの中で、気持ちよさそうに釣り糸を垂れる人々が大勢いる。
 新川から桜川へ。河畔の桜並木は春爛漫の風情。うららかな日差しの中で遠く見る桜並木は気持ちを和ませる。
 それから大急ぎで竜ヶ崎へ。般若院の枝垂れ桜を見にいった。が、残念なことにもう花の季節は終わり、葉桜になってしまっていた。
 もう1週間早ければ、今年も見事な枝振りの花を堪能することができたのだが。
 さらに牛久大仏で有名な牛久淨苑へ。霊園に通じる長い桜並木が見事である。並木越しに見える大仏が絵になる。
 土浦への途中、阿見を通りかかると阿見の町はどこもかしこも桜、また桜。
 阿見は予科練の町。ひょっとすると「貴様と俺とは同期のさくら〜」という歌でもわかるように、予科練の町ということで桜がこれほど植えられているのだろうか、と思えるほど。特に茨城大学農学部前の通りの桜並木は見事。花吹雪の中を通り抜けて帰ってきたが、あと何回桜を眺めることができるのだろうかと考えると、一日たりともおろそかにできないとがらにもなく心が引き締まる思いだ。
2007年4月3日
 内田樹(神戸女子大教授)の書いた「下流志向」(講談社)読了。
 近所の書店で目にとまり、しばらく立ち読みをしていたのだが、これはどうしても購入しなければと思い、買ってきたものである。
 学習意欲の低下については、将来に向けての「期待や希望」を子どもたちが持てなくなってしまったために起きていることと考えていたのだが、どうやらそんなことではないらしい、ということについての考察をまとめたものである。
 これによれば意欲の低下もニートの増加も根っこは同じであるという。
 その根っこについてすこぶるわかりやすく、しかも鋭く絵解きをして見せてくれている。
 ある講演の記録に加筆修正をしたものなので、読みやすくわかりやすい。ものの3時間もあれば読めてしまうであろう。
 この本を読めば、中央教育審議会や教育再生会議の議論も結局のところ教育の再生には何の効果も及ぼさないであろうということを再認識させられること請け合いである。
 教育、社会、地域、家庭で起きているさまざまな問題が、あるキーワードを核にみごとに結びつき、『そういうことだったのか』と納得させられる。
 いずれにしても社会がその意識を変え、社会を構成している私たち一人ひとりの「生きる」上での認識が変わらなければ、到底この問題の解決はおぼつかないであろうと痛感させられる。教育技術や指導法の問題ではないからである。
 詳しくはブログで考えてみたい。
2007年4月1日
 いよいよ新年度、学校では新入生を迎え入れる準備や学年始めの準備で慌ただしくなることだろう。
 昨夜は長女の所属するオーケストラの演奏会が府中の森芸術劇場で催される、ということで聴きに行ってきた。
 東京はもうすっかり桜が満開。中央線御茶ノ水駅付近からは見事な桜並木を車窓から楽しむことができた。

 コンサートのプログラムは、エルガーの弦楽セレナードホ短調、プロコフィエフの古典交響曲、ベートーベンの交響曲3番という構成。
 エルガーの弦楽セレナードは初めて聴く曲であったが、弦のアンサンブルが見事ですっかり魅了されてしまった。曲、演奏共にすばらしいものであった。また、古典交響曲は、オーケストラとしては小さい編成ながら、厚みのある豊かなサウンドで表現されており、これも楽しませてもらった。
春の宵のコンサート、ゆったりした気分で楽しい時間を持つことができた。娘に感謝である。
2007年3月25日
 3月も末になってしまった。学校では卒業式や終業式も終わり、年度末の残務整理や新年度の準備で多忙なことであろう。そんな中、北陸地方で震度6弱の大地震。倒壊した家、亡くなったり怪我をされたりした方も多いことであろう。
夕方になっても余震は続いているようである。
 
 さて、大相撲春場所は優勝決定戦の結果、白鵬の優勝が決まった。ずっと朝青龍の優勝が続いていたので、白鵬にもうひとふんばりしてもらい、2横綱の時代が早く来てもらいたいものである。
 
 閑話休題、数日前からインターネットの接続に時間がかかるようになってしまった。しかも、接続中に頻繁にエラーが起こる。ひょっとしてウイルスに感染してしまったかと心配になり、オンラインのウイルスチェック(これがまたひどく時間を要する)をしてみた。スキャンの結果、感染のおそれはなかった。原因として予想されるのはIEの不具合しかない。つい何日か前にIEをバージョンアップしたのだ。どうやら不具合はその頃からのように思われる。
 IEを使用せずに、もっと速いブラウザをと探してみると「Mzilla Firefox」があるではないか。早速ダウンロードしてインストール。インターネットにアクセスすると、これまでとはうってかわったように速い。サクサクと表示される。これまでずっとIEを使い続けてきたが、何か損をしたような気分である。
2007年3月12日
 一昨日・昨日と早春の鬼怒川・日光を訪れた。次女夫婦が誘ってくれたのである。
 風はちょっと冷たかったものの春の日差しの中で楽しい二日間を過ごすことができた。
 新宿で小田急でやってくる娘夫婦と待ち合わせをして東武「特急きぬ5号」へ。
 浅草からではなく、これは新宿から出るのだ。大宮までJRを使うダイヤのようだ。

 鬼怒川に着いてみると多くの観光客で賑わっている。お天気もよいのでホテルまで歩くことに。ホテルまでの道は桜並木。桜の季節はさぞや美しいことだろう。
 温泉でゆっくりとくつろぎ、一泊して起きてみると雨。しかも霙まじりで風も強く冷たい風。日光に出向こうと思っていたのでどうしようと逡巡したが、動き回っている数十分の間にみるみる天候が回復。信じられないほどのよいお天気になった。

 日光を見学して東武日光の駅に来てみると、雪をいただいた日光連山が美しく見渡せる。
 駅前で食べたゆばラーメンがおいしかった。
 いったん鬼怒川温泉駅に戻り、特急スペーシアに乗って北千住まで。
 温泉もよし、ホテルもよし、景色もよし、そして食事もよし、そして快適な特急の旅もこれまたよし、天候にも恵まれた楽しい小旅行であった。
2007年3月1日
 2月は逃げる、の諺通りもう今日から3月。もっとも3月は去る、と言われているので、3月もあっという間に過ぎてしまうのだろう。つい先頃お正月を迎えたばかりと思っていたのに、もう2ヶ月も経ってしまっていたのだ。この日記もずいぶんご無沙汰であった。

 つくば市内のある幼稚園が今年度めでたく「創立30周年」を迎えたという。それを記念して保護者の方々が園歌をつくって贈呈したいので、その園歌づくりのお手伝いを、との依頼を受けた(2〜3ヶ月前のことである)。
 最終的に募った中から詞と曲が選定され、Faxで楽譜が送られてきたので、その伴奏を編曲させていただいた。
 2月晦日の昨日、創立30周年記念の行事が行われ、その中で園歌のお披露目会も催された。元気な子どもたちの歌声を聴いてエネルギーをもらった感じである。
 完成した園歌は次のサイトで試聴できます。→
こちらのページ
2007年1月25日
 暖冬のせいだろう。ご近所の庭に、もう紅梅がほころんでいるのを見つけた。ひょっとすると、水戸の偕楽園でももう梅が何輪か咲いているかも知れない。花の季節がそう遠くないことを知らせてくれているようだ。

 ある幼稚園の園歌の補作(補作する箇所があればの話だが)を依頼された。ついでに伴奏の編曲のお手伝いもするつもりだが、今日その演奏データがメールの添付ファイルで送られてきた。拡張子を見ると、「m4a」とある。不勉強ながら見たことのない拡張子である。ものは試しと演奏ファイルを開こうとしても、手持ちのMediaPlayerでは開けない。
 調べてみたところ、iPodなどで使用されるファイル形式であることが判明。ならば、i-Tunesなら聴けるのではないかと早速ダウンロード。無事試聴することができた。
 こう書いてしまうと呆気ないが、Macユーザーでない私にとっては正体の知れないファイルの何たるかを調べたり、それをコンバートするための方法を探ったりと結構たいへんだった。Macユーザーなら常識なのであろうが、こんなファイル形式があることを知り、また一つ勉強になったのである。
2007年1月24日
 長女夫婦が、任天堂のDSLiteをプレゼントしてくれた。それが宅配便で一昨日送られてきた。
 正月に娘たちが帰省してきたときに、次女の持ってきた「脳トレ」で、しばし家族が盛り上がったのだが、嬉々としてその「脳トレ」に挑戦していた私の姿をみて、プレゼントをと思い立ったのだという。 早速「脳トレ」のソフトを買ってきて、弱ってきた脳細胞にカツを入れ活性化しようと思ったのだが、他のことに時間をとられていたために購入できたのは一日遅れの昨日。
 まずは自分の名前を登録し、脳年齢のチェックから。やってみて驚いた。何と34才という結果。
 他のテストでもチェックしてみた。今度は40才だというではないか。
 まだ若いではないか。気をよくして、さらに鈍りかけた脳を若返らせようと意気込んでいるところである。

 そんな中、先ほど次女から電話。どうやら次女夫婦も同じ機種を私にプレゼントしようと思ってくれていたらしい。お姉ちゃんたちに先を越されてしまったと残念がっていたと家内の報告。
 何と両親思いの子どもたちなのであろう。幸せなことこの上ない、と家内とひとしきり語り合った。
2007年1月19日
 私の住んでいる茨城県南部に配布される地方紙がある。
 本日付のその地方紙に私に関する記事が掲載されていると父が教えてくれた。
 何のことかと思い、未だ目を通していなかったその地方紙を広げてみると、昔の教え子のコメントであった。

 『仁田先生のお名前(12月22日付紙面)を拝見し、うれしくなりました。
  石岡中学校で音楽を教わりました。みんなの人気者の先生でした。
  「たびだちの歌」を教わりました。音楽の楽しさを教えてくださいました。
  今でも楽しい思い出です。
  これからも元気で活躍されることを祈っています。』


とのこと。
 何とうれしいことであろう。
 中学生だった頃のこと、みんなで一緒に歌った歌のこと、よく覚えていてくれているのである。
 教師冥利につきる、というのはこういう場面に遭遇したときのことを言うのであろう。
 名前は書かれていないので、どの生徒さんだったかはわからないが、こうしたコメントを寄せてくださったことに感謝したい。
 この記事に接して私自身も一瞬全校生徒で楽しく合唱した卒業式や入学式を思い浮かべ懐かしさにひたってしまった。
2006年12月21日
 亀田興毅がランダエタを破って王座初防衛したという。勝って欲しくなかった、という感想を持つのは私一人だろうか。
 ニュースのワイドショーでは盛んにこのことを取り上げているが、このニュースになる度にチャンネルをかえてしまうので、どのようにして勝ったかについては詳しくはないのだが。
 しかし、勝ったことについては、何ともイヤな気分になるのだ。立派なスポーツであるべきボクシングを「けんか祭り」と称しているそうではないか。しかもあの不遜な態度。親子揃って品位のかけらさえ窺わせない人もなげな振る舞い。謙虚さを微塵も感じさせない尊大さ。どれをとってもイヤなものを見てしまったという不快さを禁じ得ないのだ。
 願わくば挑戦者のランダエタが勝って、ボクシングとはそもそもこういうものだ、ということを彼に知らしめてくれることを願っていたのだが、何とも残念。
 残念なことばかりが続く年末である。
2006年12月20日
 新しい鍵盤ハーモニカを購入した。私ではない。家内が、である。
 なあんだ、鍵盤ハーモニカって小学校低学年の頃に吹いた簡易楽器だろう?なんて言わないで欲しい。鍵盤ハーモニカはとても表現力のある立派な楽器なのだ。しかも今度買ったものは、一応プロ仕様のもの。値段だって鍵盤ハーモニカとしてはずいぶんと高価なものなのだ。
 吹いてみて驚いた。音が至極なめらか。息でのコントロールもすこぶるスムーズで、応答がよい。試しにやってみたところ、グリッサンドもきれいにできる。
ビブラートをかけても意志にすなおに応えてくれる。何よりも音の立ち上がりがよいので、吹いていて気持ちがよい。
 家内はここ数日、この楽器に夢中である。
2006年12月17日
 香川県小豆島のある小学校のホームページに校歌の楽譜が掲載されていた。
 あの「二十四の瞳」で有名な小豆島である。
 小豆島と聞いただけでのどかで風光明媚な場所に立つ明るい雰囲気の学校が思い浮かぶ。
 楽譜はメロディー譜のみであるが、WAVデータによるピアノ伴奏の演奏も聴くことができる。
 親しみやすい簡潔なメロディーが印象的である。楽譜はメロディー譜だけだったが、ピアノの演奏を聴いてみると予想外にとてもすてきな和声による伴奏が添えられた校歌だった。

 早速、伴奏をDTMで作成し、CDに録音してプレゼントしたのが一週間ほど前。昨日、校長先生から丁重なお礼の手紙をいただいた。ありがたいことである。
 これまでも全国各地の小学校の校歌の伴奏を編曲しプレゼントしてきたが、見も知らぬ学校とこうしてつながりを持つことができるということは本当に嬉しいことである。
2006年12月14日
 小泉内閣が実施し、安倍内閣がそれを引き継いだタウンミーティングであちこちの県で何件もの「やらせ」が見つかったという。そして「やらせ」だけでなく、その開催にかかわる経費でも不明朗な部分や、大きな無駄遣いと思われる出費が見つかったとも言われている。
 市民の意見を聞くということを名目に行われたこのタウンミーティングは、どうやら政策を実施するにあたって都合のよい世論を形成するために行われたのではないかと疑われても仕方がないような報道もなされている。
 質問者の人選をし、質問内容についても細部にわたって指示をし、ミーティングの行方に不都合な人物は人選から外すなど、さまざまな操作がなされていたようだ。

 内閣府の説明では、タウンミーティングが活気にみちたものになるようにとの配慮だと言うが、もし最初から意見の交換が活発に行われないようなないようのものであると予想されたなら、そんなものを多大な出費をしてまで行う必要はない。多くの経費をかけてまでやらなければならなかった真の意図はどこにあるのだろうか。

 安倍総理は、そうした操作があちこちで行われたことを遺憾とし、さらに自分の責任でもあるとして減俸をするという。
 あの人たちにとって何ヶ月かの減俸など痛くもも痒くもないだろう。そんなことで責任がとれるのだろうか。そうではなく、そうした操作で世論を形成し、国民の声であるとして打ち出した「教育基本法の改正」を始めとする「教育再生」についての提案を見直すこと、場合によっては取り下げてより市民の声が反映されるよう検討し直すことが責任のとり方なのではないか。

 お門違いの「禊ぎ」でごまかそうとするその姿勢に憤懣やるかたない一日であった。 

 しかし、一方では西武の松坂投手がすったもんだの挙げ句、何とかボストン・レッドソックスとの契約にこぎ着けたようだ。
 正式な発表はまだだが、こちらの話題は「よかった、よかった」とご同慶の至り。めでたいことである。頑張って欲しいものである。
2006年12月10日
 年をとるとますます目が不自由になる。近眼、乱視に老眼が加わり、不自由この上ない。
 数年前に遠近両用の眼鏡を作ったのだが、それをかけると遠くを見たり近くのものを見たりする度に、眼鏡をずらしたり顔の角度を変えたりしなければならない。読書をしたり新聞を読んだりするのは、眼鏡をちょっと上にずらせばよいのでさほど不自由は感じないのだが、パソコンで作業をするにはすこぶる不自由な姿勢で視覚を保たなければならず、疲れることこの上ない。
 それにどうしたわけか視力と眼鏡が合っていないような気がする。気のせいか肩こりもひどい。

 というわけで新しく眼鏡を作りかえることにした。行きつけの眼鏡屋さんで相談したところ、近頃は遠近両用ではなく中近両用の眼鏡があるのだとか。視野も広く、ことにデスクワークをする際には違和感を感じずに使えるとのこと。しかも境目がないので、不自然さも感じないとのこと。そんなものが開発されたのか、とそれを使うことを前提に視力検査をしてもらう。すると、あろうことか右目の近視や乱視が若干ではあるが改善されていて以前よりも見えるようになっているというではないか。

 どうやらそんな事情もあって、以前の眼鏡に疲労感を覚えていたのかも知れない。
 早速、その中近両用の眼鏡を注文したところ、今日できてきた。レンズも以前のものよりまたずっと軽くなっている。
 パソコンに向かってみるとよく見える。しかも、ベランダに出て付近の様子を見わたすと遠くのものもくっきりと見えるではないか。
 これで目に疲れを感じずに生活できる。何だかこれまですご〜く損をしていたような気がする。
2006年12月8日
 昨日は「大寒」。まさに冬本番である。とわかった途端、寒さが急に強まった気がする。今朝は家内に頼まれてゴミを捨てに行ってきたが、顔が冷たい。冷たいあまりに涙が出てきた。何のかのと言っても、もう12月なのだ。寒いのは当たり前だが、老人にはきつい。始まったばかりの寒い季節にもう閉口し、「春よこい」の心境である。

 数日前にとりかかった「チャルダッシュ」の編曲が一応完成した。アーティキュレーションがうまく表現できるかがポイントであることから、注意深く慎重に細かくテンポやベロシティを設定しながら始めた作業であったが、編曲が進むにつれて根気が続かなくなり、エンディングなどはボロボロである。

 こちらでサンプルをお聴き頂けます。→サンプル演奏

 MIDIデータは「MIDIデータ(classic)」のページにあります。
2006年12月3日
 私の仕事部屋からお隣の庭がよく見える。お隣の庭に植えられている柚の木は今年もたわわに実をつけた。どうやら柚は1年間隔で豊作がやってくるようで、昨年が豊作だったので今年はそれほどならないかと思っていたら、思いの外よく実をつけたようである。窓越しに手を伸ばせば届きそうなところにたくさんの実をつけている。
 柚の香りが冬がやってきたことを知らせてくれる。鍋によし、漬け物によし、他の食材の味を引き立ててくれる柚は大好きである。取ってあげたらいくつかくれるだろうか。

 ところで今日は59才の誕生日。来年の今日は還暦である。いよいよ老人である。
 柚がもらえるだろうか、などとはしたないことを考えていてはいけない。でも柚は大好きなのである。
2006年12月2日
 愛用のパソコンが修理から戻ってきた。マザーボードが不具合の原因で交換したという。
 そのようなわけでハードディスクの交換はなし。ハードディスクのなかみは無事であった。
 すべてのデータが手元に残ったのでまずは一安心。
 故障したとは言え、望んでいた最善の状況で、これからの作業には何の支障もないという私にとってはまことに喜ばしい状態。
 嬉しい限りである。不幸中の幸い(こういうときに使ってよい諺なのだろうか)である。
2006年12月1日
 とうとう12月になってしまった。今年もあと1ヶ月で終わりである。
 今日は愛子内親王の誕生日だそうだ。もう5才になるとか。めでたい。
 そんなわけで今日が誕生日の有名人を調べてみた。何と武田信玄は今日が誕生日。他には藤子・F・不二夫、波乃久里子、富司純子なども。どこかで聞いた名前も見つかった。林家正蔵(こぶ平)も今日が誕生日なのか。竹内海南江とは「世界不思議発見」によく出てるレポーターじゃないか。あの人も今日が誕生日のようだ。

 ついでに今日が命日の人も調べてみる。滝沢馬琴、海音寺潮五郎、益田喜頓。へえ。いろんな人が亡くなっている。
 またまたついでに今日は何の日かも調べてみた。何せ毎日が何かの記念日らしいのだ。
 わかりました。今日は「映画の日」。神戸で日本で最初に映画が上映されたのを記念しているという。さすが神戸である。
他に「鉄の日」「世界エイズデー」でもあるらしい。
これは何だろう。「カイロの日」。師走の声を聞いたので、カイロのお世話になりはじめるからということなのだろうか。

 冬が本格的にやってきたな、ということは日の暮れるのがぐんと早まったことでよくわかる。朝はまぶしいほどの太陽の光が、午後になると日差しがめっきり弱まってもの悲しい色を帯び始める。それもまた冬の趣。楽しみたいものである。

 ところで、PCの修理を依頼していたパソコンショップからTELがあり、修理が完了してメーカーから戻ってきたとのこと。
 明日早速受け取りにいくことにする。戻ってきただけでもうれしいのだが、データが無事ならなおのことうれしい。そうであればよいが、と祈るような気持ちである。
2006年11月27日
 大失敗である。うっかりと勘違いもここまでくると、我ながら自己嫌悪に陥ってしまう。
 堀尾輝久(東大名誉教授)が会長を務める日本教育法学会が参議院議員会館第四会議室を会場にして、学会内に設けた教育基本法特別委員会の
公開研究会を催すのが今日だったのだ。以前から参加しようと考えていたにもかかわらず、日程を勘違いしていたのだ。
 間違いに気づいたのは今朝のこと。11時からの研究会にはとうてい間に合いそうもない。
 残念なことをしてしまった。

 ところで、私のメインPCはまだ修理から帰ってこない。バックアップしたハードディスクをサブのノートパソコンに接続してしのいではいるものの、やはり何かと不便である。早くかえってこないものか。待ち遠しい限りである。

2006年11月26日
 昭和音大の先生から、電子オルガン部会の定期演奏会のお知らせが届いた。
 期日は、12月4日(月)、場所は渋谷のヤマハ・エレクトーンシティ。6時開場、6時半開演とのこと。
 電子オルガンの可能性を求めて、さまざまな試みが展開されるという。私もぜひ参加したいと考えている。楽しみである。
 →案内のPDFは、こちら。
2006年11月23日
 秋のシーズンということで、あちこちの学校で学習発表会や音楽会などが催された。
 9月頃だったか、滋賀県大津市内のある小学校の先生から(ネットサーフィンをしていて私のホームページに偶然出会ったとか)メールが届いた。校内で行われる音楽会で、6年生全体で演奏でサンバ風の「星の世界」を発表したいとおっしゃる。ついては、サンバ風にアレンジした楽譜を探しているがおすすめのものはないだろうか、という問い合わせである。
 手元を探してみたが適当なものがない。そこで、小学生でもできそうな編曲をしてみようとサンプルを作成し、その楽譜と演奏をお送りした。演奏と楽譜をもとに、お勤めの学校の楽器の保有状況や児童の皆さんの技能の程度に応じ、手を加えてアレンジする手がかりになればと思ったのである。
 
 音楽会が無事に終わったとのことで、一昨日その先生から児童の皆さんの発表の様子を納めたVCDが送られてきた。
 楽しいサンバの演奏で、学年全体がよくまとまり、かけ声なども工夫された見事な発表。
 遠く離れた、しかもお会いしたこともない学校の先生とこうしたつながりが生まれるのもネットのおかげである。
 ※ちなみに私がお送りしたサンプルの演奏データはこちら。
2006年11月21日
 先週の土曜日、メインで使用しているデスクトップが何の前触れもなくシャットダウン。
 どうしたことかと電源をONしても電源が入らない。何度試してみても一向に動かない。
 大急ぎで購入したパソコンショップに持ち込んで修理を依頼。メインで使用していたので、そのPCのハードディスクにはありとあらゆる必要なデータが納まっているのだ。何とかして生き返ってもらわなければ大変な損失(自分にとっては)である。
 ひょっとするとメーカーに搬送するかも知れないと懸念していたとおり、PCショップの店員さんは『メーカーに依頼することになります。ついては、データ等も消失してしまうことが考えられます』と冷静に言い放った。困る、それだけは困ると思案していると、大容量のハードディスクが格安なので、それを購入していただければバックアップします、とのこと。
 なんとしてもデータを安全に復旧させたいので二つ返事でその申し出を受け入れる。
 二日ほどかかったがバックアップしたデータを納めたハードディスクを手に入れることができた。おかげでこうして日記の更新もできるようになった。
 久しぶりにあたふたしたここ数日であったが、とりあえず一安心である。ころばぬ先のバックアップ。しかし、実際は難しい。
2006年11月4日
 9月に購入したばかりの私の愛車「i(アイ)」。先日、友人に会うためにこの愛車に乗って出かけた。日差しはあるものの、ちょっと寒い。エアコンのスイッチを入れ、温度を27度に設定して5分。いっこうに暖かくならない。操作を間違えたかと思い、オートボタンを再度押して様子を見る。何分経っても暖かくならないどころか、ますます冷たい風が吹いてくるような気さえする。ひょっとするとどこかで不具合が起きているのかも知れない、と今日ディーラーに車を持って行った。案の定、エアコンの電気系統のライン、接続部分で接触不良が起きていてそのためにコンピュータが誤作動し、最低温度に設定したかのような状態になっていたとのこと。すぐに原因がわかり直してもらえたが、乗り始めてまだ600キロ。私にしてみればまだ新車のつもりだが、初期の不具合でそんなこともあるのかと驚かされた。

 私が若い頃に同じ中学校に勤務し、お世話になった先輩の先生方が何人か退職後の楽しみにと陶芸を学んでいて、何回目かの作品展を開催するという。花瓶や茶碗など、玄人はだしのすごい作品ばかりで、立派な作品展である。美術のセンスがあるとこんな楽しみを味わえるのかと感心しながら見て回り、写真におさめてきた。
 中にかわいらしい作品があったので、これも写真に。すばらしい作品を見せてもらえて嬉しかったが、それ以上に懐かしい先輩の先生方にお会いできたことがさらに嬉しかった。楽しい半日だった。
2006年11月1日
 JEKS(日本電子キーボード学会)の第2回全国大会が11月28日(土)に国立音楽大学を会場にして開催された。実は、この大会で私は『電子キーボードの活用による音楽の学習の可能性』と題して、生涯学習にかかわる分科会で研究発表を行うことになっていたのだ。それに加えてML(ミュージック・ラボラトリ)に関する分科会の司会もしてくれと事務局から依頼を受けていたので、司会に発表にとちょっと忙しい緊張した日になった。
 何よりも嬉しかったのは、和智正忠氏(東京医科歯科大大学院)による「基調講演」。
 私が日頃から主張していた『電子キーボードは、「学びをうながす楽器」であり、その意味では代替楽器ではない。それこそが電子キーボードの独自性であり存在意義だ。』ということを裏付けてもらえるような内容だったからだ。

 当日の要項並びに要項本文は、下記「JEKS」のホームページでご覧になれます。
 →
http://www18.ocn.ne.jp/~jeks/sub4.html
総会前の風景
2006年10月17日
 このところ良からぬことが続発している。
 2日前から急にメールの送信ができなくなった。受信はできるのに送信しようとすると「SMTPサーバに接続できない」というメッセージが表示されてしまう。プロバイダに問い合わせたところ、まずはWEBメールで送信できるかどうか試せ、という。何の支障もなく送信できればプロバイダ側の問題ではないという。そうか、その手があったかと試してみると何のこともなく送信できる。私はCATVの回線を通してインターネットに接続している。ということはCATVの方に問題があるということなのだろうか。ひょっとして「OutboundPort25Blocking」によるトラブルなのかとも思い、設定を変更してみたが状況は変わらない。困った。

 と思いながら別の作業をしていたら、プリンタが故障。文書を印字していたところ、文書の下3分の一ほどが印字されていない。
 これはヘッドのインク詰まりだと思い、ヘッドクリーニングを実行してみると、どういうことか何も印字されない。信号がプリンタに伝わっている証拠にヘッドはきちんと動いている。一度のクリーニングではダメだったかと再度クリーニングを実行。それでも状況に変化はない。これは修理を依頼するしかないと保証書を見てみると購入期日は今年の2月。まだ8ヶ月ほどしか使用していないのだ。それで故障?余りにも早すぎないかと一度は落胆したが、それでも保証期間内であることに気づき、気を取り直して購入店に修理を依頼した。

 そうこうしているうちに、普段使用しているデスクトップ2台のうちの1台にあるソフトがインストールされていないことに気づいた。
 いま進行中の作業をするにはそのデスクトップにもそのソフトがインストールされていないと支障がある。
 そこで必要なソフトをインストールした。当然インストールは何の問題もなく完了。他のソフトと同じようにインストール後PCの再起動を促されたので、「はい」のボタンをクリックしたところそれっきりPCは起動しなくなってしまった。
 立て続けに起きる良からぬことに、この後もっととんでもないトラブルに見舞われるのではないかと心配している。
2006年10月14日
 今日は、土浦の桜川河畔で「全国花火競技大会」が開かれている。本当なら先週の土曜日が開催予定だったのだが、生憎の悪天候で今週に延期になったのである。
 今年は75回の記念大会ということで、どの参加団体も力が入っているし、例年にも増して観客も多いということだ。ケーブルテレビのアナウンスによれば70万人の人出だとか。本当だろうか。
 土浦市でも観光協会が「ワイドスターマイン」を披露。見事な花火だ。
 我が家の二階からも小さくではあるが、よく見える。秋の楽しみの一つである。
2006年10月12日
 友人の制作したCDが完成したと、届けてくれた。
 彼が作詞・作曲をしたものが1曲、彼の作詞をしたものに、私が曲をつけたものが2曲。
 いずれも伴奏の編曲は私がしたものだが、彼の手伝いが出来、役に立てたことが何よりも嬉しいことである。
 どの曲も彼の地元である「つくば市」を描いたものである。
 そのようなわけで、CDのタイトルを『TSUKUBA 筑波 つくばを謳う』として私がデザインした。
 科学研究学園都市、そして国際都市としての「TSUKUBA」、そして歴史ある町としての「筑波」、さらには東京と直接結びついた新しい町としての「つくば」、それぞれのよさを表現したいという彼の願いをこめたタイトルのつもりである。
 一見音楽とは無縁の生活を送っているようでありながら(彼は立派な寺の住職である)、音楽を身近なものとして生活を豊かにしていたのだ。このように音楽という文化に創造的にしかも特に構えることや力むことなく参加する姿こそ教科としての音楽科教育がめざしたものだったはずだ、と改めて考えている。
2006年10月9日
 昨日、長女が所属しているL.v.B.室内管弦楽団の定演があるというので、会場の府中の森芸術劇場に出かけてきた。風がちょっと強かったが、すばらしいお天気で東府中駅から劇場まで気持ちの良いお散歩気分で歩くことが出来た。
 会場は「ウィーンホール」。以前にもこの会場で聴いたことがあったが、ほどよい大きさの中ホール。正面に立派なパイプオルガンがしつらえられた心地よい響きのするホールだ。
 プログラムは、バルトークのルーマニア民族舞曲、ベートーベンのピアノ協奏曲第3番、そしてシューベルトの交響曲「未完成」。
 落ち着いた響きのアンサンブルが見事なオケだが、中でもバルトークの軽やかな演奏が印象に残るすてきな演奏会であった。
 昨日の演奏会には、次女も鶴川から駆けつけ、久しぶりに家族全員が顔を揃えることが出来、コンサート終了後には新宿まで出て夕食を共にした。秋の佳き日に感謝。
2006年10月4日
 江戸東京博物館で企画展示「始皇帝と彩色兵馬俑展」が催されているという。しかももう少しで終了してしまう(〜10/9)ので、家内と連れだって両国まで出かけた。TXが開通したおかげで出不精の私も気楽に両国まで行く気になれる。
 博物館のHPでは、『休日・祝祭日は混雑が予想されるので、ウィークデイがお薦め』とあったのだが、平日にもかかわらず大変な人出である。チケットを買うにも長い行列ができるほどである。

 もちろん企画展示室の中も大勢の人で、展示物を近くでじっくり見ようと思っても近づけない有様。それにしても、くすんだ茶色一色の世界だと思っていた兵馬俑が、実は鮮やかに彩られた極彩色の世界だったとは思いもしなかった。ドイツと日本で同時に世界初公開されたという彩色兵馬俑は、四方からじっくりと観察することが出来た。見事なものである。
 司馬遷の史記や小説「項羽と劉邦」などで始皇帝の築いた地下宮殿の想像はしていたものの、目の前で兵馬俑や水禽俑を見ると想像以上のきらびやかな世界だったのかも知れぬと思った。
 それにしても古い昔の秦の時代にこれだけのものをつくりあげることができたことに何よりも驚かされる。
2006年9月19日
 ガソリン代高騰の影響が我が家にもやってきた。
 私の愛車は三菱のディアマンテだが、初代のディアマンテから数えて16年、2台のディアマンテに乗ってきた。このガソリン大高騰の折、ハイオク3000CCはきつい。さらに税金や保険などのことやそう遠くにドライブに出かけたりしないことなどを考えると、もったいない気もする。聞けば、軽自動車に乗り換える人々も多いという。
 いろいろと考えた末、軽自動車に乗り換えることにした。これまでの愛車にお別れの挨拶をし、一昨日から新しく届いた軽自動車(三菱のi)に乗っている。
 かわいらしい車だが、ターボエンジン、HDDナビ、キーレスエントリー、セキュリティ・アラーム装備とぜいたくな車である。何よりも室内が広々している。出足もよさそうだ。それにデザインが近未来的で楽しい車であるが、どちらかと言えばしゃれた街の中を颯爽と女性が乗るのにふさわしいイメージの車ではある。
2006年9月15日
 滋賀県大津市内のある小学校の先生から『学校の音楽会で「星の世界」をサンバ風にアレンジし、学年の演奏として発表してみたい。ついては合奏譜のサンプルを。』と、このホームページの掲示板に書き込みをいただいた。
 早速(とは言っても数日かかってしまったのだが)サンバ風にアレンジし、先日そのデータを送った。
 聞けば6年生全員で演奏するのだという。どんな演奏を展開してくれるかとわくわくしながら編曲をしたのは言うまでもない。
 それにしても、こうした未知の学校の先生や児童との出会いがあるというのも、インターネットのおかげである。
 嬉しいかぎりである。
 送信した演奏サンプルは、こちらでお聴きいただけます。→
こちらのページ
2006年9月14日
 友人とつくった「つくばエクスプレス(TX)」に寄せた歌、「TX音頭」がつくばケーブルテレビに取り上げられ取材を受けたのは、7月のことであった。ひょんなことからその関係で、今度はNHKで取り上げられるという。
 10月1日にNHKBSで放送される『お〜い日本 私の・好きな・茨城県』で放送するためのインタビュー取材を受けることになり、今日その取材を受けてきた。
 6時間にも及ぶ長時間の番組中、ほんの少し、2分間だけ出演することになるという。出演というよりほんの一瞬、顔を覗かせるといった方が当たっているかも知れない。作詞をした友人と尋ねられた質問に答えることのできる時間は、それぞれ20秒程度。
 出演?はそれだけであるが、たったそれだけを録画するのに、何と7回も撮り直しをしてしまった。短時間に要領よく端的に話をしなければ、というプレッシャーからインタビュアーも私たちも無意識のうちに緊張してしまい、言い慣れたはずの言葉であるはずなのに言いよどんでしまい、NGということが重なってしまったのだ。
 考えてみれば普段何気なく話をしている時には、ほんの一瞬立ち止まっても文脈に不自然さがなければ会話は成立するのだが、立ち止まった途端『もうだめ。20秒を越えてしまう』という思いが話をストップさせてしまい、そこでNG。
 3回ほどやったカメラなしのリハーサルでは誰もがとてもスムーズに話していたのに、どうしたことかと笑えるようなおもしろい体験ができた。
 1秒の空白、恐るべしである。
2006年8月25日
 テレビをつけたままでパソコンに向かっていたら、懐かしい歌が聞こえてきた。小学生の頃によく歌っていた「みどりのそよ風」だ。大好きだった。とてもかわいくて、それでいてしゃれていて、『いいなあ』と子ども心にとても幸せな気分で歌える歌であった。
 何よりも『いい日だね』という歌詞がとても新鮮に聞こえて、思わず『そうだね』と心の中で頷きながら口ずさんでいた覚えがある。それに『七色畑』という、私の身の回りにはどこを探してもありそうにない、そして夢のように美しいだろうと思われる風景が詠まれている。それだけでも心が浮き立つ思いがした。
 それにも増してうっとりさせられたのは、流れるような美しいメロディ。
 最初のフレーズを歌っただけで、もう気分は見たことのないきれいなお花畑をヒラヒラと飛んでいるような浮き立つ気分になったものだ。
 『みどりの』の順次進行に続く『そよ』のスタッカート、さらに『か〜ぜ』の跳躍進行につながる構成がなんだかとてもしゃれていて、当時着ていたツギあてだらけの洋服もちっともみすぼらしくない豊かな気分になれたことを思い出した。
 
 そんなに好きだったこの曲の伴奏をつくって、このサイトにアップしようと思い立ち早速MIDIデータを作成してアップしてみた。
 なぜこの曲のデータをつくろうと今まで思い立たなかったのか、我ながら不思議なのだが、とにかくお気に入りだった曲の一つなのだ。
 どうぞお聴きください。→
http://www.e-nita.net/midorino.html
2006年8月22日
 以前から乗ってみようと思っていたつくばエクスプレス「TX」に初めて乗った。
 快速に乗って一路「新御徒町」へ。そこで大江戸線に乗り換えて、深川をめざそうという計画である。出発後11分ほどで守谷に到着。いくつかの駅を飛ばして快速が最初に着くのが守谷だが、こんなに早く守谷に着くとは予想外。
 電車も静かである。走り出してすぐに加速のGを感じる。スーパーひたち並だ。
 新御徒町で乗り換えて大江戸線へ。これも私にとっては初乗り体験。
 清澄白河で下車。ここはもう藤沢周平の小説でお馴染みの土地。清澄町の親分もこの界隈を鋭い捕り物のカンを働かせながら動き回ったのだろう。暑い町を歩きながら、遠い江戸の昔の町並みを思い描いてみる。

 それよりもお腹が空いた。もうお昼過ぎである。せっかく深川にいるのだからと深川丼の店をめざす。これがおいしかった。腹ごなしにごく近くの深川江戸資料館に暑さしのぎも兼ねて入ってみる。江戸の町並みが見事に再現されていて楽しく見学できた。
 帰途も同じ道筋でつくばに。快適で楽しい、疲れない小旅行であった。
2006年8月20日
 つくば市のさくら運動公園でゴールデンゴールズの試合があり、出かけてきた。
 「欽ちゃんお帰りなさい」という雰囲気で、球場はたくさんの人手。
 2000人、ひょっとすると3000人近くの観客数だったかと思われる。
 試合の相手は、千葉の「熱血MAKING」。森田健作氏が総監督で率いるチームである。
 試合開始前に欽ちゃんに直接会うことができ、一緒に写真におさまったりサインや握手をしてもらったりして、ミーハー気分を味わってしまった。
 というのもゴールデンゴールズの応援歌「夢よ 誇りよ」をプレゼントさせてもらったからなのだが、例の欽ちゃんの『僕、野球やめます』発言による騒動でTVにも出演していた岡本球団代表が配慮してくださり、グラウンドで直接お話をすることができた、ということなのだ。

 試合は4−2でゴールデンゴールズの勝利。
 試合を観戦しながらも高校野球決勝戦の様子が気になり、何度もi-modeでチェックしていたが、延長15回で再試合を確認後はゆっくり目の前の試合を堪能できた。
2006年8月16日
 ネットをぶらついているうちに、おもしろいものを見つけた。
 「あなただけのインターネット雑誌やパンフレットを3分で作ろう」と銘打った「NOTA」というページである。
 特別にHTMLやブログの知識などなくても、用意されたテキストツールやお絵かきツールで落書きでもするように文章や図を書き込めば、もうそれだけでインターネット上に公開されるのだという。
 ホームページを管理するように更新やアップロードなどの手続きなしで、非常に簡単に自分のページが持てるようなのだ。しかも写真や図を貼り付けるのもすこぶる簡単。これなら子どもから大人まで誰でも作成することができる。それも、ホームページを作っているなどということも意識せずにできてしまうかも知れない。
 なぜならホームページ作成ソフトなども必要ないし、ましてHTMLを操っているという意識をせずに、まるで白紙に文章や絵を描く感覚でそれができてしまうからだ。

 しかも、メールでそのページに友人・知人を招待すれば、相手も自由にそのページに書き込みをすることができるのだという。学生の書いた文章に先生がコメントを書いたり添削をしたり、同じ仲間同士の連絡用に使用したり、プレゼンテーションの資料をつくったりということにも利用できるのだという。
 リンクの設定もすこぶる簡便にできるし、何よりもプリントアウトが見たままにできてしまうので、ホームページをIEなどでプリントアウトする面倒さに慣れた身には驚くばかり。
 これなら小学校から一般家庭まで、あらゆるユーザーが使いこなせるのではないかと思われる。
 アドレスは次の通り。→
NOTA
2006年8月2日
 とうとう8月に突入してしまった。曇天続きの涼しい夏だが、年寄りには嬉しいかぎり。
 ところで世間知らずと言えば世間知らずだが、つい数日前まで知らなかったことがある。
 地域の多くの人が「つくばエクスプレス」を「常磐新線」と呼んでいたことから、何の不思議も感じず自分でも「常磐新線」が通称であると思っていたのだが、実は「つくばエクスプレス(TX)」はJRとは全く異なる公社が経営しており、在来の常磐線とは無関係で、それゆえ常磐線に新たに付け加えた「新線」でもないというのだ。だから「常磐新線」と呼ぶのは間違いだという。えーっ!そうだったの?と驚いたのはつい数日前のこと。

 それを知ったのは、私の友人がTXが開通したのを記念して作詞をし私が作曲した「TX音頭」なる曲をスタジオで録音してきたのだが、かの友人がそのCDをつくば駅に持参してプレゼントしたことによる。
 駅長さんに手渡し、聴いてもらったところ、『歌詞の中に”常磐新線”というくだりがあるが、実はTXは常磐線と無関係なので歌詞を変更してもらえるといいのだが。』という申し出があったと言うのだ。
 無知と言えば無知だが、世間一般でそう呼び習わしているのでてっきり正式の名称かと思いこんでいたのだ。残念。
 というわけで、歌詞の一部を変更して録音のし直しを迫られた。


 話は変わるが、ビッグニュースが飛び込んできた。
 東京学芸大名誉教授の高萩保治先生がISME(国際音楽教育協会)の第5代終身名誉会長に推され、就任されたというのだ。すごいことだ。
 何がすごいって、これまでの名誉会長の顔ぶれをみればわかる。
 第一代 レオ ケステンベルグ(ドイツ) 合唱指揮者・視学官
 第二代 ゾルタン・コダーイ(ハンガリー) 作曲家
 第三代 ドミトリー・カバレフスキー(ソ連) 作曲家
 第四代 フランク・キャラウェー(オーストラリア) 音楽教育家
 そして第五代が日本の高萩先生である。
 つい先日、日本電子キーボード学会の幹事会があり(高萩先生はその副代表)、そこで朗報が発表されたのである。何とすばらしいことであろう。
2006年7月23日
 どうやら欽ちゃんは「やめないで!」というファンの声に後押しされて、チームを解散しないことを決定したようで、茨城県民の一人としては一安心というところである。聞くところでは、「解散しないでほしい」という署名がたった2日で1万人に達したとか。チームは欽ちゃんが始めたとは言え、欽ちゃんだけのものではない。野球をしたいと全国から集まり、アルバイトをしながら練習に精を出す多くの選手のものであり、茨城だけでなく全国の野球ファンのものだということであろう。地元のみならず全国から寄せられた署名やFAX、メールなどが欽ちゃんを立ち止まらせたということだが、市民の声の強さを改めて思い知らされた。

 一方、国民の多くがA級戦犯が合祀されている靖国神社のありように疑問を抱いて声を発しているにもかかわらず、総理としての参拝には何の問題もないと平然としている小泉首相をどう理解すれば良いのだろう。昭和天皇がA級戦犯が合祀されたことに反対され、以降靖国を参拝されていないということは、意味のない戦争に国民をかりだし、勝つあてのない戦で多くの市民を死に追いやった「戦犯」と、『国を、同胞を、家族を守る』として戦いに赴き死んでいった戦士とは根本的な違いがあると見極めているからであろう。
 靖国神社では合祀したA級戦犯を分祀することはできないと主張しているという。できないのかしたくないのか、素人にはそこがよくわからない。戦後何十年も経て帰国した小野田さんや横井さんは、生還したということで名簿から外されたという。そのように簡単に名簿から外すことができるのなら、A級戦犯を名簿から外し分祀することなどできない話ではないような気がするのだ。そんな素朴で単純な理屈は通らないのだろうか。
2006年7月20日
 先日都内のスタジオで録音をしてきた数曲の中に、この8月で開業1周年を迎える「つくば新線」について綴った曲がある。世代を問わず親しんでもらえるようにと、作詞をした友人はそれを音頭という形式で表現した。題名は「TX音頭」という。TXとは、周知のようにTsukubaExpressを略した「つくば新線」の愛称である。
 その曲のことについてつくばのケーブルテレビ(ACCS)の耳に入り、昨日友人と二人でそのケーブルテレビの取材を受けた。聞けば、TX開業1周年の企画としてうってつけの話題を探していたとのこと。どうやら8月いっぱい、朝夕2回の帯番組として放送するらしい。つくば市内の限られた地域内の放送とは言え、顔と名前が出て、しかも強い茨城なまりでインタビューを受ける様子が放送されてしまうなんて恥ずかしい限りである。願わくば見ないで欲しいものだ。

 ところで、その友人と作った曲の中には、欽ちゃん球団「茨城ゴールデンゴールズ」を微力ながら応援しようと意図して作り、何週間か前につくばの球団事務所にプレゼントしてきた応援歌『夢よ誇りよ』という曲がある。
例によって友人が作詞、私が作曲・編曲をしたものである。
 ところが、昨夜のニュースで欽ちゃんが突然球団の解散を宣言。お笑い芸人でもある球団に所属する選手の一人が暴行事件を起こしたことで、責任を感じた監督の欽ちゃんが決断したということらしい。
 茨城ばかりか、全国的に野球を愛するファンに夢や勇気を与え、そのアイディアでこれからますます野球界をおもしろくしてくれるものと誰もが期待していたのに残念なことだ。もっとも、球団事務局の中では事件への対処については未定のようで、欽ちゃんが気持ちのたかぶりからつい『解散』と口にしてしまったようなので、まだどうなるかはわからないようではあるが。
 さて、その欽ちゃん球団に送った応援歌は、このページでお聴き頂けますのでどうぞ。→
このページ
2006年7月15日
 昨日は、都内のあるレコーディング・スタジオに出かけた。
 私の友人が作詞・作曲をした作品の伴奏を私が編曲し、それをCDとして録音する作業に立ち会うためである。CDに納める曲の中には、友人の詩に私が曲をつけたものや私も歌う約束をした曲もあるので、単に「立ち会う」と言ってしまっては表現が適切ではないかも知れないが・・・。
 下の写真はそのスタジオの風景である。新しくできたばかりのスタジオということもあり、立派な設備を備えている。録音や調整のほとんどは、当然のようにコンピュータ(Mac)が大活躍。3時間に及んだとは言え、録音の作業はスムーズに完了し、その場で完成した音源を持ち帰ることができた。

 しかし大変だったのは帰路。我孫子で落雷のために信号機が故障したらしく、上野駅の常磐線ホームは大混雑。私が上野駅に着いたのが20:00前。その時には17:00発のスーパーひたちが発車できずに待機状態だったのである。それでなくとも昨日は異常な暑さ。普段でもじとーっとする都会の駅特有の暑さに加えて大勢の列車待ちの人いきれでホームの上はサウナ状態。しかもあまりにも大勢の人で、どこが列の最後尾かもわからないほどの混雑ぶり。暑さの中で立ちっぱなし、しかも乗車できるかどうかの不安を抱えたままでいつ発車するかわからない電車を待つのは辛かったが、それでも17:30発のフレッシュひたちが間もなく入船する予定とのアナウンスを聞いて多少は安堵。
 もっと長時間待たされるかと覚悟はしていたが、意外にも早く電車が到着し、そしてこれも意外であったが私の並んでいた列の人数が他の場所よりも少なかったのか座席を確保することができてしまった。
 そうこうするうちに17:30発の電車は無事21:00に発車。昨日の日付の内に我が家にたどり着くことができた。思えば、秋葉原で別れ、つくばエクスプレスで帰途についた友人は、こんな目に遭わずもうとっくにつくばに到着しているはずの時刻。
 いろいろな経験のできた何とも暑いそして熱い一日であった。
録音ブース 録音ブース ミキシング・調整ルーム 調整のようす
2006年7月8日
 やはりデジカメがないとさまざまなことをするのに支障がある。思い切って購入することにした。
 どうせ買うならやはり画素数の大きいモノをと思ったが、芸術的な写真を撮ったり凝った写真を撮って楽しむわけではない。日常的な記録ができればよいと考えたので、さまざまな撮影シーンを選んべばそれに合わせて絞りやシャッタースピードなどを自動的に設定してくれる簡便なものの方がカメラ音痴の自分には合っていると判断。カシオのEXILIMをチョイス。
 あちこち見て歩いた結果、こんなに値段が違うのかと今更ながら驚くほど店によって価格が異なる。
 もちろん、一番安い価格を表示していた店で買ったのは言うまでもない。
2006年7月4日
 7月になってしまった。梅雨も明けないのに、ここ数日間の蒸し暑さはたまらない。老体には耐え難いと思っていたら、
愛用のデジカメも暑さに根負けしてしまったのか、具合が悪くなってしまった。
 せっかくきれいに咲いた「梔子(クチナシ)」を撮影したのに、画面いっぱいに横縞模様。
 液晶の不具合かと思ったのだが、以前に撮影した写真をカメラで再生するとすこぶる美しい。察するに撮像素子というのだろうか、そこで不具合が生じてしまったのではないかと思われる。買ってまだ2年にしかならないのだ。これは修理可能なのだろうか。それとも修理に出したらもっと良いカメラが買えてしまうほどの代償を払わなければならないのだろうか。
 しかもこのカメラはミノルタである。もうとっくにSONYの吸収されてしまっている。どうすれば良いのか困ったものである。
 途方にくれた今日一日であった。
2006年6月15日
 偶然にも、以前から試用してみたいと思っていた「サウンドスケッチャー SH01」を使うことのできるチャンスを得た。
 かつての教え子が『私には使いこなせない』と貸してくれたのだ。
 テープレコーダーやMDなどよりもずっと手軽に、しかも良い音質で録音ができ、オーバーダビングも容易にできて、ミックス録音したものをマスタリングし、MP3ファイルとして管理することがこれ一台でできてしまうというすぐれものだ。
しかもエフェクタまで内蔵していて、さまざまなエフェクトがかけられる。
 もちろんUSBでPCと接続し、ファイルを管理することが可能なことは当然だし、MP3のみでなくWAVファイルとして保存することも可能なので、PCでそのWAVファイルを編集し直すこともやろうと思えばできる。
 メモリカード(スマートメディア)の容量にもよるが、MP3なら数十分の曲も保存可能。
 何度「モニター募集」に応募しても、そのチャンスが巡ってこず、購入するのが一番の近道と諦めかけていたところだったので非常に嬉しい。先日のミキシングスタジオに続いて、またしてもやれることが広がった。
くだんの教え子に感謝である。

 しかし、どうやらその教え子はマニュアルを失くしてしまったらしい。もちろん、添付されていたというCD-ROMもどこにしまい込んだものやら行方不明なのだそうだ。
 『これは困った』と思ったが、念のためと思いヤマハのHPにアクセスしてみたところ、詳細なマニュアルがPDFで公開されているではないか。しかも、行方不明のCD-ROMに納められていたソフトもダウンロードできた。めでたしめでたしである。マニュアルによれば、どうやらCD-ROMに納められていたのは私がダウンロードしたそのファイル一つだったようで、試用する上で必要なものはこれで全部揃ったことになる。ばりばり使って使い倒してみようではないか。

 ところで、昨晩のニュースで指揮者でエッセイストの岩城宏之氏が他界された。
 私が音楽に目覚め、指揮者の素晴らしを知り、指揮者に憧れを感じ始めたのは中学生のとき。
 当時、NHK交響楽団を新進気鋭の小澤征爾氏や岩城宏之氏らが振って華々しくデビューしたばかり。
 その様子を当時の音楽番組『プロムナード・コンサート』などで見るにつけ感激し、彼らの溌剌とした指揮に憧れるあまり、何度も鏡の前で指揮のまねごとをしたりしたものだ。初演の岩城と言われるほど初演にどんどん挑戦し、現代音楽にも他者の追随を許さないものがあった岩城氏。武満徹氏なども岩城氏の解釈あったからこその武満なのかも知れない。
 病をおして振った「ベートーベン交響曲マラソン演奏」の模様が明日テレビで放映されるという。
 ぜひ聴いておかなければ、と思っている。
2006年6月13日
 ついに意を決して購入してしまった。ハードディスク・レコーディングに活躍が期待できるヤマハの「USBミキシングスタジオ MW10」である。簡単なセットアップで済むというアナウンスだ。しかもCubase LE も同梱されているので、MIDIやWAVEデータを容易に混在させて思いのままの音楽作りを楽しめそうだ。この部屋が録音スタジオに変身する日も近いのだ。うきうきわくわくである。
 確かにセットアップは簡単。ドライバのインストールは不要だし、USBで接続するだけで完了してしまった。
 あまりにも簡単で気抜けがしそうなほどだ。
 しかし、それから後は『そうは問屋が卸しません』状態。
 早速接続したマイクロフォンを使って入力してみたが、何の反応もなし。WAVEデータを開いてみても何の音も記録されていない。それでは、と他のWAVEデータを読み込んで音を聞こうとしたが、スピーカは黙ったまま。
 2日間かけてああでもない、こうでもないとコントロールパネルをいじりまわし、どうにか録音も再生もできるようにはなった。音が鳴って当然なのだが、実に嬉しい。涙が出るほどである。出費した金額のことを思うと、簡単に諦めるわけにはいかないのである。それやこれやで感動もひとしお。
 しかし、したいことはたくさんあるのに、こんな状態で思い通りに使いこなし、したいことを意のままに実行できるようになるのだろうかと一瞬後悔の念が。ところが、充実したHELPファイルのおかげで、その都度参照しながらではあるがぼちぼちと見通しがついてきた。なんだかすぐにでも多重コーラスにでも挑戦したい気持ちになってきた。
2006年5月23日
 いつものように近所の書店をのぞき、文庫本の棚を眺めていておもしろそうなタイトルの本を見つけてしまった。
  本の帯には『九州?畿内?そんなところにあるのものか』とある。
  何が?と見れば本のタイトルは『邪馬台国はどこですか?』
 おもしろそうではないか。作者は鯨統一郎というはじめて目にする名前。
 つい手が出てしまい、即決で購入してきたが、あまりのおもしろさに一日で読んでしまった。これはお薦めだ。
 ひょっとすると、本当に邪馬台国は従来議論されてきた場所にあったのではなく、この本に書かれている○○地方にあったのではないか、とついつい思わされてしまうほどの説得力のあるそして意表をつく推論が展開されるのだ。
 眠れない夜にどうぞ。ますます眠れなくなること請け合い。

 懸案であった「
日本電子キーボード学会」のホームページが一応完成し、無事アップロードにこぎつけた。研究演奏の一部試聴が可能なようにし、現段階での他サイトとのリンクも編集し直した。さらに、将来の編集作業を容易にするためにページ構成に大幅に手を加えたため、多少手間取ってしまった。このサイトを通して多くの方に誕生したばかりの学会について知っていただきたいものである。
2006年5月14日
 私の30年来の友人が作詞・作曲を趣味としていたということは先の記事で書いた通りである。
 その彼と音楽の話をしている内に話が盛り上がってしまった。
 我が茨城県には、あの欽ちゃん球団でお馴染みの「茨城ゴールデンゴールズ」がある。これまでは、稲敷市を本拠地にしていたのだが、この4月からその友人が住むつくば市も本拠にすることになったという。できれば、その欽ちゃん球団の応援歌をつくりプレゼントしたいものだと話が発展してしまった。
 彼が作詞をし、私が作曲をしてゴールデンゴールズにがんばってもらい、茨城に元気をもたらしてもらえる一助となればどんなに楽しいかと話が膨らんできたのである。
 数日後、彼から作ったばかりの歌詞がFAXで届いた。タイトルは「夢よ誇りよ」。
 早速作曲に取りかかり、つい先日彼の元に楽譜とCDを届けてきた。近いうちにつくば市にある球団の事務局に持参し、プレゼントしてこようと老人二人で話をしているところである。

 ※右のページでその曲を試聴していただけます。→
こちらのページ
2006年4月25日
 私にとって3冊目の本(CD-ROM本を除く)がようやく出来上がった。
 タイトルは“危機に立つ教育 「学びの目を育むために」”とした。
 教育界は問題山積である。しかし、それは学校教育だけの問題ではない。むしろ、他の要因に起因する問題が子どもたちの学習を阻んでいることに依るのではないかとの基本的な考えに立って、さまざまな観点からそれらについて論じてみた。

 教育についての種々の議論が、いつの間にか「学習について考え」それをベースに展開されるのではなく、教育政策や具体的な施策の観点からしか論じられなくなり久しいが、教育とはそうした近視眼的な社会の要請のみに対応すべきものではないはずだ。また、社会の要請とは言っても、ほんとうにそれを社会が国民が市民が望んでいるかと言えばそうは言えまい。むしろ「つくられた要請」という側面が強いようにも見受けられる。
 浮薄で不毛な教育論議から脱して、地に足のついた「子どものための教育」「学習に向かいたくなる教育」を志向し議論を深めていかなければ、議論に参加する教育研究者・教育専門職はついにいなくなってしまうであろう。
2006年4月23日
 30年来の友人がめでたく定年退職をした。先日、その退職を知らせる便りが届き、併せてCDと楽譜も同封されていた。音楽とは一見無縁に見えた彼からCDや楽譜が届くとは一体どういうことかといぶかしく思いながらよくよく手紙を読んでみた。
 どうやら彼が最後に校長として勤務した小学校の児童が演奏し歌ったCDのようである。しかも、その作詞は校長の彼自身の作なのである。すごい。彼が作詞をし、音楽の担当教諭が作曲をしたというその曲は「音頭」であるが、何とも楽しい雰囲気が伝わってくる。
 さて楽譜の方はと見ると、作詞のみではなく作曲まで彼がしたというその小学校の応援歌である。
 作曲までするとは長い付き合いでありながら全然知らなかった。彼について思い出すのは、周りから勧められて遠慮がちにマイクを握り、「くちなしの花」をはにかみながら歌っている彼の姿で、日常からは作詞・作曲をするシンガーソングライターの姿は想像しがたかったのだが。
 手紙には、さらに演歌を作曲してCDを出すことにもなったと書いてある。めでたくも楽しいことである。
 そこで、彼が作詞・作曲をしたという小学校の応援歌の楽譜が同封されていたので、その伴奏を編曲して退職のお祝いにプレゼントすることにした。
 今ようやく編曲・録音が終わり、CDにするばかりになった。一日も早く届けて彼の喜ぶ顔が見たいものである。
 はたして喜んでもらえるだろうか。
2006年4月12日
 散歩をしていて、今年はじめてツバメを見かけた。せっせとエサを巣に運んでいる。
 ということはもうずいぶん前に来ていて、巣作りをし卵を産み温め、その卵が孵化していたことになる。
 いつのまに来ていたのだろう。そういえば、雲雀のさえずりを聞いたのも今日がはじめてだった。
 もう少し経つと、ウグイスも上手に鳴くようになって楽しませてくれることだろう。
 季節は確実に初夏に向かって進んでいるのだ。
2006年4月11日
 家の古いビデオの整理をしていて、懐かしいビデオテープを見つけた。
 1985年につくばで開催された「つくば科学博EXPO'85」開会式のビデオテープだ。
 もう20年以上も前のテープだが、再生してみると違和感なく再生できる。
 劣化してしまう怖れもあるので、見つけた機会にDVDにしてしまおうと考えた。これなら劣化する怖れもない。
 ついでに、我が茨大附属小の演奏部分だけでもネット上で公開してしまおう。
 ここに写っている当時小学校5年生、6年生だった児童も今や30歳を越しているはず。ひょっとすると、当時の児童の誰かが見つけて懐かしがってくれるかも知れない。
 ほんの短い時間写っている私自身にしてからが『若かったねえ』と家人に言われる始末。考えてみればまだ40歳になっていなかったのだ。
 →
こちらのページで公開
2006年4月6日
 土浦市近辺には桜の名所が多い。その名の通りの「櫻川」もそうだが、少し北を流れる新川沿いの桜並木も見事だ。買い物のついでに少し車を走らせて新川沿いに走ってみた。水面まで届くかと思われるほどしなった枝いっぱいに桜が咲き、重たそうな風情だ。もう2〜3日も経てば水面に花筏が浮かび、これもまたきれいな景色を見せてくれるであろう。
 
 花が早く散ってしまうのではないかと心配されたが、学校では新学期も始まり、入学式にも見事な花が散らずに咲き残って祝ってくれるのではないだろうか。
2006年4月1日
 今日はすこぶる良いお天気。近所の公園の桜の咲き具合が気になって散歩ついでに寄ってみた。
 まだ三分咲きといったところか。
 もう2〜3日もすれば見応えのある桜を観賞することができそうだ。
 それにしてもぽかぽか陽気で散歩をするにはもってこいの日より。ちょっと足を伸ばしてみた。
 田んぼの畦道ぞいに歩いていると、たくさんの土筆を見つけた。
 本格的に春がやってきたことを実感した一日だった。
2006年3月31日
 昨日、風は冷たかったもののお天気が良かったので、龍ヶ崎市般若院の枝垂れ桜を見物に出かけた。新聞に「今が見頃」という記事があったのを見つけたからであるが、実は昨年はもうほとんど花が散ってしまったころに両親を伴って般若院に出かけ、残念な思いをしたことが悔やまれていたのである。見頃とあって、境内はたくさんの人が見物に来ていた。
見事な枝垂れ桜である。それにしても桜は華やかに咲くものだ。
今日は風が強い。各地の桜は大丈夫だろうか。

 昨日、日歯連の献金をめぐっての裁判に問われていた村岡元官房長官に無罪の判決が言い渡されたという。最後に裁判長が村岡氏に『長い間お疲れだったことでしょう。せめて今夜だけでも桜を見てゆっくりされてはいかがでしょうか』とコメントしたという話を聞いた。
 今が盛りの夜桜を堪能することができただろうか。
2006年3月22日
 作曲家で編曲家の宮川泰さんが亡くなった。若い世代には「宇宙戦艦ヤマト」のテーマソングでおなじみだと思うが、私にとっては作曲家としてはもちろんであるが、すご腕の編曲家として憧れの存在であった。どんなつまらない旋律であっても、彼の手にかかるとさまざまな魅力を備えた音楽に生まれ変わり、シンフォニックでクラシカルな音楽にでもスペクタクル映画のテーマ音楽風にでも、どうにでも編曲次第でこんなに魅力に満ちた音楽になるということを教えてくれた人であった。ご冥福をお祈りしたい。

 一方ではWBCで見事に優勝を果たした王ジャパンが帰国し、マスコミはその帰国会見の模様で賑わっている。奇跡的な準決勝進出で韓国を打ち破り、その勢いでキューバをもしのいで優勝を果たしたのは何よりも王監督に寄せられた選手たちの信頼の賜かも知れない。優勝したおかげで、町のバッティングセンターはいつもにはない客足の伸びだという。さまざまなところに経済効果も含め効果が現れているらしい。
 それにしてももっと感動したのは、準優勝したキューバ選手たちを出迎えたキューバの国民の反応だ。熱烈な歓迎やセレモニーの様子がテレビで放送されていたが、カストロが『優勝でも準優勝でもいいじゃないか。決勝戦まで行ったことがすばらしいんだ』として3時間にも及ぶ演説をしたという。
 翻ってもし仮に王ジャパンが準優勝で帰国したのだとしたらどうだろうかと想像した。これほどまでに熱烈に歓迎しただろうか。そして国民こぞって『よくやった』『感動をありがとう』と素直に喜び、子どもから大人まで野球の魅力に改めて気づき、バッティングセンターに出向いてみようと思えたかどうか。
 
 先の冬季オリンピックでもいつものようにメダルの数にこだわる報道ばかりなされていたが、そんなに優勝することだけがすばらしいことか?と慨嘆したが、キューバの様子を見てますますその思いを強くした。 
2006年3月12日
 37歳の弘山晴美選手(資生堂)が12日の名古屋国際女子マラソンで劇的な初優勝を飾った。知らなかったのだが、これまで10回のマラソン出場で優勝経験がなかったのだそうだ。37歳と言えばアスリートとしてはベテランの部類。レース当初からトップを走り続けてきた渋井選手に30キロを過ぎたあたりからひたひたとに迫り、追いつき追い越してからぐんぐんと距離を離していく力強い走りは、歳を感じさせないものがあった。嬉しかったであろう。これまでの数々の悔しい思いを乗り越えての優勝であることを考えると、その喜びは想像に難くない。月桂冠を授与される場面や優勝のインタビューを受ける姿を見て、思わず泣けてしまった。
 努力をしないアスリートなどはいないと思われるが、苦難を乗り越えて目標を達成した姿には感銘を受ける。
 
 そう言えば今日から大相撲が始まった。ここでもこれまで幾度もの困難を克服してきた大関栃東が綱取りに挑戦する。初日は無事に勝った。ぜひ勝ち続けて綱取りを確実にして欲しいものである。がんばれ!栃東。
2006年3月1日
 おひな様を飾った。娘たちが幼かった頃は、七段飾りのおひな様を押入から取り出し、大騒ぎをしながらほぼ半日がかりで飾ったものだった。娘たちが家を出てしまってからは、そんなこともなくなってしまったが、ヨーカ堂でかわいらしい雛飾りをみつけたので思わず買ってしまったのだ。
 今日から3月。学校は卒業式の準備やら年度末の準備、異動の段取りや新年度の準備などで一年で最も忙しい時期を迎える。学校に勤めていたときには、そんな忙しさにかこつけて家の中のことは二の次だったなあとしみじみ感じながら、かわいい雛飾りを眺めている。
2006年2月28日
 ろくに裏付けもとらずに、『確証がある』として誰が作ったかもしれないメールを取り上げて、国会議員が一市民を糾弾し、しかも『信頼できる』として強がっていたにもかかわらず、それがでっちあげの偽メールだと知れた途端、雲隠れ、入院騒ぎ。
 今日は、釈明会見とやらで謝ってはみたものの、当のメールの出所については『信頼は裏切れない』として明かすことはなかった。メールを捏造して持ち込み自分を陥れた相手を『信頼している』とはどういう心根から出た言葉なのであろうか。
 私人としての立場であれば、どのような相手であっても「信頼したい」「裏切れない」という心情を責めたくはないし、できればそうありたいものだと思う。しかし、これは「国家の行き先を見定め、国家を運営する」使命を帯びた国会の場でのできごとなのだ。そのような私情で語ってもらいたくはないものだ。

 それにしても、この人は紙に印字されたメールをなぜ信じてしまったのだろうか。そんなものはエディタやワープロがあればいくらでも作成可能だということは子どもだってわかりそうなものだ。そのような人物が国会議員として、しかも野党第一党という「政治に過ちがないよう」「与党とのバランスの上で」機能しなければならないはずの党に属し、活躍の場を与えられているということに一抹の不安を覚えるのは私独りではないであろう、とニュースを見ながらつくづく思った。
2006年2月20日
 トリノ・オリンピックが盛んに行われている。
 これまであまり見たことのなかった競技の一つに「カーリング」があるが、日本女子の代表が大いに健闘をしているのを見てから、カーリングとは何とおもしろい競技かと気づかされた。単に円の中心をねらってストーンをすべらせているだけなのかと思っていたら、それが大間違い。先の先を読んで、ストーンを配置し、作戦を練りに練って、最後の最後まで勝敗がわからないという、まさに頭とワザのスポーツだったのだ。「氷上のチェス」と呼ばれる理由がわかった。
 解説者の話を聞いていると、そうした作戦の一つ一つの意味もよくわかり、こんなにおもしろいスポーツだったのかと『やってみたい』とは思わないまでも、観戦することにハマリそうな気分で楽しんでいる。
 今日も日本女子はイタリアに勝ち、もう一息でベスト4に入りそうな勢い。がんばって欲しいものである。
2006年2月6日
 私はso-netでブログを公開しているが、残念なことにso-netのブログは携帯電話では読むことができない。そこで、 realogという携帯電話でも読める無料のブログサイトを利用してブログを公開していたのだが、どういうわけか一昨日から 私のブログサイトにアクセスできなくなってしまった。やむを得ず、改めてgooのブログサイトを利用して公開することに。
見えなくなってしまった理由はまったくわからない。おかげで、これまで公開していたデータはなくなってしまったも同然。
とは言え、so-netに掲載していたものを単に携帯電話でも読めるようにしていただけなので、何の不自由もないのだが。

 ところで、そのso-netに公開していたブログの中の記事「場の音楽」について、札幌の中学校の先生がコメントを送って 下さった。ずいぶん前に書いた記事ではあるが、「同感」のコメントが送られてくると嬉しいものである。

 昨日・今日と二日間すこぶる寒い。そのせいか喉が多少いがらっぽい感じがする。風邪じゃなければよいのだが。
2006年1月27日
 昨日、このホームページの「評論」ページに『「競争原理」に立つ教育の危うさ』と題して、競い合うことを核とした教育では「人間としての育ち」に好ましくない影響をもたらすであろうということを書いた。
 その折も折、今日の読売新聞でライブドア事件を受けて組んだ特集『ライブドア事件を語る』の中で、経済評論家の内橋克人氏が、次のように語っていた。
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 市場競争至上主義と切磋琢磨は違う。個人が腕を競い、互いに高め合うのは大切なことだ。
だが、野放図な市場至上のグローバル化だけに追随していては、たどり着く果てに『一人勝ち』社会が待っている。
 マネーや市場が主人ではなく人間が主体の社会でなければならない。連帯、参加、協同を原理とする
『共生経済』『連帯経済』が今、中南米経済の再生の支柱になっている。一人の成功が他者の犠牲のうえ
になり立つカット・スロート・コンペティション(のど元をかき切る競争)の価値観を礼賛してはならない。

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 昨日、相手を打ち負かすことを目的とした「競争」と互いに高め合うことを意識した「切磋琢磨」とは意味が異なる。教育の目的が「品性の確立」や「たのもしい人格の確立」にあるとすれば、競争による教育でそれを養うのは難しいであろうと書いたばかりなので、ちょっとした偶然に驚いている。

 今日はモーツアルト生誕250年の記念日。「つくる」などという人間の手によるわざとらしさを微塵も感じさせない、まさに
「天からの贈り物」のようなモーツアルトの音楽は万人の宝もの。モーツアルトの音楽を聴ける喜びをしみじみと味わいたいものだ。
 
2005年12月16日
 以前から疑問に思っていたことが、今朝ようやくわかった。
 我が家では、NHKの朝の連続ドラマを毎日楽しみに見ている。
 今は由布院と大阪を舞台にした「風のハルカ」。主題歌を森山直太郎が歌っているのだが、何カ所かどういう歌詞なのか聴き取れないところがあり、何と歌っているのか、そしてその意味はどういう意味なのか、以前から不思議に思っていた。
 それは『愛し合うキミイホー』『風にスルブリーター』『かなしみのワキーホー』『かざあならぬらす』という部分だ。何度聴いてもそのようにしか聴こえない。
ひょっとすると新しい言い回しで『キミイホ』という言葉や『ワキイホ』という言葉があるのかも知れない。それにしてもどういう意味なのだろうと家内とも話していた。

 そうしたところ、今朝はドラマが1分ほど早く終わり、主題歌がテロップつきで流されたのである。疑問が解き明かされる千載一遇のチャンスである。画面をじっと見つめて、見逃すまい、聴き逃すまいと耳を澄ませた。
 ところが『愛し合うキミイホー』の部分では、テロップでは『愛し合う意味を』とごくありきたりの歌詞が表示されているではないか。どう歌ったら『意味を』を『キミイホー』と発音して歌えるのかわからないが、ともかくもそう歌っているのだ。
 他はどうなのか。『風にスルブリーター』は何と『風にさらわれた』なのだそうだ。
 『ワキイホー』では『わけを』と、『かざあならぬらす』では『風花がぬらす』とテロップが流れる。何と言うことだろう。私は自分の耳が悪いのかと思っていた。あるいは、不勉強なために人々があたりまえに使っていて私の知らない言葉があるのかと思っていたのに、こんなあたりまえの言葉だったのだ。

 それにしても発音が悪すぎるのではないか。
 どうして『イ』や『ケ』を『キ』と発音しなければならないのか。『ヲ』を『ホ』と発音しなければならないのか。『風花』を『風穴』と取り違えられたら、歌の意味そのものを誤解され正しく伝わらないのでは?
 歌は言うまでもなく歌詞と旋律を用いて、自分の言いたいことを表現する手段である。 正しく発音しなければ重要なメッセージが伝わらないはずだ。しかも、この曲は歌っている森山直太郎自身の作詞・作曲だという。
だとすればなおさら自分の言いたいことをしっかり音楽として伝えるために細心の注意を払って歌おうとするはずではないか。
 歌を聴く側からすれば、詞を理解してはじめて作者の思いを共感でき、安心して曲の持ち味に身を委ね、それを楽しみ味わうことができるのだ。
 歌詞は二の次、楽曲全体をイメージとして伝えたいのだから印象として受け取ってよというのであれば、それはもってのほかのことだ。と老人である私は朝から憤ってしまったのである。それなら歌わずに楽器で主旋律を演奏してもスキャットで歌っても一向に曲の意味を損なわないということを意味するからだ。「歌」としてつくり歌う以上、伝わらない歌い方では、聴くものに何の響きも起こさせないのだ。
とは言え、たかが朝のドラマの主題歌のことで憤っている自分が滑稽でもあったのだが。
2005年12月14日
 このところ不可解な事件が多発している。栃木や広島の女子児童殺害事件、京都宇治の塾講師による児童殺害事件など、『なぜそのようなむごいことができるの』説明のつかない不可解な事件が連続して起きている。

 私たちは、身の回りでさまざまな出来事が起きたりそれに伴い環境に変化がもたらされたりすると、何とかその状況や原因を「わかろう」とし、考えをめぐらすものである。
 『どうしてこのようなことが起きるのか』『このような事態を引き起こす人の心情とはどのようなものか』『何がそうした行為に走らせたのか』と自分が納得できる説明を求めて、あれやこれやと考えたり、考える手がかりを得ようとする。
 榊原事件が起きたときもさまざまな解釈や説明がなされたが、あの少年はなぜあの事件を引き起こしたのか、あの事件はいったい何だったのか、について深いところで納得している人は決して多くはないであろう。「○○障害」「○○症候群」と名前をつけて説明されると「わかった」かのような気分にはなるものの、その実ほんとうのところではわかっていないということは多い。
 私たち人間は、「わからないこと」に対して根元的な怖れを抱く存在のようであるが、専門家と言われる人から『これは「○○障害」によるものだ』と説明されると、とりあえず「わからない」ままにしておくこともできないという抑圧から逃れることができ、不安を解消することもできるのだが、実は納得できていないことが多いと思われるからである。
 とりあえず名前をつけ、わかったかのように思わせてくれる説明は、そうした意味で「見て見ぬ振りをする」応急措置のようなものなのかも知れない。
 いま自分が持っている知識や説明、解釈では解き明かせない(説き明かせない)ものは「わかったかのような気分」にしてくれる「○○障害」「○○症候群」などの名前を用いた説明で「わかった」ことにしておこうという、「わからない」恐怖から逃れる手段となっているのではないかと思われるのである。
 わけのわからない不可解な出来事に遭遇すると、どうやらそれに対する驚きと恐れのために、一瞬目をふさぎ「わかったかのような気分」にしてくれる説明を得て思考停止の状態になってしまうのではないだろうか。

 しかし、科学(脳やこころの科学も含めて)が人間のすべてを説明できているわけではない。音楽を聴くと心地よいと感じるのはなぜか、という問いにさえ十分な説明がなされていないのが現状で、もともと人間とは「未だにわからないもの」「そう単純に説明しきれないもの」なのだという前提に立たなければ、本当の意味など見えてこないのかも知れない。
見た目には同じ人間の姿をし、同じ言語を持ち、同じ様式を持ち、同じように喜び、悲しむからこそ見えにくくなっていることもあるかも知れないのだ。
 理解不能だからこそ理解しようと努めるのであって、安易な解釈、「わかったかのような説明」で「わかったかのような気分」になって安堵せず、ほんとうにそうかと自らの納得を求めて考えることが必要なのではないだろうか。
2005年12月4日
 つい何日か前まで家庭内無線LANでつながっていたインターネットに愛用のザウルスがつながらなくなっていまった。
 何度も設定を変えて試してみてもどうしてもうまくいかない。メーカーのいわゆる「お客様相談室」はどうせ電話をかけて
みてもつながりにくかったり、たとえつながったにしても懇切な対応など期待できないだろうとの思いこみで、何とかマニュアル片手に悪戦苦闘してみたもののどうしても駄目。仕方なくザウルスの「お客様相談室」に駄目で元々と自分に言い聞かせながら電話をしてみた。そうしたところ、何と何秒も待たずに電話に出てくれ、しかも適切ないくつかの対処方法やら確認方法を教えてくれ、しかもその場で問題が解決してしまった。
 問題はザウルスにあったのではなく、ルータの側にあったのだが、『可能性はそちらにもあるかも知れません』というアドバイスに半信半疑というか藁をもすがる気持ちというかでルータをリセットしてみたところ、あっけなく解決したのである。
 メーカーの「お客様相談室」に妙な先入観、いわれのない不信感を抱いていたことを反省させられた次第である。
 おそらく他のメーカーも昔と違って対応には万全の態勢をとっているのかも知れないが、かつてそうだったからといって、生半可な先入観を抱いてしまってはいけないなと反省しきりである。
2005年11月28日
 うろ覚えのロシア民謡の歌詞が正確に思い出せない。たしか昔、新宿にあった「歌声喫茶」などで歌っていた覚えが
あるのだ。「ある朝 めざめて さらばさらば恋人よ〜」といった歌い出しだったと思い、半信半疑ながらインターネットで
何か手がかりがつかめるかも知れない、駄目でもともとと検索してみた。
 そうしたところ、何と歌詞について書かれたサイトやレコード・CDについてリストアップしたサイトなどが見つかったのだ。
 そうしたことについて調べ上げ記事にしている人々がいるということについてまず驚かされた。いるんですねえ。
 その歌詞を見て、『ああ、そうだった。昔歌った歌詞はたしかにこうだった』と、その正確さにも驚かされた。
 インターネットの便利さは当然のこと、サイト作成者があらゆる分野に及ぶことに改めて感心させられた。 
2005年11月7日
 一昨日(11/5)、新百合ヶ丘の昭和音大において、第1回の日本電子キーボード学会の全国大会が開催された。
 学会総会に引き続き、基調講演と12の研究発表、さらにコンサートが催された。学会のHPアドレスは次の通り。
 →http://www18.ocn.ne.jp/~jeks/index.htm
 中でも、私が着目したのは音楽科教員養成でM.L.の充実した実践をされている文教大の柳田先生の発表であった。
 機能的な和声の学習やソルフェージュ、聴音等にM.L.がまさに有効なツールとして位置づけられ、学生の学習に成果
を上げておられる様子が如実に窺えたからである。
 そしてもう一つは、オンド・マルトノの楽器としての独自性を奏者として見つめ考えるという視点で発表されたオンド・
マルトノ奏者の久保さんの発表。目の前で本物の楽器を見、その演奏の様子を間近に見ることができ興味深かった。
 下の写真は、その際に写したものである。
2005年11月1日
 2次元のQRコードを作成するソフトを見つけた。テキストやメールアドレス、URLなどを入力すると、QRコードに変換し
BMPファイルとして生成できる。これを自分の名刺などに貼り付ければ、渡された相手はいちいちメールアドレスなどを
入力せずとも携帯電話で読み取ってメールを送信することができる。現在は、カメラ付きではない携帯を探す方が難しい
ほど、ほとんどの携帯電話にカメラが装備され、しかもその多くがバーコードリーダーの機能を持っているので、重宝する
こと疑いなしである。この2次元コードを作成し、プリントするソフトはないかと思って探してみたら、意外と簡単にフリーの
ソフトを探し出すことができた。いくつかあった中で、もっとも簡単そうなものをダウンロードしてみた。
 バーコードを生成した画面が下の図である。早速私の名刺に使ってみようと思う。

QRコードは株式会社デンソーウェーブの登録商標です。
2005年10月7日
 電子書籍を出版してみた。でじたる書房というネット上の出版社である。本来は、「でじブックメーカー」というソフトに
テキストファイルを流し込んでだものを出展し、それをダウンロードして購入してもらい、購入者は「でじブックリーダー」
という無償配布のソフトで読み込んで閲覧するというシステムだったらしい。
 しかし、WORDのファイルでもPDFでも出展可能になったということなので、それならばと思い切ってPDFファイルを
作成し出展してみた。「でじブックメーカー」では、脚注を思い通りに掲載できないからだ。PDFなら、ワープロソフトで
作成したものを見たままに変換できる。そこで思い切って出版してみたのだが、何日か経つのにまだ一冊も購入者が
いないという。残念だ。
 出版した電子書籍のタイトルは、『教育に寄せるエッセイ集「みんなで考えよう 教育のこと」』。
 次のサイトで購入することができるので、もしほんの少しでも関心を持って頂けたら是非ご購入を!

 ↓
http://www.digbook.jp/index.php?osCsid=39c3650bbb1065fb64a014f532873f74
2005年9月11日
 今日は衆議院議員の総選挙。開票速報を見る限り、自民党の圧勝のようだ。国民の多くが、小泉首相の言う「郵政民営化、賛成か反対か」の言葉に惑わされ、それだけを判断の基準に自民党の候補に票を入れたということになるのだろうか。もっと大事なことは、この選挙が小泉首相の政治手法を認めるか認めないかを審判する選挙だと思うのだが。
 これまでの小泉内閣は、まともな議論はせず、ある時はシラを切り、ある時は議論をはぐらかして、バタバタとさまざまな法案を成立させてきた。
 この選挙で自民党が圧勝するということは、小泉首相をして『国民は私を支持してくれた』という口実を与え、この後どんな法案も十分な論議をせず、独裁的なこれまでの手法で強引に押し通すことが予想される。
 国民の多くが本当に『それでよい』と思っているのであろうか。これ以降、どんなことが決められ、その結果国民に予想もつかないようなどんな「いたみ」が押しつけられるかわかったものではない。
 私はノンポリ(懐かしいことばだ)なので、どの政党に勝ってもらいたいなどという思いはないが、少なくとも小泉首相の政治手法には「ノン」を表明すべきだったのではないかと思うのだ。
 その意味で、先の見えない日本国民の多さに暗澹たる思いである。
2005年9月5日
 この夏も何冊かの本に出会ったが、おもしろかったのは島田洋七の『佐賀のがばいばあちゃん』。
 島田洋七といえば昔起こった漫才ブームの立役者、B&Bのうちの一人。小学生のときに住んでいた広島から、家庭の事情で預けられた佐賀の母方の祖母の明るくたくましい貧乏ぶりを描いている。お金を持っているかどうかが幸福の尺度になってしまったかのような現代の人々に、『何か間違ってるぞ、生き方を間違えるな』と祖母の生き方を通して訴えている。とにかくおもしろく、笑ったり涙しながらページを繰っている間に、ほんの数時間であっという間に読み終えてしまう内容なので、誰彼かまわず薦めている。文章もうまい。説得力がある。内容もいい。
 欲しいものが手に入らないと、あるいは他の人々と同じようにふるまえないとそれだけで『自分は不幸だ』と思いこんでしまう現代人の傾向に実体験をもとに笑わせながらさりげなく警告している。さすが漫才師である。
 ハードカバーの単行本にはない前書きが掲載されている文庫本がお薦めである。
2005年9月1日
 今日は9月1日。公立の小中学校の多くは今日から2学期。二期制になった学校では新学期が始まったという意識が
希薄かも知れないが、それでも長い夏休みが終わってまた学校で友達と一緒に遊んだり勉強したりできるという喜びで
今日を迎えた児童生徒も多いであろう。多くの学校では、2学期が始まると同時に運動会の練習や準備にとりかかる。
例年暑いさなかでの練習で体調を崩す児童生徒も多い。無理せず頑張って欲しい、というのは無理な注文であろうか。

 ホームページを更新していたら(あまり欲張って容量の大きいデータを載せようとしたのが間違いのもとなのだが)、
ホームページスペースがなくなってしまいアップできなくなってしまった。急遽、フリーのホームページサービスに登録し
データをアップしてそこにリンクを貼ることにした。広告のバナーが表示されてしまうのが残念だが致し方ない。
2005年8月28日
 先日の広島での研修会に参加した会員の先生方のアンケートを事務局の先生が送ってきてくださった。
 ありがたいことだ。じかに感想をお聞きすることはできなくても、こうして反応に接することができると、反省すべきことも見えてくる。寄せられた感想をまとめてみた。(重複した感想、また字句や言葉遣いはそのまま転記した)
 ※次のページでご覧いただけます。
 →http://www.e-nita.net/ank.html
2005年8月24日
 つくばエクスプレスがいよいよ今日から開業。朝からTVニュースでも大々的に報道されていた。
 つくばもそして何よりも秋葉原もこれから大変貌を遂げるかも知れない。
 今週21日に広島に向かう途中で秋葉原に立ち寄ったばかりだが、ほんの数ヶ月前と駅の様子が一変していたのに
驚かされた。科学都市つくばと強くリンクされ、電気街からITを中心とした情報産業の街へと様変わりするのではと期待させられる。また、これまで鉄道の恩恵を享受できなかった町々の人たちが東京と直接結ばれ、一気に経済活動にも弾みがつくのではないかと、そんな期待も抱かせられる。ご同慶の至りである。
2005年8月23日
 小学校や中学校で、音楽の学習にヤマハの「HELLO!MUSIC!forEDUCATIN」を活用している先生方に朗報。
 これまで「HELLO!MUSIC!forEDUCATIN」では、WAVファイルを直接作成することができなかったのだが、アップデータをインストールすることによりそれが可能になった。つまり児童生徒の作品をほかのアプリケーションを使ったり、一旦外部録音してそれをさらにパソコンに取り込むといっためんどうな手順を踏むことなく、CDなどに焼いて配布することが可能になったのだ。これはお薦めである。
アップデータは下記のサイトからダウンロードできる。
http://www.yamaha.co.jp/edu/download/hmk4update/index.html
2005年8月23日
 広島での講話と実技研修指導を終え、昨夜遅く帰宅。前泊したホテルの窓から、原爆ドームがよく見えた。
「終戦のローレライ」を読了してから間もないこともあって、感慨もひとしお。
 研修会場の隣に被災時校舎だった建物の跡が史跡として保存されているというので、お昼休みの短い時間に見学させてもらった。もともと白壁だったのだろう校舎の壁面が黒板のように焼けていて、それを利用して被災した人々がお互いの連絡を取り合ったのだろう。伝言板のように壁一面にメッセージが書き込まれている。悲惨な光景がそこかしこで見られたのだろうが、現在の広島は押しも押されもせぬ大都会。広い道路の街路樹では「ワシュワシュ」とにぎやかにクマゼミが鳴いていたのが印象的であった。
2005年8月15日
 家の近所の林では、朝早くから蝉が合唱を始める。いつもはアブラゼミの声しか聞こえなかったのだが、今朝はこの夏で初めてのミンミンゼミの声を聞くことができた。ミンミンゼミの声を聞くと、小学生時代の夏休みの記憶が鮮やかによみがえる。ただうるさいだけ(どこまでも私の主観的な感想だが)のアブラゼミと違い、ミンミンゼミの声には夏の記憶を強烈によみがえらせる力があるのではないだろうか。今NHKのBSで渥美清の「男はつらいよ」シリーズ48作を放送中であるが、夏の場面では必ずと言ってよいほどミンミンゼミの声が背景で聞こえている。
夏にはミンミンゼミがよく似合う。そして夕方になると今日もカナカナゼミのものさびしい声が聞こえるはずである。
今日は終戦記念日。黙祷を捧げながら、ミンミンゼミの声を心地よく聞いた。
2005年7月29日
 図書館などに手軽に持ち込み、気づいたことを書き留めたり、これはと思える文章のメモをとったりするための小型のワープロのようなものを探していた。これまではモバイルギアを使っていたのだが、NIFTYを脱退してしまったために通信機能が使えなくなってしまった。通信できなければ帰宅後それらのテキストをパソコンに移し替え、後の作業に生かしにくくなってしまう。どうしたものかと考えていた矢先、このザウルスに行き当たった。ザウルスはこれで4台目である。これまでは期待通りの働きをしてくれなかったので、今回も迷ったが購入してみて「これは使える」と見直した。キーボードは小さいが、使ってみるとさほど違和感なく使えるし、ワードもサクサクと動く。USBで自宅パソコンとのリンクも容易にできるし、外付けのメディアとして認識させることもできるので使い勝手はいい。これはお買い得だったと満足。
2005年07月12日
  先月の末、茨城大学教育学部音楽科でひょんなことから3年生の音楽科教育研究法の授業時に講話をすることになった。急なことだった為、.何の準備もできなかったが、思いつくまま音楽教育について考えていることを話してきた。すると、その授業を担当している教授から、学生の皆さんの書いたレポートが送られてきた。授業後、教授が学生に課した課題、「講話を聴いて考えたこと」についてのレポートである。学生の皆さんは、まさに教育実習期間の最中(終えたばかりの学生、数日後に実習開始を控えている学生も含めて)であったようで、私の語りかけた内容について主体的に受け止め、真剣に考えてくれた様子がレポートから窺える。嬉しい限りである。概略についてこちらのページにまとめてみた。
 →
レポートの概略   →(携帯電話からはこちら
2005年06月19日
  長女が「父の日」のプレゼントをネットで手配し、注文を受けた花屋さんが今朝届けてくれた。遠くに住む娘から
 こんな形でプレゼントをもらえるようになったのだ。しかもきれいな生花である。照れくさいがすこぶる嬉しい。
  花屋さんが「切り花を長持ちさせる薬品」も置いていった。早速水やりの時に使わせてもらう。ぜひぜひ長く咲
 いていて欲しいものである。

  ところで、昨日はJR西日本の福知山線が55日ぶりに運転を再開したという。便利さと時間の正確さを手に入
 れるために、命の危険も同時に抱え込んでしまった現代。福知山線に限らない。私たちはそのはざまで自分を
 どう生きるかという問題を常に突きつけられていると言って良いであろう。
2005年06月08日
  昨年私が出版した本を購入し、読んで頂いた広島県のある先生から講演の依頼を受けた。数ある本の中から私の本に目を止め、
買っていただけただけでも嬉しいのに、その内容が気に入ったので講演を頼む、とまでおっしゃって頂けたことは嬉しい限りである。
 本を出版するということは、このように目に見えない不特定多数の方々を相手にお話しをすることなのだ、と改めて認識させられた。
 これまでもこのHPの感想を寄せて下さった方のメールを手にした折には、こういうことも人と人をつないで結びつける契機となり得る
のかと嬉しい感想を持ったが、今回は書籍という紙に書かれたものを介してのそれだったので、いっそうその感を強くした次第である。
2005年3月6日
 上野の国立博物館で公開されている「唐招提寺展」が今日で終了した。
 昨日は、有楽町のよみうりホールで行われた「林家こぶ平兄弟会」の高座を聴きに行く予定があったので、途中上野に立ち寄って終了間際の「唐招提寺展」を見学。
 終了間際の土曜日、しかも好天に恵まれたことも手伝ってか会場は大勢の人出。それでも、国宝の廬舎那仏や鑑真和上像を間近で拝することができ、家内共々感動。

 さて、「林家こぶ平兄弟会」では、やはり春風亭小朝が大いに会場を沸かせる。
 もちろん、林家正蔵襲名を間近に控えたこぶ平も秀逸。古典のうまさはさすがと思わせるものがある。来週は、上野から浅草まで襲名披露のパレードが予定されているという。正蔵の名をさらに大きくするのではないかと期待を抱かせられた。
2005年2月8日
 このところ昨年暮れにNHKで放送された「地球大進化」の録画をDVDで感心しながら見ている。
 暮れに欠かさず見ようと思っていたにもかかわらず、つい見過ごしてしまったところがあったのだが、娘がDVDに録画したものをコピーして送ってくれたので見られなかった箇所も見ることができるためだ。
 映像もナレーションも案内役の山崎努の奮闘ぶりもいいのだが、何と言っても世界中で取材した新しい研究成果の見せ方がすばら
 しい。さまざまな発見やそれに基づく新説を「なるほど」と思わせる組み立てでわかりやすく展開してくれる。
 「そうか、地球は荒ぶる父だったのか」と感心しきりで画面に見入っているこの数日である。
2005年2月6日
 今日は春風亭小朝の独演会に出かけた。すばらしい。噺にまったく無理がなく、ついついひきこまれ、見えるはずのない情景をその仕草や語り口で目の前に展開して見せてくれる。古典を演じても古さを全く感じさせない話柄の扱いには感銘を受ける。
 これこそ話芸と呼ぶにふさわしいのだろうと感心しきりで帰途についた。
2005年2月3日
 今日は節分。がらにもなく句をひねってみた。
   鬼やらう 声にぎにぎしくも 凍る星

 宅配便で送る荷物があったため、近所にある宅配便の事務所に出かけた。
 荷物を頼んでふと脇を見ると、表に「アマリリス」と書かれた箱が幾つか置かれている。それをプレゼントとして贈ったり、購入して自宅で楽しんだりすることができるらしい。2種類のアマリリスがあって、そのうちの一つが「ビバルディ」という種類だという。
 名前に惹かれて衝動買いをしてしまった。家に持ち帰ってさっそく水やりをし、日向の明るい場所に置いてみる。これから芽が出て成長していくのだろうが、どんな花を咲かせるのか楽しみである。

 どうやら私のパソコンがウィルスに感染してしまったらしい。メールを送りもしないのに、「相手先の都合により送信できませんでした」という趣旨のメールが数通届くようになってしまったのだ。ひょっとするとあちこちに勝手にメールを送りつけているのかも知れない。
これは大変とネット上でウィルススキャンをしてみると案の定、数通の「W32/Netsky」に感染したメールが見つかった。
うまく駆除することができたが、対策が遅れれば自分がもっと迷惑メールの送り手になってしまうところだった。
 どうした具合でこのような迷惑メールを受信してしまうのか、これといった理由も思い当たらない。困ったものだ。
2005年1月10日
 このところ私の携帯電話に身に覚えのないメールが届くようになった。
 今日も『あなたから空メールが届いたが、あなたは誰?』といった趣旨のメールを受信した。そのようなメールを見ず知らずの人に送信した覚えはない。ということは誰かが私のメールアドレスを騙ってその人に送信したということなのだろうか。
幸いそのメールを受け取った人が不審に思い、『あなたは誰?』と返事を返してくれたから気づいた次第で、返事を返さない不特定多数の人に私のメールアドレスで空メールが送りつけられている怖れがある。

 どうしたものであろう。手っ取り早いのは私のメールアドレスを変更してしまうのがよいのであろうが、それをするためには携帯電話の暗証番号を思い出して入力する必要があるという。困った。暗証番号をどのような数字の組み合わせでしたかなどまったく覚えていないのである。また、仮に暗証番号を首尾良く思い出せてアドレス変更ができたとしてもそれから後の手当が大変である。まず何よりあちこちにアドレスを変更した旨の通知をしなければならない。
さらに普段使っているPCのメールアドレスから携帯に転送するための手続きもしなければならない。

 本当に迷惑な話だが、こうした迷惑ないたずらをして何がおもしろいのだろう。まったく困ったものだ。
2004年12月23日
 昨晩NHKテレビで偶然「データマップ63億人の地図」という番組を見た。世界中の海で魚の生息数が急激に減少し、絶滅が危惧される種が増えているという。番組によれば、日本の食卓に上る「タコ」の多く(およそ4割)はモロッコからの輸入だという。
日本には高く売れるということもあってか現地の漁業関係者が過剰に採取したため、資源量が急激に減少。
去年から漁場が完全に閉鎖されているそうだ。モロッコ産のタコは品質が良いだけに日本への影響も大きいと番組は言う。

 また、お寿司屋さんで出される「ヒラメのえんがわ」は、実は本物のヒラメではなく「カラスガレイ」というカレイのえんがわであることは周知のことであるが、この魚も主な漁場であるカナダ沖の大陸棚から姿を消しつつあるという。日本人は、自分が食べたいばかりに(味もわからず食通ぶっている人も多いのでは?)世界の海を台無しにしてしまっても『自分の知ったことではない』と平気な顔をしていられるほど厚顔無恥な国民なのかと残念に思っていたが、この番組によればカナダ沖の「カレイ争奪戦」ではスペインが自国の国民に食べさせるために、強固に漁獲量を増やそう、維持しようとしているようだ。200海里の外だからどれだけ採ろうと良いではないかというのは公海上のこととは言えわがままではないか。
 いま食べられれば良いという問題ではなく、今後の世代に残しておくべきものをどう残すかという視点から考えなければならないのではないか。

 そう考えれば日本も同じである。札束にものを言わせて、世界中からさまざまな資源を買い漁る行為は何とかしなければならない。
 そうした業者に言わせると、国民の需要があるから買い漁るのだと言うであろう。
 本当に需要(なければ困るという)があるのであろうか。
 日本の国民は戦中・戦後のように食べ物その他に困っているわけではない。わがままで自分勝手な贅沢のためにそうした行為が正当化されないためにも、日本人はもっと質素になっても良いのではないだろうか。

 世間では「不景気だ」「景気の上向く気配がない」と言う。しかし日本人はそう言い立てるほど困窮しているとはどうしても思えない。
 一家に自家用車が数台あり、エアコンをかけっぱなしにしても平気。スーパーマーケットでは形の悪い野菜は売れない。ブランドものの装飾品に目の色を変える。そういう人々が「さすがにヒラメのえんがわは旨い」などと言いつつカラスガレイを食べている構図からは「成熟した文化」の香りは感じられないし、むしろ滑稽でもある。
 日本が世界に残すキズ、次世代に残すツケはずいぶんと大きいのではないかと考えさせられる。
2004年12月4日
 以前から気になっていた「blog」に挑戦してみることにした。ホームページよりはずっと簡単に更新できそうだし、携帯電話からでも容易に更新できるというので、ちょっとした記事を書くのには好都合だと思ったからである。
 やってみると拍子抜けするほど簡単で、試してみようと思いながら逡巡していたこと、そして「挑戦するぞ」と意を決したことが無意味に思え、笑っちゃうくらいのあっけなさだ。写真も手軽に置けるようだし、メモ書きするほどの気軽さでホームページ様のものができてしまうことに驚き。
 私のblogのURLは次の通り。

  
http://blog.so-net.ne.jp/e-nita/ 
2004年10月2日
 日本電子キーボード学会が新たに設立され、その設立大会が今日行われたので参加してきた。
 準備委員の主な先生方は、吉田泰輔国立音大理事長、下八川共祐昭和音大理事長、高萩保治学芸大名誉教授等々。
 会場は、川崎市新百合ヶ丘駅前の昭和音楽芸術学院内「ラ・サーラ・スカラ」
 第1回の学会は来年度(2005年度)に開催される予定で、今回はあくまでも設立大会。
 その設立趣意書は、
こちらのページで
2004年9月8日
 先日のこと、東京までの電車の中で読もうとある週刊誌を買った。その日は生憎の雨。どうしても行かなければならない用事が代々木にあり、多少の億劫さを感じながら出かけたのである。代々木について傘をさそうとして週刊誌が邪魔なことに気づき、駅近くのコンビニのゴミ箱に捨てさせてもらった。

 数日後、あるテーマでエッセイを書こうとして、最近読んだ何かの中にその主題にふさわしい話題があったなと思い、近頃読んだと記憶している数冊の本のページを繰ってみたがどうもねらう事柄に行き当たらない。何の本であったかも思い出せないまま夕食を迎え、茶碗を取り上げた時、代々木で捨てたあの週刊誌に掲載されていた記事であったことに気づいた。
 夕食もそこそこにインターネットでその週刊誌のバックナンバーを調べてみると、掲載記事の一覧にその項目が見つかった。
 翌日近所の書店に出向き、バックナンバーが購入可能かどうか尋ねると2〜3週間もかかるという。
 考えてみれば週刊誌を捨てようとしたあの時、「この記事を参照したい時が来るかも知れない」という予感があったにもかかわらず、なぜか捨てることにしか気持ちが働かず、むしろ捨てて手が空いたことにほっとしたものだった。
  
 そして今こうして後悔している。よくあるのだ。大事なものかも知れないと思いつつそういうものほど簡単に手放してしまうこと、手放した後で失ってしまったものの大きさに改めて気づいて大いに後悔することが。
 『逃がした魚は大きい』をここで言うのはあまりにも陳腐すぎるか。
2004年9月7日
 仕事部屋として使っている借家の整理をしようと思い立った。荷物で押入の中までいっぱいになってしまったからである。
 ことにハードウェアの修理や処分の際に困ると思ってとっておいた段ボール箱があちこちで場所をふさいでいて、緊急の物置として使っている風呂場でも天井に届かんばかりになっている。段ボールの中には緩衝材の発泡スチロールも入っており、たたむわけにもいかず箱のまま保管しているので始末に負えない。もう古くなって使っていないハードも多いので、この際すべての段ボールを処分することにした。小さなものから大きなものまで数十もの段ボールをつぶしにかかった。

 箱を解体しながらふと気がつくと、中には値段シールの貼られているものがたくさんある。一つ一つ確認すると気が滅入ってしまいそうになる程これまでずいぶんコンピュータ関係のものにお金をかけてきたものだと今更ながらあきれた。
増設メモリやサードパーティーのアクセサリ、ハードディスクなどパソコンを新しくするたびに買いそろえてきた使い道のないそれらにかけたお金はどれ程のものか。気を失いそうになった。
 これ以外にアプリケーションのパッケージも部屋にあふれかえっているのである。我ながらあきれた。
 あきれたが、これらを使って得たものも多い。出来たことも多い。(何の得るところもなかったものも多いが・・・)
 反省どころか、おそらくこれからも金銭を無視したハード・ソフト漁りの道をさまよい続けるのだろう。
2004年8月20日
 今朝の新聞でエルマー・バーンスタインが亡くなったとの死亡記事を見つけた。
 エルマー・バーンスタインと言えば真っ先に思い出すのが「荒野の七人」。あのリズムを聴くと今でもスティーブ・マックィーンやユル・ブリンナー、ブロンソンやジェームス・コバーンなどの顔とともに、若かった頃の心の弾みを思い出す。
 「大脱走」もバーンスタインの作品。今でも子どもたちが学校で演奏する機会のある、なじみのある曲の一つではないだろうか。
 おそらく私などの知らないたくさんの映画音楽を手がけているのであろう。
  
 ここ数日は、テレビではどこのチャンネルでもオリンピックの話題でもちきり。
 今日は、アーチェリーで41歳の高校教師 山本博さんが銀メダルを獲得したことを報じていた。20年かけて見事に銀メダルの栄誉。
 すごい!。おじさんが活躍するのは気持ちの良いものである。
2004年7月11日
 ピアノ演奏等を録音したものを聴き取ってMIDIファイルを作成する必要に迫られることがよくある。
 アナログなデータであっても、それをWAVEファイルに変換しておけば、それを認識・解析してMIDIファイルに変換してくれるアプリケーションを見つけた。
 「Ema2.00」というフリーのソフトウェアである。Vectorで入手できる。耳コピーは苦手だが、どうしても採譜をしたい曲がある、という向きにはお奨めしたいソフトである。

 今日は、参議院議員選挙。もうすでに大勢は判明しているようで、自民党が議席を減らしその分民主党が議席を増やしているという。
 投票率は前回並みだったようだが、イラク派兵や年金問題等でもう少し投票率が上がるかと思っていたが、そうでもなかったようだ。
2004年6月18日
  私は不勉強にして知らなかったが、「Microsoft Producer2003」というアプリケーションを見つけた。
  Powerpointの2002、あるいは2003を所有していれば無償でダウンロードできるアプリケーションである。
  ビデオ・音声・スライドなどを一括して作成し、ネット上に公開したりCD-ROMに焼いて配布したりすることのできるプロジェクト・データを
  作成できるのである。
  配布された側で必要となるのは、InternetExplorerやNetscapeNavigatorなどのブラウザとMediaPlayerのみ。しかもOSにかかわりなく、
  WindowsでもMacでも視聴することのできるデータとして公開・配布できるのである。
  これは使える。
  無償ダウンロードサイトは、下記のアドレス。↓
  
http://www.microsoft.com/japan/office/powerpoint/producer/prodinfo/default.mspx
2004年5月9日
 私の愛車は、三菱ディアマンテ。
 三菱自動車では、ダイムラークライスラーに再建計画支援を打ち切られ、存亡の危機。
 長年にわたってリコール対策を怠り続け、あまつさえ使用者の整備不良と責任を転嫁するといった不祥事と経営陣の逮捕などの影響も
あって、再建は困難かも知れないと思っていたらディアマンテの製造から手を引くとのこと。
 ディアマンテの新車はもう現れない。もう少ししっかりしてほしかったと思っているのは私だけではあるまい。
2004年5月8日
 出版本のことで、地元地方紙「常陽リビング」の取材を受けたが、今日の新聞にその記事が掲載された。
 取材で話したことがそのまま記事になるとは思ってはいないが、正確ではない部分も。
 この記事を読んだ読者に誤解されはしないかとひやひやしている。
 「そうではないのだが・・・」と思いながら記事を読み直してみるが、一般の読者にはこのように書いた方が伝わりやすいし飛びつきやすいということの現れか、と妙な納得をしている。
 取材を受けてこちらの意図が正しく伝わるというのは本当に難しいものだ。
 その記事は次の通り。
  
◆朝日新聞◆  ◆常陽リビング◆

2004年3月23日
  先日出版した本のことで、朝日新聞から取材を受ける。科学万博以来、新聞の取材を受けるのは久しぶりのこと。
  しかも、自分の書いたものについての説明なので、何となく口頭試問を受けているような気分。大学院での一コマを思い出してしまった。
  ここ1〜2ヶ月、出版のことやら何やらでホームページの管理にまで手が回らず、気がつけばもう3月末。
  このページの最終更新が1月末だから、2ヶ月も放っておいたことになる。反省!猛省!激省!
2004年1月29日
  以前からしたいしたいと思っていたトップページのリニューアルにようやく手をつけることができた。
  今度は、フレームを設けてごちゃごちゃした感じを避けたいと考えていたが、美的センスのなさが災いして、どうやってもすっきりした
  トップページにならない。
  あせらずゆっくりと再構成していくことにしよう。

2003年11月10日
  新旧のテキストを読み込んで、2つのファイルで変更のあった部分を探し出し出したい、ということがよくある。
  そんな時に便利なフリーソフトを見つけた。テキストファイルのみならず、HTMLなどの変更部分を検出して
  変更行を表示してくれるので、さまざまな局面で便利に使えるソフトである。
  似たようなソフトは他にもあるが、使いやすくわかりやすさの点で秀逸である。
  そのソフト名は「ぷれぷれDiff」
  
http://www.geocities.jp/nai_777/で直接ダウンロードできる他Vector等でも入手可能である。
  なぞのプログラム集団が結成した「ぷれぷれプロジェクト」が作成したとのことであるが、「モノを書く人間」にとって
  は、非常にありがたいソフトである。

2003年11月5日
  ヤマハから新しい音楽ソフトが出された。とは言ってもそれは夏の話。「Sibelius2」という。
  秋も深まってようやく手に入れる事ができた。昨日手に入れ、マニュアル片手にようやく一曲のデータを試しに
  入力することができた。
  このアプリの便利なところは、つくった楽曲をインターネット出版をしたり、自分のウエブページ上で公開したり
  できるところ。楽譜を公開するだけでなく、演奏も聴いてもらえるのである。これは使わない手はない。
  早速アップしてみることにした。(
こちらで聴けます

2003年2月7日
  MidRadioコントローラーをうまくHPに貼り付け動作させることができた。
  悪戦苦闘2週間。
  その間、ヤマハに問い合わせたり、MidRadioプレーヤーに関するHPを何度も見に行ったりし、記述に何の問題も
  ないことを確認したのに、どうしてもうまくいかない。
  ひょっとしたらと思い、ファイルの指定を、現在そのファイルを置いている絶対番地でしてみたところあっさり解決。
  こんなことで2週間を費やすなんて、まさに「トホホ」な話である。
  それはともかく解決できてメデタシ、メデタシ。 

2003年2月3日
  ホームページで公開しているMIDIデータを、これまではMIDPLUGで聴けるように設定していたが、MIDPLUGが配信停止。
  これからはSoundVQやMIDPLUGがMidRadioに統一されていくとか。
  ところがMidRadioコントロールをホームページに貼り付けても何故かうまくいかず、2〜3日悪戦苦闘。
  未だ解決せず、悩んでいる。
  それはともかく、おもしろい本を見つけた。
  ちくま新書の『「わかる」とはどういうことかー認識の脳科学』という山鳥 重東北大教授の本。
  わかりやすく読みやすい本なので、これはお薦めだ。