◆知りませんでした。音楽ホールについてのこんなこと◆

 その昔、西洋では『音楽会に行く』と言えば、オペラを見に行くことだったという話を聞いた。
 そのせいか、器楽のみの演奏会はオペラに比べれば軽く見られていたという。
 そこで、大学の学生たちが中心となって「コレギウム・ムシカム(音楽の集まり)」という器楽合奏の運動
が起こったと伝えられている。
 それは、学生をはじめ一般大衆のために楽しい音楽を提供しようというもので、テレマンやバッハもその
指導にあたったらしい。 
 オペラの演奏会が一般的であったことから、ホールそのものもオペラを上演することを前提に設計されて
おり、オペラの公演が優先されたということでもある。
 いきおい、器楽合奏を上演する会場はほとんどなく、「コレギウム・ムシカム」も大学の講堂などがその会
場となることが多かったようである。

 そう言えば、ベートーベンが交響曲を初演した会場も、音楽ホールではなく、アン・デア・ウィーン劇場な
どの劇場だったではないか。
 毎年の大晦日から元日にかけてウィーン・フィルが催す「ニューイヤー・コンサート」の会場として知られる
ウィーン楽友協会ホールも、音響に最大の配慮を尽くした音楽専用のホールとは思えない。

 どうやら西洋では、オペラを演ずるための舞台機構に重きを置いたホールが優先されたようで、オペラを
演ずることのできる劇場が音楽専用ホールの数に比して極めて少ない日本の状況とはまったく逆の状況
であったらしい。
 
 世界最古のオーケストラとして著名な「ゲヴァントハウス管弦楽団」もその名称となっている「ゲヴァントハ
ウス」とは、なんと「衣服協会会館」のことだという。
 自分たちが演奏する会場探しに奔走し、年の市に開かれる衣服の展示場をようやく見つけ出し、そこを
拠点としたというのだ。1781年のことである。
 衣服の展示場ということは、音響への配慮も何もない、ただ屋根と壁だけのある体育館のような大きな
空間であるにすぎない。
 器楽合奏を目的とした演奏団体は、そうした所を拠点とするしかなかった、ということなのであろうが、今
昔の感がある。
 もっともその後、ゲヴァントハス管弦楽団はこのオーケストラ専用のホールを所有することができるように
なるのだが、創設当時の苦労を忘れないようにするということもあり、この「衣服協会会館」の名を今でも
冠しているのだそうだ。
 ついでながら、この名門オーケストラは、メンデルスゾーンが常任指揮者をつとめたことでも有名なオー
ケストラである。

 現在の日本では、どの都市にもオーケストラが上演できる立派な音楽ホールがあり、すばらしい響きで
音楽を聴くことができるが、一方では十分な舞台設備を備えた劇場の数は決して多くはない。
 そうした状況しか知らなかった私は、以前からウィーン楽友協会ホールでのコンサートの様子を見るに
つけ、このホールで良い響きが楽しめるのだろうか、と不審に思っていた。
 しかし、西洋の音楽のこうした実情を知ると『なるほど』と納得させられるではないか。