日記独り言
※2012年9月1日以前の日記は、下記のサイトに移転いたしました。
→こちらのサイト

2021年6月13日
 新車の購入を決断。多分これが最後の自家用車になる。今回も40年お世話になっている三菱
自動車のディーラーに依頼した。その新車が昨日届いた。
車種は、軽自動車のekXスペースT(イーケイ・クロス)だ。先日まで乗っていたEKスペースも
室内が広々して多くの荷物を積載することができたが、この車も同様にゆったりしていて、
しかも後部座席を倒してフラットな状態にする機構が改良されており、ずっと使い勝手が良く
なっている。
これは、ハイブリッドのサポートカーで一昔前の軽自動車とは一線を画すほどの充実した仕様
になっているが、驚くのは自車を真上から見下ろすようにモニターに映し出されるアラウンド・
モニター。自車を見下ろす位置にカメラなどないにもかかわらず、上から眺められるのだ。
どういう仕組みなのだろう。
 さらに静粛性にも優れ、タイヤが地面から拾う雑音もかなり低減できている。
 しかも何より嬉しいことに、AV関係も充実しており、再生音がすこぶるつきの良さ。
当然のことながら、CDやDVDだけでなくBlueThoothにも対応しており、WalkmanにiPodも
活躍の場を得ることができた。大満足である。
いずれ近いうちに、筑波山神社で交通安全祈願のお祓いをしてもらうつもりでいる。
 
 
2021年1月23日
 気がつけば、この日記のページに記事を書くのは二年ぶりのことだ。ついうっかりしていた。この二年の間に台風その他
で各地に被害がもたらされたが、昨年からは新型コロナウィルスが猛威を奮い、全世界で同じ危機に遭遇している。
感染が収まるどころか、第一波、第二波、第三波と拡大が波状的に襲い、今や日々の感染者数が高止まりの状態。
いつ果てるとも知れない自粛生活が続いている。

 そんな自粛生活のさなかであるが、私はと言えば日頃出来ないこと、常々試行してみたいと思いながら実現できていな
いことに日々あたることができ、退屈するかと思いきや時間を忘れて何かしらに没頭している。
 昨日は、クリエイターに開かれているネットワークサービスの「note」に自分のルームを開くことができた。つい先月ま
で、このサービスの存在について知らなかったのだが、ある新聞記事でこのサービスについて知り、このサイトに自分の作
品やらテキストを設置しようと思っていたのだ。

 さらに、月初めにSONICWIREから提供されているオーケストラ音源(BBC交響楽団の各奏者のさまざまな奏法の音をサ
ンプリングしたもの)を入手。早速その音源を使って数曲つくって見ることもできた。これで「やれること」が広がった。
 しかし、この7~8年心にかかっていても実現できていないこと、しかも何とかできないかと気に病んでいたことがある。
それは、WindowsXP時代まで活用できていたYAMAHAのS-YXG50という品位の高いMIDI音源のことだ。
Vistaやその後のWindows7,8,10では使えなくなってしまっていたのだが、その音質のグレードの高さからどうにか使え
るようにならないかと多くの人が思っているのだ。
 ネット上でいろいろと探索したところ、音源をWindows10のしかるべきフォルダにコピーし、VSTとして使えるよう
パッチを書き換えれば使えるようになることを見つけた。
 そこで、YAMAHAのSOL2というソフトのインストールディスクから目的のVSTフォルダだけをインストールし、何や
かやと試しているうちに(意外にあっさりと)音が出せるようになった。
なんだかすごい快挙を成し遂げたような気分である。
何よりも、これまでにつくりためたDTMの作品をWindows7以降のPCにインストールしたDAWで再生・編集することが
できるようになったことが嬉しい。これでまた楽しみが増えた。弾む気持ちを抑えられないような気分である。
そんなわけで、この日記を久々に書こうと思い立ったというところだ。
2019年5月28日
 なんとむごたらしい、そして心の痛む事件が起きてしまった。今朝7時46分頃、登戸駅付近でスクールバスを待っていた
児童の集団に刃物を持って切りつけ、殺傷に及んだという。
 臨時ニュースを見た長女から、登戸で大変なことが起きたらしいとLINEで知らせが入った。急いでテレビをつけると確か
に登戸駅付近で登戸第一公園が現場だと報じられている。しかも犯人に刺されて心肺停止になっている児童もいるよう
である。しばらくすると、児童はカリタス小の児童だと報じられる。カリタスと言えば、私の孫が通学している小学校から
ほど近いところにある学校だ。何の罪もない、いたいけな子どもが襲われるとは、何と理不尽でむごい話だ。
 おそらく、元気な声でいつもと同じように『行ってきます』『いってらっしゃい』と声をかけあって家を送り出したばかりで、
まさかそのほんの数分後にかけがえのない命を奪われるなどとは思いもしなかったはずだ。これから長い人生を夢見て
生きていけたはずの命を奪われてしまった幼い子、幼い子の笑顔にもう会えなくなってしまった両親はじめ身近な人々
の気持ちを想像するに、何ともやり場のない怒りと悲しみに胸がいたむ。
 カリタス小の子どもたちは、孫に会いに行く度に、登戸駅や中野島駅でよく見かけていたので、いたましい思いが
いっそうつのる。
 しかも犯人自身もその場で自殺をしてしまったために、何が原因なのか聞き出せず不明なままのようだ。おぞましくも
あってはならない事件で、今夜は心が落ち着かず、気持ちの整理がつかない一夜になりそうだ。
2019年2月10日
 昨日は早朝から雪が降り、関東一円に大雪注意報が発令された。
交通その他に、大きな影響が出なければ良いがと心配されたが、どうやら積雪は2センチほどで道路も凍結したりする事
もなく心配は杞憂に終わった。ところが、夜に入って再び雪が降り出し、今朝起きてみると、昨日一日降ったよりも積雪量
は多かったように思われる程に積もっていた。それでも「大雪注意報」というアナウンスはちと大袈裟かと思える肩すかし
状態だった。
 ところで先々週、以前から懸案だった一人クァルテットの録音に挑戦。もう既に伴奏は仕上がっていたのだが、多重録
音が延び延びになっていたのだ。
 曲目は、かつてデュークエイセスが歌っていた「ベリョースカ」と「十和田の底に」である。永六輔・いずみたくのコンビが
日本の歌シリーズで創り上げた中の一曲である。録音後、Youtubeにアップロードして公開することにした。
公開できるような出来ではないのだが、自分の記録として留めておきたいと思ったからだ。
 それぞれの曲については下のリンクから視聴していただけます。

 ○十和田の底に

 ○ベリョースカ

2018年12月27日
 一昨日、「天災から日本史を読み直す」(磯田道史著、中央公論新書)と「安倍政治 100のファクトチェック」(南彰、望月
衣塑子共著、集英社新書)を購入。一気に読了。磯田氏は各地で起きた天災の歴史を掘り起こし、古文書や記録だけで
なく、現地を訪れて被災の状況を探り、私たちが銘記すべき事、教訓とすべきことなどに言及している。強く共感させられる
一冊である。
 一方の「安倍政治 100のファクトチェック」は、これまでの政権の振る舞いについて、各種資料などをもとに事実関係を精
査し、国民が疑問を抱いている100の項目について確認したり評価したりしている労作である。それぞれについて「正しい」
「間違っている」「どちらとも言えない」の三段階で評価しているものだ。やはりと言うべきか、この政権が虚偽や欺瞞、隠蔽
を常套手段として、主権者である国民にきちんと向き合っていない「ならず者」のような政権であることが再確認できる。
ぜひお薦めしたい一冊である。

 ところで、数日前から報道されていたことだが、商業捕鯨を主張していた日本が国際捕鯨委員会から脱退するという。
こうした国際組織から(まるで業を煮やしたかのように)脱退するというのは、かつて松岡洋右全権大使が国際連盟から
脱退し、以後太平洋戦争に突入していった国の動きを彷彿とさせるようで、国際協調が重視される今の時代にあって、
いかがなものかと案じていたところ、昨日正式に脱退表明をした報じられた。なんということかと思わざるを得ない。
この政権は、ねばり強く折衝したり、きちんと向き合って交渉したりするという外交努力をすることを放棄し、孤立する方向
に舵を切ったということを国際的に知らしめてしまったのだ。組織の中に身を置いて、自国の立場をわかってもらう努力を
地道に積み重ねていくことこそ肝要なはずだ。組織を飛び出して孤立してしまうことなどあって良いはずがない。
 こんなことを言って良いかどうかわからないが、「鯨を捕って食すこと」が国際協調の道を閉ざすことと比べて、それほど
重要なことなのだろうかという疑問を禁じ得ない。もれ聞くところでは、首相と周辺の政権幹部の中には、捕鯨を文化と
する地域を地盤にする人物がいるという。勝手な想像だが、そうした地元の声に応えるために商業捕鯨の道を確保したか
ったのかも知れない。そうだとすれば、『またか』と残念に思うばかりだ。
この政権がこれまでやってきたことを思うと、「国や国民」以上に、自分や自分の仲間に利することを重視し、そのために
権力の使い方を間違えても強引に押し通すという姿勢が疑われるからだ。モリトモも加計も、嘘の上に嘘を重ねて懸命に
ひた隠そうとしているが、その姿勢が生んだ問題に違いない。「個(私)と公」を混同し、民主主義をないがしろにしても
利益を誘導しようとする姿が、強く透けて見えるほどに見える政権だけに、今回の国際捕鯨委員会からの脱退表明も、
国の説明では納得できないものがある、否あり過ぎると言っても過言ではない。
2018年12月15日
 沖縄県民の声など聞く耳を持たない、聞く必要などない、ということなのだろう。昨日、辺野古の土砂埋め立て工事が強行
された。この政権の「力づく」な振る舞いは、目に余るものがある。国民の抱く危惧や不安、異見など取るに足りないものだ
とばかり、乱暴かつ荒っぽい手段で強行し、時には国民の目をそらしたり欺いたりする主権者である国民を軽視する政権
運営は、これまでの政権には見えなかったものである。
 先日は、今年を象徴する一字に『災』の字が選ばれたそうだ。これは(勿論のこと)地震、大雨、台風などの被害が相次い
だことから選出された一字には違いない。しかし、そうした防ぎようが困難な自然災害だけでなく、人的な政治災害とでも
いうべき、国民不在の「政権による国民へのいためつけ」がもたらされた年であったという見方もできる。安倍政権が発足
して以来、そうした傾向は基調にあったが、この一年は政治家の劣化と併せていっそう顕著だったように思われるからだ。
 異見を封じ込め、異見を持つ者に対しては、陥れるような手段を駆使し、一方で『中立・公平・公正』を言い立てて、偏向
する者だと決めつけて排除しようとする手口が、国民の気づかないところで当たり前のように行われ、日本という社会が
どこに向かってしまうのかと暗澹たる思いを抱いているのは、私一人ではあるまい。
 大手新聞の読者投稿による川柳でも、『現政権何かいいことしただろか』とか『上祐に答弁似てる現首相』、『沖縄に寄り
そわないで寄り倒し』、『ウミの親、ウミ出し切るとのたまわく』などと詠まれるほどに、その姿勢が懸念を抱かせている。
 将来にわたって、この社会を生きていく子どもや孫の世代に禍根を残さないようにするために、私たちの世代に何ができ
るか、大きな問いを投げかけられたこの数年の政治状況である。とりわけこの一年は、それがいっそう強く感じられた一年
であった。残念なことだ。
2018年12月5日
 今日、私が指揮を務める牛久フロイデ混声合唱団の練習があった。
 その際、この合唱団の会長さんから、『誕生日、おめでとうございます。』と素晴らしい手作りのプレゼントをいただいた。焼き絵(ウッド・バーニング)で描かれ
た私ども夫婦の肖像画である。
 このような手作りの、しかも見事な作品を贈っていただいたことなど生まれて
初めてのことなので、驚くやら感激するやらで、喜びもひとしお。
 これだけの絵である。想像するに、長い時間をかけていただいたに違いない
し、ひどく手間がかかったはずだ。
それにこんなにそっくりに描いていただけたのだから、絵の技量も相当なもの
に違いない。
絵心のない、そして絵の技量も乏しい私には、うらやましいばかりの技量で、
そんな得がたいものを贈っていただけたことに誠に恐縮するばかり。
文字通り「世界に唯一のかけがえのない」贈り物で、大切に飾らせて頂こう
と思っているところである。
 
2018年12月4日
 昨日(3日)は、小生の誕生日だった。早朝、次女からLINEでお祝いメッセージが届く。しばらくすると、横浜に住む長女
から休みがとれたので帰ってくるとの連絡。お昼頃、その長女が誕生日のプレゼントを携えて帰ってきてくれた。
それぞれの形で、二人の娘から誕生日を祝ってもらえるとは、何と幸せなことかと思わざるを得ない。ありがたいことだ。

 ところで、この国の現政権は、国民の意思を無視し、国民の多くが危ぶむような、そして望んでもいないような政策の
実現、法の成立に拙速とも言えるほど前のめりである。IR法案しかり、そして入国管理法の改正しかり、水道の民営化
に向けての動きしかり、といった具合に国民が委任した覚えがないことに、まるで業界や企業のためであれば「棄民」も
当然あってしかるべきだと言わんばかりの姿勢である。一握りの業界や企業を利することが、自分たちを利することに繋
がり、国民の心配や苦難など取るに足りないものだという構えが透けて見えるばかりだ。国民主権の国でありながら、
国民には従属を強いるように「下々の者は身の程を知るべきだ」と言外に示すような姿勢と、それを隠すような欺瞞に満
ちた言動に、これほど我が国の政治は劣化してしまったかと嘆息せざるを得ない。
2018年12月2日
 久しぶりに清水義範の書いた小説を購入、読了。
 新潮文庫の「考えすぎた人」である。副題に「お笑い哲学者列伝」とある。
 パスティーシュの名手として知られた彼の手になる小説については、30年ほど前からのファンで、ほとんどの著作を
読んできたと思うのだが、このところ書店で探しても新作が見つからず残念に思っていた。
 ところが先日、偶然に土浦市内の書店でその文庫本を見つけたので、一も二もなく購入したのだ。
 これは、ソクラテスからプラトン、ニーチェやハイデッガーなど12人の哲学者の思想を、さまざまなシチュエーションで
描いて紹介したものだ。とは言っても、「お笑い列伝」と副題にある通り、清水らしい消化の仕方でそれぞれの人物像と
併せて展開してくれている。
 読みながら、これは労作だと感心させられた。何と言ってもそれぞれの哲学者の思想に精通していなければ、その
思想をそれぞれに適した舞台を設定してユーモア小説として面白く描き出すなどできはしないからだ。
 思った通り、後書きには『真面目に勉強した』とある。
楽な作業ではなかったであろうし、むしろ大変な作業だったはずだ。
 南伸坊が解説の中で、『読者は、清水さんの小説によって、哲学がどういうものか、感じることができる。もっとも哲学
が看過している、というか苦手としているところを、清水さんが手際よく、料理したのである。』と書いているが、まさに
その通りの労作である。楽しく、そしておもしろく読ませてもらった。

 それを読了したところで、今日は哲学つながり?で、お茶の水女子大名誉教授の土屋賢二氏のユーモアエッセイを
二冊購入。「われ笑う、ゆえにわれあり」や「ツチヤの軽はずみ」などの初期の頃からのファンで、幾冊ものツチヤ先生
のこのシリーズのエッセイが私の書棚に鎮座している。今夜からは、この二冊が私の就寝の友だ。
寝に就くまえのひとときが楽しみである。
2018年11月29日
 私が指揮をする牛久フロイデ混声合唱団で練習に供するために取りかかった伴奏のアレンジが終了。
 子守歌のメドレーである。「ブラームスの子守歌」→「シューベルトの子守歌」→「モーツアルトの子守歌」と
三曲をつなげて演奏するためのピアノ伴奏だ。できれば、年が明ける新年からの練習にと考えている。
 ブラームス子守歌とモーツアルトの子守歌の二曲は、もう既に歌えているので、残るシューベルトの子守歌
を練習し、三曲のそれぞれの表情を活かしてつなげることが練習の柱になる。楽しみだ。
2018年11月28日
 昨日、免許証の更新をするために土浦の警察署に出かけた。この数年、自分でもよくわかるほどに視力が低下ししまい、
そのために免許の更新ができるかどうか、すこぶる心配だった。
 数ヶ月前に、新しく眼鏡を作りかえる際にも、近所のメガネ店『このままでは免許の更新ができなくなる』と言われて、より
強い度数の眼鏡に替えることを勧められたからであった。自覚はしていたものの、『それほどか』と落胆したものだったが、
作り替えた眼鏡をかけると多少クラクラする。そんなわけで日常的には従来の眼鏡を、運転時には新しい眼鏡をかけるの
がこのところの習慣だった。そうした事情があるため、免許更新の際の視力検査をうまくパスできるかどうか心配だった。
 実際、昨日の警察署での視力検査は、案の定Ⅰ度目は失敗。『少し時間をおいてから再度やってみましょう』という署員
さんの言葉に救われた思いがしたが、時間をおいてもうまくパスできる自信はない。むしろ今後、自動車の運転は出来なく
なると、これからの生活に支障が出ることになって困るがどうしようか、という心配ばかりが頭をよぎる。
 ダメなら、更新の期限までにまだ余裕はあるので、眼鏡を作り直してから更新手続きができるかどうか尋ねて、よければ
出直そうと覚悟を決めて、10分後に再検査。その結果、どうしたわけか先ほどよりは読み取ることができ、『ギリギリ見えて
いるようです』と伝えられ、検査を無事に通ることができた。
 良かった。どっと疲れが出るほどに安堵。これであと5年は運転可能だ、と思うと目の前が明るくなった。
 これまで目を酷使してきたことを後悔し反省もしたが、少しは目をいたわる生活をしなければならないと強く考えさせられ
たものだ。

 夜になってネットに接続したところ、ジャズピアニストで編曲家、作曲家の前田憲男氏の訃報が表示されていた。
 洗練された編曲が見事で、若い頃に買って聴いた何枚かのビッグバンドジャズのレコードには氏の編曲による演奏があ
り楽しく聴いたものだった。
 少し時が経つと、同じくピアニストで今はもう亡い羽田健太郎との演奏などにテレビで接し、そのスリリングな演奏を楽し
ませてもらえたものだが、日本のジャズ界を代表する人物がまた一人亡くなったことに喪失感を禁じ得ない。
残念至極であるが、ご冥福を祈るばかりである。
2018年9月26日
 この日記を書くのを怠っていたため、気がつけば先に書いた時から既に一年が経過してしまった。
 つまり一年ぶりに、ここに記すことになるということになる。我ながら驚いている。

 先日他に探す本があって立ち寄ったTSUTAYAで、興味をそそられる本に出会った。森下典子著『日日是好日』(新潮文庫)という本だ。副題に『「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』とある。
 お茶に興味があったから手に取ったからではない。ほんの気まぐれに“お茶としあわせにどんな関係が?”と単純な疑問が書棚から本を引き出させたような、そんな具合の出会いだった。
 パラパラとページを繰ってみたところ、前書きの中に『世の中には、「すぐわかるもの」と、「すぐにはわからないもの」の二種類がある。すぐわかるものは、一度通り過ぎればそれでいい。けれど、すぐわからないものは、~中略~何度か行ったり来たりするうちに、後になって少しずつじわじわとわかりだし、「別もの」に変わっていく。そして、わかるたびに、自分が見ていたのは、全体の中のほんの断片にすぎなかったlことに気づく。「お茶」ってそういうものなのだ』とあったのだ。
 一読して、この本は単に「茶道」について書かれたものではない。お茶を通して「人間のわかり方」ひいては「生き方」について、体験を通して気づいたことについて書かれたエッセイだと思った。
 一気に読み終え、清々しい読後感が味わえた。私の教育観に通じるものがあり、よくぞお茶を通してそのことに気づいてくれたという思いで、この著者の洞察力に敬服した。気づいた著者も素晴らしいが、さまざまな手立てを通して、それとなく「自ら気づける学びの場」をしつらえたお茶の先生の素晴らしさにも感服した。
 良い本に出会ったことに感謝するばかりだし、できれば多くの方にお薦めしたい本である。
2017年9月19日
 このところ山本兼一の小説に凝っている。不明にして知らなかったのだが、映画「利休にたずねよ」の原作者ですでに、2014年、57歳という若さで亡くなってしまった作家だという。
 たまたま近所の書店で目に止まった『信長死すべし』(角川文庫)を読み進めていくうち、この作家の緻密で詳細にわたる調査をもとにした、これまでにない視座からの全体構成に驚きと感銘を受け、それ以来『雷神の筒』(集英社文庫)、『夢をまことに 上下巻』(文春文庫)、『火天の城』(文春文庫)、『おれは清麿』(祥伝社文庫)、『利休にたずねよ』(PHP文芸文庫)と漁るように読み進めながら、ますます虜になってしまい、今は『花鳥の夢』(文春文庫)を読んでいるところだ。
 そのいずれもが、しっかりした、そして地道な研究・調査に裏打ちされた、しかもこれまでの他の作家とは異なる目のつけどころで小説全体が構築され、時間を忘れて歴史の舞台に私を誘ってくれるのだ。そこでは生き生きと情景や人物が息づいているかのようにありありと描き出されており、素晴らしい語り手に出会えた嬉しさを感じさせてくれるのだ。
このような優れた作家による新しい作品に触れることができないことを思うと、残念でならない。
2017年8月16日
 我が家の玄関先の、ブロックと縁石の間のわずかな隙間
から百合の茎が伸び、見事な花を咲かせている。
 「こんな所に」と驚くあまり『根性百合』と名付けたくなってしまった。
 どんな経緯で、こんな隙間に百合根が入り込んで根付いたのか不思議でたまらないが、孤高ともいえる凜とした姿
に感動を覚えている。
 こんな所に咲くなんて・・・、という生命力の強さやたくましさ
に感銘を覚えつつ、他を頼らずに孤高に生きる人の姿を思い重ね、フォト川柳と洒落てみた。
 
2017年8月9日
 今日8月9日は、長崎原爆の日である。式典に参列した安倍首相は核兵器禁止条約交渉会議について『条約は我が国のアプローチとは異なるものであることから、署名、批准を行う考えはない』との方針を語ったという。
報道によれば『真に核兵器のない世界を実現するためには核兵器国の参加を得ることが不可欠だ。しかし、条約には核兵器国が1カ国として参加していないので、核兵器国と非核兵器国との隔たりを深め、核兵器のない世界の実現をかえって遠ざける結果となってはならないから』とその理由を主張したという。
 この政権特有の詭弁としか言いようがない。日本は世界で唯一の被爆国で、そのために多くの国民が悲惨で苦しい思いをし、多大な犠牲を強いられた経験を持っているのだ。だからこそ、他のどの国とも異なる次元で説得力のある核兵器廃絶の働きかけが出来るし、その使命を持つ国であるはずだ。
 この核兵器禁止条約に批准しない5つの核保有国と歩調を合わせて会議に参加しないというのは、消極的ながら核の所有を認めるという姿勢の表明のようにも受け取れる。もっと言えば、『核には核で』対抗することを認める、という安易な自衛についての考えを持っているかのようでもある。どこを向いて、そしてどれだけ真剣に核廃絶について考えているかが疑われるような事態ではないか。
 それにしても驚くのは、「核兵器国・非核兵器国」という言葉だ。核兵器国などという国があるとは思わなかった。「核兵器所有国」なら「核兵器を持っている国」のことだとわかっるが、「核兵器国」とは「核兵器という国」の意だから、通常の日本語として意味が通じるはずがない。まるで核兵器だけで構成された国、すなわち国を構成するはずの国民が不在で核兵器しか存在しない無機的な国家を意味するとしか思えないからだ。
 思考は言葉でするものだ。こんな粗雑な言葉遣いでは、緻密で精緻な思考がなされるとは到底思えない。こんなふうだから、多数決で決めることが民主主義の原則だ、などということを平然と言ってのけられるのだ。
このような人物が最大与党を率い、行政の長に就いて国をリードしているということは、我が国にとって誠に不幸なことだと嘆息せざるを得ない。
2017年6月10日 21:55:13
 これまで、合唱練習に供する各パートごとのサンプル歌唱を作成するのに、Sinsyという音声合成システムを多用してきた。歌声が素晴らしいことがその理由だ。
 ところがどうしたことか二週間ほど前から、これまでと同じ手順で作成したMusic XMLファイルを送信しても、「楽譜ファイルを指定して下さい」というメッセージが表示され、受け付けてくれなくなってしまった。何度試してみても事態は変わらず、それならと以前に送信し受け付けてもらえたXLMファイルを送信してみても、同様の結果しか得られない。これは困ったことになったと思い、改めてSinsyの画面を見てみると『文字コードはUTF-8にして下さい』という注意書きがある。
念のために作成したXMLファイルをエディタで開いてみると、きちんとUTF-8の宣言文があるではないか。なぜ受信してもらえないのか、ひょっとするとSinsyの仕様が変わってしまったのかと思っていたのだが・・・。
 つい先ほど、他の件を確かめたくてIEのインターネットオプションを開いてみると、その中にある『イントラネット以外の
URLのUTF-8クエリ文字列を送信する』の欄のチェックが外れていることに気がついた。ひょっとするとこのチェックマークが外れているせいかも知れないと思い、この項目にチェックを入れSinsyにアクセス。XMLファイルを送信してみると以前と同じように音声合成されたWAVファイルが作成され、ダウンロードすることに成功。
 ひょんなことから偶然に問題を解消する手がかりを見つけることができ、これまでと同じようにSinsyを活用することが
できるようになり、ひとしきり安心。これでまた、合唱編曲に思う存分生かすことができる。この間、編曲への意欲も半減していたのだ。思うような声で歌ってくれるかどうかが編曲動機の大きなファクターなのだと改めて思った次第である。
2017年5月7日 21:27:20
 昨日、高校時代にクァルテットを組んでいた親友に、50年ぶりに会う機会を得た。半年近く前に、彼から突然に電話
があり、近々会おうねと約束していながら、そして早く会いたいものだと思いながらも、なかなかそのチャンスを作れず
にいたのだが、ようやく会うことができたのだ。
 高校時代に、生きる上でそして音楽に向き合う上で、彼には多くの示唆を受けたので、今頃どこでどうしているかと、
この50年以上気にし続けていたのだ。
 どうやら彼も、私を気にかけてくれていたようで、日立市内の中学校の同窓会の折に恩師の音楽の先生から、私の
情報を得たことから連絡をくれたとのことだった。何ともありがた話だ。
 数日前に電話で約束をとりつけてからというもの、早く会いたいものだと期待にわくわくしていたが、ようやく昨日
久々に会うことができたのだった。
 常磐線牛久駅で待ち合わせをしたものの、お互い若かったころの面影を頼りに探し出せるかと心配していたのだが、
どうやらそれは杞憂だったようで、お互いにすぐ気づいて見つけ出すことができ、懐かしさと嬉しさのあまり握手どころ
か思わずハグしてしまった。人の大勢いる駅の改札口付近だったが、人目も憚らずに、ついそうせずに居れなかった
のだ。
 高校時代から、ものおじをせずに行動的だった彼のことだから、大活躍をしているのだろうと思っていたのだが、予
想に違わず成功を収めていたようだ。海外での勤務を経て帰国した彼は、自ら会社を起こし二つの会社を経営する
社長だという。だからだろう。50年を経過したとはいえ、彼は少しも老け込んではおらず、若々しく昔ながらのツヤの
あるバリトンで語る彼の様子は、長い時の隔たりを感じさせないものだった。50年の時を一気に飛び越して、あれや
これや語り合うことができたが、何とも嬉しい数時間を過ごすことができた。
彼にも、そして彼に私の情報を伝えてくれた彼の音楽の先生にも感謝!感謝!である。また近いうちに会いたいもの
である。
2016年10月1日 19:00:13
 今日は10月1日。土浦の花火大会の日だ。
その実況中継を観ながら、この日記を書いている。
毎年、この花火大会の日は肌寒いのだが、今年は例年にもまして寒いような気がする。
それにしても、テレビの実況であっても映像がきれいだ。
テレビの精細度とカメラの質が年々向上しているからだろう。

 ところで、私はもう長い間さまざまなメモを取るのに、Evernoteを愛用してきた。
 同じアカウントでインストールしておけば何台であろうが自分の所有するコンピュータで同期させ、閲覧、編集することが
でき非常に便利なことから愛用してきた。
 しかし、二か月ほど前から、無料サービスではそれが二台に制限されるような仕様になってしまい、どうしたものかと
思案していた。
 だが、三台目以降PCでも別のメールアドレスでアカウントを作成し、元のEvernoteから共有設定すれば共有できるとの情報を得た。
 そこで試してみたところ、なんとあっけらかんとうまくできてしまったではないか。
 これなら理論上は、所有するメールアドレスの数の倍の数のPCでデータを共有できるということになる。(もちろん、個人的にそんなに多くのメールアドレスを持つ人はいないだろうが・・・)
これで、従来と同じようにEvernoteを活用していける。ホッと一安心である。
2016年4月20日 水曜日
 昨日は朝からすっきりと晴れて心地よいお天気だった。まぶしい朝の光の中で新緑がさわやかに輝いている。ご近所をひとまわりしてみると、ドウダンツツジや芝ザクラ、ツヤツヤとした光沢の若い柿の葉が美しく目に映る。そこで、家にとって返してカメラを携え、数枚の写真を撮ってみた。
 そこで思った。この良いお天気の中だ。先日娘が完走した「かすみがうらマラソン」のコースをたどってみようと。もちろん“走って”ではなく車での話だ。車で走ってみても「まだまだ遠い」と思えるコースだ。よくぞこれだけ自分の足で走ったものだと、その大変さの何分の一かでも感じることができるはずだ。そこで、マラソンコースを逆走してみた。
途中で寄り道をし、本来のコースからそれて霞ヶ浦大橋を渡り、道の駅たまつくりで買い物も楽しみながらである。
途中途中で撮影した数枚の写真を見ながら、あのマラソン当日もこんな良いお天気だったら参加者もずっと楽だったかも知れないと想像している。撮影した写真はこちらで。→こちらのページ
2016年4月17日 日曜日
 今日は恒例のかすみがうらマラソンだ。ごくごく近所の道路がスタート地点から7Kmほどなのだが、これまでは応援のために沿道に出向いたことがなかった。しかし、今年は横浜に住む長女がフルマラソンに出るというので、応援に行ってみた。沿道に着いた時にちょうど先導車がやって来て先頭グループの三人が駆け抜けていった。それから続々とランナーが道幅いっぱいになって駆けていく。沿道からは『がんばれ』の声と大きな拍手。私たちのいる場所から数百メートルほど先からはお囃子を演奏するグループの太鼓の音が聞こえる。ランナーの中にはコスチュームを着て仮装している人やキャラクター風の衣装を着た人、裸足で駆けていく人、メッセージの書かれた小さな幟を背負って走る人など、思い思いに楽しんで走っているぞという思いが感じられた。私たちがいた場所はフルマラソンの6分の一を走るか走らないかの場所なので、まだまだ皆さん元気そうで、沿道の人達に手を振って応えていく人が多い。誰もがにこやかなのが印象的で楽しい雰囲気の大会だ。肝心の娘がそろそろ来る頃だと思って探したがなかなか見つからない。だが、こちらが気づく前に娘が私たちの前に駆け寄ってきてくれた。いつも一緒に走っているという先輩とニコニコして近寄ってきてくれた。
まだまだ元気そうで良かった。彼女たちが走り去って行くのを見送って、暑くもなく寒くもなく、走るには絶好の天候じゃないかと話しながら帰ってきた途端、強い雨風が襲ってきた。これでは中間地点に着く前から走るのが困難になるだろうと心配していたが、夕方になってから時間枠内に無事完走できたとのメール。良かった、良かった。
2016年4月15日 金曜日
 昨夜、熊本で大きな地震が起きた。震度7を記録したというではないか。それ以降、絶え間なく余震がつづいているという。気象庁の会見では、震度6程度の余震があるかも知れないと言っていた。大変なことだ。被害が大きくならなければ良いが、と案じていたところ多くの建物が崩壊したり道路が寸断されたりしているという。九州各地の原発は大丈夫なのかとどうしても思ってしまうが、これ以上被災される人が増えないことを祈るばかりだ。近年、日本はまるで被災列島になってしまったかのようで、毎年のように各地で過酷な生活を強いられる人々が出ている。もうこれ以上、人々を苦しめないでほしいと思うのは私一人ではないはずだ。
2016年4月12日 火曜日
 昨日、近所のショッピングモールの駐車場から 何気なく遠くの山々を見ると白っぽく見える。おそらく山の木々が芽吹いて薄緑の若芽が育ち、山全体が春の装いに姿を変えたのだろう。そんなことを思っていたら、目の前をツイっとツバメがと飛びすぎていくではないか。もうツバメがやってきたのだ。春の深まってきているのだ。これからますます命の輝きに溢れる季節がやってくるのかと思うと、感慨深いものがある。

 私の指揮する牛久フロイデ混声合唱団は、この4月で結成9年目を迎えた。合唱活動に好ましい情報提供をと思って、結成当初からホームページを設置してきたのだが、そのホームページを置いている無料のレンタルサーバーのサービスが突然に提供終了宣言。調べてみると、機器の老朽化や運営コストに問題があってのことだという。
 致し方なく、大急ぎで他のレンタルサーバー(しかも無料の)を探しだし、無事に契約を済ませてデータのアップロード作業を完了したのだが、新しいアドレスを検索サイトに登録したのだがアクセス件数が少ないためか、ホームページのタイトルを入力してもはかばかしい結果が得られない。幾度試しても以前の停止されてしまったホームページしかヒットしないという状況が続いている。そこで、他のサイトからのリンクを貼れば、改善に役立つかも知れないと、この日記にも我が合唱団のホームページに接続できるリンクテキストを作成することにした。これでいくらか状況が好転すると良いのだが、と淡い期待を込めてのことである。
牛久フロイデ混声合唱団のホームーページは→
こちらのサイト
2016年4月10日 日曜日
 ソメイヨシノが咲いてから、暖かい日があったかと思うと寒い日があったりしたせいか、ソメイヨシノが散ることなく咲き続け、我が家の周囲ではソメイヨシノが散る前に山桜が咲き始め、同居している珍しい春になっている。そんなわけでまだ桜の風情を楽しめると近所の神立公園までかめらを携えて散歩してみた。神立公園では花吹雪の風情を楽しみながら家族や仲間と花見をしている人たち、散歩をする人たちが幾組もいた。公園の隣接する神立小学校の校庭でもまだまだ桜が咲き誇っていて見事な景観を眺めさせてくれている。やはり日本の春には桜がよく似合うということを実感し、今年もこの花の景色を眺め楽しむことができたことに感謝している。
 
   
2016年3月2日 水曜日
 東北や北陸、北海道では厳しい寒さや大雪そして強風で大変な天気の状況のようだが、関東では春らしい日が訪れ、水戸の偕楽園や筑波山梅林では観梅にもってこいのお天気が続いている。我が家の周囲でもあちこちの家の庭に紅梅・白梅がかぐわしい香りを漂わせている。我が家でも黄梅が暖かい日の光を受けて咲いている。そこでカメラを担いでご近所の梅を撮影してきた。この暖かさは今後も衰えず、一気に春本番を迎えそうだと天気予報は告げている。この様子では、桜の開花も早まるのではないだろうか。

 ところで、DAWのメインソフトを「ABILITY PRO」に変えてみた。これなら外部VSTiを32Chにそれぞれ割り振って幅広い楽器音を活用した音楽作りができると思われたからだ。しかも先に購入した「UVI Orchestral Suite」は、3台までのPCにインストールして使うことができるので、新規に購入したDELLのPCでは無料でダウンロード・アクティベートして使うことができる。
このABILITY PROとUVI Orchestral Suiteの組み合わせは、いまのところ私の作・編曲にとってベストマッチかも知れないと思っている。マイブームといったところである。
     
2016年2月19日 金曜日
 このところ、ネット接続が頻繁に切れてしまう状態が起きていた。
 接続できていたかと思うと、一時間もしないうちにつながらなくなり、その度にルータとモデムの電源を入れ直し復帰させていた。 しかし、あまりにも頻繁にそうした状態が起きるのでネットで調べて見たところ、原因の特定はできないものの、そうした状況があちこちで起きているようで種々の情報を得ることができた。
 中でもそうした状況を避けるためにふさわしいと私なりに勝手に判断したことは、①ルータのファームウェアを最新のものに更新すること、そして②チャンネルを混み合わないチャンネルに設定し直すこと、であった。
 そこでLogitecのサイトにアクセスし、該当のルータのファームウェアをダウンロードし更新することにした。更新するための手順や方法が詳細に記述されていたものの、一度に覚えられるものではない。
 致し方なく該当のウェブページやリンクページをプリントアウトし、作業に必要な手順を紙ベースにして確認しながらの作業をすることにした。プリントアウトしたところ、40数ページにもなってしまったが、おかげで無事に更新作業を済ませることができた。また、そこに書かれていたマニュアルのおかげで、チャンネルの変更も済ませることができた。
 こう書いてしまうと容易でアッという間の作業と思われてしまうだろうが、そこそこ緊張を強いられる作業であった。
 しかし、無事にすべての作業を終えて様子を見ているところだが、4時間を経過した今でもルータが切断される状態が起こらず安定して接続されていることを見ると、予想した不具合克服の方策が的外れではなかったし、一連の作業により改善が図れたものと思われる。
そう判断してしまうのは早計かも知れないが、この状況が安定的に持続されることを願うばかりである。
2016年1月28日 木曜日
 パソコンの画面動画キャプチャーで使いやすく、しかも高機能なものを探していた。
これまではフリーの「Bandicam」というソフトを主に活用していたのだが、せっかくキャプチャーしても画面上に「Bandicam」の表示がなされてしまい、残念に思っていた。
 私の希望に叶うようなフリーソフトを探していたところ見つかった。 そのソフトは「AGDRec」というソフトだ。しかもデコーダーも同梱されていてMPEG4で最終的な動画として保存することができる。この形式ならどんなプラットホームでも再生可能なはずだ。
そのソフトは下記のサイトからダウンロード可能。

http://www.gigafree.net/media/recording/agdesktoprecorder.html

 これを使って作った動画を公開しようと試みたのだが、どうもうまく行かない。調べてみてその原因がわかった。
 MPEG4をホームページに埋め込むには、HTML5で記述しなければならないようだ。生憎、私の使用しているホームページビルダーのバージョンでは、それができない。そこで、HTML5を記述できるフリーソフトBlueGriffonというエディタを探しだし、それで公開テストまで漕ぎ着けることができた。
紆余曲折と試行錯誤の結果、フリーのソフトだけでつくった公開テストのページは、下記の通り。

http://www.serversman.net/imuse-node/imoa/dougatest/smpl.html
2016年1月4日 月曜日
 ふだん使用しているノートパソコンのうち一台は、Windows8マシーンだが、これをものは試しとWindows10にアップグレードしてみようと思い立った。このパソコンにインストールしているソフトのほとんどがWindows10での動作が保証されていることを確認したからだ。ダウンロードとインストールに時間がかかり、だいぶ待たされたが無事にインストール完了。再起動されたところで、コントロールパネルを開こうとしたが、コントロールパネルが見当たらない。これでは何か設定の必要が生じたときに困るではないかと思い、いろいろいじっているうちにスタートボタンを右クリックすると探していたコントロールパネルがあることを偶然に発見。一安心してマシーンのインジケータを見ると、もう一年ほど前から点灯していなかった内蔵無線LANのランプが点灯しているではないか。OSを変えたことで、どういうわけかアダプタが再認識されたもののようだ。認識されていなかったために、
USB端子に外付けの子機をつけて代用していたのだが、おかげでその必要がなくなったかも知れないと思い、一度シャットダウンしてその無線LAN子機を取り外し、再起動。ネットワークにつながるかどうか試してみたところ、何の問題もなく接続できることがわかった。よかった、よかった。これで数少ないUSB端子を他のデバイスのために活用することができる。しかも、再起動してみて「おっ!」と思ったのだが、これまで起動に時間がかかって遅いと感じていたにもかかわらず、Windows10に変えたとたんスムーズに起動するではないか。すべて確かめたわけではないが、いくつか不具合が解消されたことで、何やらとても得をしたような気分で、このマシーンの活躍が期待できそうな気がしてきた「年明け」である。
2015年12月29日 火曜日
 この「日記独り言」を記すのは、ずいぶん久しぶりのことだ。気がつけばもう今年も終わり。今日を含めて残すところもう3日になってしまった。
 先週のこと、DAWの新しいvsti音源を購入した。ネット上で聴いたストリングスの音がいかにも素晴らしく、是非とも手に入れて使ってみたいものだと思い続けていた音源だ。それは「UVI Orchestral Suite」という音源だが、検索したところパッケージとしてではなく、ダウンロード販売のもののようだ。探したところ神田の宮地楽器でも扱っているとのこと。早速ダウンロードの手続きをし、料金を払い込んで入手。作曲や編曲にいつも使っているDAWソフト「SingerSongWriter」で鳴らしてみた。
まだ思い通りにコントロールできていない部分、使用方法で不明な部分が若干あるものの、欲しい響きに近づくための試行錯誤をしている最中、そしてそのことに熱中しているところである。思い通りにつかいこなすにはまだ時間がかかりそうだが、試行のためにいくつか極々短い曲を作って入力してみることにした。作ってみたものを下のページで聴いていただけます。
→こちらのページ
2015年10月4日 日曜日
 今朝いつものようにお茶を淹れて飲んでいたところ、携帯電話のベルが鳴った。次女の出産を控えて手伝いに行っている家内からの電話だ。時刻はもうすぐ午前6時になろうかという時なので、もしやと思い大急ぎで電話を取ったら孫からだった。
『もしもし、いっちゃんだよ。ともくん(もうすでに出産間近の二番目の孫の名前が決まっていたのだ)が生まれたよ』という可愛い声だ。聞けば、どうやら午前4時ごろの出産だったという。出産時の体重は3715グラム。大きな赤ちゃんだ。これで次女は二人の子の母となったことになる。しかも今度は長男なので「一姫二太郎」ということになる。
 その報を聞いて、大急ぎでカメラなどを準備し、すぐに出産した川崎市登戸の病院に出かけた。朝9時半頃に病院に到着。すぐに生まれたばかりの孫に会えるかと思ったが、新生児室に入っていて窓ガラス越しにしか、それも向こうの壁際なので
遠い位置でしか見ることができない。残念に思っていたところ、午後からの授乳時間には個室でしっかり対面し、カメラにおさめることができた。よかった、よかった。安産だったようで娘も元気だ。
5日後には退院だということなので、来週の日曜日にでもまた出かけてみる心積もりでいる。
2015年9月29日 火曜日
 昨晩は、楕円形の軌道を描く月が地球に接近することで大きく見えるという「スーパームーン」が見られるというので、カメラを構えて月の出を待った。遠くの建物の影から昇ってきた月は、赤褐色に近い少し不気味な色だ。そこで撮影したのが右の写真である。
 今朝のニュースによると、アメリカでは皆既月食が観察でき、月全体が赤く見える「ブラッド・ムーン」が見られたという。それはそれで、より不気味だったのはないかと思われる。
 それにしても、手ごろな価格のデジカメのズームでも、結構な品位できれいに撮影できるものだと感心しているところである。
2015年9月27日 日曜日
 大相撲秋場所の最後の取り組みは照ノ富士と鶴竜の対戦。ここで照ノ富士が鶴竜を倒して優勝決定戦が行われ、その結果鶴竜が勝ち、優勝を決めたが照ノ富士に膝の故障がなければどうなっていたか。だが、鶴竜にしても横綱として初の優勝だ。気合いが入ったことだろう。一方照ノ富士は決定戦で負けたとはいえ、本割りで横綱を倒しているのだ。当然「優勝に準ずる」ということで横審が何か動きを見せるかも知れない。
 ところで、今日は中秋の名月。お天気が心配されたが夕方から晴れて、いまはすっきりと晴れた秋の夜空に素晴らしい月が浮かんでいる。しばらくの間、この月を堪能しよう。
2015年9月25日 金曜日
 我が家の庭に今年もコルチカムの愛らしい花が咲いた。茎に葉がなく、地面から伸びた茎の先に薄紫の花芽が直接ついて、それが開花するのだ。日陰で可哀想ではあるが、懸命に咲いている姿がなんともいじらしく先日写真に撮ってしまった。

 昨日は昨日で、玄関先に出てみるとふんわりとかぐわしい香りが鼻をくすぐる。今年もこの香りがかげたかたと通りに出てみると、お隣の庭にもう金木犀の花が少しさいている。我が家の金木犀はまだ咲いていないが、これから少しの間、散歩する度にあちこちでこの芳香が楽しめるかと思うとちょっぴり心が和む。

昨日、土浦市内のある公民館の担当の先生から電話。実は、10月の末から10回シリーズで合唱講座を依頼されていたのだ。先月から40名を枠に募集を募っていたところ、50名の方が応募されてきたという。少し人数が増えるが大丈夫だろうかという問い合わせである。
 そんなに合唱を楽しみたいと思っておいでの方がいるのは喜ばしいことだと、二つ返事で了承の返事をさせていただいた。 
2015年8月30日 日曜日
 安保関連法案に対する抗議集会が、少なくとも全国約350カ所で行われた。主催したのは、平和運動を続けてきた市民らでつくる「戦争させない・9条壊すな総がかり行動実行委員会」。5月に立ち上がった都内の大学生らがつくる「SEALDs(シールズ)」、大学教授や研究者らの「学者の会」、子育て世代の母親の「安保関連法案に反対するママの会」など、この夏に次々と出来た団体が加わり、ともに声を上げた。これらはすべて、非政治団体で、かつての学生運動とは異なる反対運動の顔を持つものだということに政府与党は注目しなければならないはずだ。一人一人の市民が、現政権の政策に危うさを感じ、立憲主義がないがしろにされることに危機感を抱いて安保関連法案の廃案を訴えているからだ。
 一般市民による市民運動がこれほどに高まったことはこれまでになかったはずだ。止むに止まれぬ思い、放ってはおけないという切実な思いが満ち満ちている全国各地の声に耳を塞ぎ、無視してしまうことがあれば、国民の多くからしっぺ返しをくらうことは目に見えている。政権与党は、そうした声に耳を傾け、一歩立ち止まって考えなければならないはずだ。
 説明が刻々と変わるような、それだからこそ歯止めがきかなくなることが容易に想像できる一連の法案について、不信感を抱きこそすれ納得ができようもないのは当然のことだ。憲法を守ることすらしようとしない政権など、戦後あった例がない。これほどまでの政治が劣化し、その主張に“愚かしさ”を感じる国民は多い。この法案そのものを土俵にあげること自体があってはならないことなのだ。野党に対案を出せと求めること自体が噴飯物なのだ。本来、このような法案を土俵上に乗せて審議すること自体があってはならないことだからだ。何よりも一刻も早く「廃案」とすべきだと強く思うばかりだ。
2015年7月19日 日曜日
 今日のニュースで、気象庁が関東地方の梅雨明けを発表したことを知った。それを知ってから、今日の暑さがいっそう強く感じられるようになってしまった。一昨日一学期の終業式を終え、夏休みに入った子どもたちの声がにぎやかに聞こえる。
これから9月の半ば過ぎまで猛暑・酷暑の毎日を耐えていかなければならないのかと覚悟を迫られるような気がしている。 ところで、この暑さの中全国各地で安保関連法案の成立に抗議する集会やデモが行われている。まだ参議院での審議が残されているのだ。良識の府としての役割をしっかり果たして与党と内閣の暴走を食い止めてもらいたいものだ。
国民の批判を受けて、まるで内閣支持率の低下を食い止めようとするかのように、首相は新国立競技場の白紙ベースでの見直しを表明したばかりだ。その際に首相は「主役は国民一人ひとり、アスリートの皆さんです」と語った。
だとするならば安保も原発も、他のどんな政治課題でも、主役は国民一人ひとりであることに思いをいたし、もっと真摯に国民の声に耳を傾ける構えを持たなければならないと知るべきだろう。新国立競技場の問題は、首相自身にとって“自らに課した使命”ではないから、白紙に戻せるが、安保や原発の再稼働は強いこだわりを持つ問題だから、そこは耳を塞いででも成立を急ぐのだいうのであれば、それこそ「政治を私する」ということになろう。国民や報道機関に「公平・中立」を求め、偏らない考えをと注文をつける前に、自らがそうした姿勢を見せることが必要なはずだ。
いつぞや時事川柳に『この国を たったひとりで壊す人』という句を見つけた。そのような揶揄や批判を受け、汚名を後世に残すことにならないようにするためには、自らが本当の安全、本当の平和、本当の強さとは何かということについて、謙虚に考え、自らを省みる姿勢を持つべきではないか。このままでは、後々まで(立花隆の言葉を借りれば)「愚か者の安倍」で終わってしまうこと必定だ。何と言っても主権は宰相にあるのではなく、国民主権の民主主義社会「日本」なのだから。
2015年7月16日 木曜日
 安保関連法案が衆院を通過してしまった。いや、政権与党が数の力を頼んで強引に通してしまったという言い方が正しいかと思われる。国会周辺のみならず、全国各地で「安倍No」「憲法9条維持」「強行採決反対」「戦争反対」を叫ぶデモによる国民の声、多くの学者や研究者の「違憲声明」が表明されたにもかからわず、そうした声を無視して法案を通してしまったことは、与党にとっても首相にとっても良い結果はもたらさないはずだ。これからの参院での議論に期待したいものだ。
しかし、官邸サイドは参院で60日経過してしまえば衆院の決議が優先されるとして、それを待つ気配が濃厚だが、徹底した議論を通して廃案に持ち込むことは可能だ。何が何でも首相が“勝手に”アメリカに約束したことを実現するという民意を無視した乱暴なやり方は、民主主義を根底から覆すものでしかない。
 ある識者は、日本流の「のれんわけ」のような期待を首相が持っているのではないか、と指摘している。つまり仕えている店にとって役立つことをしていれば、それが評価されて自分の店をのれんわけしてもらえる仕組みのように、アメリカにとって有益な働きをすれば本店であるアメリカからご褒美がもらえたり、いずれ本店から独立させてもらえるという期待である。
しかし、ことはそう甘くはあるまい。アメリカにとって日本は対アジア、対ロシア政策にとって重要な位置にあるのだ。ことに最も神経を使ってバランスを取ろうとしている対中国政策を進めているさなか、日本が勝手に中国と衝突するような事態になることはアメリカにとって避けたいところであろう。そのためには、簡単に日本各地にある米軍基地を手放したり、日本のナショナリストが右傾化して動きを強めることを制したいと考えていることは想像に難くないからだ。首相が“のれんわけさせてもらえるだろう”と勝手に思い込んでアメリカに媚び、国民を巻き込んで「戦える国」にしたとしても、事態はそんな甘いものではないはずだ。“のれんわけ”などは日本独自の風習で、アメリカにはそんな考えなど毛頭ないはず。にもかかわらず、相手も同じように考えてくれるはずだと思い込んでしまっているかのような首相の外交政策は、世間知らずなお坊ちゃんのそれでしかないように思われてならない。そんなことに、戦後70年築いてきた「平和主義」「平和外交」が根底から覆されてしまうことはまことに残念としか言いようがない。国民の大多数が反対しているだけになおさら残念な話である。
2015年7月14日 火曜日
 今日はなぜかいろいろな依頼が相次ぎ、どうしたことかと不思議に思う一日であった。一つは日頃お世話になっている方から、バンドの活動で歌うために加山雄三の「お嫁においで」という曲をハモれるようにアレンジして欲しいという依頼。さらにもう一つは、メールでの依頼だが童謡の作曲について指導して欲しいという依頼。このメールにはすぐに承諾の返事を送ったのだが、どうした理由(わけ)か何度送信しても不達で送信できず「user unknown」で戻ってきてしまう。もし、この日記を見ていたら再度正確なメールアドレスで送信して欲しいものだと思っている。
どうしたものかと思っているところにさらにもう一つの依頼が舞い込んだ。土浦市内の生涯学習センターから何回かシリーズでの「合唱講座」を開催したいので、その講師をという依頼だ。これは電話での依頼だったので、お引き受けする旨の返事をさせてもらった。一日に三件もの依頼は珍しいことなので、その偶然にちょっと驚いているところだ。

 それはさておき、このところ興味深い本にたくさん出会って少しく心が弾む毎日である。一つは、同志社大教授の浜矩子氏の『国民なき経済成長』(角川新書)、もう一つは、精神科医の香山リカ氏の『「独裁」入門』(集英社新書)、そして『武士の家計簿』で有名な磯田道史氏の『天災から日本史を読み直す』(中公新書)、そしてNHKスペシャル取材班編の『日本人はなぜ戦争へと向かったのか』(新潮文庫)、さらに元防衛庁官房長官の柳澤協二氏の『亡国の集団的自衛権』(集英社新書)と興味深いテーマで論じられる書物に出会うことができ、時の経つのを忘れむさぼるように読み進めることができた。
 もしも“いま日本で起きていること”の正体や問題点を考える際の参考にされたい向きには、ぜひともお薦めしたい本たちである。
2015年6月15日 月曜日
 内田樹と白井聡の鼎談「日本戦後史論」(徳間書店)を買い物のついでに立ち寄った書店で見つけて購入した。
白井は、一昨年「永続敗戦論」(太田出版)を著し評判になった若い政治学思想を専門とする学者だ。そこで書かれた内容を読んだ内田が、『このようなことを書く人が、若い世代から出てきたのは僕にとって衝撃的で、頼もしいと思った』と表した人物だ。その白井と内田の鼎談だ。おもしろくないはずがない、と数ページ立ち読みをして、いま日本で起きていることと、それが何に起因するかを手に取るように絵解きしていることがわかり、『これはぜひ読みたい』と思ったからだ。今日の昼近くのことだ。帰宅して早速読み始めると納得させられることばかりで目が離せない。夕食前には読了。
 最近の日本の支配層が“右傾化”したと言われているが、それは見当違いで、金儲けだけに特化した経済成長一辺倒のシステムをつくることが目的で、教育も、統治システムも、メディアも「経済成長に資するか否か」を判断基準として持つシンガポールのような国にすることを狙っているのではないか、そしてそれをめざす人々が現政権を支持していると見るのが妥当だという。民主制は意思決定に時間がかかる、効率的に金儲けする上で不都合だから、トップダウンで独裁的にものごとを決定できる社会にすべきだと考えたくなるから、新自由主語とナショナリズムは親和性が高いのだという。
その上で、トップの意向を忖度する“小物”たちが日本の政治機構を機能不全にしており、事なかれ主義が日本に蔓延しているのだと見る。そしてその上に立つトップは、「憲法遵守」を旨とする公務員の頂点に立っているにもかかわらず、憲法を好きとか嫌いとか美しいとか醜いといったレベルでコメントすることは有り得ないにもかかわらず、それを抑えられずに感情的なまでに変えるべきだと主張する。それはなぜか。そうした人物が出てきた背景に何があるのか、戦後日本の歩んできた道のどこにそれを許す齟齬があったのか、等々について掌をさすように論じているお薦めの一冊だ。
2015年6月4日 木曜日
 今夕のニュースで、今日開かれた衆院憲法審査会で、招かれた3人の憲法学者全員が、集団的自衛権の行使容認を含む安保関連法案について「憲法違反だ」と明言したと報じられた。専門家から批判的な見解が示されたことで、今後の審議への影響が出ることは必至だろう。
 私は昨日のブログに、集団的自衛権の行使例として政府が挙げた事例は、警察権と個別的自衛権でできることだと書いたが、今日の専門家の中の一人である小林節慶大名誉教授も「個別的自衛権で説明がつく」との見解を示したという。
私の見方は間違いではなかったのだ。
 
 これに関連し、菅官房長官は記者会見で「憲法解釈として法的安定性や論理的整合性が確保されている」としたうえで、「まったく違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいる」と述べたと報じられているが、御用学者ならそう論じることは当然だろう。
 そのような学者の考えだけをもとに論を立てているからこそ、乱暴とも思える法案作成とその成立を急ぐ危うい国会を軽視するかのような粗雑な議論に傾くのだ。
 今日参考人として呼ばれたのは、与党推薦の長谷部恭男早稲田大教、民主党推薦の小林節慶応大名誉教授、維新の党推薦の笹田栄司早稲田大教授の3氏であり、その3人のいずれもが「憲法違反」との見解を表明したことの意味は、それが“客観的で公正・中立な判断”だという意味で大きいだろう。久々の明るいニュースである。
2015年5月19日 火曜日
 橋下徹大阪市長は、大阪都構想の住民投票に敗れた際の記者会見でこう発言した。
 『日本の民主主義は(自分のこれまでの政治活動で)相当レベルアップしたと思う』。
何ということかと驚き、呆れるばかりだ。
 敵をつくり、常に論点を単純化して「白か黒か」の二者択一を迫り、相手を論争に引き込んでその論争に勝てば「正しいことが証明できる」とばかり論難し、また自分に批判的な考えを持つ人を「バカ」と罵って挑発し、既成の組織を破壊することが
“善”だとばかりに短絡的な主張を繰り返すなど、ケンカ腰の政治姿勢で大阪府や大阪市の行政をいじって来た人だ。
 特に驚かされたのは、府知事や市長という立場を勘違いし、自分と府や市の職員の立場を会社の社長と社員にたとえ、社長の命令に従うことが当然だと職員に迫ったことだ。
それが行政の長としての望ましいありようでないことは言うまでもなく、まるで独裁者の如くふるまったにもかかわらず、『民主主義がレベルアップした』とは民主主義をどのように考えてのことなのか、と疑わざるを得ない。
 この人はツイッターを活用して自分の主張を発信していたようだが、たかだか140文字で精緻な考えを述べたり、論拠を明らかにして論を組み立てたりすることなど望むべくもない。
いきおい、短い言葉で断片的で断定的な“つぶやき”が多くならざるを得ない。
すなわち「全体、背景、経緯、論拠、微妙なニュアンス、仔細な検討」などを棚上げして端的に短い言葉で断定的な物言いをすることになるのだ。
 そんな手段で自分の考えを発信しても、それに賛同する人などいるとは思えないのだが、中には「わりやすい」「スカッとする」「切れ味が鋭い」といった歓迎の仕方をする人も少なくなかったようだ。
まさにそれこそが“独裁者を生み出す”民主主義の危険な一面だと言えるが、それはまた大阪市だけの問題ではなく、日本全体の問題だとも言える。
 橋下氏は、自身を「ワンポイントリリーフ」のピッチャーにたとえ、要らなくなったら交代だと述べているが、為政者がワンポイントで交代する保障はどこにもない。
独裁者然とした為政者が居座る危険性を孕んでいるのが民主主義だし、熱狂的な支持を得てしまう怖れがあるのも民主主義だということを、私たちは認識すべきであろう。
それを避けるためには、短絡的な「わかりやすさ」「単純な二項対立」「断定的な物言い」に安堵し、軽々に信頼したりすることなく、その裏に隠された意図や真意を推し量り、見極める目や監視できる目を持つことが必要だということを私たちは銘記すべきであろう。
2015年5月16日 土曜日
 つい先日のこと、愛知県名古屋市にお住まいのある方からメールをいただいた。私の知らない人である。
 その方はメールによれば、名古屋市内で活動するオカリナの同好会の方のようだ。その同好会はボランティアで老人の介護施設などを積極的に訪問し、演奏する活動を行っているという。そうした訪問演奏のレパートリーに「切手のないおくりもの」を加えたいと思ったのだが、なかなかそのMIDIデータが見つからなかったという。
 そんな折、ネット上で私のホームページにそのMIDIデータがあるのを見つけ、できればそのデータを購入したいとという内容のメールであった。MIDIデータは再生する機器がどのようなMIDI音源を使用するかによって、忠実な再生ができないので、そのことを懸念したのだが、これまでヤマハの販売店などでMIDIデータを購入したこともあるとのこと。ヤマハからデータをダウンロードしてそれが違和感なく再生できたとすれば、ヤマハのXG音源に対応した機器をお使いのことだろうと想像がつく。私のつくったデータは、すべてXG音源での再生を前提にしているので、安心してデータをお渡しできると見極め、早速データを送信して差し上げた。(もちろんのこと、売る目的でつくったものではないのでプレゼントである)
 オカリナで演奏されるということなので、音域的に無理のないキー(F)で演奏できるよう編集し直しての送信である。
 以前にもそうした問い合わせがあったが、ネット上でデータを公開していると、こうした見知らぬ人が探し出してくれてつながりができる。ネットの大いなるメリットだと言える。そして何より自分のつくったデータが、そうした見知らぬ人のお役に立てるということは無上の喜びで、今回も改めてそのことを実感させられた。

 ところで、阪田寛夫作詞、大中恩作曲の「草原の別れ」という有名な合唱曲がある。同声二部や混声三部にも編曲されているが、もともとは大中恩氏が主宰する合唱団“メグ・コール”の愛唱歌である。
 もう40年近く前に手に入れたその曲の楽譜は、藁半紙に印刷されたもので、紙もすっかり焼けて色褪せして傷んでしまい、丁寧に扱わないと破れてしまいそうだ。それよりも印字それ自体が薄くなってしまっており、コピー機にかけても忠実に複写できるかどうか分からない状態になってしまった。見えなくなってしまう前に何とかしようと思っていたのだが、今日は幸い時間に余裕があったので、シベリウスで入力し楽譜を写し取っておくことにし、ほんの二時間ほどで写し終えることができた。原本は大事にしまいこんで管理することにして、必要があればこのシベリウスに入力したデータをプリントアウトして何度でも活用することにする。とりあえずはこれで一安心である。
2015年5月15日 金曜日
 安倍政権は昨日、集団的自衛権の行使容認など、自衛隊の海外での活動を飛躍的に拡大する安全保障法制の関連法案を閣議決定した。
 いずれも日本のこれまでの「専守防衛」を柱としたありようからの大転換を趣旨とした法案である。憲法9条の改正手続きが難しいとみると、外堀を埋めるかのように憲法改正の議論を棚上げして、問題の多い大転換をもたらす法案群を閣議決定するというのは暴挙というほかはない。
集団的自衛権の行使容認は政府による勝手な解釈改憲であり、立憲主義に反する行為だ。平和憲法のもと、日本がとってきた専守防衛にも反する。
 日本の存立が脅かされ国民の権利が根底から覆される明白な危険がある「存立危機事態」など、行使の要件はあいまいで拡大解釈が可能で、最初から国会の承認などを経ずになし崩しに「戦う」ことを可能にしようという意図が透けて見える。
平和のため、そして国と国民の安全のために国民を戦争の危機にさらす、というのはいかにも矛盾だらけであり、『安心してくれ』と言う説明には無理がある。
「戦争法案」という批判に反論するばかりでは、説明にはならないはずだ。
 これまでの安倍首相の「説明」もそうだったが、確たる根拠を示さないまま(あるいは持たないまま)自分の思いや希望的観測を伝えることが「説明」だと勘違いしているふしがあるが、それでは国民は納得しないし出来るはずもない。「説明」になっていないからだ。
 本当に、そんな大転換が必要なのか、そもそも憲法の趣旨を越えてまで「戦う」必要があるのか、集団的自衛権の行使がどういう事態をもたらすのか、それ以外に日本がとるべき構えはないのか、行使についてどんなリスクがあるのか、それにどう対処するのか、失敗の責任は誰が負うのか、どういう責任の取り方をするのか、政府はどれほどの覚悟を以てこれらの法案を閣議決定したのか等々についてどの程度に議論を深め、検討を重ねた結果なのかについて何も語られていない。
どこからどうみても、安直な提案と上すべりな議論だけで決定し、説明の証拠作りのための会見を開いたとしか思えない。
 数日前の毎日新聞社説に『ドゴール元フランス大統領は「政治は、政治家に任せるにはあまりに重大すぎる」と語ったことがある。それにならって言うならば、立憲主義や憲法体系に対する無理解が政治にはびこる現状には「憲法改正は、政治家に任せるにはあまりに重大すぎる」と、同じ皮肉を込めざるを得ない。』と記されていた。
 まさにその通りで、こんな軽率で識見に欠けるな政治家たちに国のあれこれをあずけ、国の命運を託するのは危険すぎる。言葉に重みがないし、議論にも深みが見えないないからだ。子どもじみた一本調子な論拠も哲学も欠ける政治姿勢には、頼もしさが感じられないし、むしろ不安を覚える。政治はもっと“重厚なもの”でなければならないはずだ。
このあっけらかんと国を覆しても平気な「ノーテンキな首相」を風刺するには、次の川柳で十分であろう。
『この国を たった一人で 壊す人』
2015年5月10日 日曜日
 先日の日記に書いた歌声合成システム「Sinsy」を使えば使うほど、その可能性に対する期待が大きくなり、今のところその扱いに関心が集中している。芯のある通る声としっかりした発音が魅力だ。
音価の長いイ段の音を歌わせると不自然なクレッシェンドが生じてしまうのが気にかかるが、それを除けば女性の声に関してはボーカロイドの比ではない「よさ」を実感させられ、使いたい気持ちがいっそう昂じてくる。
そこで、実験的にさまざまな曲を歌わせてみることにした。
その結果を試聴してもらえるよう次のページに掲載してみた。→こちらのページ
2015年5月4日 月曜日
 Sinsyという音声合成システムが以前から気になっていた。これは名古屋工業大学で開発された歌声合成技術及び同技術を応用したボーカルシンセサイザーだ。普段から歌のサンプルデータを作成する際にVocaloidを使用しているのだが、サイトで聴いたこのSinsyによる歌声がVocaloid以上に質が高いように思われたからだ。
 私は、日頃ボカロの最初のバージョン「Meiko」や「初音ミク2」「初音ミク3」を活用しているのだが、どうももう一つピンとこないところがあった。初期設定の声が少女っぽく、どう設定をしてもその声質から抜け出せないからだが、このSinsyはサンプルデータを聴く限りしっかりした大人の声で歌って聴かせてくれるからだ。これをうまく活用すれば、合唱サンプルなどの制作に力を発揮してくれそうだ。そこでこのSinsyを試用してみることにした。音声データをつくるためには、歌詞入りのMusicXMLフォーマットのデータを作成し、それを公式サイト(http://www.sinsy.jp/)に送信すると合成された音声データを聴いたり、ダウンロードすることができる。また、ボカロで作成したデータがあれば、CadenciiというフリーソフトでMusicXMLとして保存し直すこともでき、折角作成したボカロのデータも無駄にすることもなさそうだ。というわけで、同じボカロのデータからSinsyでも音声データを作成し、聴き比べてみた。その歌声の違いを下記のページで聴き比べていただけます。
こちらのページ
2015年4月12日 日曜日
 春らしいうららかな陽気に誘われて、土浦から筑波までの自転車専用路「りんりんロード」を初めて走ってみようと思い立って出かけてみた。土浦市内の観光協会が運営する「まちかど蔵」で一日500円で借りられるレンタルサイクルを借りた。
この「りんりんロード」はかつて走っていた筑波鉄道の廃線跡を走る道路なので、道は平坦。しかも自転車専用なので、自動車と行き交う心配もない。広々とした風景の中を快適に走ることができるが、まだ咲き残った桜並木が見事で、もう田植えの準備をする農家の姿やヒバリの声、道ばたのツクシなどを楽しみながら走ることができる。右手に見える集落の林はもう新緑の装いで、点在する桜との共演が「今だからこそ」の風情で眺められる。土浦から6キロの地点まで走ったところで、硬いサドルのせいかお尻が痛くなってきた。初夏と春の風情を堪能できたことだし、という言い訳をしつつ6キロの道程表の脇でUターンして土浦に戻る。途中、りんりんロードをそれて、新川ぞいの道を走り、ここでも桜並木を楽しむ。
久しぶりの良いお天気の中、快適なサイクリング気分を満喫できた。途中大勢のサイクル愛好者、そしてジョギングをや散歩をする人とすれ違う。初めて走った道だが、誰にでも楽しめる良いコースだと思った。
 
 
2015年4月1日 水曜日
 一昨日は春の陽気を通り越して、暑さを感じるほどの気温の高さで、しかも快晴。お花見にはもってこいだとばかり、例年のように川崎市の次女の家へ向かう。しばらく会っていない孫にも会いたいし、家の前を流れる二ヶ領河畔の桜も見物したいという思いで出かけるつもりになったのだ。松戸を過ぎて東京に入った途端、満開の桜が電車の車窓から見て取れる。
丁度よいタイミングでお花見ができると期待が膨らみ、多摩川土手の桜がいずれも満開なのを見ていっそう心が弾む。
娘の家に到着して早速、孫とお花見散歩に。期待に違わず、今年も見事な咲きっぷりで大勢の人が私たちと同じように花の下での散歩を楽しんでいた。今年も見ることができて良かった良かったと思うのであった。
     
2015年3月29日 日曜日
 先日の新聞紙上で、つくば科学博が開催された年から30年になるということを知った。うっかりしていたが、あれから30年も経ってしまったのだ。あの開会式でシンセオーケストラを演奏した5・6年生の児童は、もう41歳から42歳になるということだ。ということは、あの当時の私は30代半ばだったから、いまやあの子たちは当時の私よりもずっと年上の世代になってしまったということか、と改めて時の移ろいに感慨を覚える。
 開会式の行われた3月16日は、卒業式を間近に控えた6年生にとって、そして学校にとっても多忙な時期であったが、生涯の晴れやかな思い出になってくれれば、と願って引き受けたことを覚えている。
 時は流れて、皇太子殿下ご夫妻は天皇に、礼宮様は秋篠宮様になられたが、演奏していた当時の子どもたちからはお三方が正面に見え、『美智子様が美しかった』と盛んに口にしていた。が、背を向けて指揮をしていた私はこの目で直に見ることができず残念な思いをしたものだ。開会式の記録ビデオは粗い画質であるにもかかわらず、それですらやはり若々しくて美しいことがよくわかる。
 あの開会式の中では、外山雄三指揮のNHK交響楽団が、早稲田大が開発したオルガン演奏ロボットと『G線上のアリア』を共演し、続いて私たち茨城大学教育学部附属小学校の児童(5年生全員と6年生の一部)のシンセオーケストラが『科学博に寄せる喜びの歌』を演奏。その後に、西城秀樹がこの科学博のために作曲された『一万光年の愛』という歌をN響の伴奏で歌った。若くて溌剌としていた西城秀樹は、広いアリーナを足取り軽く駆け回り、ハリのある声で歌っていた。
 30年の時を経て、さまざまなことが変わってしまったが、生き方を見直しつつより良い社会の実現に向けて改めて歩き出す時がきているように思われてならない。ところで、
あの開会式のビデオから、いくつかの場面をキャプチャして写真のページを作ってみた。ご覧いただければ幸いである。写真の中では、まだ私も若かったのだ。

こちらのページ
2015年3月26日 木曜日
 ドイツルフトハンザ航空傘下のLCCが、原因不明により山中に墜落したという。テロの可能性は低いとフランス政府は発表しているが、乗客・乗員合わせて150人の搭乗者の生存はほぼ絶望的だと言われている。テレビや新聞の写真では、険しい山岳地帯にバラバラになった機体が広い範囲に散乱していて、日航機のあの大事故よりもひどい状態で墜落した様子が窺える。搭乗者の中には、日本人お二人も含まれているとのこと。LCCであることが一因なのかどうか
わからないが、多くのかけがえのない人命を預かる航空機のことだ。万全の上に万全を期して経営をしてもらいたいものだ。

 三寒四温の言葉通り、ひどく暖かい日があるかと思えば、真冬に逆戻りしたかのような日もあり、体調が追いついていかない思いもするが、それでも春は進行中で確実に本格的な花の季節を迎えている。ご近所の辛夷もいまや満開で、数日中には桜前線も関東を通過するはずだ。 今年もどうにか桜をめでることができそうだと安堵しているが、あと何回桜を楽しむことができるか、と毎年のように思わされるこの季節である。
2015年3月11日 水曜日
 あの忌まわしい大震災から今日で4年目。遅々として進まない復興で先の見えない将来に強い閉塞感を感じつつ、それでも前に進もうと頑張っている被災地の方々のことを思うと、胸がつぶれるような思いがする。震災やそれが引き起こした原発事故など忘れてしまったかのように、経済効果や富国強兵さながらに「力の誇示」を言い立てる政府の姿を見ると、何ということかと呆れる思いがしてならない。民主主義とは名ばかりの、「国のための政治」ばかりが目につき、民を置き去りにする姿勢が浮き彫りになるからである。残念としか言いようがない。

 そうした憂き世にあって、自然は美しい花の季節を迎えている。梅はもう盛りを過ぎようとしているし、ふと見るとご近所の庭の高い辛夷の枝々には花芽が大きく膨らんでいるのも見える。
地面に目を移すとクロッカスも可愛らしい色とりどりの花を咲かせている。
そんな春にふさわしい幸せに充たされた心の安らぎと充実の日々が、被災地の人々に一日も早く訪れることを願うばかりである。
 
2015年2月7日 土曜日
 先ほど我が家の住所をグーグルマップに入力し、戯れにストリートビューで表示させてみたところ、何と我が家の前の道路がビュー表示された。お隣の奥さんが家の前を掃除している姿まで写されている。我が家の前を通り過ぎて角を曲がってみると、これまたご近所の奥さんが駐車場の草取りに余念のない姿も写されているではないか。
いつの間にか、こんな片田舎の住宅街の細い通りまでストリートビューに登録されていたのだ。その撮影の記録をみると、昨年の4月となっている。道路に写った影の様子から察するに陽の高い時刻に撮られたもののようだ。
“それにしても”と、こんな田舎の大通りから入った細い路地にまでグーグルの手が伸びていることに驚いている。
 2015年2月6日 金曜日
 昨日は関東でも積雪の予報がなされ、大いに心配したのだが我が家の付近は雪にはならず、ホッと一安心。今朝は朝から穏やかな晴天に恵まれたが、早朝は昨日の雨が凍り道路はすべりやすい状態で、行き違う登校の児童たちも慎重な足取りであった。
 ところでこのサイトは、so-netのホスティングサービスを利用したドメインで管理しているのだが、そのso-netから夕刻になって突然に今年の11月にサービス停止を停止する旨の知らせが届いた。それが停止されると、ドメイン名だけでなくメールアドレスも従来のものから変えなければならない。それ以上に、このサイトを引っ越さなければならなくなる。そればかりか、各種ネット上のサービスのアカウントも変更を迫られるのだ。あまりにもその影響が大き過ぎて、どこからどう対処すれば良いかと目のくらむ思いがした。しかし、どうやら一旦停止はするものの、後継ホスティングサービスを提供する予定があるとのこと。胸をなでおろしたものの、その詳細は4月頃に公表されるということで、その詳細を見なければ従来のドメイン名を使い続けることが可能なのかどうかわからない。一応、対処の準備だけはしておかなければならないだろうが、構築したものの大きさを、そして移転作業の膨大さを考えるとうんざりする思いである。

 さて、私が指揮をする牛久市内の熟年合唱団「牛久フロイデ混声合唱団」の演奏のいくつかをYouTubeに公開してみた。 そのアドレスは下記の通り。
  ○宗教曲メドレー→http://youtu.be/jl1m5hOOb5E
  ○野口雨情童謡メドレー→http://youtu.be/rB-VWLAuEnA
  ○静けき森→http://youtu.be/cZugR70hzS4
  ○バイカル湖のほとり→http://youtu.be/nmWBrzghABg
  ○グリーンスリーブス→http://youtu.be/J-6XuX9nhag

 いずれも私が混四に編曲、伴奏も私がつくったものである。
2015年1月24日 土曜日
 大相撲初場所がいよいよ明日で千秋楽を迎える。
 昨日のこと、千秋楽まで二日を残して横綱白鵬が早々と優勝を勝ち取った。大関稀勢の里と物言いがついて、取り直しとなった一番で貫禄を見せて勝ち、その前に二敗だった横綱日馬富士が敗れて三敗となってしまったためだ。白鵬はこれで、先場所大鵬の優勝回数32回と並んだ上に、その記録を塗り替えて33回目の優勝という金字塔を打ち立てたことになる。もし明日も勝てば、初日から連日満員御礼となった初場所を全勝優勝で飾るということになる。なんと素晴らしいことか。
 白鵬は、これまで休場したことがなく、また怪我もないという。日々の精進がどれほどのものかということを思わされるが、まだ30歳になっていないことを考えると、どこまで勝ち星数を伸ばせるか、そして優勝回数を伸ばせるかを思うと、楽しみな限りである。この横綱のすごいところは、たとえ不利になっても即座に対応することができ、自分に有利な態勢に持って行くことができること。他を圧する運動能力の高さに併せて、常に謙虚に研究を怠らない姿勢がこうした結果につながっているのだろうことは想像に難くない。これからも大いに活躍して私たちを楽しませてくれるに違いない。楽しみなことである。
 
 ここ数日、マスコミの報道はイスラム国による邦人男性二人の人質事件一色である。もとはと言えば、安倍首相がカイロでの演説でイスラム国に対決する周辺各国への支援金として2億ドルを支出する、と表明したことがきっかけである。日本を十字軍の一員としてみなし、日本にもテロが及ぶことも懸念される。右傾化した日本がいくら「人道支援」だと主張したとしても、「不戦の国」「軍隊を持たない国」として認められていたこれまでとは違った受け止められ方をしていることから、その言葉通りに「人道支援」とは理解されなくなってきているのだ。英・米・仏と肩を並べた多国籍軍の一員とみなされ、テロの対象となる口実を与えてしまったのも、右傾化に前のめりになってそれを推し進めてきた現政権の姿勢によるのだ。困ったものだと思わざるを得ない。
2015年1月22日 木曜日
 昨日のニュースで作家の陳舜臣氏が亡くなられたことを知った。大好きな作家の一人で、今でも書店に行くと彼の作品はないかと書棚の隅々まで探し回るほどの作家だ。『西域物語』『妖のある話』『漢古印縁起』『弥縫録』『十八史略』『桃源遙かなり』『中国任侠伝』等々、中国史に題材をとった物語を世に出し興味深く読ませてくれた作家であった。
中でも中国と日本との考え方の違いや文化の違いを“同文だからこそ陥りやすい誤解”があることも指摘し、日本籍在住の中国人だからこそ書ける文化の橋渡しとしての作品に触れることができ、親しみをもっていた作家であった。
もうこの人の新しい作品を手に取ることができかと思うと残念で悲しい思いがするが、まだまだ読んでいない作品があるはずだと思い直し、また書店での本探しに精を出したいと考えている。感謝しつつご冥福を祈るばかりである。
2015年1月19日 月曜日
先週の木曜日のこと、茨城新聞に次のような記事があった。
 「幻日、太陽が「二つ」 牛久で観測」
  14日夕、牛久市で太陽が二つになる「幻日(げんじつ)」と呼ばれる現象が見られた。
  水戸地方気象台によると、この不思議な光景は、太陽光が雲の氷粒で屈折・反射して
  起こるという。
  高い所にできる雲は低温で、粒状の氷でできている。そこに太陽の光が入り、離れた
  場所に別の光(太陽)を出現させる。
  一般的にその光は本物の太陽より小さく、虹色掛かっているという。“幻の太陽”は、
  やがて雲の輝きに同化して消えた。 (藤崎和則)

 14日と言えば、午後3時半頃まで私は牛久市内にいた日である。しかし残念なことにその現象をみることはできなかった。“そんなことがあったのか”と奇遇な思いと残念な思いを重ねて持ったのだが、記事の最後に記された記者の名を見てさらに驚いた。この記者は紛れもなく、私が20代の頃勤めていた中学校の、しかも吹奏楽部の教え子だからだ。彼と彼の仲間たち数人は、しばしば私の家に遊びに訪れ、家を新築した際には引っ越しの手伝いにも来てくれ、そればかりか夏休みなどには我が家に泊まって隣の空き地でキャンプファイヤーをするなどした懐かしい教え子なのだ。思えば昔はそうしたことに寛容で、吹奏楽部の教え子たちはしょっちゅう我が家を訪れ、私の子どもともよく遊んでくれたものだった。
 懐かしい思いでその記事を眺め、家内にも早速その記事を見せたことは言うまでもない。
 
2015年1月7日 水曜日
 今日はもう7日。七草粥の日だ。小中学校の中には、今日から三学期を迎える学校もあろう。ずいぶん日が伸びてきたとは言え、これからが寒さの本番。先日は京都で61年ぶりの大雪だったというし、昨日から東北や北海道では猛烈な強風雪に見舞われているということだ。大きな被害が無い事を祈るばかりだ。

 ところで大晦日の大掃除ついでにタンスの整理をしていて古い写真が見つかった。土浦市民会館のホールで混声合唱団が演奏しているステージ写真だ。よく見ると私が写っている。めがねをかけていないところから察すると27歳~30歳ころの写真だと思われる。すると40年ほど前に撮影されたものだということになる。そう言えばあの頃土浦市民合唱団に入っていたような気もするのだが、実際のところあの演奏会で何を歌ったのか、指揮は誰だったのか、いくら考えても思い出せないのだ。写っているメンバーの中に日立一高時代の同級生の顔がある。そう言えば、その合唱団で久しぶりに再会し土浦市内で彼が営んでいた喫茶店を訪ねたこともあったような記憶もおぼろげながらあるのだが、それがどのあたりにあったのかということもすっかり忘れてしまっていた。他に顔を見たことがあるメンバーもいるのだが、それが誰なのかすら遠い記憶の彼方に飛んでしまっている。この数年後に附属小への勤務を命じられたのだが、それ以降の生活が多忙を極めると同時に研究生活のターニング・ポイントになって、前だけを向いて生きてきたため、それ以前の多くのことが遠い過去のものになってしまったことは否めない。20代最後の頃に勤めていた中学校での生活は鮮明に覚えているにもかかわらず、その合唱団についてのことはまるでそこだけスポッと記憶が抜け落ちていて不思議でたまらない。その写真の中から幾枚かをスキャンしてみた。当然のことながら私もまだ若かったとそれらの写真を見ながら感慨にふけってしまった。→写真はこちら
2014年12月29日 月曜日
 ついつい他のことにかまけていてホームページの更新を怠ってしまった。気がつけばもう年の瀬。明後日は大晦日だ。
 先日のこと、掲示板に昔の教え子からの書き込みをもらった。懐かしい!もう35年も前に指導した吹奏楽部の部員だ。
 姉妹で吹奏楽部員だった子だが、よくもまあ、このページを見つけてくれたものだと、そして書き込みをしてくれたものだと感謝するばかりだ。教師冥利に尽きると思うのは、こんな時だ。ありがたいことだ。

 ところで、暮れの大掃除に間に合わせようと二週間ほど前に遅ればせながらサイクロン掃除機を購入した。
 これまでは紙パック式のごく普通の掃除機で掃除をしていたのだが、そのサイクロン掃除機で掃除をしてみたところ、たくさん細かいちりが吸引できた。これまでの掃除が“気休め”でしかなかったような感じだ。オプションでついてきた「布団掃除用ヘッド」も具合が良い。これで気持ちよく新年を迎えることができそうだ。明日は娘夫婦が孫を連れて帰ってきてくれることになっている。いよいよ「暮れ」の気分が高まってくるというものだ。
2014年10月21日 火曜日
 昨日は、女性閣僚二人が辞任したというニュースでもちきりだった。支持者に便宜供与するという疑いをかけられるということは、依然として自民党体質が旧態依然たるものだということの表れであろう。いずれ父親の代からの後援者が仕組んだことではあろうが、いつまで政治とカネがついてまわるような体質から脱却できるのだろうか。何とも次元の低い話で、日本の政治の底の浅さばかりが窺える話で残念だ。また、法に触れることをしていながら『法に触れるという認識はない』と言い放った人物が“法務大臣”に任命され、辞任に追い込まれるというのもバカバカしくも愚かしい話だ。法を知らない法務大臣とは、笑うに笑えない話ではないか。

 ところで、秋の果物がおいしい季節になって喜ばしい限りである。近所の庭や農園にも立派に実ったおいしそうな柿の実が美しく色づいている。子どもの頃に、高い柿の木によじ登って、その枝から熟した柿を次から次へともいでぶしゃぶりついたことが懐かしく思い出される。
カメラを担いで写真に撮ってみた。写真におさめたついでに、フォト川柳と洒落てみた。

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2014年10月19日 日曜日
 NHK朝ドラの主題歌「麦の歌」(中島みゆき 詞・曲・歌)は、ここいくつかの朝ドラの主題歌の中でオーソドックスな曲趣ですこぶる気に入っている。思い立ったので採譜を試み、ついでにボーカロイドに歌わせてみようと伴奏をアレンジし、ボーカロイドで歌詞を入力し歌わせてみた。残念なことに、朝ドラで聴けるのは一番のみ。尻切れトンボなので、正式にはこの後も続くのだろうと思うのだが、歌詞も何も一番しか放送されないのでそこまでとした。(採譜はしたものの、原調では低すぎて歌えないので、ここでは短三度上で譜面を作成している)
もっと残念なことは、アレンジしてみたところ本物とは違ったテイストの曲になってしまったこと。それでも何とか聴ける所まで漕ぎ着けることができたのでお聴きいただこうと思った。 →
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 ところで今日は、以前勤めていた学校で大変お世話になった先生方の陶芸グループが催す陶芸展の最終日。しかも今回で最後の展覧会だという。毎年楽しみにしていたのですこぶる残念。最後だというので、是が非でも行きたいと思っていたので、朝から出かけてきた。それぞれ個性的で見入ってしまう作品ばかり。独自の世界が魅力的に表現されていて、造形の力を持っていることがうらやましいと思える作品ばかり。下の写真は、それらのうちの数点だ。 
     
 体育の日は、台風19号が全国で猛威をふるい、各地で避難勧告が出されたり、交通機関に大きな乱れが生じたりした散々な一日になってしまった。
 このところ、気象庁や各報道機関で“大きな勢力を持つ台風”とか“過去最強の台風”といった表現が頻繁に使われるが、私の住むかすみがうら市周辺では身構えていたほどには雨も風も強くなく、拍子抜けがするようなことが多い。被害がないということはすこぶる良いことに違いないのだが、一方では報道機関の報道ぶりが大袈裟過ぎはしないか、使用する言葉が過激過ぎはしないかとの思いもしている。『そのような心構えで災害に備えよ』ということだろうと理解すれば良いのだろうが、こういうことが重なって“狼少年”のような油断を民衆にもたらしてもいけないのではないかという懸念も起きる。

 ところで、この三連休に孫が遊びに来てくれた。『おじいちゃんの似顔絵を描いてあげる』と言って描いてくれたのが右の絵である。うまく特徴をとらえて描いているではないかと感心するのは、“爺バカ”のせいだろう。とりわけ額の皺や髪の薄さを丁寧に描いてくれたのには驚かされた。こんなに上手に描けるようになったのだ、と成長ぶりが嬉しくてたまらない。
 
2014年10月8日 水曜日
 皆既月食が観察できるというので、朝から楽しみにしていた。
 天気予報では「晴れのち曇り」と報じられていたので、観察することができるかどうか危ぶんでいたのだが、幸い曇ることなく一部始終を見届けることができた。手持ちの小型デジカメを三脚にセットして待ち構える。
 小型ながら光学・デジタル併用で64倍ズームだ。しかし、月が大きく欠けて三日月ほどの大きさになると、光量不足でだんだんピントが合わなくなってきてしまい、撮影は断念。観察だけにとどめた。
それでも40枚ほども撮影ができた。撮影テクを持たない自分としてはよくやった方だとホクホク。
         
2014年10月5日 日曜日
 強い勢力を持つという台風18号の影響で、朝から雨が降っている。時折強い風も吹いているが、関東地方に接近するのは明日の日中だという。今日から明日にかけて台風の影響を強く受け続けることになるのだろう。大きな被害が出なければ良いのだが。
 このところあちこちで良い香りを漂わせていた金木犀が咲いていたが、もうおおかた散ってしまい、気がつけばコスモスが咲いているのを見かけるようになった。
 栗ももうすっかり終わったかと思っていたが、昨日散歩をしていたところ、栗林の中でまだたくさんのイガが栗の実を抱いているのを見つけた。まだまだ楽しめそうだ。

 ところで先日来取り組んできた「大地讃頌」の伴奏がようやく完成した。
 →試聴はこちらで。
 
2014年10月3日 金曜日
 御嶽山が先月27日に噴火してから一週間。亡くなられた方が47人と過去最大の犠牲者の数である。しかも未だに安否の確認ができていない方も多いという。改めて思うのは、日本列島はまさに火山列島で長い間比較的静かな状態にあっただけで、いつ噴火してもおかしくないのだという事実だ。東日本大震災でプレートが大きく動いたことと無関係ではないのかも知れないが、浅間山も富士山も雲仙も阿蘇でも、温泉の恵みを受けているところはその恵みと同時に噴火の脅威を覚悟し、折り合いをつけていかなければならないのだろう。長期間にわたって静かだったからと言って、その危険が皆無になったわけではなく、人間が忘れてしまっただけなのだと改めて認識し直す必要があろう。

 噴火にしても大地震にしても台風にしても、あるいは局地的な豪雨にしても、自然の猛威の前では人間はなすすべがない。世界的な気候変動によって「経験したことのない」ような天災が決して希有ではない状況になりつつあるようにも思える。そして、そうした大災害の前では、人間の造った構造物などひとたまりもない、ということも自覚する必要があろう。
西欧の科学は、「自然を克服し、コントロールする」ということを柱としている。しかし、こうした大災害の状況を見れば、人間が自然を制御するということなど不可能だということがよくわかる。そう考えてみれば、海の近くや火山の近く、地震のおそれのある地域に「制御不能に陥るかも知れない」原発があり、それを再稼働しようという動きの危うさがいっそう懸念される。大きな自然災害はこの数年だけの特異な事態ではないと思われる。いまや日本列島は“災害列島”なのだということを自覚して、危険を最大限に減らす対策をとることこそ課題であるはずだ。
「自然をコントロールできる」となどという驕りを捨てて、謙虚に災害から身を守るための方策を立てていくことが大切だと思われてならない。

 ところで、佐藤眞の『大地讃頌』のオーケストラ伴奏を作ろうと思い立ち、いま取り組んでいるところである。もともとN響と東混が初演をした曲である。現在はピアノ伴奏で歌うことが一般的であるが、オケ伴の方がこの曲(というよりこの曲を含んだカンタータ全体)にふさわしい。そう思えたので取り組んでいるところだが、出来上がるのが非常に楽しみだ。
2014年9月23日 火曜日
 秋分の日は、晴天に恵まれた。風もなく、台湾や中国を襲っている台風の影響がこれから出てくるということが信じられないような、秋の風情だ。
 
 指揮を担当する混声合唱団の練習曲にしょうと、この数日かけてアレンジをしてきた“サウンド・オブ・サイレンス”の編曲が終わった。すぐに合唱パートを入力し、それぞれのパートをボカロに歌わせ、合唱サンプルの作成にとりかかったが、それもすべて完了。合唱団のサイトへの掲載も済ませ、ほっと一息といったところ。

 新堀寬己著『音楽生活のすすめ』(幻冬社)読了。わかりやすく音楽のよさを説き、音楽を広めたい、そして音楽することを奨めたいという意図はわかるのだが、音楽を「効用」だけで語ろうとするあまり、我田引水に過ぎるきらいがありいささか話が表層的になってしまって残念。音楽することが“健康に好ましい影響がある”“余暇の善用に好適”“生き甲斐の実感につながる”などは音楽することの本質ではなく、効用面というある側面でしかあるまい。
わかりやすさをねらうことは重要なことだが、そのために本当に大切なことを置き去りにしてしまいかねない典型的な例がここにある。かつて仏教をわかりやすく伝えるために、仏教の実利的な面を強調し、鎮護国家を言い立てたり、呪術面を強調して祈祷に走ったりしたことを想起させられる。
ウソになってしまっているとは言わないが、いささか興がそがれる思いがして残念というだけなのだが・・・。
2014年9月18日 木曜日
 ここ数日、VocaloiのMIKU3と格闘していた。1年ほど前に英語の歌詞を上手に歌わせたいと思い、インストールしたものだ。都合があって一旦アンインストールしてしまっていたのだが、再度使う必要が生じて再インストールしたのだが、どうもうまく動作しない。MIKU3は、歌詞の入力をStudio2付属のpiapro studioで行う必要があるのだが、そのソフトが起動しないのだ。何度インストール作業を試みても“既にインストールされています”というメッセージが表示され、インストール作業がそれ以上進まないのだ。Studio2をアンインストールしてそれを再インストールすれば良いのかとも思ったのだが、その後の面倒なアクティベーション作業のことを考えると踏ん切りがつかない。しかし、メーカーに問い合わせたところ、“たとえアンインストールしてもディアクティベーションしない限り、再度アクティベーションしなくても良い”との回答。
 そこで、思い切ってStudio2をアンインストールし、改めて再インストールし、祈るような気持ちで起動してみると無事にpiaproが起動でき、歌詞の入力もスムーズにできるようになった。
 ここに来るまでずいぶん時間も手間もかかってしまったが、無事に使えるようになり、やれやれという安堵感で一杯。
 そこで、初音ミク3に歌わせてみた。
 →こちらの「赤とんぼ」である。
 
2014年9月16日 火曜日
 磯田道史著「歴史の読み解き方」(朝日新書)読了。時代小説、歴史文学、史伝文学の違いなどにも触れ、歴史を見る視点をさまざまな角度から解説してくれている興味深い本であった。誰にでもわかりやすく書かれていながら、決して表層的にならないお薦めの本である。

 午後12時半ごろ関東で大きな地震。震源は茨城県南西部で、栃木・群馬・埼玉などで震度5弱。土浦では震度4の長い揺れを伴う地震だった。

 先週の水曜日から金曜日にかけて、10月に催される牛久市内の文化祭「シビックコンサート」の準備で大わらわ。そこで歌う「合同合唱・全体合唱」の練習に資する資料の作成に追われたからだ。三曲のサンプル演奏を私が指揮をする合唱団の練習に使うために、すべての曲のMIDIデータをつくり、併せてボーカロイドで合唱サンプルを作成し、合唱団のホームページに掲載したりしたためだ。
 またそれぞれの曲がA3で数ページにわたるため、シベリウスでスコアを入力し直し、ピアノ伴奏を除いて合唱部分のみを抽出していずれもA41枚におさまるように作成を試みる。団員がページを繰らずに練習に取り組めるように練習環境を整えようとしたのだ。ラッシュのような作業に追われて、金曜日の深夜にはすべての作業が完了。
やっているときは夢中だったので意識しなかったのだが、やはり疲れが出たようだ。加齢のせいもあるだろうが、土・日は
ぐったり。のんびりしていたときに突然きた久しぶりの大きな揺れに、「気を引き締めよ」といさめられた思いがした。
2014年9月14日 日曜日
 以前からいったんことが起きて、人間がコントロールできなくなる怖れがあるものを作るべきではないと思っていた。
 東日本大震災で大きな被害が出て以降、その思いはいっそう強くなった。コンピュータが自動制御して走行する「自動運転自動車」など、もってのほかだという気がする。コンピュータはいつ暴走するか知れたものではないし、サイバー攻撃を受ければ制御が効かなくなってしまう怖れが高いからだ。そして人間の「危険察知の能力(or感性)」を怠けさせ、低下させてしまうばかりだと思うからだ。そして人間のコントロールが効かなくなる怖れが高いことを実証してみせたのが原発だが、あれから3年半しか経たないというのに川内原発再稼働の動きが急だという。学んだ反省が生かされない国だということに驚くばかりである。人間のコントロールが及ばないものがある、ということについてしっかり認識しないと人間は「人間のつくったもので自らを滅ぼす」愚を重ねることになるに違いない。困ったものだ。

 ところで、季節外れの自作の歌を思いだし、ボーカロイドに歌わせてみた。これも童謡をつくることに関心が高かった40代の頃のものだ。これは、詩も自作のものだが、詩をつくるというのは作曲とは違って、なぜか“てれくさい”思いがして気恥ずかしい。なぜだか自分でもわからない。
→こんな曲です。
2014年9月9日 火曜日
 昨日の夜は、日本を代表するジャズボーカリストで、アメリカでは「日本の至宝」と評されるほどの伊藤君子さんのチャリティーライブコンサートがつくばであり、招待状をいただいたので有り難く拝聴させていただいた。
 ピアノ、ベース、ドラムスのジャズコンボをバックに見事な歌唱力で、数々のジャズソングを2時間たっぷり堪能させていただけた。ジャズコンボの面々もバークリー音楽大学でジャズを学んだ名ピアニスト、故日野元彦グループで活躍した経歴も持つジャズはもとよりクラシックからポップスにまで精通したベーシスト、そして原信夫とシャープス&フラッツや日野皓正グループで活躍中のドラマーと実力派ぞろい。心地よいスィング感にひたって楽しめたコンサートだった。
「ムーンリバー」や「私のお気に入り」「イエスタデイ」などのポップスもスィング感たっぷりのジャジーなアレンジで、会場中が手拍子をとりながらの一体感を満喫できた素晴らしく“聴かせる”演奏会だった。

 ところで、秋もいよいよたけなわ。急に涼しさが増して、数週間前までのうんざりするほどの暑さが嘘のよう。あちこちの庭から虫の声が聞こえて、心癒やされる大好きな季候となったが、“虫の声”で毎年思い出される曲がある。
高校2年生の時に、合唱団の一年先輩が教えてくれた歌である。覚え立てのウクレレを弾きながら、その曲を歌ったことが鮮やかな記憶となっていて、もう随分昔であるにもかかわらず、歌詞もしっかり覚えているのだ。
その曲のタイトルは、『幸せはここに』。虫の声が周囲に満ちる頃になると、思い出すその曲を、40年以上の時を超えて歌ってみようと思い立ち、伴奏を作成して歌ってみた。何と言っても今のこの時期に最もふさわしいと思ったからだ。
歌は相変わらずお粗末だが、そこはご容赦のほどを。
→こちらのページで試聴していただけます。
2014年9月3日 水曜日
 昨日は久しぶりの晴天であった。
 強い日差しが戻っても、湿度が低く風も適度に吹いていたので、快適に過ごせた一日であった。
 ところで、ハサミをさがそうと何気なく開けた机の引き出しの中に、昔(40代の頃)作った童謡の楽譜を見つけた。
 あの頃どういうわけか子どものための歌を作るのに熱中していた覚えがある。懐かしい思いがして、早速DTMでピアノ伴奏を打ち込み、ボーカロイドに歌わせてみた。→こんな具合の曲です(試聴ページへ

 この詩で詠われている「ちいちゃな風」はきっと涼しげに吹く秋のそよ風だろうし、「大きな風」は高い秋空に向かって吹き上げる秋風かも知れない。そして鈴虫さんが出てくるところをみると、秋風のたつ今頃にこそ似つかわしい光景を詠った詩なのかも知れないと思いながら、この曲を見つけた偶然にちょっと驚いているところである。

 この曲の楽譜はこちら→PDF
2014年8月31日 日曜日
 数日前からネットへの接続速度がガクンと落ち、メールの読み込みにもひどく時間がかかるようになってしまった。
 モデムやルータが故障をしてしまったのか、あるいはパソコン自体が深刻なウィルスにおかされてしまったのかと心配していた。幾度か接続をし直したり、パソコンのシステム復元を試みたりしてみたのだが、思うような問題解消ができずにいた。我が家はネットもテレビも電話もJ-COMを使っており、ネットは160MBという高速通信での契約をしている。計測してみたよころ、上りも下りも1MBに満たない数値でしか通信ができていない。これはよほど深刻な状態だ。
 一週間ほど前にJ-comに修繕依頼をしていたところ、昨日担当者が様子を見に来てくれた。通信状況を見て、すぐに外からの引き込み線に不具合があると診断したようだ。案の定、引き込み線のコネクタを外してみたところ、ラインのコネクタ部分に水の雫がある。どうやらラインのどこかに亀裂が生じ、そこから水分が浸入。それがテレビにもネットにも不具合を起こさせる原因だという。引き込み線を交換する工事は簡単ではないし、それなりの準備も必要だとのことで、工事を来週にしてもらうことになった。原因が判明してほっと一安心である。
一時はパソコンを初期化することも覚悟したのだ。ただその後の復帰作業を考えると気が滅入るような思いがしていた。その作業をせずに済むかと思うと、それだけでも大いに救われる思いがしている。それぞれのソフトを再インストールしてアクティベーションをしたり、さまざまなネットサービスのIDやパスワード、その他の各種設定を滞りなく済ませるための手数と時間を考えると気が遠くなりそうで、文字通りウンザリといった気分だったからだ。助かったという気持ちで一杯だ。
2014年8月24日 日曜日
 午前中、家内がピアノ教室の教材として使用する楽譜を探すというので、イオンの楽器店へ出かけた。そのついでに1Fに降りて、ある店の店頭にあったハンモックを購入。
帰宅してから早速組み立てて寝てみると、なかなか具合が良い。腰や背中に負担がかからず、身体が楽なのだ。小さい頃にハンモックで遊んだ記憶があって、チャンスがあったらまた寝てみたいと思っていたが、期待以上の寝心地に満足している。

 午後から、土浦で活動しているシニアアンサンブル「フェルマータ」の発表会を聴きに行く。8人編成のアンサンブルで、「トップ オブ ザ ワールド」「大草原の小さな家」など11曲を演奏。いくつかハプニングはあったもののコントロールの効いたバランスの良い演奏で、楽しく聴くことができた。これからの活動が楽しみである。
 
2014年8月17日 日曜日
 我が家には使わなくなったパソコンや周辺機器がいくつかあり、レアメタルの有効な活用のためにはそうした機器類を眠らせておくべきではないが「さてどうしたものか」と常々思っていた。
逡巡するのは、それらを処分するには一台一台にリサイクル費用がかかるからだ。
ずいぶんお世話になった機器たちだから、処分のために出費することをためらうのは如何なものかと思うのだが、それでも踏ん切りをつけることができずにいた。
 そんな折、パソコンファームというリサイクル会社を見つけた。送料を負担すれば、無料で引き取り回収したパソコンはデータを完全消去してリユース・リサイクルするのだという。しかも今月の20日までは、クロネコヤマトの宅配便の着払いで送れば、送料も無料になるキャンペーンを行っているのだという。
早速、ノートパソコン二台、プリンターを二台、それにモバイル・ツールやケーブル・コネクタ類などを段ボール箱に梱包して送った。
 送ってから気がついたが、古いハードディスクや使わなくなったキーボード、デジカメやルータなどがまだ眠っていたことに気がついた。これらも大急ぎで荷造りし20日までに送ることにしたいと思っているところである。
2014年8月16日 土曜日
 昨日は終戦記念日。戦後69年経ったが、かけがえのない300万人の大きな犠牲を代償にして平和のありがたさを享受できたのは、70年もたなかったということになりそうだ。戦争の愚かさと悲惨さ、民主主義と平和を誰もが信じて疑わず、守り続けてきた戦争放棄の姿勢がここにきて揺らいでいるとしか見えないからだ。
昨日は、戦没者追悼式が行われ、二度と戦争の犠牲者を出さないという平和への願いと誓いをこめたその集会で正午には日本全国で黙祷が捧げられた。しかし、一方では「積極的平和主義」という主張を掲げて軍備を整え戦える国をめざすべきだと主張する政権がこの国の政治を担っており、戦争を紛争解決の手段として用いないという戦争放棄の考えが薄らいできているように見受けられるからだ。このような子どもじみた論理に支配されがちなところをみると、戦前・戦中の反省をもとに平和憲法を制定し、その時々の政権の暴走に歯止めをかける機能を持たせた人々の叡智に敬服するばかりである。
 昨日の朝は、6時からNHK-BSプレミアム「クラッシック倶楽部」で佐藤眞作曲のカンタータ「土の歌」が放送された。
科学を過信せず、人知の及ばないこともあるという謙虚さを持ち、人間の驕りを捨てて争うことの愚かしさを知るべきだという訴えが綴られた大木?夫の詩の主張を余すことなく表現した名曲だ。
中学生や高校生がよく合唱する「大地讃頌」は、この曲の終楽章(第7楽章)の曲だが、大地のめぐみに感謝し、大地の心を信じ、土と共に生きよと歌うフィナーレにふさわしい曲だ。
震災と津波、そして原発事故、さらに各地にもたらされる“経験したこのないような”自然災害が続く今だからこそ、ましてきな臭い話題に心がおののくような今だからこそ、ますます歌ったり鑑賞したりする意味と価値のある作品だ。
 大地讃頌が私たちに与えてくれる感動と感銘は、このカンタータの全曲を通して聴くことでよりいっそう深いものとなり、いっそう強く心に刻まれるものとなるはずだ。まさにタイムリーな企画の放送であった。
2014年8月15日 金曜日
 オランダの指揮者でリコーダー奏者のフランス・ブリュッヘンさんが13日、79歳で亡くなったという。
 NHKのFMが本放送を開始した当時に、フランス・ブリュッヘンのリコーダー演奏の数々が紹介され、何と素晴らしい響きかと驚きながら楽しみに聴いたものである。ずいぶん昔から活躍されていたので、もうすっかりご高齢かと思っていたので、79歳だったと聞いてまだそんな若さで現役だったのかと驚いている。
古楽器による演奏の数々を紹介し、音楽界に大きな貢献をして下さった方である。ご冥福をお祈りしたい。 
2014年7月6日 日曜日
 これまでMicroSoftが提供していたクラウドサービス「Skydrive」が「Onedrive」として新たに生まれ変わった。これまで容量が十分ではなかったので、テキストの保存程度にしか使っていなかったのだが、ASUSの2in1タブレット(Windows8)にOnedriveのタイルがあるのに気づき、使ってみることにした。驚いたことに、容量が10GBに増えているではないか。
これだけあれば、ファイルサイズを気にせず管理できる。これなら使える、と見直したところである。

 今夕7時頃、三菱のディーラーから電話があった。先月18日に公民館の駐車場にとめておいたところ、ぶつけられてしまった我が愛車の修理がようやく完了し戻ってきたという知らせである。代車でしのいできたが、ようやく愛車に再会できると思うと嬉しくてならない。明日午前中の用事を済ませたら、午後一番に受け取りにいきたいと考えている。
やれやれである。
2014年7月5日 土曜日
 日常使用しているプリンターのうち、一台が致命的な故障をしてしまった。キャノンのip-4600で、もう5年間も酷使してきたプリンターだ。とっくに保障期間も過ぎ、たとえ修理ができたにしてもその費用は決して安くはないと見極めがつく。先にサポートが終了してしまったXPマシーンでも動作し、しかもCDやDVDのラベル印刷が可能なものなど、もう市販されていないだろうと思い、諦めきれなかったものの修理を断念し、不便ではあるがこれからの作業はファイルを移動させながら残ったもう一台のプリンターでするしかないと思い定めた。しかし、その不便さを思うと簡単に断念することもできず、そんな使用に応えられるプリンターはないものかとネットで検索してみた。そうしたところ、思いがけずXPにも対応しているものが結構な数量で市販されていることがわかった。中古ではなく、新たな製品として市販されているものがである。思うに、世間にはネットからの危険性を回避しながらまだまだXPを使い続けている人が多いということのあらわれなのかも知れない。そうしたプリンターの中に、安価でしかも私の要求に見事に応えてくれそうなものが見つかった。
しかもUSB接続だけでなく、Wi-Fiでのプリントアウトも可能で、スマホやタブレットからでもPCからでも無線LANを介さずに印刷できるという便利なもの。もちろんラベルへの印刷も可能だ。どうやら、市販のCDをそのプリンタ内蔵のスキャナで読み取れば、そのラベルを写し取って作成しようとしているCDのラベルにコピーして印刷するということも可能らしい。そのような機能を使うかどうかはともかく、願ったり叶ったりのそのプリンターが、ごく近所の量販店でも割り引かれて売られていることも判明し(ネット販売の最安値より安い)、一時の沈んだ気持ちから救われた感じがしている。
明日にでも入手し、懸案の作業を続行させようと思っているところである。
2014年6月28日 土曜日
 一昨日のニュースで、千葉市議会が小中学校へのエアコン設置を『耐える能力も必要だ』として、否決したということを聞いた。議員諸氏が子どもの頃とは、夏の暑さが格段に違っているということを知っていながら、子どもたちの学習環境を整えることをせずに、根性論で『耐えられるはずだ』とあっさりと切って捨てることに驚く。地球規模の温暖化が進み、猛暑どころか酷暑と言われるほどに暑さが増し、熱中症が危ぶまれる中でのこうした判断はいかがなものかと思わざるを得ない。予算の関係で市内小中学校への一斉設置が困難のであれば、年次計画で順次設置することも考慮に入れて審議することも可能であろうに、
“耐える力”を理由に否決してしまう態度に唖然とするばかりだ。市民の安全な生活を図るのが市議会の務めであるはずなのに、自分たちの論理でしか動けないその構えに残念な思いがする。

 ところで、先日このページに書いた徳一大師を称える歌であるが、正式に『徳一音頭』というタイトルにする旨の連絡があった。併せて作詞・作曲者が誰であるかの連絡も入った。大急ぎでリンク先の試聴ページを書き換え更新した。
ついでながら、研究者である西谷氏の書物の中に「つくばグランドホテル」の正面玄関先に掲げられた『徳一』の額の写真を見つけた。引用して右に掲載する。
 
 2014年6月26日 木曜日
 先日(6/18)のこのページに書いた徳一大師を称える歌の録音を昨日行った。そもそも徳一大師は、最澄・空海と並ぶ名僧で仏教東伝の使命を担い、仏教を東国に伝え、筑波のみならず磐城や会津など、徳一ゆかりの寺は80を越えるという名僧のようだ。
この僧の事蹟を研究しその成果を数冊の書物に著したのは、筑波研究学園理事長や霞ヶ浦高等学校理事長を兼任される西谷隆義氏である。『徳一菩薩とつくば山』という歌の作詞や作曲も西谷氏のものかと思っていたのだが、どうやらそうではないとのこと。西谷氏の研究に感銘を受けた複数のどなたかの作詞や作曲のようだ。感銘を受けたと言えば、筑波山中腹のホテル街で大鳥居に最も近い位置にある「つくばグランドホテル」では、徳一大師の事蹟を展示・公開するためのスペースを設けたという。そればかりか、玄関正面の上部には『徳一』と書かれた大きく立派な額も設置されている。
不勉強にして知らなかったのだが、そのような立派な学僧が筑波山と深くかかわっていたことに少なからず感動を覚えている。
昨日済んだばかりの録音であるが、下記のページに掲載してみた。同じ歌詞で歌われる二曲の中の一曲である。
歌っているのは、西谷氏とも懇意の土浦市内で印刷所を経営する社長さんである。

→→→こちらのページ
2014年6月18日 水曜日
 今月は作曲や編曲の依頼が多く、この半月だけで2曲を作・編曲、さらにある方が作詞・作曲をした2曲についてのオケ伴の編曲をこなした。前者は、市内にお住まいのある画家さんからの依頼であり、後者は平安時代に筑波山を訪れ筑波に知足院中禅寺を建立して信仰の地歩をかためた徳一大師を称える歌を作られたある研究者の依頼によるものである。今日までにすべての作業を終え、前者については録音済みのCDを渡すまでになったし、後者については歌い手の方が我が家を訪れ来週半ばに録音作業をする予定になっている。録音しミキシングとマスタリングをしてCDを作成すれば、すべての作業を終えることができるところまでこぎつけた。これでやっと一息つくことができると安心したのだが・・・。

 今日のこと、私が指揮をする牛久市内の合唱団の練習があり、練習会場になっている公民館(今は生涯学習センターと呼ばれている)の駐車場に車をとめて練習を開始して30分も経たないうちに館長さんに呼び出された。あろうことか、私の車が隣に止めようとした車にぶつけられたという。しかも、なぜそんな方向に?と思えるほどの無理な角度にその車が突っ込んでいて、そのために私の車の右後ろに衝突しているではないか。相手のご婦人は“何が起きたのかわからない”と言う。おそらくアクセルとブレーキを踏み間違え、慌ててハンドルを切って私の車の後方をめがけて突進してしまったのだろう。私の車はと言えば、購入したばかりの新車でまだ一週間も乗っていない車だ。ショックではあるが、ぶつけてしまった相手の方はもっとショックだったはずだ。館長さんがすぐに警察を手配してくれ、現場検証をし、直後に相手の方の連絡で保険会社の状況確認までスムーズに済んだし、損傷を受けたとは言え走行に影響がなかったので走って帰宅することはできたのだが、買ったばかりの車を修理に出すことを考えると気が滅入る。
当てられてしまったのだから、ここは宝くじでも買ってみようか。ひょっとすると、宝くじも“当たる”かも知れない。悪く考えずに良い方向に受け止めて気持ちを明るく持ちたいと思っているところである。
2014年6月5日 木曜日
 KING JIMの製品にマウス型スキャナという製品がある。右の写真のように、形状も使用方法も通常のマウスそのものだ。しかし、名称に「スキャナ」とあるように、手軽に雑誌や新聞などの誌面をグルグルとなぞって記事をスキャンできるというものだ。しかも、スキャンしたその記事を画像として保存するだけでなく、自動的にOCRで認識し、テキストとして保存することができる。また、読み取ったデータをEvernoteに保存することもボタン一発で簡単にできるので、すこぶる便利。さらに驚くのは、こんなに簡単なのにOCRの認識精度が高いことだ。OCRを操作しているという意識すら感じさせないのだ。
 Evernoteに保存しておけば、他のPCやタブレットでも閲覧することができる。簡単な操作で、文字認識からさまざまなアプリケーションでの活用まですることのできるスグレもの。
以前から気になっていたアイテムだったが、ようやく手に入れることができた。
しかも予想以上の使い勝手のよさに大満足である。
 
2014年5月30日 金曜日
 5月も末を迎えて、付近の田んぼではもうすっかり田植えが済み、早苗が風にそよぐ季節になってしまった。ツバメが子育ての真っ最中で、ひばりも空高くさえずっている。そう言えば、ひばりは晴れ渡った五月晴れの空の高みでさえずるものという印象があったのだが、どうやら雨の日でも、あるいは今にも降り出しそうな曇りの日でも声が聞こえたことから、そんなお天気の中でも空高くさえずるものだということを改めて知らされた。ちょっと新鮮な驚きであった。

 ところで、私が子どもの頃からなじんでいた“アムール川の波”(ロシア民謡)を一人クァルテットをして遊んでみた。もともと低い音域が出ないのでどうかと思ったのだが、“遊びだから”と割り切って試してみることにした。
録音した結果さんざんなものでした。→こちらでどうぞ。
 天気予報通り、今日は午後から強い雷雨が見舞った。数年前から、5月には地表面の高い気温と上空の寒気の温度差から積乱雲が発達し、このような急激な天候の変化に見舞われるようになった。これからは、こうした変化が定常化したり、もっと激しいものに変わっていったりするのだろうか。将来に生きる子どもたちのことを考えると心配でならない。

 ところで、NHKの朝ドラ「花子とアン」がおもしろい。「あまちゃん」も大阪発の「ごちそうさん」も面白かったが、この春からのハナの懸命な奮闘ぶりに惹きつけられ、ドラマの好調ぶりが窺える。このドラマが始まって以来、気になって仕方がなかったのは、タイトルバックで歌われる主題歌だ。実を言うと、何と歌っているのかわからない歌詞の部分がいくつかあって、それが私をしてモヤモヤとした気分にさせていたのだ。何度聴いても“こうだ”と納得できる歌詞が思い浮かばない。
そこで思い切ってNHKのホームページで調べて見たが、曲や歌手の紹介はあっても、その歌詞を見つけることができなかった。ひょっとしてと思い、Youtubeで調べると、何件かヒットした。しかも歌詞を表示しながら歌を聴けるサイトを見つけることができた。どうしてもそうとしか聞こえない歌詞が、まったく違うものであることが判明した。

 例えば『虹色の雨 降り注げば そら若かったろう』という意味不明の文脈が、実は『虹色の雨 降り注げば 空は高鳴る』だということや、『眩しい絵が 思惑に』という不思議な歌詞が『眩しい笑顔の奥に』だということ、また『こんなにも 人惜しい』という理解不能な歌詞が『こんなにも愛おしい』だということ、そしてまた『風が運ぶ ひとおのため』という、これは日本語かといぶかしくなるような歌詞が『風が運ぶ 希望の種』というまっとうな日本語だったこと、さらに『狩りが夢の蕾みになる』という“気は確かか”と思えるような歌詞が『光が夢の蕾みになる』というまともな詩であることなどがわかってホッとした。
 単に発音が悪いということからではなく、日本語としての音節や文脈を無視するかのような無理な曲作りが、いっそう歌詞をわかりにくくしているとしか思えない。そればかりか、『寄り添って 今があって』と促音便で書かれた歌詞がツマらずに『よりそおて 今がああて』と日本語として聞こえにくい箇所もある。

 朝ドラの主題歌として採用されるからには、良いという評価を得た曲なのだろうし、視聴者からの評判も良いと聞く。
しかし、と音楽をなりわいとしている者としては疑問を感じるのだ、『それで良いのか?』と。
 いつの頃からか、故意に日本語らしくなく聞こえる、あるいははっきりとした日本語に聞こえることを避けるような曲作りや歌い方が定着してしまった。見た目の「目新しさ」を追い求めるあまり、歌詞としての日本語を大切にする曲作りがおろそかになってしまったようで残念である。曲は中身が大切なのであって、わざと奇をてらって見た目の新奇さに意を用いるべきではないと思うのは、私が古い人間になってしまったということなのだろうか。
(文字色の異なるリンクテキストをクリックすると、聞き取れる歌詞と実際の歌詞を比較してお聴きいただけます)
2014年5月3日 土曜日
 今日は、朝から初夏らしい日差しの気持ちの良い一日だった。
 憲法記念日で連休の後半初日ということもあって、あちこちの行楽地、そしてその行楽地に向かう高速道路は大変な混雑ぶりだと朝のニュースで報じられていた。気のせいか、いつもは聞こえている近所の子どもの声が聞こえず、静かである。おそらく、どこの家族も家族揃ってどこかへ出かけているのだろう。
 当方は、そんな世間の賑わいとは関わりなく、家でのんびり。暖かい日差しに誘われて散歩に出たところ、すっかり綿毛になったタンポポの群れを見つけた。撮ってきた写真を素材に川柳をつくってみた。右の写真をクリックするとご覧いただけます。
 
2014年4月16日 水曜日
 今日は、私が指揮を担当する茨城県牛久市内で活動する“牛久フロイデ混声合唱団”が同じ県内にある野口雨情資料館、野口雨情記念館、そして吉田正記念館を見学視察するバスツアーに同行させていただいた。暖かく穏やかな日差しの中、北茨城から日立へと音楽仲間にふさわしい研修視察をすることができた。合唱団らしく往復のバスは文字通り「合唱バス」で愉しくも快適な小旅行をさせていただいた。合唱団の皆さんに感謝するばかりである。

 先ほどベランダに出てみると、月が赤く朧に霞んでいる。普段見られないような月の姿だったので、思わずシャッターを切ってしまった。写真に撮ってみるとさほどに赤くは見えないが、実際にはもう少し赤く見え、何やら不気味な感じさえする美しさである。春宵一刻値千金さながらのなまめかしい美しさでみとれてしまった。
 
2014年3月24日 月曜日
 ZOOMのハンディ・レコーダーH2nを購入した。MSステレオマイクとXYステレオマイクを内蔵し、組み合わせを変えることでさまざまなシチュエーションで空間の広がりを生かした録音ができるという。しかもUSBステレオマイクとしても使えるのだ。さらには、AutoGainやコンプ/リミッターの機能も内蔵しており、何よりもスタンバイなしで録音ボタンを押すだけでレコーディングを開始することができる。そして何よりも音が良い。これは練習やライブ録音、DAWの録音で大いに活躍してくれることが期待できる。底面についているスタンドホールが、カメラスタンドと同じ規格なのでそれを流用すれば録音時にもしっかり機器をホールドして支障なく録音できるはずだ。以前に使っていた同じZOOMのH2は長女に譲ってしまったが、そちらはそちらで大活躍してくれているはずだ。

 ところで、急に暖かくなりご近所では辛夷の花が満開である。いよいよ春本番。今週はこの近辺でも最高気温が17度~18度になると予想されている。4月の声を聞く前に桜が咲いてしまうことも考えられる。我が家の孫が、この4月に「ピカピカの一年生」になるが、できることならその入学式に桜が咲いてくれていると嬉しいのだが、どうであろう。
       
2014年3月18日 火曜日
 ロシアがクリミアを自国に編入する調印をしたという。ウクライナ領であるクリミア自治共和国内に、ロシア人が多く住んでいることを理由に「自国民を保護する」という名目を掲げ、ロシア軍を派遣し、さらにその力を背景にクリミアを独立させ、ロシアに編入するという国際法を無視したやり方は、余りにも乱暴するぎる。アメリカやEU諸国が制裁を発動するとしているが、このような「力を背景にした動き」は、自国の国益だけを追求する浅ましいものでしかあるまい。世界規模でそのような「浅ましくも愚かな動き」が起きているが、アジアでも例外ではないし、日本国内でも同様に起きていてナショナリストが発言力を増しているようで、何とも恐ろしく落ち着かない気分にさせられる。人間が利に走り、気高さとか崇高さを求めることを忘れてしまい、浅ましくも愚かな方向に向けて突き進もうとしているかのように思われるからである。先ほどそんな疎ましい気分でベランダに出てみたところ、春一番が吹き荒れてすっかり澄んだ夜空に美しい月が煌々と輝いていた。文字通り「気高さ」を感じさせ、いっとき嫌な気分を忘れさせてくれた。右の写真は、その折に撮影したものである。  
2014年3月11日 火曜日
 あの大震災から3年目を迎えた。各地で鎮魂と慰霊、そして復興への祈りをこめた集会が催された。
 あの時間は仕事でパソコンに向かっていた。突然に経験したことのないようなドッシンドッシンという揺れが起き、パソコンデスクの上のスキャナが床に落ちたかと思うと、同じ部屋の棚の上に重ねてあるフォルダー類がバタバタと落ちたり、本棚の書物が飛び出すなど、無残な状態になってしまった。直後に起こった停電のために、テレビはおろかラジオも聴けず、何が起きてどこがどんな状況になっているのか知る術もない「情報難民」状態になってしまった。ベランダに出てみると、あちこちの家の屋根瓦がはがれたり、持ち上がって波打ったようになっており、地震の大きさを知らされたものであった。しかも次から次へと起きる余震に『もうやめてくれ』と言いたくなるような怖ろしさで、いま思い出してもぞっとする揺れであった。
 大津波が関東から東北の海岸を襲ったことを知ったのは、翌日配達された新聞によってだった。そこに掲載された写真を見たとたん、なぜか涙が流れてきて止まらなかった。さらに福島原発が地震と津波によって事故を起こしたことを知り、もう日常生活を取り戻すことはできないだろうと悲観したものであった。
 あの日に起きたこと、そしてあの日以来一変してしまった生活のことや未だに困難な生活を余儀なくされておいでの多くの方のこと、犠牲になられた方々のことを思うと、“忘れない”ことの大切さを痛感する。私は、あの日から2ヶ月分ほどの新聞を大切に保管している。忘れてはいけないし、忘れられないからである。今でも、外から地鳴りのような音が聞こえてくると、ぞっとするのは、身体と感覚があの日のことを忘れていないからだと思われる。
 復興が遅々として進まない東北各県の被災地の状況が続いているが、国と国民がこぞって復興の努力を、と改めて思いを強くした今日であった。
2014年3月10日 月曜日
 今日は、3月10日。家人に言われて気がついた。今日は私の記念日であった。私が胃ガンの摘出手術を受けた日だったのだ。手術を受けたのは平成6年だから、今日で丁度20年目ということになる。ガンの宣告を受けて手術、退院、自宅療養と懸命の日を過ごしていた頃は、まさか20年も生きられるとは思いもしなかった。その後、3月10日を迎える度に、一年生きられたと家人と記念していたのだが、ありがたいことにここ数年は、うっかりするとそれすら忘れるほどに平常に生活できるようになった。記念すべき20年目を迎えて、改めて「生きている」ことに感謝する気持ちを強くした。

 相変わらず風は冷たいが、春は着実にやってきているようで、ご近所の梅はどこも満開状態だ。晴れた空の下で薫り高く咲いているのを見上げて、ついついシャッターを切ってしまった。きけば来週からは、ぐんと気温が高くなっていっそう春らしい日がやってきそうだという。来週は筑波山の梅林でも眺め、春の訪れを味わってこようか。
2014年3月6日 木曜日
 千葉県柏市の住宅地で、短時間の内に4人もの人が強盗に襲われるという事件が起きた。今朝その犯人が逮捕されたが、金銭を強奪するために起こした事件だと伝えられている。被害者のうち亡くなられたお一人は、犯人と同じアパートに住む方だったようだが、強奪されたのは1万数千円だったという。ほんの1万数千円のために人をあやめるという身勝手きわまりない犯行に怒りを覚えるが、昨年8月に三重県の女子中学生が殺害された際も、盗まれたのはたかだか6千円。人の命が身勝手な犯人のために、そんな比べものにならないほどの額のカネほしさに奪われてしまうとは何ということかと思わざるを得ない。人の命を軽んじることに何の躊躇もなくなったということなのだろうか。突然に、しかも何の罪もないのに将来を断たれてしまった方の気持ちを察するといたたまれない気持ちに襲われる。

 ウクライナの政変に際して、ロシア人が多く住むクリミア半島がロシア軍に制圧された。EU諸国やアメリカをはじめとする国連は、国際法に反したこうした動きを非難しているが、この先どのようになるのだろうか。そして日本政府はどのような対応をとるのだろうか。集団的自衛権の発動などということの口実にならなければ良いがと懸念される。
2014年2月12日 水曜日
 先週の金曜日のこと。Windows8を搭載したノートで作業をしようとしたところ、起動するのにいやに時間がかかる。ディスククリーニングをしたり、デフラグをかけたりしても状況は変わらない。むしろ悪くなる一方だ。しまいには、パソコンの電源オフもできなくなってしまった。残る手段はシステムの復元しかないと思い、強制終了して再起動し、復元作業をしてみた。
それでも状況は良くならないので、思い切って初期化することにした。ところがCドライブのみの初期化であるにもかかわらず、半日以上初期化にかかってしまった。実を言えば、初期化は避けたかったのだ。インストールされているアプリケーションの中には、アクティベートを要するものがあり、再インストールした際にアクティベートがスムーズにいくかどうか危ぶまれるものがあるからだ。しかしそうは言っておれない状態なので、やむなく初期化することにしたのだ。幸いデータはDドライブにすべて格納してあるので、システムさえ動けば生き返るはずだ。半日以上かかって初期化とシステムの再インストールができたものの、アプリケーションも再インストールしてどうにか元の状態に戻すのに二日以上かかってしまった。
何と言っても、その間大雪に見舞われ、雪かきなどの作業も入ってしまったため、パソコンの復活にばかり時間をかけていられなかったからだ。そんなわけで週末は散々なもので、「トホホ」な数日であった。
きけば今週の週末も雪か雨で大荒れの天候が予想されるという。願わくば、先週のようなトラブルに見舞われない週末にならないようにと祈るばかりである。
2014年2月6日 木曜日
 ばかな話だと思うが、『現代のベートーベン』と多くの人が賞賛した人物の作品が、実はゴースト・ライターが作曲したものだとわかったという報道がなされた。どこのテレビ局でもこのニュースを大々的に扱っていた。が、そもそもこの人の作品がマスコミで大々的に紹介された当時から『うさんくさい』『事実なのか』と疑わないまでも、キワモノのような話であることから深い関心を寄せなかった人は多いのではないか。
 ばかな話だという感想を持つのは、私自身がこの『聴覚の不自由な作曲者』に興味がなかったからでもあるが、あの当時センセーショナルに『現代のベートーベン』と名付けてもてはやしておきながら、手のひらを返すように集中攻撃するメディアの姿勢にうんざりするからだ。それにしても、曲のアイディアだけを指示して実際の作曲の作業を他人に任せ、それを自分の作品であるとして発表するとは、音楽を愚弄しているとしか思えない行為ではないか。
 旋律を作っただけで作曲者だとする風潮ですら如何かと思っているのに、それすらせずにアイディアやイメージだけを提示し、それで作曲者と言い張るのは無理があり過ぎる。音にならない印象や思いが聴き手に伝わるように、どう旋律を紡ぎ、どう音を重ね、自分の構想したデザイン通りに音楽として表現できるようにスコアに描いていく作業が作曲だ。
そのために作曲家は天賦の才能と作曲法や和声学などの勉学に加え、長い期間の研究と修練を積み重ねているのだ。
音にならないものを音にすることのできる設計図としてのスコアを作ってはじめて作曲と言えるはずだ。が、どうやらこの『現代のベートーベン』は、その作曲という作業のどこにも携わった様子がないというではないか。こんな感じで、とかこんな曲のつくりで、と指示することが作曲だというのであれば、キャンバスに向かうことなく、そして絵筆も絵の具も使わずに『こんな絵が描けたらいいな』と夢想するだけで絵描きになれるということになるのではないか。
 実際はどうであれ、あまりのばかばかしさに呆れるばかりの図々しさであるが、気の毒なのはこの人の耳の不自由さを克服して見事な作品を生み出す作曲家物語に感銘を受け、礼賛したり称揚したりした人々、そしてCDを買い求めた人々である。その作曲家物語とは無縁に、純粋に作品のすばらしさを認め鑑賞した人々もおいでになるだろうが、その人たちは残念がる必要はないはずだ。その曲の持つよさを自らの感性で見つけ享受できたのだから・・・。
だがどこからどう見ても、作曲をしていないものを自らの作品だとして公表し、大々的に取り上げられても平然としていられる神経は凡人である私などには計り知れないものがあり、不可解きわまりないものである。
2014年2月3日 月曜日
 今日は節分。明日からは暦の上ではもう春。風が冷たく、寒さが厳しいとは言え、日差しや空の様子からは、確かに春の気配が感じられるようになった。なにやら今年の冬は短かったように思われてならないのだが、それは気のせいだろうか。

 ところでここ数日、空いた時間はずっとパソコンに向かいきりだった。XPパソコンのサポートが4月に打ち切られるが、徐々にその期限が迫ってきていることから、重い腰を上げてXPで管理してきたホームページのデータをWindows7や8のマシーンに移し、そこでの管理をしなければ、と思いその作業にかかっていたからだ。とは言え、簡単な作業ではない。
複雑に入り組んでしまったリンクのチェックをしながらその動作を確認し、ファイルを探し出して確実に動くようにしなければならないからだ。
少し疲れた頭を休めようと散歩に出たところ、ご近所の庭に蝋梅が見事に咲いているのを見つけた。厚手のツヤツヤした可愛い花びらが匂うがごとくで通り過ぎるのがもったいなく、写真を撮ったのだが携帯電話のカメラしかなかったので、こんな写真になってしまった。
この花が終わる頃までには、作業を完遂しなければならないが、先が見通せているので、何とかなるだろう。蝋梅に励まされたようで気分もリフレッシュ。がんばりましょう。
 
2014年1月17日 金曜日
 昨日のニュースで、静岡県浜松市内の小学校でノロウィルスが原因と見られる食中毒が起き、学校閉鎖や学級閉鎖の措置がとられたと報じられた。今日の報道によると、原因は給食にあると見られるが、給食センター方式ではなく自校給食であることから、どの学校でも共通して配られる牛乳かパンが原因なのではないかと言われていた。そしてさらに夜のニュースでは、パンが原因であることが判明し、該当のパン工場を営業停止にしたと報じられた。児童と教職員併せて千人を超える食中毒である。食品を取り扱う業者は、よほど管理に努めなければならないはずだが、このところ食の安全が脅かされる事件や事故が相次いでいることから、いっそうの努力が求められるであろう。

 ところで今日は、阪神・淡路大震災からちょうど19年目の日だ。あれから19年も経ってしまったのかという感慨に襲われるが、多くの犠牲者・被災者の方にとっては『風化させない』という思い、復興・復旧に取り組んで『ここまできたか』という思いで迎えた今日の「鎮魂の日」であったことだろう。あれ以来、日本各地で天災が次々と起こり、町に人に大きな傷みをもたらしている。日本が災害列島になってしまったかのようであるが、古来日本人はそうした天災を乗り越えて、自然と折り合いをつけて賢く逞しく生きる精神風土をコアに培ってきたとも言われている。東日本大震災の傷跡も未だ癒えていない日本であるが、何を措いても一日も早い復興をめざして全国民が『我がこと』であることを忘れずに取り組んでいかなければ悔いを残すことになるであろう。

 さらに今日のニュースでルパング島で戦後30年を生き抜いた小野田寛雄さんが亡くなられたと報じられた。上官から職務停止の命令がなければ戦線から離れることはできない、とジャングルの中で活動をし続けた心情を思うと、戦中の教育のおそろしさがいっそう募る。強い精神力がなければ30年もの長期にわたって孤独な戦いなどできないはずで、見事で立派なことだと思う一方で、その30年間を犠牲にさせてしまった「お国のために奉公せよ」という国家の絶対命令があればこそ、という事実が背筋の凍るような思いを抱かせる。二度とそんな国にしてはいけないという思いを小野田さん逝去の報に接して強くした。
2014年1月10日 金曜日
 新年を迎えて10日。上空に大きな寒気団が居座って、アメリカは大変なことになっているという。日本も各地で最低気温が氷点下といった具合で、明日からの三連休も寒さに用心しなければならないと報じられていた。本格的な寒さの季節がやってきたが、気がつけば日足がずいぶん伸びている。所用があって夕方外出したところ、空が薄明るい。何気なく時計を見たところ、もう5時近い。ほんの何日か前には、4時半を過ぎると薄暗くなり、5時には完全に暗くなっていたのだが、もうそんなに日が伸びたのかと、冷たい風に吹かれながらも季節のうつろいの確かさに驚いてしまった。冷たさの中に春が確かな足取りで近づいてきているのだ。

 先日、近所の書店で藤沢周平の「未刊行初期短編集」と題した文庫本を見つけ、購入してきた。まだ作家としてデビューする前に書かれた短編集である。習作時代のものもあり、おもしろいことにそれらはなぜか吉川英治の文体そっくりだ。思うに、習作時代にはさまざまな作家の語り口を参考にしていたのかも知れないが、内容はその後の藤沢作品を彷彿とさせるものばかり。やはり藤沢作品に描かれる「弱い存在」「悩みを持ち罪深さにおののきつつ生きる人間」には共感を覚えてしまう。読ませる作者だ。

 ダライラマと池上彰の共著『これからの日本、経済より大切なこと』読了。持つことに疑問を呈し、人間として生きる上での豊かさこそ大切にしたいと常々考えている私にとって、我が意を得たりと思える推奨本である。昨年夏の異常な暑さも、各地で起きた異常気象も、すべては人間の経済活動がもたらしたものだと言える。限りある資源を『いまが良ければ良い』とばかりに消費し尽くし、将来のことを視野に入れずに枯渇させんばかりのふるまいも地球にとって、あるいは地球に生きるすべてのものにとって大きなダメージとなるはずだ。いわば人間のわがままな活動がかけがえのない宇宙船地球号を弱らせているにもかかわらず、経済活動の拡大を求めていっそう活発化させようとしている。それで良いはずがない、と思いながらずるずると過剰に便利な生活を追い求めている人には、是非読んで欲しい本である。
2013年12月26日 木曜日
 寒い一日だった。この書斎では石油ストーブを焚いているにもかかわらず、身体の芯に寒さがしみるような底冷えのする一日であった。そして、その寒さ以上に心を冷えさせる出来事が、安倍首相の靖国参拝。連立を組む公明党からも慎重にとの声があったにもかかわらず、それを押し切っての靖国参拝である。
中韓台といった近隣諸国からは当然のことだが、アメリカからも批難する声明が出されるなど突然の参拝で、何を考えているのかと思わざるを得ない行動である。外交上難しい問題を抱えているこの時期だ。いっそう関係をこじらせるような行為は
アメリカに指摘されるまでもなく慎まなければならないはずだ。近隣諸国を挑発しているのだろうか。自身の思いを遂げるのは勝手だが、そのために国民まで道連れにされては誠に迷惑千万。
この安直で身勝手、かつ右傾化を急ぐ首相の暴走を止める手立てはないのだろうか。
2013年12月17日 火曜日
 驚いた。何に驚いたかと言えば、今日の朝刊一面下に掲載されていた雑誌の広告についてである。
雑誌のタイトルは「別冊正論」。いかにも産経の出版する雑誌と思えるそのサブタイトルに驚いたのだ。そこには『亡国の巨大メディアを撃つ』として『NHKよ、そんなに日本が憎いのか』とあるのだ。NHKはニュースにしても解説にしても、その報道姿勢はきわめてニュートラルだという印象を持っており、特にNHK総合テレビの「時論公論」ではその時々のニュースに関してまともな観点から、時に政権にとって耳の痛い批判もすることがある。それは私にとってごくまともな論評だと思えるのだが、そうした批判的な姿勢がよほど耐え難いものとして産経には映っているのだろう。政権の暴走に歯止めをかけるのは、ジャーナリストの務めであるはずなのだが、政権におもねってその批判的な報道について攻撃するばかりか、それを正論だとして公にする姿勢に驚くだけでなく怖ろしさを感じる。こうした人たちが日本をますます窮地に追い込んでいくのだ。
 現在起きている中国との摩擦もタカ派の石原元東京都知事が『都が尖閣列島を買い取る』などという乱暴な提案を強行しようとしたことを発端としているが、こうした右よりの人たちの意見が日本を席巻してしまうようなことになれば、日本は再び世界から孤立し怖れられる国になってしまうだろう。困ったことだと思わざるを得ない。
2013年12月12日 木曜日
 私は新聞記事やメモなどのテキストをEverNoteとDropboxの二つのクラウドストレージに保存している。ここに保存していれば、OSにかかわりなくいつでもそれらを呼び出して参照することができるからだ。EverNoteには「検索」のメニューが表示されているので、その機能を活用することができていたのだが、必要が生じてDropboxでファイルを検索しなければならなくなった。しかし、画面表示のどこを見ても検索にかかわる表示がない。保存するだけで検索ができないのでは使用する価値がない、とあきらめつつも『検索ができないはずはない』とその方法を探っていた。
そして、ついに見つけたのだ。(というほど大げさなことではないのだが)。考えてみればDropboxはクラウドに保管すると同時に使用しているPCのドキュメントフォルダ内に同期フォルダが作成されているのだ。そのフォルダにアクセスして文字列検索をすれば、そのフォルダ内から検索をかけた文字列が文書内に含まれるすべての文書を検索することができるのだ。
そんな簡単なことになぜ今まで気づかなかったのかというお話である。

 ところで、WindowsVista以降のWindowsマシーンにはアクセサリーに「snipping tool」という便利なソフトが付属している。 いわゆる画面キャプチャーツールである。
XPマシーンで、ソフトの使用マニュアルや画像入りの文章を作成する際には、目的の画面を表示してPrintScreenで画面のハードコピーを取り、さらにPaintなどを立ち上げて必要な部分を切り取って文書内に貼り付け、そこに任意の矢印や説明書きを書き込み、文書を作成する必要があった。が、このsnipping toolはツール内で一連の操作が行え、しかもメールで送信することまでできてしまうのだ。しかもキャプチャする範囲を任意の曲線でも指定することができるので、人物だけを囲むように切り取ることも可能なのだ。私はVistaは使っていないが、Windows7と8マシーンを使っているので、これを知ってから便利に活用させてもらっている。だが実は任意の曲線で囲ってキャプチャできるというこは、今日初めて知ったのだ。いろいろ試しているうちに偶然に見つけたのだが、大発見でもしたかのように嬉しくてここに書いている次第。
今日は自分にとって有用な発見を二つもできた嬉しい日になった。めでたし、めでたしである。
2013年12月6日 金曜日
 先日のこと、ある集まりでギターを弾こうと思い立った。40名の集まりなので、PAを使用しなければならない。ガットギターの響板にクリップで留めて使うタイプのギター用マイク(すこぶる安価なものである)を持っていたので、PAのミキサーにつないで演奏することにした。通常のボーカルマイクではギターの音を拾って拡声するには不向きだと思ったのだ。よほどギターをマイクに近づけない限りボーカルマイクではかそけきギターの音を拾うことが難しいからだ。ところが、ヘッドフォンでモニターする限りはギターらしい音が出ているはずなのに、スピーカーから流れる音はどう見ても出来の悪いエレキギターのような音でしか聞こえてこない。ぶっつけ本番なので、いたしかたなくその場はそれで演奏するしかなかったが、どうにも納得がいかない。いくら安価なものだとはいえ、ギター用のマイクとして売られている以上、もう少し何とかなってよいはずだ。
 帰宅してから、あれこれ試してみることにした。何時間も格闘しても思うような結果が得られず、あきらめかけたのだが、もしかしてと思いミキサーのインプットセレクターを「マイク」から「LINE」に変えてみた。すると、そこそこギターらしい音で鳴ってくれるではないか。ギター用のマイクだからと安直にマイク入力に設定していたのが間違いだったようだ。
 とは言え、それでもやはりギターとして納得のいく音ではない。なにやらウクレレのような音にしか聞こえないからだ。しかし、そのマイクの価格からすれば上出来の部類なのかも知れないとも思っている。
ほどほどの納得でおさめることにしてそれを録音してみた。伴奏はDAWで作成したWAVデータである。
こちらでそれを聴いていただけます。→こちら
2013年11月30日 土曜日
 107歳の現役教育学者として著名な昇地三郎氏(福岡教育大名誉教授)が亡くなられた。
 幼児教育、知的障害児教育の研究で多大な成果を挙げられた先生であるが、私たちの世代にとっては「しいのみ学園」を創設された先生として深く記憶に刻み込まれている先生だ。
しいのみ学園は映画にもなり、その映画で歌われた“ぼくらはしいのみ まあるいしいのみ~”という主題歌が好きで歌ったことをよく覚えている。私たちの世代の人間は、今でもこの歌をそらで歌えるほど覚えているのではないだろうか。
 ひょっとして、と思いネットで検索したら懐かしいその歌がYouTubeに掲載されていた。
 60年ぶりに懐かしいその歌を聴いて感慨深く、思わず涙が出てしまった。その劇中歌はこちらで→こちら
2013年11月21日 木曜日
 朝日新聞によると、TPP交渉で、米国が日本にすべての輸入品の関税をなくすよう求めていることが分かった、という。
日本が例外扱いを求めているコメなどの農産品「重要5項目」も、関税を撤廃するよう要求しているのだという。
そのようにアメリカが想定外の強硬姿勢に転じたことに日本政府は反発を強めている、と言うことだが、決して“想定外”のことではなかったはずだ。
何と言ってもTPPはアメリカがドルを有利に流通させるために考え出したアメリカのための仕組みなのだ。かと言ってそれを声高に主張するにははばかりがあるため、環太平洋経済連携協定あるいは環太平洋パートナーシップという名分を掲げてはいるが、いずれアメリカの論理で舵取りがなされることは素人目にもわかっていたはずだ。
それに乗っかってしまえば、日本の思惑や都合など配慮の対象外でしかなく、いずれ日本の産業が危機に陥るおそれは十分に認識できていたはずだ。そのようなリスクを覚悟してまで参加するメリットがあるとはとうてい思えない。
国と国民を危うくすることが見えている枠組みへの交渉に入ってしまったとは言え、参加を決めたわけではない。
一刻も早く不参加を表明し日本の産業を危うくする事態から脱出しなければなるまい。
2013年10月23日 水曜日
 驚いた。何に驚いたかと言えば、文房具屋さんが「情報カード」の存在を知らないということにである。昔は京大型の情報カードを使っていたが、手頃なサイズのA6版横罫のものを愛用している。その残数が少なくなってきたので補充しようと思い、文房具屋に出かけた。以前から町中の文房具屋にも数種類の情報カードが当たり前のように売られていたので、ほんの気軽な気分ですぐに手に入るものと思っていたのだ。しかし、その店のどこを探しても情報カードが見あたらない。仕方なくレジに行って店員さんに『情報カードはどこにありますか?』と尋ねたのだが、あろうことかその店員さんは不審そうな顔をして『情報カードとはどのようなものか?』と逆に私に尋ねるのだ。文房具屋が情報カードを知らない、ということに呆れたり驚いたりして早々にその店を立ち去るしかなかった。何と言うことだろう。そのお店は断じて食料品店でも用品店でもない。れっきとした“文房具屋”なのだ。その文房具屋が書斎に不可欠な文房具である情報カードを知らない、ということに愕然としてしまった。情報カードそのものは、ネットでAmazonででも入手かのうではあるが、文房具屋が文房具の常識を知らなくなってしまったということへの驚きが多き過ぎて、何たることかと嘆いている次第である。
2013年10月7日 月曜日
 今日のYomiuri onkineによると、桜田義孝文部科学副大臣が5日の千葉県野田市での会合で、東京電力福島第一原子力発電所事故によって発生した放射性物質を含む焼却灰の処分について、「人の住めなくなった福島に置けばいい」という内容の発言をしていたことが分かった、と報じられていた。
 桜田氏は読売新聞の取材に対し、「参加者への質問として聞いた」と述べ、「『福島』とは東京電力(福島第一原発)の敷地内のことだ」と説明した、と言われているが、住む家や土地を失い、なりわいを取り上げられ、未だに将来の見通しが立たない過酷な生活を強いられている被災された方々は、どのような思いでこの発言を受け止めるだろうか。惨めな心地で救いを待つ人々の心情に冷水をあびせ、いっそう惨めな思いに駆り立てるかのようなこの発言は、どうしたものだろう。
言うに事欠いて、「人の住めなくなった福島」と、まるで県民の(たとえかすかなそれでも)望みを持とうとがんばる気持ちを切り捨て萎えさせるようなこの発言を、他でもない教育という人間の重要な営みにかかわる文部科学省の重責にある人物が吐いたということの重さは、(それだから余計に)看過することができまい。
市民を守ることを第一義に、市民のために何を措いても務めを果たすという覚悟や構えを持つことが公僕としての政治家の資質でなければならないはずだ。それすら忘れているようでは、もはや政治家とは呼べまい。まして副大臣などという要職を務める人物ではない、と断ぜざるを得ない。「被災」とりわけ「原発事故による被災」の意味について、もっと深くつきつめて考え、よりよく理解・認識した方が良い。そうすれば、このような発言をどのような場であれ、軽々に口にすることなどできないはずだ。残念至極な人物だとしか言いようがない。
2013年10月6日 日曜日
 常々ホームページを作成するのに“ホームページ・ビルダー”というソフトをメインに使っている。
だがこのソフトでは、フォントサイズを相対的な大きさでしか指定することができない。もう少し詳細に「point数」で文字単位に設定するために使用しているのが、“HomePge Creater”というソフトだ。このソフトではフォントサイズだけでなく、FlashやQuickTime、ActiveXコントロールなどを任意のサイズで指定し挿入することができるので、両ソフト間を往復しながらファイルを作成しているのだ。
 しかしある時から、作成したwebページをHomePage Createrで読み込むと、文字化けするようになった。
ひょっとしたら、このHomePage Createrが何か不具合を起こしているのかも知れないと思い、再インストールしてみても状況は変わらない。再起動してみても同じ状況だ。振り返ってみれば、“ホームページ・ビルダー17”にバージョンアップしてからこの不具合が起きたのかも知れないと思い、“ホームページ・ビルダー”の「文字エンコード」の設定を確かめ、変更してみることにした。何のことはない、出力漢字コードの指定が“無変換”になっているではないか。インストールした際に、この設定をいじった覚えがないので、初期設定でこうなっていたようだ。『何ということか』と思い、これを“S JIS”に変更てし、改めて作成したファイルを上書き保存し、HomePage Createrで読み込んでみる。当然のことだが、文字化けせずに正しく表示された状態で読み込むことができた。何だか、この週末はホームページ作成にかかわる不具合とばかり格闘していたような気がする。

 ところで、J-COMの「お得プラン」の工事(と言ってもモデムを変更するだけだったが)が無事に終了。これでネットへのアクセスがより速くなる。何と言っても「下り160MB」なのだ。アップロードもダウンロードもさくさくと実行できるはずだ。
2013年10月5日 土曜日
 今日は、土浦の花火大会だがあいにくの小雨。NHK茨城でもJ-Com茨城でも中継をしているが、肝心の花火は薄雲の中で、はっきりと見えない。最初の数発を見ただけで、その中継をみることをあきらめた。せっかく技の限りを尽くして制作した花火師さんは、もっと良いお天気の中で披露したかったことだろう。また、今日の花火を楽しみに会場に詰めかけた人々も残念な思いをしたことだろう。

 ところで、自分でつくったホームページには新しいウインドーで小窓が開くよう設計したページがたくさんある。
ところが、そのページをWindows8に付属のIE10で見ると、小窓が開かず大きな窓で開いてしまう。HTMLを書く際に、窓の大きさを指定しているはずなのにどうしたことか、と疑問に思いつつ、それはIE10の仕様で、IE10で小窓を開かせるためには、これまでとは違ったHTMLのコマンドが必要なのかも知れないと勝手に解釈し自らを納得させていた。だが、私の書斎のWindows7マシーンでは同じ小窓を持つページがきちんと意図通りに表示される。しかもそのマシーンで使っているブラウザもIE10なのだ。同じIE10なのに別の仕様のはずがない。これはHTMLの記述の問題ではなくIE10の設定そのものに問題があるようだ。そこで、8マシーンのIEの設定を調べたら、「インターネット・オプション」に「タブ・ブラウズ」という項目があることを発見。この設定がくせ者だと見極め、中の「ポップアップの発生時」を「常に新しいウィンドーで開く」に、さらに「リンクを開く方法」を「新しいウィンドー」にチェックを入れてみた。確信が有ったわけではないのだが、再起動して小窓を持つサイトを開いてみると、設計通りに窓だ開くではないか。こんな簡単なことで思い通りに開かなかったのだ。
 と思ったのだが、実は同じページにアンドロイドでアクセスしても同様に小窓が開かなかったことを思い出した。同様の方法で不具合を解消出来るかと思ったのだが、何をどうチェックしてもアンドロイドのブラウザでは小窓が開かない。あきらめるのは嫌いなのだが、タブブラウズをメインとしているアンドロイドのブラウザでは、それが仕様だとあきらめるしかないのかも知れない。
2013年9月29日 日曜日
 Vocaloid「初音ミク」がバージョンアップしV.3になるという。クリプトンからのメールによれば従来の歌声に加え5つの歌声を磨き込んで収録し、甘い声、落ち着いた声、柔らかい声、固く張り詰めた声などを使い分けて歌わせることが可能になるらしい。しかも、今回のバージョンアップで音楽制作ソフトも同梱しているという。ユーザーへのWEB優待価格で、かなり格安に入手できそうだ。また3000円ほどの追加で英語の歌詞にも対応したバンドル版も入手できるという。
これは使えそうだ。何と言っても、音源も付属の音楽制作ソフトが同梱されているというのが気に入った。これは手に入れるべきであろう。

 昨夜放送されたNHKスペシャル「ジパングの海」を見ていて、懐かしい顔に出会った。かつて私が勤務していたつくば市立二の宮小学校でPTAの会長さんをして下さっていた山崎哲生さんがコメンテーターとして出演されていたのだ。その時の紹介テロップで、現在は「大阪府立大学教授」をされていることがわかった。表情や仕草は昔と変わらず、特に文末の語尾が上がる独特の話し方はそのままで、何とまあ、懐かしい!と思わず声に出してしまった。
山崎さんが会長さんをされていた時に、大勢の保護者のご協力で校内LANを設置して下さり、さすがにつくば市内の学校だと感心したものであった。NETについての専門的な知識や技術をお持ちの方が、こんなに保護者の中においでで、しかもそれが生半可な素人仕事ではなく、きわめて専門的な処置をボランティアでして下さったのだ。おかげで児童は、ネットを活用した学習に生き生きと取り組むことが出来たものであった。もう15年ほども前のことである。
かつての会長さんがこのような研究をされておいでだということを、当時の同僚に早速知らせてあげたいものだ。

 我が家ではネット接続にJ-comを使用している。先日のことJ-comから「お得プラン160」という案内が届いた。接続料金が安くなり、しかも接続速度が160Mbpsにアップされるという。現在の速度が40Mbpsなので格段に速くなる。早速手続きを済ませたのだが、モデムの交換とそれに伴う工事が最速で今週の金曜日になるという。
どのように実感速度が速くなるのか楽しみである。
2013年9月28日(土)
 今朝はあちこちから打ち上げ花火の音がする。市内の小学校の運動会が行われるからだ。秋晴れの良いお天気に恵まれて、どの学校でも子どもたちの歓声と笑顔に満ちた、精一杯身体を躍動させての楽しい運動会が実施されたことだろう。

 大相撲は、白鵬が稀勢の里をくだし千秋楽を待たずに27回目の優勝を決めた。毎日のように大相撲の司会者や解説者から、稀勢の里の活躍と横綱昇進への期待をこめて、何が必要かが語られたのだが、残念ながら今場所も期待を裏切って終盤崩れてしまった。何が欠けているのか素人の私には知るよしもないが、現象面だけを見ると力のいれ場所を違えているような気がする。力んだ勇ましく凄んだ表情をつくって見せる稀勢の里に比べて、落ち着いたたたずまいで仕切りを続ける白鵬の姿は、頼もしさを感じさせるし、それは自分が行ってきた稽古の確かさを背景にした自信のあらわれなのだろう。できることなら、稀勢の里にもそうした「根拠のある自信」をもって取り組めるよう、工夫した稽古、研究した相撲、地道な取り組みで本当の力をつけてもらいたいものだ。ある親方が指摘するように『一人で盛り上げ、一人で落としている』という相撲ぶりは、そうした“意味のない力み”や“的外れながんばり”といったことによるのではないかと思われて仕方がない。
恵まれた身体と素質を持っている力士だからこそファンは期待を寄せるのだ。たとえ勝負に負けても「相撲で勝った」と言われるような立派な力士になるために考えること・工夫すること・研究することはたくさんありそうだ。

 NHKの朝ドラ「あまちゃん」が最終回を迎えた。東北の人たちの明るい笑顔で復興をめざす姿は、東北の人々のみならず日本に住む全国民に勇気や希望を与えてくれたし、大いに共感できることで自分たちもがんばれるという自信を持たせてくれたように思う。テーマ音楽もアキちゃんのキャラクターと相まって、今日一日をすがすがしい気分でスタートしようという前向きな気分にさせてくれたのも、あまちゃん人気の理由だろう。聞くところでは「あまちゃん2」を待ち望む声も多く寄せられているという。それだけ朝ドラにふさわしい要素がたくさん盛り込まれていて、誰でもそれぞれがそれぞれに合った楽しみ方ができたドラマだったと言えるのかも知れない。クドカンの才能を改めて感じさせられている。
2013年9月27日(金)
 快晴の一日。
 土浦市の郊外東北隅に鶴沼という周囲2キロほどの沼があり、冬から春にかけて多くの渡り鳥が飛来する。
 秋らしい爽やかなお天気に誘われて、その鶴沼に出かけてみた。周囲に散策路が整備されており、すぐ隣には土浦市立菅谷小学校がある。私が行ったときに、ちょうど菅谷小学校の2年生ぐらいの児童が写生に来ていた。沼の西、遠くに筑波山が望め、岸辺の野草や野鳥、水面のさざ波など写生をするにはうってつけの光景と日より。小学生たちは、野外での観察を兼ねた写生に嬉しそうな表情で取り組んでいた。遊歩道を歩くと、足下からバッタやイナゴ、赤とんぼが驚いたように次々と飛び立っていく。それがまた秋の風情を感じさせ、のんびり・ゆっくり秋の気分を味わうことができた。
冬にはヒシクイや小ガモ、バン、アオサギなどで賑わうこの沼も、今は静かで秋の日ざしが水面をきらめかせる穏やかなたたずまいであった。(下のそれぞれの写真をクリックすると、拡大表示されます)
2013年9月26日(木)
 台風20号は日本列島をそれて東海上を北上。おかげて何の支障もなかったが、朝から一日中強い風が吹き通し。いつか突風に襲われるのではないかと思われるほどの風の一日だった。
 今朝、自室のベランダ側の戸を開けた途端、その風に乗ってかぐわしい香りが部屋の中に入ってきた。キンモクセイだ。一軒おいたお宅の庭に大きなキンモクセイの木があり、毎年その花がご近所で一番最初に咲き、良い香りを漂わせてくれる。今年もいつもの年のように、そのお宅のキンモクセイが咲き始めたようだ。そのうちに、ご近所のあちこちで、もちろん我が家でも咲いて大好きな芳しい香りをもたらしてくれるだろう。もうそんな季節になったのかと改めて10月が近いことを実感した日であった。
2013年9月19日(木)
 中秋の名月だ。知らなかったのだが、中秋の名月が満月になるとは限らないのだそうだ。今年は中秋の名月が満月になる2010年代で最後の年なのだという。この年になるまでお月見は必ず満月なのだと思い込んでいた。
 今夜は快晴に恵まれ、ことのほかその満月が美しい。
というわけで、写真を撮影してみた。思い切りズームアップして40倍で撮影してみたが、意外にきれいに撮れたのが嬉しくてここに貼り付けてみた。
2013年9月16日
 大型の台風18号が日本列島を縦断し、各地に大きな被害をもたらした。あちこちで河川が増水、氾濫し、京都の観光名所“嵐山”の渡月橋付近も見たことのない洪水のような映像で報道されていた。また、和歌山県串本、埼玉県熊谷市、群馬県みどり市などで突風による相次ぐ被害が発生してしまった。どうやら串本のそれは竜巻のようだが、熊谷やみどり市のそれは夜中だったことから目撃情報がなく、竜巻とは報道されていないようだ。だが素人目には、巻き上げられたかのように高い位置に引っかかったトタンや建物の部材などの様子から見ると、竜巻によるもののように見える。そして午後に入ると、石巻市でも突風による被害が発生したと報じられた。
このところ、突風や竜巻が特異な現象ではなく、ごく身近に起きる恐れがあるということをつくづく感じさせられるようになってしまった。日本の(いや世界の)自然環境が急速に変化しているということの証なのかも知れない。
 台風が関東でヤマを越えた夕方になると、空の様子が一変し、夕暮れ時の西の空は素晴らしい夕焼け空になった。
 思わず大急ぎでカメラを準備し、シャッターを押してしまった。
2013年9月9日
 昨日の午後からネットに接続できなくなってしまった。見ればモデムの「ON LINE」ランプが点滅を繰り返している。ネットに接続されていないことの証だ。大急ぎでJ-COMに電話をしようとしたが、電話がつながらない。受話器をとりあげても何の信号音もしない。我が家ではネットも電話もテレビもすべてJ-COMで契約しているのだが、ネットばかりではなく電話の信号さえもどこかで遮断されてしまっているようだ。仕方なく携帯電話でJ-COMのカスタマー・サービルセンターに電話をしたのだが、混み合っていて何分待っても電話がつながらない。最後の手段とばかり、雨の中土浦のJ-COMに車を走らせたのだが、日曜日のことで営業は休み。というわけで昨日の午後から電話もネットも使えないという状況に陥った。
 普段は何の支障もなく使えているネットが使用できないだけで、まるで翼をもがれた鳥のような状態。文献のメモも新聞の抜き書きも大切なメモはすべてEvernoteやDropboxといったクラウド上にある。参照しようにもそれができない。そればかりかメールチェックもできない。電話もつながらないことから、モデムやルーターの不具合ではないことは明白だ。どこかで信号が不安定な状況になっているとすれば、引き込み線あたりだと見当がつく。これでは個人で何とか解消できる問題ではないとあきらめ、朝一番にJ-COMに出かけるしかないと腹を決めた。
 そこで今朝の営業開始時間にJ-COMの事業所に出かけ修理を依頼してきたが、担当者が来たのが午後4時少し前。
何と対応の遅いことかと思ったが、高所作業車も一緒に来ている。やはり想像したとおり、分岐の機器が不具合を起こしていたらしい。30分ほどの作業ですっかり正常な状態に戻ったが、できることならもう少し早く対応してほしかった。
 幸いにして重要なメールは届いていなかったので良かったが、迅速な処理を要する案件があった時などは、24時間以上待たなければならないという状況は、ちょっとつらい。
それでも作業をしてくださった方のてきぱきとした気持ちの良い対応に感心。感謝の気持ちでいるところである。

 このように不具合や故障の原因を明らかにし、その対処の根拠と道筋を明確に示し、言葉通りに不具合を解消して見せるということがあってはじめて信頼が生まれる。仮に即座の解消ができなくても、その根拠が明確に説明され、納得のいく方針や具体的な手段が示されれば、安心できる。
 この度の、IOCに対する『汚染水は完全にブロックされ、コントロールされている。』という安倍総理の説明は、どのような根拠に基づいてなされているのか、ということを思うと、そしてそれを無邪気に信じて東京に票を投じたIOCの役員の心情を思うと恐ろしくなるばかりだ。事実認識に基づかない安易な“虚言”と言っても良い発言が、世界を動かしてしまったのだ。東京で二度目のオリンピックが開催されることは喜ばしいことに違いないが、それをもたらした一因に“ウソの説明”があったとすれば、諸手を挙げて心から喜べる状況ではないはずだ。いずれIOCの委員だけではなく、日本国民も“欺される”かも知れませんぞ。
2013年9月2日
 本日午後2時ごろに埼玉県越谷市、千葉県野田市で竜巻と見られる突風により大きな被害が出た。ニュースでは大気の状態が不安定で、そのためにスーパーセルと目される積乱雲が引き起こしたものだという。
昨年5月に起きたつくば市北条の竜巻と発生のメカニズムは同じものらしい。近年、地球温暖化が進み、それに伴う大気の不安定な状況が続いていることが大きな原因なのだろう。今年は特に、全国各地で「これまでに経験したことのない」と表現されるゲリラ豪雨が相次いでもいる。激甚災害に指定されるほどの被害が各地で起き、日本列島が「被災列島」という様相を呈してきて、東日本大震災以来、鴨長明が著した「方丈記」さながらの悲惨な社会状況になっているかのように見える。加えて、南海・東南海トラフが不気味な動きを見せてもいる。いつ、どこで、どんな大きな災害が起きても不思議ではない模様で、無邪気に明日を信じてこられたこれまでの生活が夢のように思われる。
 それにしても自然の力の前には、人間のこしらえたものなど何と無力ではかないものであるか、ということを竜巻の被害に遭った町の様子をTVニュースで見ながら、改めて痛感させられる。「人間の叡智」をもってすれば自然を克服することができるなどという驕った考えは、ここ数年で雲散霧消したはずだ。自然に対して、もっと謙虚で畏敬の念をもち、それをベースに生き方を考えなければならないだろうと、今更ながら考えている。
2013年9月2日
 昨晩NHKTVのニュースを見ていて、アニメ映画の宮崎駿監督が引退を表明したことを知った。我が家でも子どもたちばかりでなく家族そろって「風の谷のナウシカ」や「魔女の宅急便」をはじめとする多くの作品のファンで、ことに長女が作曲を志す動機となったのが宮崎アニメに感銘を受けたことであった。私もそれらのアニメで奏でられた音楽を編曲し、小中学校の子どもたちの教材として活用することも多かったので、そのニュースを見て感慨ひとしお。近頃では、孫も「崖の上のポニョ」が大好きで、伴奏を流すと楽しそうに歌っている。ということは、親、子どもそして孫まで三代にわたって宮崎アニメからいろいろと影響を受けてきたことになるのだ。すこぶる残念な思いであるが、多くのすばらしい作品を生み出し、私たちを宮崎アニメの世界に誘ってくれたことに感謝したいものである。

 昨夕は、北から西の空にかけて真っ黒な雲が出てきたと思いきや、大粒の雨でどしゃぶり状態。短時間で雨はあがったものの、茨城県内各地で落雷による停電などの被害が出たようだ。しかし、おかげさまで雨が上がった後は、涼しい風が吹き始め昨晩は久しぶりにエアコンのお世話にならずに床につくことができた。するとベランダの戸を開放した網戸越しに秋の虫の声がにぎやかに聞こえるではないか。そこで深夜近く、付近の雑音に邪魔されない時間帯を見計らって、ICレコーダーを携えて近所の叢に行き、虫の声を録音してみた。不勉強でなんという虫の声かはわからないのだが、涼しい風の中で秋の風情を楽しみながら録音することができた。日中はいまだ猛暑だが、虫たちは敏感に季節のうつろいを感じ取って小さな生を生きているのだと実感した。録音したデータの一部はこちらで→
こちらのページ
2013年8月31日
 レコーディングの依頼を受け、ある方の歌を録音したのが27日。その後、数日かけて編集作業をし、ミックスダウン。マスタリングをしてCDを作成。昨日依頼主に届けて一安心したところだ。そうしたところ、土浦を基盤に、県内外のニュースを丹念に拾って発行されてきた常陽新聞が31日を最後に廃刊になるという報道に接した。
地元の土浦はもとより県内のあちこちから廃刊を惜しむ声がきかれ、今朝の新聞にもそのことが記されていた。
私もかつて私の著書の紹介をしていただいたり、ずっと昔は科学博開会式での演奏に関するインタビュー記事を載せていただいたり、つい数年前には友人が作成したCD(私が編曲に参加した)の紹介記事に関して社屋を訪れたりした関係で、
身近に感じていた新聞なので、驚くと同時に残念さを痛感している。報道によれば、昭和23年に豆日刊土浦として出発し昭和28年から現在の常陽新聞として刊行されてきた新聞だという。だから常陽新聞としては60年の歴史に幕を閉じるということになる。残念の極みである。
2013年8月22日
 私の愛車が車検だというのでディーラーに一日預けることになった。いつものように代車を出してくれるという。しかもそれが電気自動車「iMiev」だという。外見も車内のインテリアも、「i」とまったく同じだ。同じなので当然で、「iMiev」は「i」のシャーシをそのまま使用してEVとしているのだ。ただ、乗ってみて運転感覚はまったく違うことに気づいた。EVだから当然エンジン音はなく、イグニッション・スイッチを回しても始動させたという実感がない。スイッチを回すと「ピポッ」という可愛い電子音がなるだけで、それがモーターが回った合図なのだ。だが振動音もないしモーターの回転音もないので、動作したという感覚がまったくない。これで動けるのかと思いながらギアをドライブにセットしてアクセルを踏んでみると、音もなく動き出す。
予想以上の静かさで運転中もタイヤ音しか聞こえない。これがEVかと初乗りを楽しんだ。ハンドルも適度な重さがあり、軽自動車にありがちな軽いがゆえの心もとなさがない。以外に加速の反応も良い。これなら車内での音楽鑑賞も十分楽しめるだろうと思った。しかし、エアコンやナビ、そしてステレオを同時稼動させると、バッテリーの残量がぐんと減る。エアコンを止めると、とたんに残り移動可能距離が10kmほど上がって表示される。エアコンがどれだけバッテリーをくうか、ということがよくわかる。フルに充電した状態で、しかもエアコンが止まっていれば90km弱走れるようだから、長距離走行というよりも町中などの近距離をエコに走るという使い方に向いていると言えるだろう。初めてのEV試乗でおもしろい体験ができた。
2013年8月21日
 相変わらず全国的に猛暑が続いている。昨日のある新聞の読者投稿欄に次のような川柳が掲載されていた。

  『避暑に行く 場所が日本に なくなった

 本州だけでなく、北海道でさえ猛暑続きなのだから、こう呟きたくなる気持ちもわかるではないか。
 だが、ふと気がついてみると、夜にはもう秋の虫の声が聞こえる。こんなに暑くても、虫たちは秋の気配を察して動き出しているのだ。偉いものだと妙な感心をして聴き入っているところだ。

 ところで、帰省ラッシュを避けようとお盆前に孫を連れて娘夫婦が帰省してくれた。その折に5歳半になる孫が娘と連弾をするという。しかも即興で。(とは言っても単音で)その様子をお婿さんがタブレットで動画撮影してくれた。そのデータを譲り受けたのだが、タブレットを縦にして撮影した動画だったので、PCで見ると横向きになってしまう。顔を横に90度傾けて見るようになってしまうので、何とか編集し縦長の画面で見ることができるようにした。
 肝心の連弾は、単音でもいいよという娘の話にかかわらず、他の音も弾きたいという孫の主張でニ音によるものになった。5歳半のインプロビゼーションである。爺さんは嬉しさのあまり、このページで公開してしまうのである。
こちらの画面でどうぞ。
2013年8月8日
 この週に入ってから連日の猛暑。少し前には涼しい日が続いたので、いっそう暑さがこたえる。しかも湿度の高さが追い討ちをかけていて、鬱陶しい暑さだが、昨日は立秋。「秋が立つ」という言葉がうらめしいほどの酷暑だが、これでも「残暑」なのだ。もううんざりである。そういえば、昨日のこと。出かけた帰りの車の中で聴いていたラジオから時事川柳が流れてきた。中には酷暑をうたったものもあり、次のような句であった。

 『うんざりだ、酷暑 地下水 副総理


 暑さに加えて福島原発の汚染地下水が海に流出したこと、そしてまた麻生副総理の「ナチス憲法への改憲手法をみならえ」発言に『もううんざり。たくさんだ』という述懐がこめられたものだ。
さらに麻生副総理のその失言については、次のような視聴者からの川柳も紹介されていた。

 『セメントで ふさいでやりたい その口を


 麻生副総理がセメント会社の経営者であることを踏まえての句であることは言うまでもない。発言を撤回する、という記者会見の模様がテレビで放映されていたが、どう聞いても『しんしが伝わっていない』と言っていたようにしか聞こえなかった。言いたかったのは『真意が伝わっていない』ということなのだろう。『真意』を『しんし』と読むような非常識な人の発言だ。少し黙っていろ、と叱り付けたくなるような詠み人の苛立ちが伝わってくるような一句である。
 こうした生半可な知見しか持たない人たちが改憲についていろいろと主張している様子を想像すると、恐ろしいばかりであるが、改憲案を眺めて最も恐ろしいのは9条などよりも国民主権をくつがえそうとしている点だ。国民を「統治する対象」として見、国民に「遵法」の義務を求め、それを憲法に関しても負わせようという案だからだ。そもそも憲法は国民が国に対して要求した「国が守るべき基本法」で、国民が守ることを迫られる法ではない。麻生副総理は、かつて選挙運動か何かで一般市民に『下々の皆さん』と呼びかけた人物だ。民主主義についての認識が大きく欠如している人たちが考え出した案である。基本法についての認識も十分ではないから、平気で憲法を「国民が守るべき法」にすりかえてしまうかも知れない。それこそが改憲論議の最も恐ろしい点だ。今朝のある新聞の、やはり時事川柳のコーナーに次のような句が掲載されていた。

 『人権を 出る杭とみる 国がある

 これは決して隣国“中国”を詠んだものではない。日本のいまの政治の動きを詠ったものである。日本の国を民主国家でなくしてはいけない、という切迫した思いで詠われた一句だが、こうして川柳を読んでいると、川柳をつくることのできる人は偉いものだとうならざるを得ない。十七文字の限られた字数で、言いたいこと、うがった見方、本質を突いたものいいがきちんとでき、しかも“うまい!”と言いたくなるような洒落も利いているからだ。
そんな知恵もワザも持たない身としては、せめて読んで楽しく味わうばかりである。
2013年7月15日
 この三連休は、我が家の次女が5歳半になる孫を連れて帰省してくれた。おかげで心行くまで孫と遊ぶことができた。 昨日は、孫の希望で稲敷市の「ポティロンの森」へ出かけ、水遊びや芝ソリ、ポニーの乗馬やゴーカートなど、野外の遊びを満喫する孫の姿を眺め楽しむことができた。昨日は日差しも強く、気温も高かったが緑豊かな環境の中、風も心地よく吹いてくれていたおかげで快適な野外での遊びが楽しめ、疲れもさほど感じずに済んだ。

 今日は、孫が英語教室や保育園で習った歌を録音したいというので、おじいちゃんに任せて!とばかりに孫の歌をレコーディング。爺バカながら、この幼い年齢にしては音程もリズムもしっかりしていて、録音しながら大感激。
リズムに乗って、身体を揺らしながら歌うせいかマイクとの距離が近くなったり遠くなったり。そのせいで歌声が大きくなったり小さくなったりしてしまっているが、それがまた可愛いので録り直しなしの一発録音。早速CDに納めて持って帰ってもらった。それやこれやで、孫との思い出がたくさんできた三連休になった。感謝の気持ちでいっぱいだ。
 ※録音した歌の一部はこちらでお聴きいただけます→こちら
2013年7月11日
 東日本大震災が起きてから2年4ヶ月を迎えた。もうそんなに時間が経ってしまったにもかかわらず、福島第一原発ではいまだに高濃度の汚染水が検出され、しかも原因が不明だという。そしてまた、昨日は事故発生から現場を指揮し、命がけで最悪の事態を防いでくれた吉田昌郎元所長が亡くなったというニュースにも接した。未だに出口の見えない事故後の処理で、どんなに“安全対策をとる方針だ”と主張しても、自然の猛威の前では人間の拵えたものなど完璧に安全だなどと言い切れるはずがないと、国民の多くは痛いほど知らされてきたはずだ。未だに仮設住宅住まいをされている人々、故郷に戻ることを断念せざるを得ない人々、作物を作りたくても作れなくなってしまった人々、風評被害で漁師を続けられなくなった人々など、過酷な生活を強いられている人がまだまだ大勢おいでになる。
いったん事故が起きてしまえば、取り返しのつかない広範囲かつ大きな被害をもたらす原発という危うい施設だ。
まだまだ先が見えないにもかかわらず、安全対策を十分にとれば再開させたい、という論理は、これまでの電力会社の論理そのままで、あの大震災と大事故から何を学んだのかとあきれるばかりである。再開させなければ電気の供給が困難になるとか地元の雇用に支障をきたすといった経済優先の考えにとらわれて安全神話を生み出し、生み出した安全神話に縛られて「安全への配慮」を怠ったこと、科学が自然を征服できるとなどと奢ったことが引き起こした事故だと痛いほどわかっていながら、なおそこに戻って行こうとするのは愚かしいことだと言わざるを得ない。
浮ついたバブルの狂騒を“夢よもう一度”とばかりに懐かしみ立ち返ろうとする現政権は、電力会社と経産省にとって文字どおり「いい鴨」なのかも知れない。こんなことでは日本という国は、国民にとって誇れる国にはなれはしないだろう。科学立国を言うなら、そして生活を『取り戻す』と言うなら、原発に頼らない安定的に再生可能エネルギーを生み出す方法を知恵を絞って創出すること、それを世界に普及させること程度のことをしてほしいものだ。
それでこそ「世界に誇れる日本」ではないか。
2013年7月6日
 今日の昼頃のニュースで、関東地方も梅雨明けしたと報じられていた。雨らしい雨も降らずに梅雨明けしてしまった。
 昔は、じめじめ・じとじととした鬱陶しい天気が続き、『カビの発生に気をつけましょう』とか『食中毒にご注意を』などという言葉が挨拶代わりだったが、このところそうした言葉が実態を伴わないものにしか聞こえない。
しかし、例年より数日も早い梅雨明けのおかげで、明日の「七夕」はきれいな星空を眺めることができるかも知れない。

 先ごろ、この日記(6月13日)にも書いたが、このところ一人カルテットで気分転換を図っている。伴奏を編曲し、四重唱にアレンジし、すべてのパートを歌って多重録音し、ミックスダウンするという、すべて手作りの究極の「孤独な一人遊び」である。誰にも邪魔されず、誰にも注文をつけることのできない、自分でやって自分で責任を負う、遊び中の遊び。
残念なことに、低音域を歌うことが苦手でさっぱり響きのないバスやバリトンなので、バランスの悪いことおびただしい。だが、若い頃は4トラックのテープレコーダーを使って四苦八苦した作業が、今やノートパソコン一台でこうした作業を最初から最後まで、さほど苦労せずにできるようになったことに喜びを感じ、大いに満喫しているというわけだ。
これで歌さえ上手に歌えれば、もっと愉しめると思うのだが、それはないものねだりというもの。つくり・歌い・不満足ながら聴いて愉しむことができれば、気分転換の遊びとしては申し分ない。
録音してみた一人カルテットはこちらのページで。→
こちらのページ
2013年7月3日
 つい先ごろまで白い栗の花が咲いていたと思っていたら、もういつの間にか栗の花は小さなイガグリに変わっている。暑さが本格的になると、その小さなイガグリはぐんぐんと育っていくはずだが、今は小さくかわいいイガは触るととても柔らかく、“がんばれよ”と声をかけたくなるほどの幼い姿が愛らしい。

 今週の日曜日、いつも楽しみに視聴している『題名のない音楽会』は「おじさんコーラス特集」で東京や横浜で活躍しているおじさんコーラス四団体の紹介だった。バーバーショップスタイルのコーラスからクァルテットまで楽しくも見事なハーモニーを響かせる熟年(中・高年)男声合唱団の演奏を聴くことができた。
中でも「アリババと15人の盗賊隊」という合唱団は、番組では“冗談音楽”というふれこみの紹介だったが、愉快なだけではない力量の豊かさが窺え、余裕があるからこそこうしたパスティーシュがつくれるのだろうとつくづく思わせられる演奏であった。その録画したものをご覧いただけます。→こちらのページ
2013年6月13日
 ようやく梅雨らしい天気になったからだろう。我が家のクチナシが咲き始めた。昨日は一輪だけだったのだが、今日は6~7輪と増えていることに気がついた。少し肌寒いほどの気温のせいか、いつもの年のようなまとわりつくほどの香りが匂わない。もう少し花が増えてくるとかぐわしい香りに包まれることだろう。それにしても雨の少ない梅雨なので、各地で水不足が心配されている。聞けば、関西や北陸では体温以上の高温に見舞われているという。文字通り「恵みの雨」がまんべんなく降って、さまざまな懸念を拭い去ってくれると良いのだが・・・・。

 ところで、このところ一人カルテットで歌い録音することがマイブームになっている。今度はロシアの「オレグ公の歌」に挑戦しようと思いたち、その伴奏の編曲にとりかかったところだ。昔ダークダックスが「オレグ公の行進」というタイトルで歌っていた歌詞で歌おうと思ったのだが、それが見つからない。訳詞違いで「オレグ公の歌」というタイトルのものが見つかったので、その歌詞で歌うことにした。何はともあれ、伴奏作りを急がなければ、と作業を進めているところである。
2013年6月9日
 YahooJapanから突然のメールが届いた。どうやらYahooに不正アクセスがあり、ユーザー登録者のIDやパスワードが漏れた恐れがあるので、パスワードの変更をお願いしたい、ということらしい。
これは大変!と早速パスワードの変更手続きを行ったが、何という迷惑な行為をするのかと腹立たしい思いがした。どんな意識でハッキング行為を行うのか知る由もないが、単に自尊感情を満足させたいということであれば、その力をまっとうな社会活動で発揮してもらいたいものだ。

 ところで梅雨はどこへ行ってしまったのだろうか。今日も梅雨の時期としては珍しい低湿度の爽やかな快晴。つじつまを合わせるために、いつか集中豪雨が起きたり、長雨が続いたりするようなことが起こるのではないかと心配だ。
やはり梅雨は梅雨らしく、時候に見合った天候になってくれた方が良い。お百姓さんはお困りなのではないだろうか。。
2013年6月7日
 政府が今日の閣議で、外交・防衛政策の司令塔となる国家安全保障会議(日本版NSC)設置関連法案を決定したという。外交・安全保障に関わる国家戦略づくりを首相官邸が主導して進めるのが狙いのようだが、どうやらアメリカ政府のNSCを参考に、情報共有と分析、関係省庁の政策調整、戦略・政策の企画などを行う組織を目指しているようだ。
 縦割りのデメリットを排除し、首相を含む数人だけでテキパキと戦略を練り実行していく組織というと聞こえは良いが、なにやら戦時下の「大本営」を彷彿とさせ、怖ろしさを感じさせられる。
 そもそも国民から直接選ばれた大統領が指揮するアメリカのNSCと、内閣が議会に責任を負う議院内閣制の日本におけるNSCでは位置付けも意味も異なるはずだ。NSCにどんな権限を付与し、監督体制をどうするのか、十分な議論が必要だと思うのだが、・・・・・。

 ところで、もう50年近くも前のことだが、あるテレビドラマの主題歌をボニー・ジャックスが歌っており、ドラマの内容は忘れたがその歌だけはずっと耳に残っていた。(正確には昭和40年の放送だったらしい)
 『きのう見つけた机の端に 誰が書いたか三つの言葉 真理・人生 あゝ青春 ~』と歌詞も覚えている。何というタイトルの曲だっただろうかと期待せずにネットで検索してみたら、同じ思いを抱いている人が多いようで、たくさんヒットした。どうやら「青春をぶっつけろ」というタイトルのドラマで主題歌も同じタイトルだったようだ。
多分そうかと思っていた通り、作曲はいずみたく、歌はボニー・ジャックスだ。そうわかってみたら歌いたくなってしまったので、伴奏をオリジナルでアレンジし、一人四重唱をし、録音をしてみた。先日入手した「Studio One Free」の操作練習も兼ねてのことである。操作には随分慣れてきたが、歌のまずさは救いようがない。フリーのソフトだけで、ここまでできるという例としてお聴きいただければ幸いである。→こちらのページ
2013年6月2日
 今日の天気予報では、終日「曇り」ということだったが、予報に反してすこぶる良いお天気になった。ただ、今の時期にしては、多少肌寒い感じがしたが、それでも思いがけず良い方向に裏切られるのは悪い気分ではない。
 先日5歳になる孫と電話で話したときに、突然に『おじいちゃん、あんまり歩かないでしょう。歩かないとダメよ』と言われてしまった。テレビか何かで歩くことが健康に良い、という話をしていたのを聞いたらしい。『わかったよ。がんばって歩くからね』と約束をしてしまったので、歩くことを心がけることにした。そこで今朝は、6時少し前から近所をぐるりと30分ほど歩いてきた。日曜日の朝なので車の通りも少なく、快適な散歩を愉しむことができた。

 午後から梅酒造りに挑戦。買ってきた5キロの梅を洗い、一つずつヘタを取って天日で干し、氷砂糖・ホワイトリカーといっしょに果実酒用の瓶に入れ、ラベルを貼って完成。次は、梅ジュース作りにもチャレンジするつもりだ。夏の暑い盛りの冷たい梅ジュースは最高だ。飲むのも楽しみだが、作るのも初めてなので楽しみである。
2013年5月31日
 5月も晦日を迎えてしまった。昨日関東が梅雨入りをしたと報じられた途端、今日は雲一つまい快晴。湿度が低かったのだろうか、お天気がよい割に過ごしやすい一日だった。
 先日ネットから入手したDAWソフト「Studio One Free」の素晴らしさに驚きながら試運転を続けている。無償のソフトでありながら、市販の「SONAR」や「Cubase」に劣らない機能を備えていて、充実ぶりは目を見張るばかりだ。
すべての機能とその操作方法をマスターできているわけだはないが、望む操作の獲得に向けて手探りであれこれ試しているところだ。そこで、男声合唱の定番曲『いざ起て戦人よ』を一人四部合唱で録音しながら、具体的な操作方法を確かめてみようと考えた。初期設定のままで録音したところ、クロックのカウントよりコンマ何秒か録音した音声が早く記録されてしまったり、モニター音が遅延して聞こえてくるなどの不具合があって『なんだコリャ』状態に驚かされたが、オーディオI/Oを調整し直すことで解消することができた。他にもちょっとした疑問や解消すべき課題が続出したが、試行する中で解決をみることができ、今は順調に録音を進めることができている。システム構成はWindows8のノートパソコン、ミキサー兼用のUSBインターフェイス「AUDIOGRAM」、それに接続したマイクロフォンとヘッドフォンというコンパクトなものだ。
これなら携行してどこへ持ち出しても、そこを録音スタジオとすることができるではないか。
 しかもこのソフト、マスタリングまでできてしまうのだ。なんという優れものであろう。このソフトを手足のように自由自在に使いこなせたら音楽制作がますます楽しいものになるに違いない。
2013年5月30日
 書斎に、今はもう活躍していない古いモバイル機器がいくつかある。処分するには忍びなくずるずると棚に置いたままになっているのだが、手狭な部屋のこと、お世話になって愛着があるとはいえ、片付けることをせぬままでは部屋が物で溢れてしまうため、意を決して第二の書斎に移動することにした。
 思えば15~6年前から最近まで、状況に合わせて買い換え、さんざん使い回してお世話になった機器たちだが、今や無線LANを標準装備したタブレット端末やミニサイズPCがあればしたい作業のほとんどをこなすことができる。
泣いて馬謖を斬る思いで(ちょっと大げさ)片付けることにした。いずれ地方行政組織でも、希少メタルの回収を目的とした電子機器の収集作業が始まるはずだ。その時まで第二書斎の押し入れで眠っていてもらうつもりである。
大変お世話になりました。感謝!感謝!
NTT Browser Boad Sharp Zaurus Sharp Zaurus NEC Net Walker
2013年5月25日
 昨日のことである。思い切ってWindows8マシーンを購入した。ケーズデンキで手頃な価格のASUSのものを見つけたからだが、XPマシーンのサポート終了が間近だとのアナウンスもあったことだし、XPの使い勝手に未練はあるのだが、そろそろ踏ん切りをつけて徐々に新しいものに切り替えていく必要に迫られてのことだ。
XPはおろかWindows7とはまったく内容が異なるので最初は戸惑ったが、何とかスタート画面からデスクトップ画面への切り替え方法やコントロールパネルの表示などを探り出すことができ、迷うことなく必要なソフトウェアをインストールすることができた。どうやら外部の機器に接続するドライバーなどは、各メーカーでWindows 8への対応・動作確認を済ませているようで、いまのところ支障なく必要なソフトが動作している。やれやれ、である。

 大相撲東京場所は、白鵬と稀勢の里が全勝同士で対戦。勝てば稀勢の里が久しぶりの日本人の優勝に王手をかけるところだったが、力の入った相撲の結果白鵬がかろうじて勝って優勝にまた一歩近づいた。白鵬にとっても久しぶりの東京での優勝だ。しかも明日の横綱対決で勝てば全勝優勝ということになる。白鵬らしい正々堂々の横綱相撲を期待したいものだ。

 ところで今日は、私が指揮をする牛久市内の合唱団の中の数人の方が所属する「ラ・フォレスタ」というマンドリンとギターのアンサンブルのコンサートが、つくば市ノバ・ホールで催された。午後2時からのコンサートだったが、ほとんど満席で盛会のコンサートで、イタリア民謡のメドレーや日本の四季を歌った曲のメドレー、ビートルズなどのポップな曲からクラシックの演奏などバラエティーに富んだ楽しいコンサートであった。ところどころ走ってしまうパートなどもあったが、撥弦楽器ゆえの難しさだろうと演奏のご苦労が偲ばれた。美しいアンサンブルにこれまでの練習の積み重ねが思われ、アンコールの声に力のこもったお客さんの姿にも「むべなるかな」と嬉しくなってしまった。
2013年5月13日
 毎日新聞の報道によると、安倍首相は今日の参院予算委員会で、米議会調査局の日米関係に関する報告書が首相を「強硬なナショナリスト」と指摘したことに関し「我が国の考え方が十分理解されていない点は残念だ。考え方が正しく理解されるよう、積極的な情報の収集や発信に努めていかなければならない」と述べた、ということだ。
 これには驚かされた。「十分理解されていない」ということを前提としても、それは彼自身の考え方であって、決して「我が国の考え方」ではないはずだ。さらに言えば、これまでの言動からして「強固なナショナリスト」ではない、ということを客観的にうかがわせるものは何もない。逆に「国粋主義者」であることをうかがわせるに十分な言動ばかりではないか。つまり、彼は二重の意味で問題をとらえ損ねているのだ。
 さらに首相は、報告書自体については「米議会の公式見解を示したものではなく、政府として逐一コメントすることは差し控えたい」と述べるにとどめ、同時に「その都度、しっかりと間違いは訂正を求め、我々の意見を伝える姿勢は大切だ。広報体制を強化したい」と語ったという。
 しかし、どこからどう見ても「間違えている」のはアメリカ議会調査局ではなく、批判の内容を語句通りに理解できていない彼の方だ。これまでも民主国家の総理としてどうかと思われる言動を重ね、ひいき目にみても「富国強兵策」を目論む軍国主義者としか見えないからだ。自分の考えが「ナショナリズム」ではないととらえているのだとすれば、それは自己認識が甘いか、「ナショナリズム」という言葉の持つ意味を知らないか、どちらかだ。どちらにしても怖い話だ。
2013年5月6日
 ゴールデンウィーク最後の休日は、牛久で催されたウィーン少年合唱団の楽しいコンサートを愉しんだ。美しい澄んだ響きで歌われる宗教音楽はもとより、オーストリアの民謡、日本の歌などハーモニーを満喫することができた。
だがやはり、なんと言ってもシュトラウスの「皇帝円舞曲」は手慣れたもので圧巻であった。指揮はボミ・キムという韓国人女性だったが、いつもながらのウィーン少年合唱団のスタイル指揮をしながら弾くピアノ伴奏が力強く、ともすると合唱よりもピアノ伴奏の方が目立ってしまう場面もあった。
東日本大震災からの復興を願ってつくられた「花は咲く」を、団員の少年それぞれが白い花を一本ずつ持ってステージ最前列に一列に並び、全曲を見事な日本語で歌った聞かせてくれた場面では、思わず目頭が熱くなってしまった。シューマンもシューベルトも存分に楽しませてくれた今日のコンサートは、初夏の爽やかな天候に恵まれた今年の連休の最後
を締めくくるのに、最高のそしてふさわしいものに思えるものだった。よいことづくめの今年の連休に感謝!である。
2013年5月3日
 今日は朝から良い天気だったので、爽やかな空気の中を歩きたいと思い、家内と土浦の「霞ヶ浦運動公園」に出かけてきた。残念ながら風車の前の花壇に咲いているはずのチューリップは花の時期が終わってしまっていたが、ネイチャーセンター脇の道沿いにツツジが咲き誇っており、いかにも初夏の風情。木道沿いのポプラや湿地に育つ芦のあちこちから小鳥のさえずりが聞こえ、心地よい風の中での散策を堪能することができた。

 今日は憲法記念日である。だからというわけではなく、このところ安倍首相が主導する憲法改正の議論が盛んなことから、その危うさを感じ資料を収集して憲法について考えてみたいと思っている。今日は立花隆の長大な論文をスキャニングし、OCRで認識・テキスト化する作業に終日追われた。その論文を仔細に読めば読むほど、そして自身でこれまで考えてきたことを突き合わせてみると、戦後レジームを否定的にとらえている安倍首相の見識のなさ、認識の甘さ改めて許せない思いが募ってくる。第一次安倍内閣のときに、いやというほどこの人の反動的な考えを知らされていながら、この人が代表をつとめる自民党を衆議院選で圧勝させてしまった国民の責任について悔やまれるばかりである。
子や孫の世代に禍根を残すようなことにならなければ良いが、とそればかり心配している。
2013年4月29日
 今日は昭和の時代で言えば「天皇誕生日」、そして昭和47年の天皇誕生日に私ども夫婦は結婚式を挙げたのだった。
というわけで結婚41年目を迎えた。いつの間にか41年も経ってしまったのだ。長女からお祝いメール。そして次女夫婦は
「結婚記念日を兼ねて」とディズニーランドで祝ってくれた。何とも幸せなことである。
 ところで、この三連休は良いお天気に恵まれ、爽やかな初夏の空気の中で快適なレジャーを愉しむことができた。どうやら明日、明後日はあまり良いお天気ではなさそうだが、週末にはお天気も回復して連休後半も良いお天気の中で過ごせそうである。人並みにゴールデンウィークを満喫しようという気分に、ようやくこの年になって思えるようになってきた。 
 先日、内田樹の『「おじさん」的思考』という本を見つけ買ってきた。いつもながら実に説得力に富んで、おもしろい。これだから内田氏の本は読み甲斐があって楽しい。また探して買ってこようと思っている。
2013年4月26日
 昨日から、今日は全国各地で天候の急変が予想されるので注意するようにと報じられていた。昨年のつくば市で起きた竜巻のような被害が出るかも知れないとのことだったので警戒していたのだが、ここは多少強い風が吹きはしたものの心配されたような突風や雷などは起こらず、どうやら何事もなくゴールデンウィークを迎えられそうである。
 昨日ベランダに出てみたら、今年はじめて燕の飛んでいる姿が見えた。いつの間にか燕が来ていたのだ。と思ったら、空の高いところでヒバリがさえずっている。そうか、もうそういう季節なのだ。北朝鮮の暴走、中国や韓国との関係悪化、
それに油を注ぐような国会議員の靖国参拝など、きな臭い外交問題に気を奪われているうちに確実に季節は初夏を迎えてしまっている。爽やかな季節に似つかわしくない挑発的で不遜な動きに何と言うことかと慨嘆するばかりだ。
 今晩は、娘夫婦が孫を連れて帰ってきてくれることになっている。かわいい孫の顔を見れば気持ちが和むであろう。
2013年4月11日
 北朝鮮がミサイルを発射する、あるいは戦闘状態に入る、とすこぶる迷惑な一人暴走を叫んでいる。すでに燃料の注入も終了していつでも発射できる態勢に入っているという。正恩坊やの意思なのか、それとも若い彼を操っている軍首脳の考えなのかは判然としないが、いずれにしても日米韓の各国を敵視し、強い攻撃姿勢を見せることで国内の結束を保ったり、三代目のための神話づくりを急ごうとしているのであろう。ますます孤立化していくだろうことは目に見えているにもかかわらず、身勝手で乱暴な手口に頼る姿勢は近代国家と呼ぶにふさわしくない。困ったものだ。

 ソメイヨシノが早々と咲き、その割にはいくぶん長い期間、満開の花を楽しませてくれた。それも散ってしまったと思ったら、変わって八重桜が満開。さらには椿も美しく咲いている。そうした花の季節を楽しんでいる間に、目を転じると木々の枝はもう若葉のやさしくやわらかい緑で彩られている。いつの間にか、すっかり新緑の季節になっていたようだ。
2013年4月2日
 昨日は4月1日、新年度がスタートした日であった。新社会人として緊張と希望で昨日の入社式を待っていた若人も多かったはずだ。
学校では、例年のように辞令交付式やら校長による新年度の経営方針や校内人事の発表、それに基づく初の学年会、入学式に向けての諸準備等々、忙しく一日を過ごしたはずだ。 新しい年度の始まりというのは、惰性に陥りがちな日常に改めて引き締まった感覚が戻ってきて、「明ける」前向きな気分、晴れやか気分に満ちて嬉しいものである。

 4月に入って嬉しいことの一つにNHKの朝ドラが新しくなったことがある。たいしたことではないし、どこまでも個人的な好き嫌いの問題でしかないので大きな声で言うことではないが、昨年の10月から始まった「純と愛(NHK大阪発)」がどうしても好きになれなかったからである。大仰な騒ぎ方、破天荒なふるまいに辟易しながらも我慢してはじめの5~6回は観たのだが、朝から不愉快になることにどうにもうんざりして観つづけることができなくなってしまったのだ。(朝ドラだって朝の楽しみのひとつなのだ。この半年間、その楽しみを奪われてしまったという思いが強い)
 先ほどネットを眺めていたら、どうやら「純と愛」はここ数年中で最低の視聴率だったと書かれていた。私と同じ思いで終了を心待ちにしていた人は少なくなかったということなのかも知れない。
そんなわけで、三陸を舞台にした新しいドラマを楽しみにしていたのだが、今度はどうやら楽しく観ることができそうだ。
 また、昨年吉田秀和氏が逝去されてから空席になっていた水戸芸術館の館長に、この4月から小澤征爾氏が着任されるという。茨城県民にとって大いに喜ばしいニュースである。 
 ところで、新年度を迎えた喜びの中、長嶋茂雄氏と松井秀樹氏のお二人に国民栄誉賞を贈ることが決まったという報道を聞いた。お二人の活躍と実績を称えることに何の異存もないのだが、この賞を贈ることの陰に安倍政権の下心が透けて見えるようで何とも居心地の悪さを覚えている。諸手を挙げて「大変喜ばしい」と心から思えないのは、私がひねくれているからだろうか。どうにも素直に受け取れない今回の決定で、新年度を迎えた喜びに水をさされたような妙な気分でいる。 
2013年4月1日
 「百万本のバラ」を混声四部合唱に編曲した。元にしたテキストによると、この曲はロシアの作曲家パウルスの手によるものなのだそうだ。私は何の根拠もなくシャンソンだとばかり思っていた。おそらく加藤登紀子が歌っていたので、なんとなく(それこそ本当に漠然と)シャンソンだろうと思い込んでいたのだ。そして、そのテキストでは作詞が「松山善三」と
なっている。あの映画監督の松山善三なのだろうか。まだ詳しく調べてみてはいないのだが、映画監督だって詩を書くことがあるだろうから、きっとあの有名な松山善三なのだろうと、これもまた何の根拠もなく思ってしまっている。きちんと調べるべきなのだろうが、作詞が誰であれ素敵な詩なので『誰でも良いではないか』と思っている怠惰な自分も一方ではいるのも事実。でも調べてみよう。
 混四に編曲が完成したので、これから伴奏の編曲をと取り組み始めたところである。
2013年3月28日
 今年の桜は早くも満開。不思議なことにソメイヨシノも山桜も一緒に開花してしまっている。さらに桜だけでなく、桃の花も椿も一斉に咲き誇っていて、まさに「花の季節」となっている。余りにも桜の開花が早いので、四月の始業式や入学式には葉桜になってしまうであろう。桜が咲くのは嬉しいが、入学式の時期に桜がないのは少し残念な気がする。
 先週の週末は、桜の便りにひかれて川崎に住む娘の家に行ってきた。娘の自宅の前に二ヶ領川が流れており、その川岸の桜並木が見事で昨年も春爛漫の風情を楽しませてもらったからだ。今年も娘や孫と一緒に満開の花を堪能でき、春を存分に味わうことができた。その折に撮影した写真のいくつかをこちらに掲載している。→こちらのページ
2013年3月14日
 新しいローマ法王がコンクラーベで選出されたことを朝一番のニュースで知った。選出されたのはアルゼンチンのベルゴリオ枢機卿で、ヨーロッパ以外の地域から選ばれた初めての法王だということだ。

 今日は、なにやらキノコが食べたくなったので夕食はキノコたっぷりのパスタを作ってみた。しめじ、マイタケ、しいたけをオリーブオイルで炒め、塩・胡椒とバター醤油だけで味付けした具に茹で上がったパスタにからめただけのシンプルなもの。最後にバジルをトッピングしたが、写真で見ると大葉が乗っているようにしか見えない。残念だが、味は残念なものではなかったので、安心した。
2013年3月11日
 家人に言われて思い出した。昨日(3月10日)は私の手術記念日だったのだ。胃癌と診断され、胃の5分の4を切除したのが19年前の昨日であった。忘れていた、とは「癌の転移を懸念していない」ということの証だろう。それでも油断せずに20年目を大事に過ごしていきたいものだと改めて思った。

 そして今日は3.11から二年目を迎えた日である。あの日の午前中までは、午後にそんな恐ろしいことが起きようなどと夢にも思わず、あたりまえの日常に感謝するなどという気持ちも希薄に過ごしていた。起きて初めて思い知らされた「ありきたりの変凡な生活のありがたさ」がつくづく身にしみたものであった。それから二年、未だにあの日の揺れの大きさ、その後の報道で(とは言っても停電でテレビやラジオからの情報ではなかった。知ったのは翌日配達された新聞によってではあるが)もたらされた大津波の様子と被災された人々の模様を思い起こすたびに、我知らず涙が出てしまう。それは復興の進み具合が思わしくないこと、原発事故の除染が計画どおりに進んでいないことによる帰還困難とされる地域の方々の困苦が思いやられるからだ。『二年も経っているのに』という思いは国民の多くが持つ嘆きであろう。少しでも早く将来の展望が見えるように日本の力を結集して被災地の人々が安心を得られるようになればと願うばかりである。

 混声合唱曲の多くは、主旋律をソプラノが担当することが多い。女声の低い音域を受け持つアルトは「縁の下の力持ち」のような役割を受け持つことが多いが、ときにはアルトがメインとして活躍する曲を演奏しても良いのではないかと思い立ってお馴染みのイングランド民謡「グリーン・スリーブス」を混四に編曲してみた。編曲を終えて、サンプル演奏をつくろうと思ったのだが、思わぬ問題が発生した。ボカロv.2では英語の歌詞を歌わせることができないのだった。無理に日本語で入力することもできないではないが、英語の歌詞は一つの音符に複数の発音を当てはめなくてはならず、相当に困難な作業になることが目に見えている。さてどうしたものか、何か良い工夫はないものかと思案中である。
2013年3月10日
 風の強い一日だった。空がにごった色で、景色がかすんだように見えるので、さては黄砂かと思ったのだが、ニュースでは「煙霧」だったという。風で埃が舞い上げられ起きたのだと報じられていた。「煙霧」とは聞きなれない言葉だが、そう思ったのは私一人だけだったのかも知れない。

 昨日はよいお天気だったので、ご近所を訪ねて梅の写真を撮ってみた。どこももう満開だ。写真を撮っていると、まるで嘘のような話だが近くの木立から鶯の声がするではないか。姿は見えないが、まさに「梅に鶯」。よく絵に描かれているのは、本当は「梅に目白」の間違いだと言われているが、これはまさしく「梅に鶯」だ。まだ鳴き方は上手ではなく、藪鳴きから少し上達した程度だったが、できることならその姿も見たかったものだ。
 啓蟄も過ぎ、暖かい日が続いている。今日は西日本に黄砂が飛来、おそらくPM2.5も。関東だって春風が強く吹けば、その影響を免れないだろう。できるだけ外出を控えたいものだし、外出せざるを得ないときのために、工業用の防塵マスクも準備しなければならないかも知れない。

 数日前のことだが、Twitterで「Evernote」への不審なアクセスがあったため、初期段階でブロックした。しかし会員のデータを安全に保護するために全ユーザーのパスワードをリセットした。ついてはパスワードの再設定を願う。というメッセージがEvernoteJapanから書き込まれていた。この際だから、念のためパスワードの変更を思い切ってすることにしたが、Evernoteはデータを同期させている5台のPCと2台のアンドロイドマシーンのすべてで変更しなければデータを共有することができない(当然のことだが)。全部のマシーンで再設定するのに、30分もかかってしまった。サーバーへの不正なアクセスというのがどのようなものかは記されていなかったが、このような迷惑な行為はして欲しくないものだ。

 ところで、ここ数日の暖かさのおかげで、梅の花があちこちで咲きそろって美しい。思えば私がかつて勤務していた茨城大学附属小学校では、毎年この時期になるとすぐわきの弘道館の梅林で写生会をしたものだ。東日本大震災で弘道館が被災してしまったので、あの行事がいまも行われているかどうかわからないが、早い春の訪れを実感できる行事として強く心に残っているものだ。願わくは復興を果たして、梅林に多くの人が訪れていて欲しいものだ、と近所の庭々に咲いている梅を見て思っている。もし明日がよいお天気で風が強くなければ、美しく咲いている梅の写真でも撮ってこようかとも思っている。
2013年3月1日
 早いもので今日から3月。多くの高校では卒業式が行われたことだろう。
 ところが迷惑な殺害予告のために神奈川、静岡の高校では卒業式を延期したり、時間を遅らせたりした学校もあったようだ。晴れの門出を祝うはずの大切な行事が、このような心ないいたずらのために変更を余儀なくされるとは、何と言うことかと憤りを禁じ得ない。

 ところで3月の声を聞いた途端、春一番が吹いた。いよいよ春本番かと思われたが、また明日から冬型の気圧配置に戻って寒くなるのだという。いいねえ。三寒四温をもう少し堪能して行く冬の名残を楽しみますか。

 閑話休題(それはさておき)、男声合唱の定番のレパートリーに『いざ起て戦人よ』という勇壮な曲がある。トップテナーの歌うメロディーにからむバスの旋律が秀逸で、それがとても気に入っているが、この曲を混四で歌ったらどうなるかと思い、アレンジしてみた。→こんな具合である。
2013年2月25日
 ドイツの指揮者で日本でもおなじみのウォルフガング・サバリッシュさんが亡くなった。N響を颯爽として指揮し、重厚な響きを引き出していかにもドイツらしい音楽を聴かせてくれた大好きな指揮者であった。戦後ドイツを代表する指揮者としてフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督をはじめとする多くのポストを歴任したが、日本人にとっては何と言ってもNHK交響楽団を世界的に通用するオケとして導いてくれたという実績が印象的な指揮者であった。ご冥福を祈るばかりだ。

 夕刻地震予知の警報がけたたましく鳴ったので、驚いて身構えたが揺れはしても大きな揺れにはならなかった。その後の報道で栃木県北部を震源とする最大震度5弱の地震であることがわかった。それ以降、頻繁に地震速報のテロップが流れ、日光付近を中心に余震が続いているとのこと。また地理的にそう遠くないこともあってか、夜に入って会津でも震度3の地震が起きたという。栃木北部は火山地帯でもあり、それらの火山活動と関連があるのかと素人考えに思ってみたりもしたが、どうなのであろうか。心配なことである。
2013年2月21日
 必要な楽譜をコピーするために近所のコンビニに行った。コピーをしながら何気なくすぐ傍らの入り口をみると、お母さんに手を引かれた三歳くらいの子がニコニコしながら手を振って私にバイバイをしてくれている。見知らぬ子だが、その笑顔につられて私も思わず手を振り返してしまった。見知らぬ小さな子ににこやかに手を振ってもらえるなど、思いもかけなかったことが起こり、うれしさに心がふんわり・ほのぼのと暖かくなったのを感じた。つい心の中で『ありがとう』とつぶやいてしまった。帰り道の風は冷たかったにもかかわらず、その冷たさも苦にならないほど心が弾むうれしい出来事であった。やっぱり子どもは人を元気にしてくれるのだとつくづく思った。

 ところで、昨日から水戸の偕楽園では恒例の「梅祭り(観梅)」が開催された。日当たりの良い南崖の梅はもうずいぶんほころんでいることだろう。梅は春に先駆けて咲く「春の訪れ」の近いことを知らせる花だ。藩校弘道館にも梅林があり、水戸の歴代藩主は梅を大切にしてきたのだ。水戸藩の精神が「魁(さきがけ)」であることと深く関わっているはずだ。

 そういえばこのところ日差しは冬のそれのような弱々しい日差しではない。それに日脚もずいぶんと伸び、日の出も早くなっていることに気づいた。少し前までは6時40分頃の日の出だったが、今は6時前にはすっかり明るくなっている。
誰もが待ち望む春は目の前まで来ている。東北・北陸からは今日も大雪の便りが聞こえているが、『もう少しで春が来るからがんばって!』と応援したい心持ちである。
2013年2月18日
 昔々、谷川俊太郎さんの詩集に面白い詩を見つけ、男声四重唱の曲を作ったことを思い出した。同じ詩集に、「かっぱ」や「いるか」といった言葉遊びの詩もふんだんに掲載されており、谷川さんの語感とユーモアに溢れた感性にいたく感動し、当時幼かった娘となんども声に出して読んだ思い出のある詩集だ。
 その中の「ごあいさつ」という詩に曲をつけ、男声四重唱のしてみたものを、混声合唱でも歌えるのではないかと思い立ってアレンジし直してみた。アッという間に終わってしまう短い曲だが、合唱の箸休めにどうかとも思っている。
混四に編曲し直したものをボカロで歌わせてみたのがこちら→こちらのページ
2013年2月15日
 ロシアで隕石が落下したという。NHKのニュースでは、国立天文台の渡部潤一副台長が、「数メートルほどの小さな小惑星が大気圏に突入し、大気との摩擦で光を放つ『火球』になったと考えられる。また、大気中を音速を超える速さで飛んだことによって衝撃波が発生し、建物のガラスが割れたとみられる」と話していた。
現地ではどうやら700人を越えるけが人や建物などの被害が出ているようだ。
明日の早朝には、小惑星が地球の接近すると数日前から報じられているが、それとは無関係だとも。宇宙のダイナミックな動きの中では、何が起きても不思議ではないのだろうが、怖い話である。
2013年2月9日
 今日は2月9日。2と9の語呂合わせで「フグの日」「福の日」なのだそうだ。ならば「肉の日」でもよさそうなものだが、そうではないらしい。今日は北風が強く吹く一日だったが、ひょっとすると「吹く日」だったからなのかも知れない。
そんな寒く冷たい空気の中で、我が家の庭で「蝋梅」が咲き始まった。花弁が蜜蝋のような光沢を持った梅に似た花であることからこの名前で呼ばれるようになったらしい。蝋梅が咲くと、じきに梅の季節がやってくる。まさに「春は名のみ」の季節だが、暖かい花の季節に一歩一歩近づいてきていることが窺われる。
2013年2月7日
 昨日は、一昨日から繰り返し「大雪になる」との天気予報が報道されていたので、大いに心配されたのだが、どうやら気温が予想ほど低くなることはなく、先月のような大雪になることは免れた。首都圏の電車は一昨日に早々と7割の間引き運転を決めので出勤などで混乱することはなかったようだ。一安心であったが、これだけ大騒ぎをされると、雪のほうでも申し訳がないとでも思ったか、気休め程度の霙を降らして立場を保ったような気配であった。

 ところで私の部屋に飾るカレンダーは、毎年いただくドイツ・グラモフォンのカレンダーだが、今年のカレンダーは懐かしい芸術家の写真で構成されたものになっている。
1月はフィッシャー・ディスカウだったが、2月はバーンスタインだ。その他にマルタ・アルゲリッチやポリーニの顔も見え、12月はカラヤンと毎月カレンダーをめくるのが楽しみになるようなカレンダーだ。今年のこのカレンダーは保存版にしたいと思っている。
2013年2月3日
 今日は節分。明日は立春。暦の上では「春」になるのだ。そう言えば、昨日はとても暖かく東京では気温が20度にもなったという。その暖かさの中でふっと思った。春が来るということは、何ヶ月かするとあの暑い夏がやってくるということ。夏の耐えられない暑さに比べれば、今の寒さなどものの数ではない。どうか夏の到来が一日でも遅く、そして一日でも短からんことを、と願ったものだ。まだ春が来ないうちに夏の心配をするのもおかしな話だが、夏の暑さを思うとウンザリするばかりだ。

 ところで先日のこと、ソニーがMDの録再機器の生産/販売を中止するという話を聞いた。ICレコーダー、プレーヤーの普及がMDを駆逐してしまったようだ。記録メディアがどんどん変わって便利になるのは良いが、その一方で古い記録物を読み取る手段がなくなっていくのは残念この上ない。記録メディアを遺物としてしまわないためにも、古くなった各種再生機器が併存できるようにすることが必要なのではないかと思われてならない。
 例えば古いレコードを再生できるレコードプレーヤーが見直されたり、オープンリールの磁気テープを再生できるようにオープンリールのテープレコーダーが手に入れ易くするといった具合にである。どうやらカセットテープレコーダーは需要が多いせいか、メディアも再生機器もふだんに手に入れることができるが、その他は心許ない状況である。
そういえば先日は、あのフィリップスが映像・音響製品事業から完全撤退すると報じられていた。CDを開発したあのフィリップスがだ。一世を風靡したレーザー・ディスクはどこへ行ってしまったのだろうか。決して安価ではなかったレーザーディスクを購入した人々は再生の道を断たれてしまったのだろうか。メディアの変遷と推移、交代は決して喜ばしいことだけではない。再生の余地を残しておくことも、文化にとって必要なことなのではないだろうかと強く思われるのである。
2013年1月31日
 早いもので、今日はもう1月の晦日だ。明日から2月だ。1月も末になってから、これまでの寒さが嘘のような暖かい日が続いている。そんな陽気に誘われて、娘の住む川崎市内を流れる二ヶ領用水を散策していると、いつもたくさんいる鴨にまじって白鷺も水辺にきているのを見つけた。
 そんな長閑な気分に水を差すような五輪女子柔道監督の体罰・パワハラ騒動。大阪桜宮高校の体罰事件が明るみに出てから、各方面から体罰の訴えが噴出している。運動の指導は、精神論ではなくもっと科学的な理論を背景にした「力による指導」ではなく「わかる指導」「納得できる指導」へと切り替わっているものだと思っていたのだが、五輪の代表監督までが「体罰と知らずに暴力を奮っていた」とは何とも残念な話ではないか。

 ところで女性歌手に「キャリーぱみゅぱみゅ」という人を喰ったような名前の人がいるのだそうだ。滑舌の悪い私はきちんと発音できないのだが、本人は正確に発音できるのだろうか、と以前から思っていた。ところが、今日ラジオを聴いていたら『下顎を前に突き出して受け口で発音するとうまく呼べる』と言っていた。試しにやってみた。何と、スラスラとまではいかないが、しかしずっと抵抗なく「キャリーぱみゅぱみゅ」と発音できるではないか。
なぜできるのか。疑問がまた一つ増えてしまった。
2013年1月28日
 このところ、日曜日の夜が楽しみに待たれるようになった。NHKの大河ドラマ「八重の桜」が放映されるからだ。これまで大河ドラマを欠かさずに観てきたのだが、去年一年間は一回目の放送を観ただけでうんざりし、それ以後はついに観ずじまいであった。リアルさを強調するためなのだろうが、映像がほこりっぽく感じられ、大声で喚くだけの演技に不快さを禁じ得ず、観ることをあきらめてしまったのだ。しかし、今年の大河ドラマは内容も演技も好ましく、つまりは演出に好感が持て、放送を楽しみにできるようになったのだ。
そう言えば、NHKの朝の連続ドラマも数回観ただけで観なくなってしまった。若いヒロインの無軌道ぶり、ハチャメチャとも思える粗雑な言動に朝から不快な思いをするのがイヤになったのだ。いつか朝にふさわしい清々しい話になるのだろうと我慢して数回は観たのだが、そうならないうちに限界が来てしまった。
大河ドラマ「八重の桜」を心待ちにするように、朝のドラマも心待ちにしたいものだ。思えばNHK大阪で制作される朝ドラは、騒々しかったり浮かれすぎだったり、あるいはリアルさに欠けて心に響いてこないところがあるような気がする。
だがそれは、あくまでも個人の好みで、現在の放送を心から楽しんでおいでの方も多いのだろうと思うのだ。きっと視聴率も悪くはないのだろうが、私はこのドラマが早く終わって、一日のスタートにふさわしい爽やかさを感じることのできる次の新しいドラマが始まることを首を長くして待ちたいと思っている。

 今朝未明、茨城県を震源とする少し大きな地震で目が覚めた。水戸で震度5弱、土浦で震度4だったが、我が家では棚の上からポットが大きな音を立てて落下した以外はさしたる被害はなかった。よかった、よかった。
2013年1月19日
 先ほどネットサーフィンをしていて、元横綱大鵬が亡くなられたことを知った。昭和の大横綱として多くの人に親しまれ、
「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉まで生まれるほどの人気力士だった。端正な顔立ちと恵まれた身体、そして何よりも無類の強さで子どもから大人にまで慕われ、柏戸と並んで柏鵬時代を築いた大横綱だ。残念この上ない。
「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉は流行語の中でも長い年月にわたって記憶され、今でも流行語の象徴のようになっているが、この言葉がはやった頃に昭和の子どもとして生きた私にとって、球界の長嶋と共に最大のヒーローであった。
また昭和が一つ遠のいた感じがする。寂しい思いと共に、ご冥福を祈るばかりである。

 永六輔作詞、中村八大作曲の「遠くへ行きたい」を合唱曲に編曲してみた。アカペラでの合唱しても、そのよさが味わえるかも知れないと思い立ったからだ。編曲ついでにボカロで歌わせてみた。その歌は下記のページで。
→こちらのページ
2013年1月17日
 大阪市立桜宮高校のバスケット部主将が体罰を苦に自殺をした問題で、橋下市長が乱暴・粗雑な発言を繰り返しており、気は確かかと言いたくなるような思いでこのところの報道を見ている。体育科の入試を取りやめるべきだ、教職員全員を配置換えすべきだ、体育教師の給与執行を停止する、全部の部活動を停止する、など問題の所在について整理がついていないかのような「あれもこれもいっしょくた」発言があいつでいるからだ。何とも馬鹿な話で、こうした発言に振り回される生徒や受験生、そして市教委の苦慮や辛さばかりが思われる。
『安易で迷惑な正義』を振りかざすこの人を支持する人がいるということも、すこぶる残念な話である。

 一月も半ばを過ぎて、ずいぶんと日が伸びたことに驚かされる。今日の夕方、外がまだ薄明るいので何気なく時計を見ると、もう午後5時を回っているではないか。5時を過ぎてもまだ明るい、ということに“春の遠くないこと”に気づき、何やら気分も明るくなってきた。春は名のみかも知れないが、そしてこれからが寒さの本番だが、日一日と暖かい春に向かって進んでいるのだ。嬉しいではないか。
2013年1月15日
 昨日降った大雪の影響で、東京を含め関東各地で交通に支障が出て、常磐自動車道も昨日から今日まで通行不可になっていた。昨晩はかつての同僚のお父さんの通夜があり、最も降りの激しい時間帯に自家用車で近くの葬祭場に出向いた。1ヶ月ほど前にスタッドレスタイヤに履き替えていたので安心していたが、もしかすると雪道の対応をまだしていない車がスリップしてこちらに来るかも知れないと油断できない往復の道であった。
 今朝は案じたとおり、積もった雪が凍結して家の周囲の道は堅い氷のようになっていた。スコップでたたき割るようにして、その凍った雪をかこうとするが容易には掻ききれない。ところが、やはり太陽の威力はすごい。朝からすっかり晴れて日差しがその凍った氷を融かし始めると、午後にはあんなに頑固に道を覆っていた氷がすっかりなくなり、道全体が乾いて何の支障も無く歩けるようになってしまった。改めて太陽光のエネルギーのすごさに驚いてしまった。この素晴らしいエネルギーを活用しない手はない、とつくづく思わされた一日であった。
2013年1月13日
 「無私の日本人」(文藝春秋社)読了。著者は、元茨城大学准教授で現静岡文化芸術大准教授の磯田道史氏。数年前にヒットした映画「武士の家計簿」の原作者としてとみに有名になった歴史学者である。
 “私”に対する概念は“公”であるが、江戸期に於ける“公”は現在のそれとは異なり、「公=公儀」つまり「幕府」であったことは周知のこと。しかし、ここに描かれた“無私”の対象は“公儀”ではなく、私たちが“公”ととらえているところの「自分を取り巻く他者」という意味である。自分がいる社会のために“私”を無にして貢献し、自分を顧みずに奉仕し、尽くした人々の話である。しかもここに描かれた三つの話はフィクションではなく、すべて資料で確かめられた史伝・事実なのだ。
 いまは無名であるが、資料を掘り起こして得られたその人たちの生き方こそ、混迷する世界の中で日本人が日本人独自の哲学で生きていく指標となるという思いで、何としても書いておきたいと著した書物である。
 後書きにあるように『なるほど、このように過激な清浄を生きても人間は幸せでいられるのか』という思いを共感できる作品であり、まさに『私たちの知らない、強く美しい日本人がいた』ことに感銘と誇りを感じることのできる作品である。
ぜひとも多くの人にお薦めしたい書物だ。
2013年1月10日
 昨日の新聞報道で、安倍首相直属の教育再生実行会議委員に曽野綾子氏らが内定されたことを知った。
 曾野綾子氏と言えば、夫君三浦朱門氏と同様に、これまで教育にとってのさまざまな問題発言をしてきた人物である。
 このような人物が委員におさまるということからも、この教育再生会議設置の趣旨がよく透けて見える。
 彼女のこれまでの言動が安倍首相と同様、右寄りの姿勢を窺わせるに十分だからである。
 「二次方程式を解かなくても生きてこられた」「二次方程式などは社会へ出て何の役にも立たないので、このようなものは追放すべきだ」といった乱暴な発言を教育に関する諮問委員会で行ったこともある。また、 教育改革国民会議委員という立場で「満18歳で、国民を奉仕役に動員すること」を主張したりするなど、前時代的な発言を繰り返してきた人物である。「国民を」という言葉遣いにも一段高いところから見下している様が窺える。まるで自分は一般市民とは異なる別格の高みにいる人物と思っているかのようであるし、「動員する」という言い方からも一般市民を「使役できる立場の人間」と見なしていることが窺える。まるで国民を「将棋の駒」かなにかのようにしかとらえていないかのようだ。決して言い方だけの問題ではない。徴兵制を思わせるようなこの発言は、敗戦以来「平和で文化的な国家」をめざそうとしてきた国のありかたを根本から覆そうとするもので、戦前・戦中の日本の姿をノスタルジックに希求しようとするもので、その姿勢は安倍首相の姿勢そのものだと言って良い。
 こういう人物を委員として選出するということは、この会議の結論の方向はもう見えてしまった感がある。やはり、と思うしかない。
2013年1月8日
 今月4日の新聞で、「テネシー・ワルツ」を歌ったことで有名なパティ・ペイジが亡くなったことを知った。
 今日の読売新聞「時事川柳」の欄には、『江利チエミ 待ってましたと二重唱』の句が掲載されていたが、パティ・ペイジのヒットを受けて日本では江利チエミが「テネシー・ワルツ」を歌ってヒットしたことはよく知られている。この曲も好きだが、パティ・ペイジの歌った曲の中で私が最も好きなのは、「モッキンバード・ヒル」。軽い透き通るような歌声で歌われるこの曲を、よくラジオで聴き、子供心に魅了されたものである。
 と思っていたら、今朝の新聞で私の大好きな歌手「岡本敦郎」が、年末28日に亡くなっていたと報じられていた。幼い頃から、岡本敦郎の歌う「高原列車は行く」や「憧れの郵便馬車」が大好きで、とりわけ意味も知らずに歌っていた「白い花の咲く頃」がお気に入りで、いつかあのような清々しい声で歌える大人になれたら、と憧れたものであった。
好きな歌手が一人、また一人と逝ってしまうのは本当に寂しい限りであるが、そうした人の歌った歌を大切に歌い継いでいきたいものだとも思っている。
2012年12月30日
 茨城県南各地に週一度、無料で配布される「常陽リビング」という新聞がある。
 今日の紙面に「元気に笑って川柳」の入賞作品が掲載されていた。
シャレのきいた作品揃いで、家内と二人、大いに笑わせてもらった。
最優秀賞は、『
居て大変 居なくて大変 老夫婦』というもの。
 その他入選作から気に入ったものをいくつか紹介したい。

○『
聞きました それも聞いたと 妻の酌』  酔うと、昔から何度も聞かされた話を「またか」  というほど聞かされてきたのだろう。様子が目に浮かぶようである。

いなければ 良いと思うと 脇にいる』 そんなことはないでしょう?やはりいなければ
   困るはずです。甘えた自虐ぶりに大拍手。

○『
痩せたのに 形状記憶 して戻る』 秀逸! こんな言葉が紡ぎ出せるすごさに感服である。  痩せちゃう形状記憶体質だったら良かったのに。

○『
ケイタイに たどり着いたら スマホかよ』 やっとケイタイの操作を覚えて、メールだって  打てるようになったのに、という嘆きが聞こえてきそう。ご苦労様です。
  でも、あまり時流を追いかけなくても生きていけますよ。

○『
楽しみね 離ればなれの 夫婦旅』 あ、そう。旅行先での行動は別々なのね。それが楽しみ  なんだ。残念!

○『ダイ
エット 言うと食うのは 別の口』 ダイエットはしたいけど、食欲には勝てず。
  痩せたいが食べたいという葛藤の日々が続くのかも。

○『
ウン万円 払って断食 買う日本』 食するのに高額な料金を払い、そのせいで太った体を
  スリムにするのにさらに高額な料金を払う。支出の際限ないスパイラルをどうしましょう。

 とにかく、十七文字だけでこんな頓智とシャレの効いたおもしろさを歌い上げることのできる人々を尊敬するばかり。
すごい人たちだ。
2012年12月25日
 今朝はこの冬一番の寒さだったのではないだろうか。早朝、ゴミを出しに行ったのだが、ほんの100メートル足らずの距離を往復しただけで、体が凍えてしまった。冷たい空気に触れて頬も指先もぴりぴりする程だったが、この冷気は嫌いではない。むしろ緩んだ体が引き締まるような心地よさも味わえて、『冬はこうでなくっちゃ』と嬉しい思いでもあり、冬の気分を味わっている。

 今日は家内に、じき満五歳になろうとする孫からハガキが届いた。覚え立てのひらがなでたどたどしい字ではあるが、「いつもあそんでくれてありがとう」と書いて送ってくれたハガキである。成長ぶりに驚いたり喜んだり感動したりで、ついスキャナで取り込んでしまった。成長に立ち会えることのうれしさをしみじみと感じている。
2012年12月24日
 束になってかかってきたような編曲の作業がようやく終わった。なんとか年内にやりおおせることができ、明日にはすべての曲を渡せる状態になった。やれやれとほっと一息。年をまたぐのは避けたいと思っていたが、これで心置きなく大掃除などの年越しの準備に集中することができそうだ。
 ところで、この数日の寒さで全国的に灯油の消費量が増大し、石油の備蓄量に懸念が持たれているという。暮れから正月にかけて、灯油の販売店も年末・年始は休業するだろうし、寒さに備えて必要分を購入しておかなければと思っていた矢先のこの報道に、少し心配な気がしてきた。大丈夫だろうとは思うが備えはしておきたいところだ。

 昨日のことである。いつもガソリンを給油している近所のガソリンスタンドで、クリスマスのイベントをしていた。家内の乗用車に給油するために立ち寄ったところ、福引きができるという。家内が福引きをしたところ、なんと一等賞の大当たり。ディズニーランドへのペア招待券だ。ガソリンスタンドの方が、『娘さんたちにプレゼントしたりせず、ぜひご夫婦で』と強く勧めて渡してくれた。どうやら8月31日までが有効期限のようだ。せっかくなので二人そろって行こうかと話している。
思わぬクリスマスプレゼントをいただいた気分である。
2012年12月21日
 今日は「冬至」。我が家でも南瓜を食し、ゆず湯を楽しんだ。日一日と弱まってきた日差しが、これからは徐々に元気を取り戻し、日脚も伸びていく。寒さは厳しさを増していくが、季節は明るい方へと着実に進んでいくはずだ。
 どうやら世界では、2012年12月21日の今日を「終末の日」と予言をしていたと大騒ぎをしていたらしい。無事に夜を迎えたということは、その予言は何の根拠もない間違いだったということだろうが、そのことも承知の上で何やらイベントを楽しむようにマヤを訪れた人たちも多かったと報じられていた。どうでもよいことである。

 いくつか重なってしまった編曲の依頼に追われ、このところ一日が短い。全部の作業が終わる頃には、除夜の鐘が鳴っているかも知れない。同時並行で4曲は、ちと辛いがそんなことを言ってはおれず、七転八倒、悪戦苦闘しつつ取り組んでいる。実はその悪戦苦闘、遅々として進まないもどかしさがまた編曲の楽しさだったりもする。がんばれ!私と、先日娘が贈ってくれた暖かいセーターを着て幸せを感じながら自分を叱咤激励しているところである。
2012年12月16日
 衆院選挙の速報によれば選挙前の予想通り自民党が単独過半数を獲得したという。
 日本人の多くが右寄りの道を選択したことになる。これからとりわけ心配なのは教育だ。学ぶ権利よりも「教化されるべき義務」が優先され、ますます望ましい教育から遠ざかって行ってしまうのではないかと懸念されるからだ。
新しい教育基本法を盾にとって、その論理を教育界にいっそう迫ってくることは目に見えている。困ったものだ。

 ある人からの依頼で、「アメイジング・グレイス」「慈しみ深き」など数曲の伴奏を編曲している。ほぼ完成といったところであるが、これから実際に歌ってもらい、必要があればキーを変更するなど手を加えなければならないこともあるかも知れないので、まだ安心はできない。安心するのは、歌を録音し、ミックスダウンしてCDが完成するまでお預けだ。
そんなわけで、油断できない状況がもう少し続きそうである。

 ところで編曲の作業中に気がついたのだが、ちょっと音量が上がると左チャンネルのスピーカーがビリつくようになってしまった。最初はスピーカーに不具合が起きたのかと思ったのだが、どうやらそうではないようだ。というのはPCにヘッドフォンをつないで聴いても、同じ箇所でビリビリと雑音が入るからだ。光デジタルで接続した機器で聴いてみると雑音がしないことから、PC内蔵のポート「Sound Max」の不具合のようだ。ということは、スピーカーを光デジタル入力対応のものに変えれば、この不具合から脱出できそうだが、どうしたものか。音量を抑えれば、今のスピーカーでも特定の場所で発生するビリつきを避けることができるのだ。現在使用しているスピーカーの音が気に入っているので、他のスピーカーに変えるのも気がすすまない。悩むところである。
2012年12月14日
 選挙を明後日に控えて、選挙運動が盛んに行われている。テレビや新聞によれば、自民党が圧倒的に優勢な状況だという。気は確かなのだろうか。政権交代を訴え、政権を取りはしたものの党内がまとまらず、ばらまきと揶揄されるような政策の連続、何の根拠も具体的な展望も持たずに作成されたとしか思えないマニフェストを覆す政策の数々に、国民が現政権を見限ったであろうことはよくわかる。しかし、だからといって振り子の針を戻すように、自民党を支持し昔の政治に戻して良いとでも言うのだろうか。あれだけ自民党の政治にダメを出し、新しい日本を志向することを願ったはずだ。
それでなくても自民党は右傾化を急ぐかのような安倍総裁を代表としているのだ。「戦争を知らな過ぎる世代」さながらに戦前・戦中の日本を美化し憧憬する彼に手にかかれば、自衛隊を国防軍とし、力の論理で外交を有利に展開しようとしたり、義務教育を「国民学校」さながらに「国に奉仕し役立つ人間の教育」に転換するなどの暴挙に出ることは目に見えている。その最初の段階が、あの教育基本法の改正(改悪?)だ。『取り戻す』と彼は言っているが、誰の手に日本を取り戻すと言っているのか、知れたものではない。思うに、それは「国民の手に」ではなく、「自らの手に」というのが本心だろう。その危険なにおいを察知していながら、もう一度自民党に政権を委ねるというのは余りにもリスクが高い。
 選択をするにしても、「元に戻す」という選択をしてはならない。
 民主党はあてにならない。自民党はもっと危険だ。第三の選択の道があるかも知れないし、もっと違った選択の仕方があるかも知れない。そしてまたもっと違った選択の目を持つ必要があるかも知れない。
2012年12月10日
 この一週間、何やら体調が思わしくなかった。したいことがあるにもかかわらず、身体中がだるく、そして重く、動かない日が続いた。おっくうになっているわけではないが、気分がすぐれないために動く気力が起きないのだ。
 思い当たるのは、週の初めにインフルエンザの予防接種を受けたこと。どうやらそのせいで体調がいつもと違ってしまっていたようだ。昨日、今日になって、ようやく平常に戻ったような気がする。ひょっとすると、風邪のような症状に見舞われてしまったのかも知れない。

 今朝、長女から嬉しいメールが届いた。ケアマネージャーのテストに合格したとの報せだ。がんばったのだろう。忙しい仕事をかかえながらのことだ。我が娘ながら、心の中で『すごい!』と快哉。文字通り、トンビが鷹を生んだような誇らしい気分の一日になった。こんな親からよくもまあ、と嬉しい限りだ。
2012年12月4日
 今朝の新聞で、私の親友の父君がお亡くなりになられたことを知った。つくば市のあるお寺の住職である。実際は息子である私の親友が跡をついで住職になっているので、元住職ということなのだろうが・・・。
 その親友とは、もう30数年の付き合いで、音楽仲間でもあり、彼の作詞・作曲した歌を私が編曲してCDを出したり、彼の詩に私が曲をつけて歌を作ったりする仲間なのだ。彼のお寺で「コンサート in 禅寺」を行ってもいるかけがえのない友人である。非常に残念な思いで、その訃報に接した。
2012年12月3日
 昨日の日曜日、私が指揮をする「牛久フロイデ混声合唱団」が初めての独自のコンサートを催した。この合唱団が誕生してから、今年で5周年を迎えたことを記念してのコンサートである。5周年記念の行事としては、これまでに取り組んできた合唱曲を集めた「愛唱曲集」を5月に刊行したが、このコンサートもその記念行事の一つであった。
 心配された集客も杞憂で、会場に入りきらないほどの集まりで、中には満杯の駐車場のために駐車をあきらめて帰ってしまわれた方も多くあったという話。
終了後には玄関先で「さようならみなさま」を合唱してお客様方をお送りしたが、皆さんが笑顔で帰って下さり、ステージを愉しんでお帰りになられた様子にほっと安心である。

 一夜明けて、今日は私の誕生日であった。早朝から娘や昔の教え子からお祝いメールが届く。有り難いことだと思っていたら、夜には孫から「お誕生日おめでとう」とかわいい声で電話。何とも嬉しい一日であった。
2012年11月16日
 目が覚めて東の空を見ると、日の出前の空が美しいグラデーションで染まっていた。
 思わずカメラを取り出して、撮影したのが右の写真。腕が悪いため、空の美しさを思うように撮影できていないのが残念!空気が冷たく澄んでいるせいか、空の色もキリッとしまって見え、何とも嬉しい朝であった。

 衆議院が解散し、マスメディアは選挙に向けた各党の動静を盛んに伝えている。石原元東京都知事は、新党を立ち上げ、その党名を「太陽の塔」としたという。半世紀も前にもてはやされた作品名を党の名称にするとは、いつまで経っても昔の功績にあやかろうとしているようで、おかしさをぬぐえない。しかもかの小説は、無軌道な若者を描いたものではないか。80歳になってもなお無軌道な反抗心を前面に押し出そうとしているようで、何のことやらと思わざるを得ない。それにしても、『この党では選挙を闘えない』とあからさまに利己的な理由を口実に、離合集散に走る議員の姿を見るにつけ、政治理念の低さばかりが窺え、何のための政治か、誰のための政治かと慨嘆させられるばかりだ。
 国民にとって、これからの1ヶ月は『誰に(どの党に)一票を投じるか』悩み多い日々になりそうだ。民主党にはもう期待できないし、かといって自民党の元の政治に託す気にもなれない。その他の政党にだって期待できる要因はほとんどない。どうすれば良い?という暗澹とした気持ちに襲われるばかりだ。困ったものだ。せめて今朝の朝焼けのように、キリッと引き締まり凜とした理念を持った政治家や政党があれば良いのだが。
2012年11月10日
 立冬を過ぎて秋の深まりが感じられる。
 そろそろ紅葉のきれいな風景が撮れるかと思い、カメラを携えて市内の山に出かけて見たが、残念ながら写真に撮れそうな彩りにはまだ早いようである。早々にすごすごと帰ってきた。それでも、近所のあちこちの生け垣に「山茶花」が見事に咲きそろっているのに気づき、何枚かカメラにおさめることができた。良い天気に誘われて、「秋の風景を」と出かけてみたものの、結局は足元のご近所の方が思いに適った写真が撮れたという皮肉な撮影行であった。そういえば、お隣の菊も美しく咲いていたっけ。
2012年11月5日
 一昨日のニュースで、田中真紀子文科相がその諮問機関であるはずの「大学設置審」が来春の開校を認可した三大学について唐突に不認可とする考えを示したことを知った。認可までの手続きに何の不備もなかったにもかかわらず、大臣とは言え一政治家の「その時々の考え」で一転不認可にする、ということは「認可の基準」を自らないがしろにするもので、かつ裁量権を乱暴に逸脱したものではないか、との印象を受け、『この人ならやりかねない』と呆れと憤りを感じた。案の定、翌日からのメディアの報道でその手法に批判的な考えが示されているが、件の大学に進学できると期待を持っていた学生の胸中を察すると、いっそう憤りがつのる。規制緩和によって大学が乱立し、教育の質が低下する、ひいては就職に支障をきたすというのが田中文科相の考えのようだが、大学は就職のためにあるのではない。そんな理由のために学ぶ権利を行使する場を取り上げることに、より大きな問題がありはしないか。また、すでに認可されてもう開校準備が整っている学校を突然に『認可しない』というのは、あまりにも乱暴すぎるとしか言いようがない。教育の実績が上がっていない学校があるのだとすれば、その学校に対する指導をしたり基準の見直しを検討したりし、次年度から新しい基準を設けるなどの手続きをするのが順当だろう。あまりの粗雑さに言葉を失うばかりだ。

 ところで、大学時代にもっとも親しんだ作曲家と言えば佐藤眞であった。合唱組曲「旅」や「蔵王」などに取り組み、その曲たちから和声や作曲技法の多くを学んだものだ。彼の代表作の一つに合唱組曲「若い合唱」もある。勝承夫の手による詩も魅力的で、第一曲目の「若い合唱」は爽やかな広がりを感じさせるもので、その詩情を見事に生かした佐藤眞の曲と相まって組曲の第一曲目にふさわしいものだという印象をもって歌ったものだ。大学を出てから二年目、中学校に転勤した際にこの詩を中学生にも味わって欲しいものだと思い、自分なりに混声三部合唱に作曲をし、その中学校の合唱団で歌ったことを思い出した。もう30年も前のことだ。あの当時の中学生も、もう50歳になっているはずだが、その曲を混声四部合唱として編み直してみた。稚気あふれる拙い曲ではあったが、まだ25歳だった頃の「何とか佐藤眞のような曲を」という届かぬ思いが苦さと愛おしさをもって思い起こされる。
右記のページで混四に編み直したものをお聴き頂けます。→こちらのページ
2012年10月4日
 このところ母親が実の子を自らの手であやめるというむごい事件が立て続けに起きている。理由はどうあれ、自分のおなかをいためて生んだ可愛い子どもを死に至らしめるほどに痛めつけるというのは、常人の理解を越えるものだ。野生の獣でも、我が子を守る本能は他の欲求に先んじて発揮される。であるのに、「守る」どころか自らが「虐待の主」になってしまうというのは、どうしたことだろう。

 一昨日の朝、ゴミを出すために玄関のドアを開けた瞬間、かぐわしい香りに鼻先をくすぐられた。金木犀の香りだ。
 つい先日まで『いつになったら秋がくるのか』といつまでも続く暑さをかこっていたので、『もうそんな季節か』といぶかしく思ったのだが、本当だった。我が家の金木犀の日当たりの良い東南側の枝に、小さく黄色い花がいくつか咲いていて香りの主がそれだということに気がついた。暑い、暑いと言っていたが、金木犀の香り漂う秋はちゃんとやってきていたのだ。それからというもの、あちこちの庭の金木犀が咲き始め、今は窓を開け放つと芳しい香りで周りの空気が充たされるほどだ。何とすばらしい香りだろう。この匂いが大好きな私にとって、桜の時期と今が一年で一番心浮き立つ季節だ。
2012年10月1日
 台風一過のすこぶる良いお天気だった。良いお天気どころか去ってしまったとはいえ、台風の影響で真夏のような暑い一日だったが、10月だというのに上半身はランニングシャツ一枚になっても暑くムシムシする天候にうんざり。
暦の上では「衣替え」なのだ。夜になって、ようやく涼しくなり生きた心地がするようになったが、明日からは台風の影響もなくなり、北から高気圧が張り出してきて涼しくなるとのこと。よかった、よかった。

 今日のニュースで、野田総理が内閣改造を行ったとの報道があった。驚いたことに元外相の田中真紀子氏が文部科学大臣に指名されたとのこと。外務大臣のときにも官僚と一悶着あって更迭された人だ。目立つ発言が受けて、よく注目を浴びる人でもある。文部科学大臣にふさわしい人が他にいないということなのか、あるいはこのような人でも教育行政をやっていけるほど教育界にはさしたる問題も無い、と考えてのことなのかよくわからないが、いずれにしても総選挙までの短命内閣だ。年功序列というか論功行賞というか、政権の座にあるうちに大臣を経験させたい代議士に大臣をさせておこうというふうにしか思えない大臣の顔ぶれだ。そんな状況下での田中大臣の任命だ。あまり頑張らず、意気込まず、力んだりせず、さしさわりなく数ヶ月をそっと過ごして欲しいと思うしかない。
2012年9月29日
 一昨日のニュースで、アンディー・ウィリアムスが亡くなったことを知った。享年84歳だそうだ。そのようなはずはないとわかっているのに、いつまでも「アンディー・ウィリアムスショー」で軽やかな歌声を聴かせてくれていた若々しいイメージしかないので、そんな老齢に達しているだろうと思ってもいなかった。「ムーリバー」も「モア」も「ある恋の歌」も、彼の代表作はすべて私たちの青春時代と重なるものなので、感慨深いものがある。無理をして買ったばかりのステレオのFM放送からも、よくこれらの歌が流れていたものだ。ご冥福を祈るばかりである。
2012年9月25日
 4歳になる孫が、保育園で私の似顔絵を描いてくれたのだという。
 たった4歳なのにこんな風に描けるようにようになったのか、と感動しきり。
 今更ながら、子どもの成長の早さに驚いている。
 写真を送ってくれたので、「爺さんバカ」ぶりを発揮して、この日記に掲載。
 おじいさんの似顔絵を描いてくれるなんて、大感激なのである。

 ところで、ノーテーションソフトの定番の一つに「Finale」があるが、その無料版「Finale NotePad2012」が公開された。ソフトシンセ同梱で、無料。楽譜を作成してみたい、それを自動演奏させて聴いてみたい、という方にはお薦めのソフトである。
 次のサイトからダウンロードできます→こちらのサイト 
2012年9月23日
 大相撲9月場所は、日馬富士が先場所に続いての全勝優勝を遂げ、ほぼ横綱昇進を決めて幕を閉じた。来場所からは久々に横綱二人で場所を引き締め、盛り上げることになりそうだ。

 ところで、昨日の報道で東京医大茨城医療センターが診察報酬不正請求で当局から保健医療機関の指定取り消し処分を受けたと伝えられた。私も先月までお世話になっていた病院だ。この処分で、12月以降、保険診療ができなくなるという。つまりは患者が医療費全額を負担しなければならなくなるということだ。患者の転院が続出するのではないかと見られているが、なんの罪もない患者に負担がかかるというこの処分内容にいささか驚いている。病院にペナルティを科すには、病院から罰金を取るなどの他に違う罰則がふさわしいのではないか。もっとも「保健医療機関の指定取り消し」だから罰金を取るというのは筋違いなのかも知れない。それにしても、ひょっとすると行き場のない患者が出てしまったりしかねないこうしたペナルティは、患者ではなく「不正をおかした病院」にこそ求められるべきではないか。病に苦しむ患者をいっそう追い込むようなことにならなければ良いが、と考えている。

 昨日から急に涼しくなり、「暑さ、寒さも彼岸まで」の言い伝え通り、秋がやってきた感がある。水戸の偕楽園では萩祭りも始まったようだ。これでしばらくはエアコンのお世話にならずに生活ができそうだ。やれやれである。
2012年9月12日
 今朝のニュースで次のような報道があった。
 『金属のチューブの中にお湯を流すとその熱で発電する「熱発電チューブ」と呼ばれる技術について、
  電機メーカーの「パナソニック」が世界で初めて実用化にめどをつけ、将来、工場やビルでの発電
  への活用が期待されています。
  熱発電チューブは、温度が高いところから低いところに電気が流れる性質を持つ金属でできていま
  す。この性質を生かしてチューブの外側を水で冷やし、中にお湯を流して熱を加えると発電します。
  長さ10センチ、直径1センチの熱発電チューブの出力は4ワットで、4本組み合わせるとLED電球
  を点灯することができます。熱発電チューブは小型で軽く二酸化炭素を出さないのが特徴で、パナ
  ソニックは世界で初めての実用化に向けて6年後をめどに工場やビルの排熱や温泉地での活用を
  目指しています。パナソニック先端技術研究所の山田由佳さんは、「工場やビルなど排熱は至る所
  にあるがむだになっていた。熱発電チューブを分散型電源として活用したい」と話しています。

 なんとすごい技術ではないか。小さな設備で発電することができるのだ。これなら工場やビルだけでなく、熱を発するあらゆる施設、例えばゴミ処理の施設や温泉、デパートなどの大型商業施設の空調で生じる熱など、さまざまな場所で発生する熱を電気に変換することができるのではないか。小水力発電や海上風力発電、地熱発電など以上にあらゆる場所での発電が可能になりそうだと飛躍して考えるのは、早計に過ぎるだろうか。しかし、意外にそうではないかも知れない。
何やら大いに期待できそうな技術のような気がする。マスコミでは、民主党と自民党の代表選の話、そして橋下某を代表とする大阪維新の会による新党旗揚げの話で持ちきりだが、そんな党利党略だけの低次な話題より、実用化のメドがついたというこの新技術の開発についての話題の方が、注目に値する話ではある。
2012年9月7日
 秋の風情を一日も早く感じたいと思い、カメラをかついで近所を回ってみた。
 気がつくと、もう栗のイガがこんなに大きく育っていたり、道ばたのススキにも白い穂が見え始めている。
 早いところでは、もうすっかり稲刈りが済んでいて、見渡せばそうした田んぼの中に白鷺が集まっている。本当はもっと近くにたむろしていたのだが、カメラを構えた途端にその気配を察したのか、遠くに逃げられてしまった。残念な思いで、致し方なく望遠レンズで撮ったのが右の2枚。暑い中でも確実に少しずつ秋が近づいているにもかかわらず、気ぜわしく『秋よ早く来い』と願っている自分を少し恥じ、行く夏を惜しむ気分にさせられた。
2012年9月5日
 ニュース番組では、次の選挙をめざして各党の代表選に誰を推すかという話題でもちきりである。既存の政党政治からの脱却を旗印にする大阪維新の会に秋波を送り、何とかその人気にすがろうとする議員もいて、何やら国会が自らの務めを忘れて「党内闘争」に血道をあげ、あさましく奔走しているかのようである。その党内闘争ですら知名度頼り、人気頼みの「誰を党の顔にするか」だけに関心があるようにしか見えず、その下心しか見えない動きからは、日本の将来に明るさを見いだすことの難しさ、情けなさしか感じられない。これをどうしたものだろうか。自分が議員として生き残ること、政権与党の一員となって権力を握ることのみに汲々としているようにしか見えない、ということを自ら顧みて政治家としての姿勢を正し、そのことを誇りとするような議員はどれだけいるのかと思うと暗澹とするばかり。これでは国民は救われまい。
すこぶる残念な思いで、この何日かの動きを注視している。

 このホームページも立ち上げてからずいぶん年月を経て、中には古い「時代遅れの記述」が残っていたり、リンクが切れていたりする記事が散見されるようになった。そこで少しずつ、ホームページの「リフォーム」をすることにした。
手始めに、この日記のページ、そして左フレームの内容を見直し、再構築することに。ゆっくり、じっくり時間をかけて齟齬のないように少しずつ手を加えていくつもりだ。
2012年9月3日
 暑い日差しの中で、朝顔の花もぐったりしている。
 猛暑の中でも、早朝はイキイキと咲いていたのに、とつい感情移入。
 そこで「フォト575」にチャレンジしてみた。
 下記のページでご覧下さい。
 →こちらのページ
2012年9月1日
 アメリカの社会学者、ジョエル・ベストの『あやしい統計』読了。先日土浦市内の熊沢書店で見つけ、衝動買いした本である。サブタイトルは「ニュースのウソの見抜き方」。常々、マスコミが報道するアンケート調査とその結果の報道について、その統計がどのような検定を経て、どれだけ信頼がおけるものか疑問に思っていたのだ。アンケート調査は、その質問内容や方法によって、調査者がある方向に導くことなど容易にできる。ちょっとでも統計学をかじった者なら、信頼度の高い調査結果を得るために、質問内容や集計方法に細心の注意を払い、その上で検定や分析を重ねて、情報として読み取るはず。多くの報道で示される「どの回答が○○パーセントをしめたから、これが民意だ」などと乱暴な結果を安易に引き出したり信頼したりしないのが普通。
 きちんとした統計的な手法によらない調査結果に騙されたり操られたりしないためにも、こうした書物が広く読まれることを願うものだ。

 ところで、この一週間ほど「電子書籍」の作成に悪戦苦闘していた。
 日本語の縦書きに対応できるようになったEPUB3フォーマットの書籍がなかなか思うように出力できなかったのだ。思わぬ箇所に空白のページができてしまったり、強制的に改ページを施してもそれが忠実に反映されなかったりというトラブル続き。EPUB3について、詳細な情報を探索したり、幾度も試行錯誤したりして、ようやく思い通りの出力結果を得ることができたのが昨晩のこと。自力で思い通りの結果にたどり着くことができたときの喜びがあるから、未知へのチャレンジは楽しいのだ。よかった、よかった。
 この電子書籍については、下記のページからダウンロードしていただけます。スマホやタブレット端末、あるいは電子書籍リーダーの端末で読んでいただけます。
 →こちらのページ